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僕らの硬貨  作者: 高戸優
18/22

此処での話。(1)

「晶! プランAだよ!」


と叫びながら同僚兼親友がドアを開け放ったのを聞いた時、青目を瞬かせた晶は密かに頭がいっちゃったのか? と感じていた。それくらいに突拍子もない話だった。


店内に流れる静かなジャズが妙な沈黙の間を縫う。騒ぎを察したのか、先ほどまで会話をしていた礼はいつの間にか厨房の奥に引っ込んでしまっていた。これでは突風の無視が叶わないとため息ひとつ、そのまま親友を振り向いた晶は動揺を声音にも表情にも出すまいと


「……プランA?」静かに聞き返せば


「そう、プランA!」力強く頷きが返ってくる。


そんな女子にさえ背を抜かされる小柄な男ーー湊の頷きを見ながら、やはり意味がわからず首を傾げた。


「そもそもプランAって何? 勝手にプラン作らないでいただけます?」


「えー。そこは僕と晶の仲なんだから察してよ」


「無理。以心伝心スキルは備わってません」


「んー……説明しろって言われたらなかなかに難しい、んだけど」


だったら絶対以心伝心なんて無理だろう。そうツッコミを入れそうになるが、目の前の珍しく悩む雰囲気に閉口した。思うがままに感じるままに、突発的に行動するこの男が悩むなんて珍しい。視線を注ぐ今に小学生の観察日記を思い出している中、目の前の赤目は首を傾げる。


それこそ言葉を確かめるように、芽を出す頃合いを確かめる種のように。


「僕楓さんじゃないからさ。察することしかできないんだけど。……楓さんが水かけて連れ込んだのって、アリスちゃんの時をなぞったのかなって」


「アリス? 水かけて? ……あぁ」


思い出す。ここにいる唯一の女子の経緯のこと。水を被った此処のアリスを思い返し、苦笑を溢しつつ


「そういうこともあったな」


「うん。あの時はほんっと偶然だったけど、同じ感じで連れ込んで着替えてもらって乾燥終わるまでうちにいてもらったじゃない。だからあれをなぞればいいのかなって。という訳でアリスちゃんのAでプランA」


「言い方がアレすぎる。……そもそもなぞるなぞらないって……」


そこまで言って合点がいく。鼻をいたずらにくすぐるトマトの匂いに釣られて視線を厨房に泳がせつつ

「……そういうこと?」なんて曖昧に問えば


「そーいうこと」曖昧なままで確信を突く声が返る。


「……いや、まあ。お前がやりたいなら止めねえけど、でも。湊」


視線を戻しながら続けようとする口が数センチ距離で制される。唇から漏れただけの息はきっと、この掌を悪戯にくすぐっただろう。それでも崩れも揺らぎもない真剣な瞳に、晶の口は改めて閉さざるを得なかった。


目の前の青年は、言いたいことはわかると前置きした。芽吹いた鉢を本人なりの慎重さを持って運び出すように、日のあたる場所へこの話を連れ出すように。一語一句悩むように言葉を続ける。


「今回は、そうだね……うまくいかないと思ってる。ゼロに近い、きっとね。……けど、けどね晶。ここで終わっちゃいけないと思うんだよ」


「……うちの顔面偏差値に不満でもあんの?」


「いや別に顔面偏差値特上だから入れたいとかじゃなくて。なんていうのかなー……なんかあの人見てると思い出すっていうか」


厨房に向いた赤い視線を追いかければ、そこを生業とする三者が各々のペースで仕事をこなしている。これまた赤いトマトソースを使ってパスタを作る礼、その後ろで皿を準備するゆき、横から必要な材料を準備しつつ違う料理を進める楓。


ゆきから礼へ、何かを話しかける様子を見た湊の口元が少しだけ綻ぶ。緩い弧を描いた口元は歪な丸に膨らむと


「礼さんとかゆきくんとか。……アリスちゃんも思い出すかも。なーんか同じ目してるっていうか……」


自らの言葉に釣られる様に、視線を今と昔に彷徨わせつつ


「……みすみす逃しちゃいけない気がするの」


そんな風に戸惑う様でありながら、決意を固めた声で言い切られてしまったら「……そう」としか、返せない。


ため息をつきながら天井を仰ぎ見た。白い正方形が並ぶ人工的なそれらに晶が映すのは、彼が言う三者の以前ではなく件の湊との古い記憶だった。


此処でのバイトを決めた日のこと。星の降りそうな帰り道、暗闇でもわかるほど心底幸せそうに笑っていた顔。彼にとって此処が大切だと理解した日。


そんな場所に他者を招き入れようとしている気持ちを、覚悟を、誰が手折れると言うのだろう?


