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僕らの硬貨  作者: 高戸優
10/22

甘い話。(3)

現実に引き戻されたのは、室内に鳴り響いた来訪音があったから。


同時に振動を始めた携帯が、触覚に直接訴えてきたから。



予想より早い来訪に手元が狂い、変なキーを押してしまったのだろう。これまた予想外の単語が打ち込まれた現実に、その人はため息をこぼして無意味な単語を削除した。


チャイムと着信を同時に鳴らしてくるあたり、自分の行動を熟知されている気がする。そんな文句を垂れながらまずはパソコンの保存マークを押し、携帯を手に取って立ち上がる。次いで通話を開始しながら玄関のドアを開けると、現実で一番話している男が「あ、起きてた」と眼前と耳元で呟いた。


「……起きてますよ流石に。今十四時ですから」


「でも前は寝てたじゃないですか。まあ、とにかく原稿確認に来ました」


焦げ茶色の短い髪、堅く決まったスーツ姿、茶色い革鞄、少し汚れが見える革靴。足元を見ていると視界に何か白い物体が入り込む。驚いている最中、まだ切れていなかった携帯から耳元へ声が飛んでくる。


『何はともあれこんにちは。お土産もあるんでそろそろあがってもいいですか? 氷水先生』



***



「紅茶でいいですか」


「いいですよ。ありがとうございます」


やかんを火にかけながら問うと、快諾の声が返ってくる。こういう時は定型的に「お構いなく」と言うものではないだろうか、と思考しつつも口には出さず紅茶を入れた質素な缶を手に取った。確か一種類あったはずと中身を確認すれば、予想を遥かに上回る種類数に思わず手が止まってしまう。


最後に買った時適当に大きな箱を選んだ記憶はあったが、まさかこんなに選択肢があるとは。そういえばお得と共に味詰め合わせと書いてあった気がする、と記憶を辿りつつ


「……何味かわかんないんですけど、適当でいいですか。むしろコーヒーにしてもいいですか」


「えぇ? ちょっと見せてください」


驚いた声を出した客人が寄ってくる。無遠慮な距離感に身は必要以上に強張るが、背後から手を伸ばされても怯えなくなったのは自分でも意外なことだった。


肩越しに缶を差し出せば、受け取ったのか手の負荷が少し軽くなった。離していいですよの声に甘えて手離せば、缶が空を進んで客人のテリトリーへ収まっていく。


背後で鳴る缶が開く音、次いで中身を選別する音。紙が擦れ合う微かな音を潰すように


「あ、これ好きです。アールグレイ」


「じゃあそれで」


成された宣言を否定することなく受容した。それじゃあ準備するんで、と言う前に客人は動いていたらしく、人数分のマグカップとひとつのティーバッグが設置されていた。


「……どうも」


「そういう時はありがとうございます」


「……ありがとうございます。……あの、何勝手に冷蔵庫覗いてるんですか」


「んー」いつのまにか冷蔵庫に移動していた客人は中身を確認すると「食事チェックです」


「食べましたよ」


「何をですか?」


「……チョココロネ?」


「いつ」


「昨日」


「何回」


「一回」


「一昨日は、いつ、何回」


「……魚肉ソーセージを、夜、一本」


「……ほんと死にますよ」


「……なんとか生きてます。飲み物はちゃんと」


「いつか無理が祟って……まぁいいか」


諦めに思考が昔へ引き摺り込まれそうになるが、初めよりは随分良くなりましたから、と続いた言葉が現在に縫いつけてくる。狙ったようなタイミングで鳴った警笛音が更に現実に引き戻し、反射的に送り続けていた火力を断ち切った。


注ぎ口の蓋を開け、警笛の名残と一緒に湯をコップに流し込む。満杯に程近い量まで入れると、ティーバッグの持ち手を静かに揺らつかせた。そうして一杯目ができた後、二杯目も同手順で準備している最中食器棚の方から特有の音が届いてくる。


顔を覗かせれば、客人が慣れた様子で小ぶりな皿とフォーク、スプーンを二人分用意しているようだ。何をしているのか問うと、彼お得意の子どもが悪戯を思いついたような笑みを浮かべ


「ここくる前にケーキ買ってきたんですよ。もしよかったら食べながらやりましょう」


そう言って彼が持ち上げたのは、来訪時に驚かされた白い物体。ビニール袋から取り出されたそれがケーキの箱であること、二人分にはありえない大きさであることを理解するにはほんの少し時間がかかった。


「……こんな量、どうするんです」


「食べきれなかったら先生が好きなのだけ置いていきます。俺はチーズケーキで」


「……じゃあ」


チョコケーキを取った。皿の上に移動させている間になぜか視線を感じたが、気にしないように努めながらケーキと紅茶を持ってリビングテーブルに移動し始める。追いかけるように来た客人に座椅子を譲ると、自身は床に直接腰を下ろした。何度もやりとりをする中で学習したのだろう、彼は遠慮する言葉を零さぬまま座椅子の上に腰を下ろす。


