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僕らの硬貨  作者: 高戸優
17/22

終いたがった話。(4)

自分の体が運び込まれた先で、彼はずっとずっと目を閉じていた。


反して開かれた思考では、この間に世界が遠ざかるようにと願っていた。


そうして体感的な時分を数えながら待てど、頭上で飛び交う声は増していき願いが遠ざかるばかりなのだから、現実とはどうしようもなく罪深い。


ならばせめて、と飛び交う言葉を理解しないよう心がける。すると人間の脳は案外不都合に優しくて、頭上の母国語が外国語のようになるから不思議だった。


母国語へ昇華しない声がひとつ、ふたつと現れては遠のいていく。


現れては消える泡の様な声の中でも、あの真白い声はやけに響くから不思議だった。


そうして出来上がった、何一つ言葉を認知できない空間へ彼は同じ願いを込める。異言語の空間でも不安は湧き起こらなかった。外の会話が理解できる方がおそろしかったから。


(ーーもういっそのこと、このまま生きられたら……)


内から湧き出た感想を触るかのように、頬を何かが滑っていく。人の肌ではない、何か平べったく、錬成に失敗した動物の毛のような。視界を閉ざしたせいか冴えた触覚ではそれが何かさえ正しく認知できず終いで、反射的に飛び起きてしまいそうになる。爪を掌に食い込ませ、正常な触覚に意識を逃しながら必死に堪えて耐え抜いた。


次いで聴覚へ意識を逃せば聞こえて来る、何かが開く音、控え目な衣擦れ音。きっと開いたそれが再び閉じられたのだろう、ドアの様な音と同時にあの真白い少年の声がやけにしっかりと耳に届いてから遠ざかっていく。


あんなに親身になってくれた彼の声さえ、異国語として聞く自分のなんて身勝手なことか。


そんな感想を抱いてしまったからか、それとも意識を外に向けていたからか。少しずつ声の内容が母国語と化し耳に届き始める。


ーーそろそろ俺も店に……きゃ、僕は後で行くーーら。お願い。あぁ、ーーさん! ちょっと離れーーけど、ぜーったいに……はしないでくださいね。


あちらとこちらの合図とでも言いたいのか、「はぁい」という返事を機に言語理解力が追いついてしまう。


それと同時に気付いてしまう。


「さて、と。……ねぇ」


遠ざかる何人かの足音。それでいて流れに乗らないひとりの声。


「起きてるんでしょ実は。もう誰もいなくなったよ」


思い出す。思い出してしまう。これが、やけに嫌悪を丸出しにしていた緑目のものだということを。


「……ねぇ。狸寝入り下手だからバレバレなんだけど。眠りのプロ舐めないで」


溜息に続けて起きろという声がする。体を揺すられ不規則な振動が身を包む。それでも目を開かなかったのは、きっとあの緑目と対峙する覚悟がないからだろう。


もしかしたら、今自分がどこにいるかすら認めたくないからなのかもしれないが。


「……起きないつもりかぁ」


‬呆れたような諦めたような、静かな声。一瞬の静寂の後に突然現れた「ごめんね」は、どんな目覚し時計より強烈なアラームとなって耳を震わせる。視界を閉ざしているせいで緑の表情は窺えないものの、声音からは確かに謝罪の念が感じ取れた。


声から生まれた困惑の種が頭に埋め込まれる。果たして何が、と言うのだろう。続きの言葉を聞きたかったが、それ以上は言うつもりがないのか、待てど現れるのは誰かが座り込む音と静寂のみ。


