生きて欲しいから
恋をした。
でもきっとかなわない恋だ。
世界はいつも残酷で、誰にも微笑むことはない。
「先生はさ、いつも休日とか、何して過ごしてるの?」
私がしたそんな他愛のない質問、残酷な世界とは違って先生はいつも私に微笑んでくれる。
「休日か…やることないし、寝てることが多いな」
笑顔で答えてくれる先生、私はその笑顔を見て居るだけで胸が苦しくなるのだ。
「先生、彼女とか居なそうだもんね」
茶化す様に私も笑う、でも、何処かぎこちない。
「余計なお世話だ」
それでも先生は私に優しい、でもそれは私が先生の生徒だから。
さらに切なくなる。
この胸のうちの想いを、先生に打ち明けられないもどかしさを、私はつい、知らず知らずのうちに、表情に出してしまっていた。
「大丈夫か?さっきからペンが全然進んでないように見えるけど…具合が悪いなら言えよ?」
私はまた嘘をつく、本音は言えないから。
言ってしまったら、この二人きりで過ごすことの出来る僅かな放課後の時間すら、なくなってしまうのだから。
「大丈夫だよ、先生、私は大丈夫」
大丈夫じゃないよ、全然、私は大丈夫じゃない。
胸が張り裂けそうだ、高鳴る鼓動が止まることを知らないんです。
先生と一緒に居ると、愛しさと切なさで、死んでしまいそうなんです。
そんなこと、口に出して言えるわけがない。
今も、そしてこれからも。
2人学校を辞めたらしい、駆け落ちとかなんとかって話を聞いた。
俺にはそんなことする度胸すらないうえ、目の前の少女に思いも告げられないのだ、すごいな、なんて思っていたりもした。
放課後の時間になるといつもの2人っきりでの補習。
俺は恋をしていた。
目の前の儚げな少女に。
でもそれはいけない事だと理解している。
理解しているけどどうにもできない。
目の前の少女を抱き寄せて、愛していると囁きたい。
倫理なんて無ければいいのに、世間体なんて無ければいいのに。
先生と生徒という立場が、それを邪魔する壁になる。
「別に毎日補習しなくてもいいんだぞ?」
俺の理性が持たなくなってしまうから。
これ以上一緒に居るとこの手で彼女を壊してしまいそうだから。
怖くなった。
世間体とかじゃなく、単純に、彼女を傷つけてしまいそうで。
「…先生は私と一緒に居るの、嫌なの?」
心が罪悪で押し潰されそうだ。
今すぐ好きだと叫びたい、彼女に好きだと伝えたい。
しかしそれは叶わない。
そんな勇気、俺にはない。
「嫌じゃないが…毎日補習しなくても……週何日かでいいんじゃないのか?どうせお前頭いいし」
俺は弱いから今日も逃げる、彼女を壊さないために逃げる。
それが彼女の心をひどく傷つけてしまっているとも知らないで。
一緒にいられる時間が減った。
先生の何気ない一言、それがいまの私には突き放す言葉に聞こえた。
悲しかった、でもそれは、何かがあったんじゃないかとも考えた、何がいけなかったのか。
調べたら、私と先生が付き合っているという噂がたっていた。
先生はその事でひどく怒られたらしい。
事実無根な噂でも、世間はカモが釣れたと大騒ぎする。
私も距離が近かったかなと反省はしている。
でも、それでも先生が怒られるなんて間違っていると思う。
その噂が本当かどうか、私に聞けば簡単に確かめられるのに。
なんで、それをしないで先生にひどいことをするのだろう。
「先生、私のせいで…ごめんなさい……」
先生はにこやかな笑顔を浮かべ私に優しく語りかける。
「別に気にすることはないさ、俺もちょっと注意不足だったなって思ってるし…お前が気にすることではないよ」
笑顔が辛い、いっそこのまま、全部言って楽になってしまおうか。
いや、まだダメだ。
先生へ負担をかけてはいけない。
辛くても、耐えて見せろ私。
「先生は、いつも優しいですね」
当たり前だ、優しくない先生なんか、先生じゃない。
「そして、私の我儘で補習まで付き合ってもらって」
「まぁ、俺も暇だしな」
嘘だ、本当はやらなきゃならないことが沢山あるはずなんだ、だけど私の補習に付き合ってくれている。
心使いが痛いほど感じる。
だからこそ、今言ってはいけない。
「私は、先生の事がこの世で一番…大好きなんです」
目の前の少女が言った一言はとてつもなく重たく。
そして俺が一番欲しかった言葉だった。
勘違いではない、彼女の目を見ればそんなものはすぐわかる。
彼女の目は真っ直ぐに俺の目を見ている。
何か、答えなければ。
「俺も…お前のことが…」
「先生…答えなくてもいいです…答えてしまったら……辛い未来が待ってますから…」
俺の言葉を遮るかのように少女はそう言い切った。
「先生には清く正しく生きて欲しいから、だから、返事はいりません」
涙を堪えながら彼女はそういった。
彼女の瞳の奥に映る俺はとても情けない顔をしていた。
馬鹿みたいに口を開けて、唖然と、呆然と。
ただただ時間が過ぎるのをじっと、待っているしか出来ずにいた。
腑抜けだ。
言ってしまった。
言わなくていいのに、言ってしまった。
これで私は、私達は、これまで通りの関係ではいられなくなる。
「おかーさん、いってきまーす!」
「俺も仕事、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
何気ない日常、よくあるごく普通の幸せ。
ただそこにあるのは、欲しかったものとは程遠くて。
あの人はいま、どこにいるのだろうか。