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僕らの硬貨  作者: 高戸優
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ある夜の話。(2)

生きづらい世界と思う。そんな言葉、どこで聞いたっけ。


現実と夢の境目の世界、五感がどちらにも共有している状態で思い出した言葉の答えは、簡単に出てこないようだった。もう一度眠ればもしかして、なんて思った当事者が五感を夢へ設置しようとした瞬間、現実から重い一撃が降ってくる。


刹那、全ての感覚や思考が現実へ引きずり込まれる。涙と夢現、ついでに寝癖のついた黒髪で視界不良な世界で加害者を睨みつければ、ぼやけた聴覚に慣れた声が遠慮のない口調で飛んできた。


「もう閉店時間ですー、お客サマぁ」


「……店員はぁ、客を、ぶたない。しかも私女子」


「お客様は、店で、ガチ寝しない。あと男女平等」


「だってぇ」鈍い痛みを伝える部分を優しく撫で「眠いんだもん」


涙を拭い思考を回せば段々と明瞭になる。眼鏡をかけ直し、髪を整えた先で広がるのは自宅以上に慣れ親しんだ白と茶が基調の小洒落た喫茶店内装。自らが位置するのは、人を思いやり角を無くした木製テーブルの前で背もたれの高い椅子の上。飲み切ったアイスコーヒーは氷が透き通った茶色い水と化していた。


情報を整理している中で届いた物の動く音は、向かいの空席のものだったらしい。少年が無遠慮に腰を下ろし主人となる様を見ながら、己の化粧っ気のない口を尖らせた。


人工的に染められた金髪は、後ろが短くサイドと前髪だけ長い特殊仕様。釣り上がったまつ毛の長い大きな黒目と、前髪の一部を留める赤くバレッタのようなピンを見れば女子のよう。が、体つきを見れば細くとも男子のそれであることが見てとれる。乱暴な言動に似合わずループタイをきっちりと締めたウェイター服を見つめながら


「店員が座っていいの?」


「新譜出たから聞いてー! って向かいバンバン叩く奴が言うセリフじゃねえな。あと閉店したし」


少年がテーブルに肘をつきため息を漏らせば、サイドだけ長い金髪が合わせて揺れる。その姿へ今何時、と問えば金の隙間から覗いた黒目は批難がましく、小さな口は呆れたように十一時と答えた。


「……嘘だ」


「ほんとだぁ」


彼女の周囲に乱立するテーブルと椅子の組体操と手中にあるモップを指し


「閉店から二時間後に起こした優しさに感謝して欲しいレベル」


「それ言われると反論のしようがない……」


「っしゃ俺の勝ち! じゃあさっさと会計してかーえれ帰れ」


君何歳? と問えばまた痛覚が生まれそうで口を噤む。代わりに望み通り財布に手を伸ばしている最中、先ほどの疑問を思い出して少年に視線を合わせた。


「ねぇ、慎二くん」


名前を呼ばれた店員ーー慎二は意味合いを計りかねるように、数回瞬きをしてから警戒心を滲ませ


「何だよ」


「いやただ聞きたいことが」


「手短にお願いします」


じゃあお望み通りに、と思ったところで客ーー月海の動きが終わった。首を傾げて青い瞳を瞬かせると、釣られた慎二も鏡のように行動を繰り返す。


それを今度は反対方向に繰り返した月海の口からようやく出た言葉は


「何聞こうとしたか忘れた」


「うっわ、ねえわ」


「待ってちょっと粘れば思い出せそう。コーヒーください」


「もう閉店なんでコーヒー中毒者はかーえれ帰れ」


「はいウェイターさん! 雑と思います! お客様の話はしっかりと聞いて!」


「はいお客様! こちとら営業時間は終了しました! サービス残業はしない主義!」


「じゃあ晶先輩呼んで! 先輩の接客スキル見せてやるから!」


「あーそれはいけませんお客様! あのセンパイは岩塩対応、言葉で殴ってきます!」


「なんなんですかこの店は! 店長呼んでください店長!」


「はっはー残念しったぁ! その店長が容認してるんです! ねーマスター!」


店員と客とは思えない、最早友人に近いやり取りを繰り返す世界に突如巻き込まれたのは此処の主人だった。やや離れたカウンターの向こう側、我関せずとコーヒーカップを鼻歌まじりに拭いていた肩がびくりと揺れる。


明るい茶髪に水色の瞳で銀縁眼鏡に皺が隠れているせいで元年齢より若く見える男性だった。七三で分けられた前髪はきっちり整えられているが、元々纏っている雰囲気と表情から柔和な印象を与えてくる。店員とは違う色合いのループタイを軽くいじりながら浮かべた、ほんの少し困った笑みにはほうれい線が乗っていた。