静けさと発声のない人の気配は栄養となって早急に困惑を芽吹かせた。それが伸び育つために必要と言うように、視界を閉じる前に得た記憶が脳内再生を始めていく。


遡りつつ、一体どの話と言うのだろうと考える。水をかけたことだろうか。運び込んだことだろうか。嫌悪で塗り固めた言葉の話だろうか。


悩み考え蕾がついた時でさえ、何を、何故、何で謝る必要があるのだろうと、未だに謝られる理由がわからなかった。


もし、蕾が膨らむ前に浮かんだ仮説が本当なら、尚のこと謝る必要がない。


もしもあの緑の男が知っているなら。


此処と自分の因果を知っているなら。


花が咲き、ひとつの言葉が脳に落ちる。


どれにしても、結局のところは、全部は己が此処に辿り着いたことこそが原因と。


その時、肯定するかのように他の物音が耳に届く。それは地面を叩く足音らしく、だんだんと近づいているようだった。緑が動いて小さな風が頬をくすぐる。


「ねえ、湊」


緑が恐らく個人名を呼ぶ。呼ばれたのは足音の主なのだろうか、軽やかな音が止まり


「どーしました楓さん?」


恐らく緑の個人名を呼び返す。


自分の服の裾が動いた気がした。無遠慮に一部摘まれたような感覚。ある程度乾いたらしいとはいえ、部分部分に水が残っているこれは今更ながら気持ち悪い。


「この人、服ビッショビショだから乾燥機にかけたいんだけど、晶のワイシャツ勝手に借りたら怒られるかな?」


「晶? 大丈夫じゃないですかね。事情わかってますし……僕の」


言いかけて何故か言葉を止める。続きを待っているのか、口を噤んだままの緑に答えるように


「……サイズが……足りない……」


「わざわざ言わなくても察してたよ……」


「くっ……平均以下が憎らしい……でも勝手に脱いでもらうわけにもいかないじゃないですか。まだ起きないみたいだし」


「いや、そこは大丈夫。起きるから」


「はい?」と、言ってしまえば間抜けな返事が来る前に


「っていうか起こすから」と同時に現れた強烈な破裂音。


それが己の背中で鳴ったと理解するより先に暗闇で星が瞬いて、勢いに負け目を開ければ人工的な光が暗闇を押し除ける。


久しぶりの明るさと突然の痛みは視界を容易に白く染め、世界をうまく認知させようとしない。痛みを堪え背中を押さえる中、生きている聴覚は湊という男と楓という男の声を捉えるのに必死だった。


「かっ! かかかかかかかか楓さん!? 何で罪に罪を重ねに行く姿勢なんですか!?」


「ほら、あるじゃんショック療法」


「もうほんとフォローしきれない!! 今回荒すぎません!? えぇええっ、と、とりあえず大丈夫ですか!?」


「大丈夫だって、人の話に聞き耳立てる元気はあったんだし」


「楓さんに言ってないです! 名無しの権兵衛さんに聞いてます!!」


視界がようやく仕事をし始めると、かなりの近距離に顔があることに気がついた。茶髪のボブカット、林檎を思い出す丸い鮮やかな赤目。あの白い少年を躱したように距離を取ろうとするが、背中への衝撃は中々だったようで起き上がることさえままならない。そんな体に降ってくるのは、あぁ大丈夫じゃなさそう!! という自己完結の言葉と


「楓さん! ほんっとどうするんですかこの状況!」


「忘れ物ぉー……どういう状況? これ」


「僕がまたやらかしたって怒られてる」


「えぇーまたやらかしたんですか……? 今度は何……」


「あぁ晶! 聞いてよねえ楓さん犯罪者になった!」


「人聞きの悪い。背中蹴っただけじゃん」


「れっきとした傷害事件では!?」


「ほんっとですよ! ほんっと今日の楓さんは……」


赤と戻ってきた誰かが緑を非難する声と、それが不自然に途切れた事実。また何か奇天烈なことでもしているのかと視線だけを緑に向けようとした時、相変わらず距離の近い赤い目と視線が混ざってしまい、逸らした。どういう感情を抱いているのか、察したいようで察したくなかったから。


視線を逃した先にある格好、ワイシャツに黒ベスト、首元に輝くループタイ。それにどこか違和感を抱いたが、正確にはわからずにいると


「そう、ねえ晶! 楓さんとも話してたんだけど、晶のワイシャツ借りていい? 乾燥機にかけたいんだけど、その間の仮の服で着てもらおうと思って」


「は? いいけど……楓さんのでもいいんじゃ?」


「加害者の服を被害者に貸せと?」


「心中穏やかじゃないっすね。了解」


晶と呼ばれ続けている男に次に視線を送ると、赤目と同じ格好で黒髪青目であることは理解できた。見上げるその顔にも何処か懐かしさを覚えたが、何時の話か思い出せずにいる中、目紛しく場面が展開していく。


「ほら楓さんは仕事行ってください! そろそろ礼さん激おこ般若ですから! 晶もシャツさえくれれば用事終わるからホール行く!」


「えぇー……仕事面倒なんだけど」


「サボり魔……。湊はどうすんの?」


「僕? ここで平謝りし続ける」


「うわ……楓さんのあるべき姿……」呆れ返った青目はロッカーの中を漁りつつ「立場逆転した方がいいんじゃ?」


「したいのは山々だけど、今日の楓さんとこの人二人っきりはあまりにもリスキー」


「どーも問題児楓さんだよー」


「そーすか、じゃあ般若に怒られてください」


ワイシャツを取り出した青目が無遠慮にそこそこの勢いで緑の背中を押し続ける。ドアの前まで辿り着いたら諦めがついたのか、諦めざるを得なかったのか。緑目は大きなため息をつくと、ドアノブに手をかけ緩慢な動作の割に勢いよく開け放った。そのまま身を向こうへ運べばいいのに、彼はわざわざ足を止めるとこちらを向き


「ねぇ、湊。君ならわかると思うけど、"そういうこと"だから」


よろしくね、と言い残してドアを隔てた世界へ向かった。最後の笑顔とその言葉に、昔読んだ童話のチェシャを思い出している視界の隅、いつの間にかこちらへ近づいていた青から赤へ白いシャツの受け渡しが行われている。


青目は何を思ったのか。彼の目を見るとわざわざその場にしゃがみ「すみませんでした」と頭を下げた。反射的に返した動作は青い目に留まったのだろうか、疑問に思ってしまうほどの素早さでドアを隔てた世界へ身を投じてしまう。


