第七話 二つ名。(前)
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「甘い菓子、か……」
他に誰も居なくなった部屋の中、聖祈士長たるゴルディオ・エファーラスは座ったまま擦れる声でそう呟いた。
「アマゴリア卿……黙したまま一切語るつもりがないのかと思いきや、部屋に仕掛けられた『虚言破りの祈』範囲外に一歩踏み出た途端こちらへと問いかけてくるとは……中々に良い性格をしておる」
こちらの思惑など全て見透かしていると、そう遠回しで言っている様なものだ。
まだ十五の成人したばかりである筈のあの男は、智謀においてもこちらを掌の上で転がして遊んでいるのである。
去り際に見せていったあの皮肉なまでに整った笑みを思い出すと、自分でも少し気にする程に凶悪過ぎるこの顔が尚更のこと険しくなってくる。また孫に泣かれるのは嫌なのに……。
「(……だが、アマゴリア卿の事よりも今は他の聖祈士達へと目を向けねばならん。此度の事、きっと周りの聖祈士達は過剰な反応を示す筈……。見るものが変われば、吉事ともとれるし凶事であるともとられる。それだけの珍事であった。
私が中立として皆を上手く宥められれば良いが、中にはそうもいかぬ者達もいる……。
それに、先ほどのアマゴリア卿を見て一つだけ確信できたこともある。
アマゴリア卿も既に何かを企んで居るようだ。
おそらく、此度の『聖式』で五体の石像が光った事にも、何らかの理由があってわざと行った行為であるに違いはあるまい。
果たして、そこにいったいどれほどの思惑が込めれらているのか……。
『甘い菓子』が何を指しているのか……。
これは下手に読み違えると、とんでもない事態へと発展するやも知れぬ。
……此度の事、一度国側の耳にも入れておくべきだろう。
……あぁ、胃が痛い。最近、食べ物も美味く感じられない。どこかに胃に良い薬でもあればいいのだが……)」
机の引き出しから羊皮紙とインクと取り出すと、エファーラス聖祈士長は胃の辺りをさすりながらもスラスラと羽ペンを走らせた。
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「ここがフライガル卿のお部屋ですか?……ゴクリ。クンカクンカ、スーハ―スーハー」
「ああ。何もない場所だけれど、お茶くらいは出せるようになっている。せっかくだから二人だけで落ち着いて話をしたいと思ってね」
は、初めて男の人の部屋に来てしまった。
うわぁ、なんか匂いが違う。私この匂い好きー。ここに住まわせてくださーい。
てかや、やばい。なんか緊張が止まらないぞ。手汗、手汗がぁぁ。
それにさっきから唾が上手く呑み込めなくて、ゴクリって大きい音もする。恥ずかしい。
どうしちゃったんだ私の体。過剰反応し過ぎだろ!人生経験の無さか!人生経験の無さが原因なのか!
「はい、どうぞ。実は新しい茶葉を手に入れてね。最近のお気に入りなんだ。アマゴリア卿にも気に入って貰えると嬉しい。……けど、口に合わなかったら直ぐに別のを入れるから正直に言うんだよ?」
「お、美味しいです!ありがとうございます!」
フライガル卿に出して貰った紅茶を、飲む前にお礼を口走っていた私。
そんな私を見て『こらこら、まだ飲んでないじゃないか』と少し呆れるように微笑むフライガル卿。
ここはなんて素晴らしい空間なんだッ!ここすばっ!!