そんな店長は二人を交互に見ると話題を思い出すべく眉間に皺を寄せ始めた。その姿に若者が簡潔な助け舟を出せば、わざわざカップと布巾をカウンターに置き掌を軽く叩く。


そうして導き出した「容認しているね」の一言は柔和な笑みに乗って空気を伝った。


「ですよね! ほらみろ月海俺の勝ち!」


「幼稚! 何この店員すっごい幼稚! これでいいんですかマスター!」


「それと同レベルの言い争いできるお前も幼稚!」


「まあまあ」


止めに入る気持ちが大してない綿毛のような声でも抑止力にはなるらしく、まくし立てていた慎二の声がピタリとやんだ。そのまま振り返る様子に猛獣とその使い手と言えばまた殴られそう、と言葉を飲み込んだ耳にあの声が再度届く。


「仲良いのはいいことだけど……とりあえず帰ったら? もう外暗いし、慎二くんは月海ちゃん送ってってね」


「え……」


拒絶の色で塗りたくられた声にか弱い女子よ私、と言ったらそうでもないと返される。


また幼稚と思ったか、仲良しと思ったか。傍観者の店長はなんとも表現しづらい笑みを浮かべると


「えじゃないよ。どうせ駅まで一緒でしょう?」


「まぁ、そうっすけど……えーめんどい」


「代わりに今日はここであがっていいから」


「っしゃありがとうございますお言葉に甘えて着替えてきますわ! 月海ちょい待ち!」


モップを魔法の箒よろしく抱えながらスタッフルームに突撃する背中を見送り、先客のノックくらいしろという叫びを聞きながら、残された客と店長は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。なんと子どもっぽい店員だろう、と初来店以来何度目かわからない感想を抱いていると


「高牧さん」


自分の苗字が降ってきた。反射的に店長へ目を向ければ、増した苦笑とお辞儀が出迎える。


「ごめんなさい、慎二くんが」


「あ、大丈夫ですよー。いつも通りですし、それに」


悪戯っぽい笑みを隠すように手を動かし


「マスターのお眼鏡にかかった自慢の店員を嫌いになるわけないです」


「そう言っていただけると幸いです。慎二くんも大切な子なので。まあ一番の自慢は」


顔のパーツ全てでだらしない笑みを浮かべ「拓也ですけど」


「実のお子さんはレベル違いますもんねぇ」


「ねー。可愛くてもう……でも他の子もね、同じくらい大切ですよ。目に入れても痛くない子がたくさんって人生幸せです」


素面で告白に近い言葉を言い切るのがこの店長の悪い癖。本人らが聞いたら恥ずかしさで逃走するのではないだろうか。想像し浮かんだ笑みを継続して隠していれば、一番に逃走しそうな慎二がスタッフルームから顔を覗かせた。


青いブイネックシャツに黒ズボンとスニーカー。学校の教材でも入っているのだろうか、バイトにしては大きすぎるリュックを背負いながら


「何の話してたんすかマスター?」


「んー、何も」


「さいですか?」


表情はあまり納得していないようだが帰宅欲に負けたらしく、店長に近づきながら手を出すようサインを送る。何の疑問もなく差し出された掌へ二つ折りのメモを丁寧に置いた。


「マスター、お疲れ様でした。これ一馬センパイに渡しといてください」


「了解。じゃあ、二人とも夜道に気をつけて」


柔和な笑みで手を上げれば、先ほど貰ったメモが床へひらりと舞い落ちる。慌てて拾う様を見ながら大きくため息をついた店員は後ろ手で軽く挨拶すると、ドアを開け外の空気を招き入れた。夏が終わり始め爽やかさを宿した風の間を縫うように進む。その背を慌てて追う前に一礼すると律儀に抑えて貰っていたドアをくぐり抜けた。


外では時間に見合った暗さと丸い街灯が出迎える。白い発光体を目で追えば駅までの道案内をしているらしく、かろうじて見える駅の看板まで続いていた。


帰る、という雑な宣言と共に歩を進めた背中を再度追いかける。その自身と大差のない背丈を見ていれば、先ほどの告白が頭に浮かんでしまって笑い声が堪えられない。気づいたのだろう、二歩先を行く慎二が振り返り


「あんだよ」


不機嫌に怪訝そうに問うてきた。素直に言ってもいいと思ったが、あの言葉は店長から聞くべきだと真実を飲み込み


「私服で暗がりだと女の子に見えるなと」


やや嘘ではない感想を伝える。すると、一気に不機嫌になった顔が前を見据えて走りに似た速度で駅へ向かってしまったのだから


「あっ待って置いてかないで!」


こちらも必死に追いかけるしかなかった。

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