4月16日(火)☀:ハイテンション眼鏡っ子
【京一】
例によって始業開始直前に教室に入る僕。
「おはよう」
「……おはよう」
凛は相変わらず遅刻寸前の僕を咎めるような鋭い目つきで見る。
しかし、いつもならそれだけ言ってすぐに前に向き直るのだが、今日はそのまま、なにやら言いたげにこちらを見てくる。
それから思い立ったように口を開く。
「京一……あのさ」
「なに?」
「昨日の調理実習のとき、チョコケーキ渡したでしょ。あれって、あのあと食べたの?」
「え? ああ、食べたよ。なんか晃と山本がいいって言うから、一切れ全部僕がもらったよ。……えっと、美味しかったよ」
「本当に?」
「うん……」
じっと僕を見てくる凛。
どうしたのだろうか。というかなぜ朝一番に昨日の件を話題に出してきたのか。
「……そっか。じゃあ、ああいう生っぽいチョコは苦手じゃなくなったのね」
「え?」
「昨日、渡すときはすっかり忘れてたんだけどさ。あんた、固形チョコは好きだけど生チョコとかは苦手だったんだよね。
確か子供の頃、私があげたチョコケーキで気分が悪くなっちゃったことあったじゃない」
「え……、ああ、あったな……」
なんだ、思い出したのか。
しかし、なぜ昨日はそのことを忘れていた凛が、今日になって急に思い出したのだろうか。
……もしかして……、
「もしかして凛、昨日の夢の事、覚えて……」
「夢? 何言ってんの?」
「いやだって、昨日の今日で、そのこと思い出したりなんかして……」
「……朝起きたら、なんだかふと思い出しただけだけど。別に夢なんか見てないし。
さっきから何言ってんの? ていうかこの前保健室でもそんなこと言ってたね。一体なに?」
訝しげに眉をひそめる凛。
「あ、いや。なんでもない」
ちょうどそのタイミングで一限目の授業の担当教員が教室に入って来た。
僕との会話を切り上げ、学級委員長の凛が起立の号令を出す。
ちょうどよかった。変に追及されずに済んだ。
凛はやはりあの夢の内容に関して全く記憶はないらしい。
それは小人の言っていた通り、あれは深層意識、すなわち無意識の中の夢だから。
ただし昨晩の夢の場合は、僕にチョコケーキを渡し、それを食べた僕が気分を悪くしてしまう……という、昔の出来事と同じ状況になった。
夢自体は忘れていても、それがきっかけになって、僕が生チョコ嫌いであることを思い出したのだろうか。
相変わらず夢世界というのは不思議なものである。
しかし……。
先日の保健室といい今といい、凛は僕のことを、急に夢がどうのと言ってくる変な奴、と思っているかもしれない。
普通に考えればものすごく気味が悪い奴である。
まあいい。もともと凛にとって僕の評価なんて大層なものでもあるまい。
今更『変な奴』のレッテルを張られたからどうということでもないだろう。
そう割り切って、僕は安心して机に突っ伏し、居眠りを始めた。
・・・
放課後、僕は文化部の部室棟に向かっていた。
僕はどの部活にも所属していない。面倒だから。
しかし今になって、入学して以来一度も行ったこともない部室棟にわざわざ足を踏み入れている。
晃と、イブとクララと共に。
きっかけは本日の昼休みのことだった。食堂でイブが突然言い出した。
「私と蘭子さ、手芸部に入ろうと思ってるの。今日の放課後に見学しに行くつもりなんだけど、部室棟とかどこにあるかわかんなくてさ。
だから晃と京一、悪いけど付き合ってくれない? どうせヒマでしょ?」
お願いをする言い方ではあるが、僕らに判断を委ねる気などはさらさらなさそうな顔だった。
あっさり、僕と晃はこうして彼女らにつき合わされている。
と言っても、ヒマなのは事実なのである。
文化部系の部室棟は学校の敷地の端のほう、教室棟の裏に隠れるようにして建っている。
この学校に通って二年目になるが、僕には全く馴染みがない場所である。
少し薄暗い廊下。
様々な部室が並んでいる。中には存在すら知らなかった部もある。
「私、夢だったんだあ、手芸部に入るの。材料とかいろいろ、部費で買えちゃうんでしょ、ぬいぐるみ作り放題だよね」
クララがふにゃっとした笑顔で言う。
「あー、クララは昔からそういうの好きだったもんなあ。でも、なんでイブも手芸部に入んの?」
晃が訊ねた。
「私は、……生物部とかあれば入ってみたかったんだけど……この学校にはないみたいだし。でもどこの部活にも入らないってのは淋しいからさ。じゃあもう蘭子と一緒にしよっかなと思っただけ」
「生物部?」
意外だ、と一瞬思ったが彼女の趣味を考えてみれば合点がいった。
それぞれの部室の入り口の上にはプレートがあり、その部の名が冠されている。
その中に『手芸部』の文字を見つけた。ここだ。
入り口の前に立ったが、室内に人がいる気配がない。
中から話し声どころか物音ひとつないのだ。
イブが遠慮がちにノックをしたが、返答はない。やはり誰も中にいないようだ。
「今日はやってないのかな……」
クララが言う。
確かにどの部も毎日欠かさず活動があるとは限らない。
例えば決められた曜日だけ集まって活動しているとか。手芸部ならそんな感じがする。
「……出直しだな」
僕がそう言うと、晃が露骨に嫌な顔をしてうなだれる。
「まじかよ。せっかく付き合ってやったのに。こんなことならさっさと帰ってればよかったじゃんか。ああ、やりたいゲームが溜まってんのに」
徒労に終わったと思い、帰ろうとした。
そのとき、手芸部の隣の部室の扉がギギギと嫌な音を立てて開いた。
「あれ? なんか騒がしいと思ったら。京一と晃じゃん」
半分ほど開けた扉の隙間から、ひょろ長い男が顔をのぞかせて言った。
「「あ、山本」」
思わず晃と声をそろわせてしまった。
クラスメイトの山本がそこにいたのだ。
「二人とも、ここで何してんだ?」
言いつつ山本が廊下に出ようとすると、その背後から彼を押し出して勢いよく女生徒が飛び出してきた。
「どしたの耕太郎! なんかおもしろいモノでもあった?」
山本はその勢いのまま吹っ飛んで反対側の壁に激突した。
「おや! 小智君と遠野君じゃないすか。どしたんですか」
山本を押しのけて部屋から出てきたその女生徒は、溌剌と喋りながら眼鏡をくい、と釣り上げた。
鮮やかな赤色のフレームで、珍しくアンダーリムの眼鏡である。
僕は彼女らが出てきた部室のプレートに目を向けた。
『新聞部』。
なるほど、手芸部の隣はこいつらの部室だったのかと納得する。
「あ、君たちは一年生ですか? なになに、もしかして我が部を見学したいんですかっ?」
まるでインタビュアーが芸能人にマイクを向けるように、彼女がイブとクララに詰め寄った。
色々と突然の事態に二人はきょとんとして固まってしまっていた。
見かねてか、起き上がってきた山本が彼女の肩に手を置いて落ち着くよう促す。
彼女の名は遊免一佳。
眼鏡の種類だけでなく名字もまた珍しい。
学年は同じだがクラスは違う。
しかし僕と晃は彼女のことをよく知っている。いつも山本から話に聞いているからだ。
遊免と山本、二人は交際関係にある。
テンションの高いこの眼鏡っ子は隣のひょろがり男の恋人なのだ。




