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僕らの硬貨  作者: 高戸優
19/22

此処での話。(2)

端的にいうのであれば怒涛の展開だった。具体的に言うのなら、自分の所在がわからなくなるほどに。


スタッフルームのドアを開けてすぐ先ほどの赤目に促されるまま席につき、青目に手渡されたメニューに目を滑らせ適当に目についたものを注文する。そんな、店員が席を離れた時にようやく安堵のため息をこぼした彼は、此処での展開について行けていないようだった。


先ほど何を注文したかすら覚えていないほどに混乱してしまっている頭を軽く触り、情報整理を始めてみる。それこそ執筆前のプロット立てのように、登場人物、舞台設定、人間関係ーーと。必死に微かな記憶を辿っている途中、突然の人の気配に大きく体が揺れる。


「おっ」動揺したらしい声は咳払いの後「お待たせ、しました。チョコケーキとコーヒーです」


目の前に茶色い飲食物が置かれる。静かにそれらを見つめながら、そういえば頼んだのはこれだったと思い出しつつ


「……ありがとう、ございます」


「ーーあの、やっぱこっちの気が収まらないのでサンドイッチもサービスさせてください。今用意しているんで。美味しいですよ、ここの。パンがいいんで」


「……ぇ、あっ」


突然の提案すら目まぐるしく、勢いに押されるようにありがとうございます、と答えてしまう。納得したのか離れる店員に安心しつつ、カップのコーヒーを一口含んだ。


正直味の違いはわからないが、家でもよく飲むコーヒーに安心感を抱けば自然と口元が綻んだ。それを見ていたか、いないか。先程コーヒーを届けた店員が安心したような声音で


「そういえば体調大丈夫そうですか?」


さすがに会話が続くと思わず、目が丸くなった。当たり障りのない解答を模索しつつ、戸惑いながらも答えていく。


その質問は人と会話に慣れていない彼にとっても答えやすいものばかりではあったが


「……あの」さすがにひとりにして欲しく「……まだ、何か?」


彼なりの最大の拒否を全身に滲ませたつもりだったが、それでも店員は止まらない。諦めて会話へ乗れば、不思議と柔らかな言葉運びに徐々に自身の感情が懐柔されていく感覚があった。


それは初めてと言っていい経験で、なんだか口内に甘味が広がっていく気がする。コーヒーしか飲んでいないのに、と疑問に思いつつも続けてひと口含んでいる時


「……じゃあ、また来てくれたりします?」

「……え?」


「ぜひよかったらって感じですけど! 下心なく、きっとこれも何かの縁だから」


予想外の言葉へ驚きを隠せずにいれば、柔らかな声が身を包む。行き場に困った視線をコーヒーカップへ逸らして静かに手中で転がし、撫で上げた。


「……そう、ですねーー」


でも、それはできないんです。そんな言葉が彼の中に続いて浮き出るが、何故か口からは飛び出さない。舌と喉に貼りついて空気に触れるのを嫌っていた。


そうして、鼻をくすぐるかすかな甘いチョコレートの匂いが、この店の優しい言葉や展開が、誘発するように彼へ甘い考えを提案してくる。かのイブが蛇に誘惑されたのはこんな気分かと何処か冷静な思考があるのも自覚しつつ、欲望のまま口を動かし


「……そう、ですね。もしーー」


ーーこのまま俺の正体がバレないなら。そんな言葉を飲み込みつつ悟らせないようにしながら、ぜひ、と続けようとした時、ドアが鳴った。簡易なドアベルの音だった。


風鈴にも近いその音に引かれるように自然と向いた視線の先、苦笑いを浮かべる人を見て口が止まる。次いで思考も、視界の移動も止まる。全神経が集中して、そこにいる柔和な笑顔の中年男性を捉えてしまう。


柔らかく甘くなった脳を突き刺すように、本日何度目かわからない記憶がフラッシュバックする。一気に思考と視界から失せる色。残るのは黒、白、そしてドアの近くで穏やかに笑う人の鮮やかな空色の瞳だけだ。


色彩のない視界で男性は笑う。当時と違わない鮮やかな笑顔だった。彼には鮮やか過ぎた笑顔だった。その首へかけた透明な首輪が見えるような気がした。一生を縛った言葉、人の好意に釘打つ言葉が頭の中で一気に膨らみ、破裂音とともに再生される。


『……やっぱり、貴方ーー』


その言葉が自身の身を走り抜ける直前、気がついた時には立ち上がっていて逃げ出していた。


先程まで青目だった男へ口早に服のことを伝え、ズボンにいつか突っ込んでいた五百円玉をテーブルへ叩きつける。黒髪、空色の目、赤かった瞳の横を走り抜けて必死でその場から逃避した。


黄緑が何かを言った気がした。きっと呆れの言葉だろう、そんなのを予想しながらもいまだに人通りの多い商店街を人目を気にせず走って走って、ようやく人通りの少なくなった公園で足を止める。


普段の体力のなさを示すように、肩で息をしてしまう軟弱さに哀れみを抱きながら、備え付けのベンチに腰を下ろす。


背もたれへ背を預け、息を整える。酸素がようやく回った頭は痛みを訴えはじめて、あそこへ次どう戻ればいいか考える余裕は正直ない。深呼吸を心がけながらも乱れるそれを感じながら落ち着け、と思っている時


「あ!」


と、遠くから声を上げられる。子どもというには低音で、大人というには高音で、男女どちらとも取れる声だった。


背もたれから背を外し身を縮こまらせる。隠れられるわけないと自覚しつつも必死に身を丸くし、自分宛ではないようにと願うが、今回はどうやら自分のことらしい。


「うっわー! 夜以外に会うの初めてっすよね?」


軽い足音が聞こえる。声の主が近づいてくる。その人は、諦めて体を起こした彼を背後から覗き込み笑顔を浮かべると


「はじめましてつーかお久しぶりです。覚えてます? 新聞配達の。よく散歩中にお会いするじゃないっすかぁ」


「……あ」


真上に登っている太陽は、覗き込む顔を逆光で隠している。それでも、微笑む口元が緩んでいることくらいは理解できた。


新聞配達らしい人物が喜色満面の笑みを浮かべる。モノクロへ舞い込んだ突然の発光物へ目を細めている彼の顔へ、新聞配達はにこやかに

「そうっす。アリスです、アリス。こんなとこでどーしたんすか?」

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