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僕らの硬貨  作者: 高戸優
9/22

甘い話。(2)

「ーーっていうことだから、もし月海ちゃん見かけたら伝言お願いしてもいい?」


「うん。『黄金色の硬貨』で合ってる?」


「合ってる合ってる」


晶や一馬が働いてから一晩経ち、昼を迎えつつある喫茶店では珍しく閑古鳥が鳴いている。その暇つぶしをするかのように数十分前から話題に上がったのは、昨夜この店を席巻した本とここの常連枠にあたる少女の名前だった。帰宅した彼等からホットスナックのおこぼれを貰いながら聞いた話を、自分が話しやすいように組み替え直しながらなぞっていく。そうして辿り着いた先、相手に伝わった結果を得た提供者ーー湊の表情は満足げなそれに溢れていた。


しかしそれもたった数秒のこと。次いで思ったのは件の話題の中心にいる月海という少女についてだった。毎日のように来ている彼女だからこそ会える未来は目に見えているのだが、大学生という時間割が個々に違う所属故、来店時間までは予測できない。だから共有しようという先程の願いは、果たしてもう一人の店員に正しく届いていたのだろうか。


確信を得るために顔を覗き込めば、話し相手は何処か上の空な様子でひとつ頷くだけ。


長身の店員と視線が絡んで数秒後、苦笑とも取れる表情を浮かべられる。そのまま無遠慮とも言えるほどに見上げていれば、刈り上げを組み合わせた洒落た黒い短髪、身長も相まって今までよりかは格好よさを感じることができる青年がどうしたの、と困ったように笑みを浮かべてくる。


「だってー。心ここに在らずだったんでしたもん。ねぇ亮さん?」と彼に問えば


「いやぁちょっと気になることがあったんですよ湊さん」と己の名前を投げられる。


何が気になったの、と柔らかく問えば自分より遥か上に位置する垂れ目がちな黒目が数回瞬き


「晶くんらの下りから気になってたんだけど……その小説ってどんな話なのかなって。僕も読んだことなくって」


「それね。わかる。けど、残念ながら僕もないんだよねえ。……綾香が小説好きだから有名なのには目を通したはずなんだけど」


愛しき彼女との記憶を辿ると、図書館に足を運んだ時に件の本を問えば首を横に振られた記憶があった。その当時の理由を思い出しながら一語一句をなぞっていく。


「『なんか。ものすごいやるせない気持ちになるので、私はお勧めできません。……もちろん名作とは思いますが!』って言ってた」


「へー……やるせないかぁ」


「うん。それで……」


綾香がね、と続けようとしたのと同時刻、同じ空間で少し離れた場に位置するドアが来訪を告げる軋み音とチャイムを鳴らした。


つられるように流されるように目を向けると、日光を背に受けた影が一人分見受けられる。逆光で顔ははっきりとわからないが、誰であれ閑古鳥が飛び立つきっかけには感謝の気持ちしか浮かばない。


湊の姿がおもちゃを見つけた子どもの様に大きく動き、成人男性にしては低い視界を揺らしながら近づきつつ、いらっしゃいませと定型的な挨拶を投げる。そうして近づいていった先、逆光の中から見つけ出した本来の姿に内心ひとつ、珍しいと感想を抱いた。


来店客といえば常連が多いこの店には珍しく、新規の匂いをさせた男性客だった。短く整えられた焦げ茶色の髪、同色のつり目、頭から足先までしっかりと整えスーツを纏った仕事人の姿。堂々とした姿からは想像ができないほど不安そうな視線は慣れない様子で店内を彷徨い、店員の湊を見つけた瞬間わかりやすいほどに安堵の色を滲ませる。