あぁぁぁぁ、優しい。優しいよフライガル卿。紅茶も凄く美味しいです。
こんなに美味しいのは、きっと隣にフライガル卿がいるからですね。
……なんて、そんな事言えるわけがないだろバカぁ~。
やばいよ私。今は男の子なんだし、フライガル卿にはそんな気が無いって分かってるのに、すっごい楽しい。
色んな話をしたけど、楽し過ぎてなんて受け答えしたか良く覚えて無い。
唯一、『フライガル卿は目と目が合っただけで言葉を交わせたり出来ませんか?』って聞いたら出来ないって笑われちゃった事だけは良く覚えてる。えへへへ、えへへ。ウケがとれましたよ。
フライガル卿は、私が記憶を失ったと思ってくれたみたいで私がどんな質問をしても馬鹿にせずに教えてくれた。この国の事とか、聖祈士の事とか、お金の事とかの一般常識も沢山。そんな話の途中で、私が戦場にいった話についても教えてくれた。
「ば、万滅の祈士……ですか?」
「そう。『万滅の祈士』。それが君の二つ名だ」
「……なんか、あまり可愛くないですね」
付けた方のネーミングセンスは絶望的らしい。
「あははは、そうだね。私は格好いいと思ったんだが、確かに可愛さは微塵もない二つ名だ」
「私もカッコいいと思います!」
いったい誰ッ!ネーミングセンスが絶望的とか失礼な事を言ったのは!!謝って下さい!!
私です。ごめんなさい。
「……それにね。この名を知らない者は、この国にはいないよ」
「えっ?つまりはこの国の人はみんな、私の事を知っていると言う事ですか?」
「ああ。もちろんさ」
ええええ、なにそれ。私って実は有名人だったって事?アイドル的な感じかな。
どうしよう。歌って踊れないとダメだったりする?
私、運動はそこそこ出来るからダンスはまだいいけど、カラオケは行くと『なんで念仏唱えだしたの?』って言われるくらいに音程がずっと一定なんだよね。童謡ならまだワンチャンあるかな?
高音のキレイな声出せる子がすっごく羨ましいよね。
……そもそも、有名人とは言っても悪い意味だったらどうしよう。
「……もしかして私、なにか悪い事でもしちゃいましたか?」
「まさか。そんな訳が無い。逆にみんなから讃えられる程の、立派な行いをしたよ」
ふぅー、とりあえずは安心した。
街に出た途端に石を投げられでもしたら、さすがの私(ドМ)でも悲しくなるよ。……たぶん。ドキドキ。
「それで一体、何をしたんです?私」
「……記憶を失う前の君は、この国を襲う未曽有の脅威から、たった一人でこの国を守ったんだよ。詳しく言うなら、一万を超す魔物の大群を一人だけで食い止めたんだ」
「一万の魔物を一人……なんで私は、一人でそんな事をしたんでしょうか」
魔物ってのを見た事はないけど、危険だってのは直ぐに分かった。
それが一万も居て、それをたった一人で食い止める事って出来るものなの?聖祈士ってそんなにも強い力があるんだね。
純粋に驚く私と引きかえ、フライガル卿の表情はまたも少し悲し気になった。
「君以外の聖祈士の殆どは、私を含めて他の戦場で戦っていた。……だがそれも、戦場とは名ばかりで周辺国や民衆達へ我ら聖祈士の力をアピールする事が目的の、ただの演習に過ぎなかった。名目としては一応『蛮族討伐』だったけどね。一度として大した戦闘もなく、誰もケガ一つすらせずに事は終えたよ。緊張とは無縁の現場だった。
……だが、我々のそんな間隙を突くかの様に、突如として魔物の襲来が知らされたんだ。
それも万を超す大群だった。その報せを受けた時の我々は、聖祈士長も含めて皆の顔が青ざめたよ。
聞けば敵は足も速く、我々がいくら急いで戻っても、一日前には国へと到達する勢いだったそうだ。
国は大層焦ったんだろう。そして焦ったばかりに、訓練途中のケガ療養の為、唯一残っていた新人聖祈士である君に、魔物の大群へと対処する為の要請を勝手に出したんだそうだ。普通であれば、聖祈士の派遣は先ず聖祈士長に話を通さなければいけない筈なのにだ。
断っても当然だった。君には何一つ責など無い。君にもそれは分かっていた筈、なんだ。
……けれど――」
「――それで行っちゃったんですか、私」
「ああ、そうだよ。君はケガが癒えぬ身のまま、数日前に数多の民衆達に見送られながら聖祈士達が行進していった大通りを、たった一人で歩んで出立していったそうだ。……その時の君の姿は、民衆達にとっても涙を流さずには見ていられない程の光景だったそうだよ。……誰が見ても、他の聖祈士たちが到着するまでの時間稼ぎとして、その命を差し出そうとしている様にしか見えなかったからね」
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