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僕らの硬貨  作者: 高戸優
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君の話。(2)

最後の客を見送ったのは二十分前。同時に賑わいの波が引き、箒の働く音と食器のぶつかり合う音だけが残った現在時刻は午後九時三十分。


埃を回収して痛み叫ぶ腰を伸ばしてみれば、視界にレポート用紙の残骸が映り込む。これで終いと思った時に気づく取りこぼしは、何故こうも嫌悪感が湧くのだろう。姿勢を正して舌打ちをすると、床に散らばっていた残骸を片手で集め適当にちりとりへ座らせた。


この席でレポートが終わらないと嘆いて、失敗したページを破り舞散らしたのはあの客だったか。次来店してくれた時には文句のひとつでも言おうと決意を固めていれば、その横に座っていた客のことも芋づる式に思い出す。


鮮やかな黒髪は胸元までまっすぐに流れていて、髪型同様に服にも装飾品が見受けられないシンプルを極めた女子だった。名前に合った海を思い出す青目、それが溢れないようにと囲った赤縁眼鏡。最早中毒と言えるほどのコーヒー摂取量は本日も絶好調で、何度おかわりを注ぎに行ったか覚えていない。


そんな少女の言葉をなぞるつもりが、口を開けば予想外にも説明口調の言葉が飛び出した。


「今日、月海が言ってたんだよ」


予想通りの運びではないが、そんなの自分以外にはわからないに決まっている。高を括りそのまま出入り口方向へ目を向けると、今度は予想通りにレジと向き合っている青年がいた。


開店中なら甘い見た目が人を惹く、空のケーキショーケースの向こう側。小さなテーブルに座る小洒落た古いレジは本日の売り上げを吐き出していて、中身の確認を急かしている。その目の前でどこからか拝借した椅子に座っている青年は、くすんだ金髪に金眼という色素が薄い外見。格好良さと美しさを天秤にかければ後者に振れるかもしれないが、特別そうとは言い難い程度の見目の良さだった。


その青年は話しかけられると思っていないのか、はたまた何一つ気づいていないのか。こちらへ耳を傾けている様子は一切なく、手は急かされるがまま仕事を続けていた。そんな耳に届くかは分からなかったが、改めて言葉を投げる。


「『昨日こうこうこういうことがあったので慎二くんの教育し直しお願いします!』」


「……え、なんで俺に言うの?」


予想に反して気づいた事実に驚いていると、金眼が怪訝そうにこちらを伺う。電卓を打つ手が止まるのを見届けてから


「だって直属の上司じゃん。教育し直し、頑張ってくださいねー、一馬先輩」


「違いますー。俺らの持ち場は上下関係ありませんー」


「何を嘘を」


「ホントホント」


電卓を振りながら笑う姿には色合いも相まって光度が高いように感じる。疲れた視界をちらつく金色に眩暈を起こしかける最中、晶、という己の名を呼ぶ声が意識を世界へ釘付けた。


「何?」


「いや、一瞬様子おかしかったから。大丈夫?」


「大丈夫。……一馬が優しいと怖いな」


「うーん、俺結構優しいつもりなんだけど」


「普段の言動を思い出して」


「うーん?」わざとらしく腕を組み、天井を仰ぎ見て「いやぁ、さっぱり思い当たらないもんで」


「うわぁ、無自覚ツラ」


「無自覚は罪って言うよね」


「それ言うなら無知は罪じゃ?」


「無自覚も罪じゃない? まあ、こんな会話についていけるなら大丈夫なのかな」


でも無理はいけませぬよ晶くん、と電卓を指揮棒並みの速さで振り下ろされれば、くだらなさに笑えてしまう。得意げな顔が余計におかしくて、視線を逸らして笑いを床へ流した。その最中、視線の先に映った本日限りの月海の居場所が、思い出せと言わんばかりに晶の口を通して会話を復元させる。


「あ、あとこんなことも言ってたんだよ。『昨日からずーっともやってもにょってるんですけど、どーしても思い出せなくて……。"生きづらい世界と思う"って誰の言葉でしたっけ?』」


「……知らないなぁ」


「だよなぁ、俺も」


突然の話題にも柔軟に対応するのは流石ここの店員と言ったところか。普段の来店客との会話から鍛えられた切り替えの良さと発想力、記憶を駆使しながら捻り出そうとする一馬を眺めながらぼんやりと思う。