そうしてやってきた久しぶりの静けさの中、残されたのは彼と赤目のふたり。


服の裾を軽く引っ張られる。釣られる様に視線を向けると、赤目が心配そうに「立そうですか?」と聞いてきた。


「立なくても座るだけでも」


言われるまま体を動かしてみる。怒涛の展開を乗り越え痛みが飛んでしまったのか、意外と痛みも違和感も薄れていた。ほんの少し壁の力を借りて腕に力を込めれば、難なくもたれかかることができて安堵する。それは赤目も同じだったのだろうか、表情を見ずとも分かるほどの大きな安堵を零すと


「よかったぁ。あの、これ。シャツなんでよかったらどうぞ。サイズ、多分問題ないとは思うんですけど……」


「……ありがとうございます」


「あ、着替えはここで全然していいので! 何なら僕さっさとホール行きますし」


「……すみません」


「いえ、こちらこそ重ね重ね申し訳ありませんでした」


向こうの出方を確認し切る前に言葉が投げられるこの現状。これではあの赤目に浮かんでいる感情や動作を観察し、滲み出る内心を考察する時間はないに等しかった。故に、全神経を尖らせて生成した一言で会話を繋げていく。


ボロを出さないように、口を滑らせないように、察する隙を与えないように。


頭を使いすぎて今度は頭痛がしてくるんじゃないか。そう思いはじめた矢先「それで、その」と、話がまたもや不自然に途切れる。今度はどんな矢が飛ぶのかと心に盾を用意している中、ゆるりと視線を前に向ければあの赤目と目が合った。


盾を用意し切る前に準備の手が止まってしまったのは、きっと、その林檎が困惑でも謝罪でもない、懇願に近い色を宿していたからだろう。


それこそ、林檎が腐ってしまわないかと心配になる程に。


けれども、それはほんの一瞬のことで、彼の目は既に輝きを取り戻していた。きっと本来の持ち物であろう明るい笑顔を浮かべ


「もしよかったら店、寄ってくれませんか? 僕の自己満な誘いではありますけど。乾燥終わるまででもいいので!」


「…………それは」


口籠る。解答はひとつしかないはずなのに、口が言葉を形成しない。


できないという、その一択しかないはずなのに。


時間はあっても資格はないと、明確な理由もあるというのに。


口が発言を拒否してしまうのは、何故だろう。


「……そ、の」


「ダメ、ですかね……? 楓さんだったらなるべく顔合わせなくていいようにできるので! 僕ガードしますよ、小さいけど防御力は上限達してます!!」


「そういう……わけ、じゃなくて」


「あー、だったらこれはいかがでしょう!? 厨房……えっと、楓さんから一番離れた席にご案内するので! 店員も最低限しか話しかけませんし、乾燥終わったらすぐにお伝えします! だから、なので、」


お願いだから、と聞こえた気がした。否、聞こえなくとも赤い目が全てを訴えていた。


(……その目を)


願いを踏みにじれるほどの無関心はなく、訴えを超える拒否を生み出す頭はなく、拒否し続ける強さはない。


流されるように、というよりはそれ以外の選択を許されず頷けば、とても嬉しそうな輝きを瞳に讃えた店員が無遠慮に彼の手を掴んで勢いよく振り回した。体を支えていた手腕の柱の役割を忘れてしまったかのように。


握られた指先から痺れのような嫌悪感が全身を駆け巡る。座位が崩れかけるのを必死に耐えていると、店員は嬉しそうに


「ありがとうございます、ほんっとーにありがとうございます!! じゃあ早速僕、席用意してきますね!! 着替え終わったらさっきのドア潜ってきてください!! コーヒーと紅茶は好きですか!? 甘いものもありますし、ご飯だって!! あっ、ジュースとかがよければそれでもーー」


喋り始め、糸が切れたように止めた。思わず首を傾げている前で、丸い目は茶色い睫毛と瞼で閉じられ口元は緩い笑顔を浮かべる。待っていますから、と言い残して手を離す。


全身を駆け巡った痺れるような嫌悪感が、ほんの少し和らぐ甘い甘い言葉だった。


ぼやけかけた頭を叩き起こすような立ち上がり動く振動。目の前のその背を見上げ、同時に周囲の物との差を見比べば、平均よりは低いであろうことが窺える。そんな小さい体とズボンの裾を揺らしながら、赤は緑と青が消えたドアへ手をかけた。そのまま行けばいいのに、赤目もまた彼を振り返り


「ねえ、本当に待っていますから!」


だから来てくださいね、と笑みを残して向こう側の世界に消え去る。


ドアの閉まる音がして、あちらとこちらが改めて分断される。それとほぼ同時に「ねえ晶! プランAだよ!!」というあの赤目の叫び声が向こうから聞こえてきた。


一体何が始まるのかと、もしかして早まってしまったのではと。そもそもこちらからドアを開けないといけないじゃないかと、無視して帰ってもいいがああ言われては無理だと。展開を追いかけるように思考を巡らせる中で、現実は小説のように巻き戻しも書き直しは不可能だと痛感する。


主導権を握り直すしかないと考えている時点で、作家としては負けだと気づかないまま。

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