その瞳を見上げつつ今日一番の笑顔で再度挨拶をすれば、今度は驚きが浮かび茶と白の比率が変化した。随分表情豊かな人だ、と印象を刻みながら


「何名様ですか?」


可能性を鑑みて問うと、客はほんの少し迷いを見せた顔をすると


「……ケーキだけ購入ってありですか?」


寂れ停滞した時間を巻き返すつもりなのかと思ってしまうほどに予想外の問いを重ねてきた。


これは面白いことが重なるものだ、と退屈嫌いの店員が「大丈夫ですよ」と笑顔で返せばつられるように今度は喜色に染まって見せる。


観察日記をつけたくなるほどの変化を横目に捕らえながら、足は自然とケーキショーケースの方へ歩いていった。十数歩床に刻んだ後に店員だけが許される裏側に足を置くと、営業スマイルとは程遠い、純粋な好意に溢れた笑みを咲かせながら


「えっと、どのケーキを。とかってもう決まっていますか?」


「んー……特に決まってなくて……おすすめとかあります?」


「おすすめ! えー、そうですねぇ……僕なんかはチーズケーキおすすめなんですけど……」


厨房を振り返り礼さんと製作者を呼べば、厨房とこちらを繋ぐ穴から予想より早く怪訝そうな顔で見返される。般若を思わせるほど不機嫌な表情、丸めたレシピをバットよろしく振りかぶっている現状には特に問うことはなく


「今日のケーキ、おすすめってなんですか?」


「苺タルト、モンブラン」


「ありがとうございますー!」


感謝を述べながら男性客へ向き直り


「えっと、いちごタルトとモンブランもおすすめですねー」


肯定するかのように厨房から鳴り響いた暴力音と悲鳴は気にすることなく説明を続けていく。


「で、あそこにいるウェイターはショートケーキとアップルパイ好きってよく言ってるんですよ」


「……あの、あっち大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよー。日常茶飯事です」


「えぇ……? じゃあ、それ全部ひとつずつお願いします。あと……あ、マドレーヌとかもあるんだ。じゃあそれも。あとクッキー……ごめんなさい、たくさん」


「わかりましたー! 大丈夫ですよ。むしろありがとうございます、ですから」


本音はどうかわからないが、迎えを待ちわびた顔で整列していたケーキをトングとトレーで外へ導いていく。組み上げた箱に詰めていくと、今更ながら疑問に気づいた手が止まった。


(……これは、何人で食べる気なの? かな?)


そんな疑問を抱いている間も背後からはプリンやチョコレートケーキを追加注文する声。最終的には箱のサイズ変更をかけなければならないほど、遠くから見守っていた亮が慌ててヘルプに入るほどの膨大な甘味が複数枚のトレー上で詰め込みを待つ結果となってしまった。


客自身の意思で追加注文がかかっているとはいえ、最初からおすすめし過ぎた己も原因にある気がすると、一旦詰め込む手を休めて振り返る。


「……あの、勧めといてあれなんですけど。こんなにあって大丈夫ですか……?」


よく似合う茶色い革鞄を開いていた男性客の顔が上がった。手に持っている財布と湊の背後にある甘味の山を見比べると、大して不思議そうでもない顔で


「大丈夫だと思います。俺ともう一人で食べるので。余ってももう一人の夕飯とかになるし」


「……あの。もこすっごく失礼な質問するかもしれないんですが、この量をおふたりで……?」


「あー……詳しく言うと、ふたりで食べきれなかったら先生に好きなの選んでもらって。余ったのは会社に持ち帰ろうかなって。……ちょっとでもいろんなの食べてもらいたいんで」


「ちょっとでも?」


「そうなんですよ……なんていうか。食に無頓着っていうか……この前行った時なんてほぼ食べてなかったみたいで」


「それは何というか……」


亮が詰め込んでくれている現状に甘え、せっかく続いている会話を止めないようにと苦笑に乗せた言葉を返す。


「……大変そうですね」


「ええ、そうなんですよ大変なんです! もうほんっと、もうほんっと! そんな生活続けてたら死ぬぞってくらい!!」


「苦労してるみたいですね」


「ええほんっと……ほんっとに……!! 上司からは絶対に離すなってプレッシャーかけられてるんですけど、だから定期的な訪問も許可されてるんですけど、ほんと、ほんっと、ひとりじゃ荷が重くて重くて……!!」