そんな考えが頭を巡ったとき、スタッフだけが利用可能のドアを開けて件の彼が姿を表す。相変わらずの挙動不審さで、恐る恐るといった様子が窺えた。


気付いた湊が駆け寄っただけで肩を大きく振るわせる。小柄な湊の雰囲気に負けながらホールへぐいぐいと連れて行かれ、隅っこの席へ案内される彼はどこまでもここの雰囲気に流されているようだった。


そういう晶も例外ではない。早歩きで戻ってきた湊にメニューを押し付けられると、そのままの勢いで彼の座る席へメニューを取れと急かされる。


「俺? 湊の方がいいんじゃ」


「僕だけ押せ押せはバランス悪いでしょ」


だから行って、と背を押された勢いでメニューを持ちながら近づいた先、必要以上に驚く男の隣へ立った。声に穏やかさを心がけながらメニュー表を差し出した。


「メニューどうぞ。何でも注文してください」


「……あ」視線を一瞬こちらへ合わせるがすぐに逸らし「……すみません。……じゃないんだっけ」


ありがとうございます、と続けられた辿々しい感謝はテーブルに転がった。同時にメニューへ勢いよく走り出す瞳を盗み見ながら、湊とのつい先程の会話を思い出す。


『礼さんとかゆきくんとか。……アリスちゃんも思い出すかも。なーんか同じ目してるっていうか……』


あの日の礼やゆき、アリスを思い出すと言う目。……そもそも、当時の彼らはどんな目をしていただろう。とりあえず、今みたいではないのは確かだと思うが、不思議にうまく思い出せない。それほどまでに彼らの今は変わったということだろうか。


そうだといいなと、希望を抱く。


思考を逡巡させる中、ずっと近くにいることが気になったのか、彼はこちらの手や足元を一瞬見た後すぐにメニューへ視線を走らせた。


その視線でようやくなるほど、と納得してしまった。確かに、礼の何かを諦めたような、ゆきの、アリスの何かを探るようで怯えるような当時とよく似ている。


圧迫感を与えてしまったかと数歩下がり、呼びかけに気づきやすい位置を取る。こんな賑わった店内では、彼の声はあまりに容易に潰れてしまうだろうから。


そこにも礼やゆきを重ねられるのは、皮肉というものだろうか。


「……あの」


どうしたものかと悩んでいると、彼から言葉が飛んでくる。驚いて近づくとコーヒーとだけ注文が入った。


注文表へ書き込みながらコーヒーだけでいいんですか、と一言添え


「ケーキとかもいいんですよ? 全部うちのせいですし。何より服が無事に帰ってくるまで時間もかかりそうです。コーヒーだけじゃ心許ないでしょう? ……倒れてた人に食事進めるのも、自分でもどうかと思いますが」


捲し立てるように言葉を重ねる。困り眉をした顔を見て言いすぎたかとも思うが、彼は案外すんなりとメニューに視線を戻し


「じゃあ……チョコレートケーキも、お願いします」


「了解しました。コーヒーとチョコケーキですね」


受け取った注文を記入し終えると、晶は軽い会釈の後席を離れた。希望に満ち溢れた湊の視線にコーヒーと言いながら、自分はショーケースへ向かう途中でふと時計を見上げる。いつの間にか昼時になっていたようだ。サンドイッチも用意するかと勝手に厨房へ注文を追加すれば、間延びした返事がゆきから返ってきた。


シルバートレーに、こちらも味わいたくなるほど美しいケーキを乗せる。カウンターを振り向けば、コーヒーを淹れ終わっていた湊が待ちわびた様子でこちらを見ていた。近づき無言でトレーを差し出せば、笑顔と共に丁寧にカップとソーサーが同乗してくる。わざとらしく両手を合わせて笑顔を振りまく親友を横目に目的のテーブルへ。自分の居場所を探すように視線を彷徨わせ、縮こまっていた彼へ注文された品を持っていくと、こちらが驚くほど肩が大きく揺れる。