そうして得た位置で律儀に手を合わせいただきます、と呟いた客人は静かにフォークを手に取ると躊躇いひとつないまま一口大に切り口へ運んだ。


固めに形成されたチーズケーキが一欠片口の中に消えていく。小さく動いた口が緩やかな三日月を描いたかと思うと、数瞬後には半月から満月へ一気に移り変わり


「おいしいですねぇ」と今日一番の警戒心のない笑みを描き終えた。


チョコケーキへの期待の眼差しに気づかないふりをしながら、こちらにもフォークを触れさせる。上部に乗っている粉が切れ目に沿って舞い、ケーキの間や外側に沈んでいく。濃淡は違えど一貫して茶色い小さな三角形を口に運べば、甘さと苦さが内側にて共存した。何度か噛み解いた後に舌で味を解けば、どんどんと両者が広がっていく。


「そうですね。おいしい」


「なら良かったです」


安堵の声が何処か気持ちが悪く、誤魔化すようにケーキの味に没頭する。半分は食べきった後、すっかり味が濃くなってしまった紅茶に口をつけていると


「にしても先生、先生ってずっと家にいますけどつまらなくないんですか?」


「今仕事中じゃないんですか」


「コーヒーブレイクというやつですよ。くだらない会話も仕事を円滑にするためには必要です。それにほら、いつかインタビューの仕事とかあるかも」


「インタビューなんて一生ないです。顔出しも嫌です」


「それなんですけど、何でですか? 先生が表舞台に出たらもっと人気になると思うんですけど」


「……とにかく、嫌なんです」


いくつかある理由が口を突きそうになったのを止めるように紅茶を痛飲する。マグカップを粗雑に置くと、そうですか、と落ち着いた相槌が耳を打った。


「じゃあ、個人的に気になってるインタビューってことでにしましょう。俺が聞きたいだけです」


空気を害してしまった手前、そう言われてしまうと弱い。放置してしまっていたパソコンを膝上に移動させると蓋を閉じながら


「……つまらなくはない、です。夜とか散歩行きますし」


「へぇ。でも俺以外の人間と喋ってます?」


「……あまり。あ、でも新聞配達とは挨拶ぐらいは」


「新聞配達? 先生新聞取ってないでしょ」


「あぁ。帰宅時間がよく重なるんです。アパートで取ってる人いるらしくて、その時に」


「へぇ」


相槌と共に次のケーキを探すため立ち上がり


「それはご縁ですね」


「……縁とか信じない派なので」


「俺は信じる派ですよ。コーヒーゼリー貰っていいです?」


「そうですか。どうぞ」


「先生は何かいりますか?」


「何あるかわかんねえんですけど」


「いちごタルト、モンブラン、クッキー、マドレーヌ、プリン、アップルパイ、ショートケーキ、エトセトラ」


「……じゃあ、マドレーヌ」


「はい」


笑顔で差し出されたマドレーヌは以前編集部で見た貝のようなそれではなく、カップケーキの上部を押し潰したような平らなものだった。不審物を確認するように袋を開け、銀紙を剥がせば「毒なんて入ってませんよ」と言葉が降る。


「確認するのが性なので」


「面倒くさい生き方ですね。……あ、そうだ」


ようやく一口齧った時、客人がポケットを探る仕草があった。口の中が仄かな甘味に包まれた時、客人が自身の視界を何かで隠した現実があった。それを掴めば名刺サイズの紙であることに気づく。自身が見やすい距離へ移動させれば何らかの店の名前が視界に浮かんだ。


「縁とか信じる俺が保証しますけど、ケーキ買ったお店いい感じでしたよ。ここからそこそこ近いですし、先生も好きそうな。散歩の途中とか寄ってみたらどうです?」


「……散歩の途中」


「はい。散歩。たまには寄り道も楽しいと思いますよ。何か家じゃ浮かばないアイディア浮かぶかもですし。他人を観察し放題ですよ」


「……痛いとこ突くの上手ですね」


特に目的のない逃避行という本音は隠しつつ、会話を完結させるためにそうですね、と返事をした。本当に気が向いた時、件の五百円玉貯金でも下ろして行くか否か考えながら。


そろそろ仕事へ戻りましょうと言いながら受け取った名刺を床へ置く。置き場所を確認するために目を配った時、視界を掠めた名前は一度も見かけた記憶がない。


だというのに、何処か懐かしさを感じるのは何故だろう。

そんな一欠片の違和感は、口内に広がる甘味に押し潰されいつの間にか消えていた。


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