よっぽど不満が溜まっていたのだろう、水を得た魚の様に力説をしていた客は突然顔を驚きに染めるとすみませんと謝罪をこぼした。居場所を無くした子どもの様な寂しさを滲ませる全身を撫でるように、大丈夫ですよ、と笑顔で返す。


「人付き合いって苦労しますよね〜。僕も苦労してばっかりで。いやもうほんっと、親友もここでも苦労ばっかりです」


「へぇ……そうは見えませんけど」


「そうですか? こう見えて結構苦労してるんですよー。ですからお兄さんの気持ちもわかります。こっちが良かれと思っても相手に届かなかったり」


「わかります」


「声かけただけなのに怯えられたり?」


「凄いわかります」


「近づけば近づくほど遠のいちゃって?」


「わかります……ものすっごいそれです……!」


自身の体験談を、客の現状に寄り添うように変換しながら言葉を選ぶ。はて、もしかして占い師の才能でもあるかもしれないと想像すれば愉快さに口と目元が更に緩んだ。


「なす術なし、って感じで」


「そうなんです……! でもやめるわけにもいかなく……!」


「なんですよねー。やめるわけにいかないって思うだけで偉いですよ。やめないって結構辛いことですから。向き合う強さがあるって最強の武器だと思いますよ?」


「……そう、ですか?」


「そうです。そうなんですよ。ところで持ち歩き時間ってどれくらいですか?」


「そうなんですか。あ、どうだろ……三、四十分くらいですかね」


亮の作業が終わったのを横目で認めつつ持ち歩き時間を確認し、返答があったことに感謝を伝える。持ち歩き時間に即した保冷剤を設置し、そうして完成したものをショーケースに乗せながら合計金額を男性客に静かに伝えた。


ひとりの客が一度に使うには多すぎる金額だったが、特に眉ひとつ動かすことなく紙幣の中での最高級に値するものを一枚差し出す。お釣りを渡す際に領収書は、と問うと少し悩んだ素振りを見せてから


「……切っちゃおうかな。これは必要経費……お願いできます?」


「はい。どこにしましょう?」


少し悩みながら発せられた言葉を書き留めながら、驚きと意外さが己の脳を駆け巡るのを実感する。書き終えたそれを渡しながら出版社の方だったんですね、と笑顔に乗せた。


「じゃあさっきの先生っていうのもご担当の」


「はい。……先生って言っちゃってました?」


「一度だけ、でしたけど」


「そうですか……やっちゃったなー……どうか内緒にしていただけますか?」


「ええもちろん。守りますよ」


ありがとうございます、と笑顔をこぼした手がケーキを受け取ろうとしたが、ドアまでお持ちしますよと寸前のところで主導権を握る。驚いた客を認めながら同じ場に立ち、ドアまで先導してみせた。押し開けると客は至れり尽くせりだと恥ずかしそうに笑うと


「ありがとうございます。男にも優しいんですね」


「いえいえ。男女平等なお店ですから。お持ち帰りのどうぞ。……あ、そうだ。これ」


ケーキ箱を入れたビニール袋を確かに手渡しながら、空いている手でウェイターエプロンのポケットをまさぐる。そうして見つけた名刺入れを取り出すと片手で器用に開けながら中身一枚取り出した。


「これ、うちの名刺なんです。もしよかったらまたご来店する際の目印にでも」


「これはまたご丁寧にありがとうございます。今度はゆっくり来店したいな。……喫茶店NOSTALGIA」


思いがけず読まれた店名に、自身の名を呼ばれたかの様な反応をしてしまう。いい名前ですねと言われれば表情は緩まりそうでしょうと自慢げな声が口を突いた。


「僕の大好きな名前なんです」


「でしょうね。じゃあ」男性客はひとつ悪戯っぽい笑みを浮かべ「またいつか」


「はい」それに答える様に同じ様な笑みをひとつ「いつでも、いつまでもお待ちしております」


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