「おっ」上擦った声を咳払いで誤魔化し「お待たせ、しました。チョコケーキとコーヒーです」


「ありがとう、ございます」


「あの、やっぱこっちの気が収まらないのでサンドイッチもサービスさせてください。今用意しているんで。美味しいですよ、ここの。パンがいいんで」


「……ぇ、あっ」


湊の押せ押せ作戦に便乗して断れない状態で提示をすれば、迷子のような顔をしてからわかりました、の小さな返事。どうぞごゆっくり、と一礼してからほんの少し横へずれる。晶からの視線を感じながらもコーヒーを一口飲んだその顔は、温かさからか好みの味なのか、この店へ来てから初めての緩みを見せていた。


この緩みをもう一度引き締めるのは申し訳ないと思いつつ、疑問を抱いてしまった晶が口を開く。


「そういえば体調大丈夫そうですか?」


案の定、わかりやすく全身が揺れた。恐る恐るといった調子で振り向いてきた黒目で晶を射抜いてから

「……体調は、大丈夫なんで」


「ならいいんですけど。ちなみにお仕事って何されてるんです?」


「……フリーターみたいな。感じ、です」


「へぇー」


「……あの」申し訳なさそうにこちらを見上げ「まだ、何か?」


暗に切り上げてほしいと願っている声音が耳に届く。改めて向けた視線の先で、こちらを見上げる黒い瞳やその横顔を受け止めた時に、綺麗だなんて的外れに思ってしまったことは心の中で謝罪した。


次いで、すみません、と反射的に会話をすぐに切り上げそうになったが、今回はそうもいかない。自分にはあの親友のためにも、彼がここに留まる理由を作る必要があるから。そして何より、礼やゆき、アリスといった此処に関わる前の店員と似ている彼に興味が湧いている自分の感覚に正直に、会話を引き伸ばしていく。


「家はここから近いんですか?」


「……そんな遠くはないですけど……」


「へぇ! 俺もそんな感じです。近すぎず遠すぎずみたいな。じゃないとバイトなんてやってられないですもん」


「……まあ、そう。ですよね」


「ですね。……じゃあ、また来てくれたりします?」


「……え?」


「ぜひよかったらって感じですけど! 下心なく、きっとこれも何かの縁だから」


「……そう、ですね。……もし」


頬を掻きそのまま視線を下げれば、コーヒーカップを撫でながら言葉を止めて秀潤する彼の姿が目に入った。


湊ならきっとアルバイトまで漕ぎ着けてしまうのだろう。一歩大きく踏み出せるうえ境界線も難なく踏み越える、そういう青年だから。ただ、晶にはそこまでの勇気は到底ない。店に再度くる流れを作っただけでも褒めてほしいと心の中で思っている時。

喫茶店のドアのベルが鳴る。来訪者の合図だと顔を向ければ、そこには紙袋を抱えて笑っている我らが店長の姿があった。


明るい茶髪、銀縁眼鏡に沈むスカイブルーの目。緩やかに細めて笑っている顔はどうやら困りから来ているらしく、厨房から顔を出した礼が呆れた顔で荷物を受け取りに行っている。


いい豆とか茶葉が入ったっていうからたくさん買っちゃった、という穏やかな声。晴天の空と違わない柔らかな色の目をしている彼らしいと口元を緩めていると


「……っ、あ」


下の方で声がする。見下げると、件の彼が発した声らしく小さく口が開いていた。次の瞬間、彼の顔を認知した晶の目が大きく開かれる。


その顔があまりにも、青ざめていたものだから。


刹那、大きな音を立てて椅子が鳴る。それが彼が座っていた椅子と理解するよりも先に、ポケットから取り出した五百円玉が負けないほどの音量でテーブルに叩きつけられた。


店長の顔を見た瞬間急変した状況に驚きを通り越して呆然とする晶の耳に、服は後で返しに来るので、という小さな声が届いた時には既に全てが遅かった。彼の姿は店長の横をすり抜けて店外へあり、先ほどまで蹲っていたとは考えられない速度で駅方面へ向かって走り出してしまっている。


突発的なことに体も思考もついていかない。それは他の店員も同じらしく、湊は持ってきたサンドイッチをそのままに茫然としている。ゆきも、先ほど帰ってきた卓人、普段動じない礼でさえ驚いた顔をして玄関を眺めている。


店員らに沈黙が落ち、わずかな動揺が巡っていく。湊が何を言ったのと晶の腕を引っ張るが、心当たりがなく首を横に振るだけしかできない。そんなぎこちない空気の中、やけに落ち着いた表情で件の男が飛び出した先を眺めていた楓が言い放つ。

「あぁ。これはもうお終いかねえ」


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