そうして流れる幾らかの沈黙。これは話題の舵を切り直した方がいいな、月海には諦めてもらおうと晶が口を開き直したその時。


「……『黄金色の硬貨』じゃないのか?」


思わぬところから飛んだ声に振り返れば、タオルで手を拭きながら厨房から顔をのぞかせている男性が一人いた。紫のマスクに同色の眼鏡、レンズに守られた鋭い黒目。全体的に洒落た形に整えられた黒髪、中央だけ斜めに切られた特徴的な前髪。白を基調とした厨房業務服の上からでもわかるほどの細い体躯。一馬同様に格好良さと美しさを天秤にかけたなら、こちらは見事な釣り合いがみられるだろう。


返事がないことに対して、己の声量の小ささに原因を感じたのだろうか。厨房からホールへ数歩進むと、普段は決して外そうとしないマスクを下げる。


「『黄金色の硬貨』」


珍しいこともあるものだと、受け取った二人の表情が少し驚きをみせた。隠された傷に焦点を当てる前に会話に集中しようと、提案された可能性をなぞるように晶の口が反応する。


「『黄金色の硬貨』ですか?」


「知らないか? 氷水あすなのデビュー作」


首を傾げ、記憶を辿る。生憎本はあまり読まない主義で該当する情報は一切ない。助けを求めるように一馬を見れば、彼は彼で戦っているようだ。両人差し指で頭を突き、静かに渦を巻きながら


「……あー、あー。あれですか、礼さん。こおりみず、って書いてひすいって読む、あの?」


「それ」


短い返事を受けた安堵の表情を伺うだけで、それ以上の情報は望めないことが理解できる。助けを乞うように二人で目を向ければ、厨房担当者ーー礼は呆れたようにため息をひとつ。マスクを更に一段階下げると、会話が苦手な彼なりの努力を繋げて話を始めた。


「数年前、だったか。何かの賞を受賞してデビューした小説家。あの後もいくつか賞を貰ってた気がするが、あまり記憶にないな。……話は、後味が悪くて残酷が基本。『黄金色の硬貨』も『遺書。』も。だから世間にはあまり合わなかったが……一部の評論家や読者には評価されてるらしいな」


「礼さんは好きなんですか?」


「俺は好きな方。癖になるっていうか、物によっては過激派だからストレス発散になる気がする。『黄金色の硬貨』読んでから、五百円玉貯金始めてみ……」


個人的な感想が続いてしまうと思ったのだろうか。中途半端なところで話を切り、改めて一般的な情報へ路線を正す。


「一目見たいと、授賞式やテレビ出演を願う話も結構ネットで見る。けど、当の本人はずっと拒否。正体を掴もうにも掴めない。……だから、見た目はおろか経歴、性別、年齢でさえ一切わからない」


「へぇ。徹底してるんですね」


「そう。だから、結構予想とか飛び交ってる。女だ男だ、中学生だ、いや還暦だ。……一部じゃ自分の親戚が書いてるのを見たとかいう話もあるらしいが、そういう話が出た時、雑誌連載のネタにしてた。容赦なく否定してたな、あれは痛快。……うん、これで以上」


突然の終わりを迎えた情報は一貫して曖昧さを帯びていたが、普段は無口な礼と会話が続いている故の興味に晶の口が自然と動く。


「えっと、『黄金色の硬貨』でしたっけ。どんな話なんです?」


「読め」


「読む前にあらすじ知りたいです」


「……主人公が希望して絶望して泣く話」


「礼さん、それ短いです」


「勝手に言ってろ、こっちはまだ片付けあるから。食器乾燥終わったかな」


突然会話を切り厨房へ戻った背中を見送りながら、残された二人は静かに視線を合わせる。お互い片付けに戻るべきだろうが、不完全燃焼感が拭えない空気ではなかなか難しい。それを打破するつもりなのか、沈黙を破り始めたのは一馬の方だった。


「明日、月海ちゃんにわかったよーって言わなきゃね」


「なー。そもそもあいつ氷水だなんだ知ってるのか?」


「わかんない……あの子ずっと寝てるし」


「本読んでもすぐ寝そう。涎が栞」


「んー……否定したいけど否定できない」


くだらない会話に発展させるも心許ない。これ以上のきっかけを、と会話と同時進行で探っている間に飛んできたそれは、予想外にも厨房からだった。


「水島。棚宮」


反射的に返事と視線を向ければ、顔を覗かせている礼と視線が混ざった。定位置に戻っているマスクは、それを待っていたかのように静かに動く。


「今思い出した。ミネストローネと米が残ってるんだが、消費手伝ってくれないか?」


願ってもない現状打破案。二人が同時にいただきますと叫べば礼の姿が厨房へ消える。おかしな沈黙をかき消すには心許ない、それでも確かに希望に値する静かな点火音が耳に届いた。

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