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第2-1話 ゾンビ、風呂入る

第2-1話 ゾンビ、風呂入る



筑波みらいがゾンビ・つっこみらいとなって、3日が過ぎた。相変わらず、ゾンビ共は大倉庫で適当に遊んでいる。

つっこみらいは退屈していた。ゾンビの生態で、突っ込めるところはあらかた突っ込んでしまったからだ。

「あーあ、どこかに突っ込みどころが転がってないかなあ!」

今のつっこみらいは、新しい刀を手に入れた侍のようだ。人でもゾンビでも斬りたくて仕方がない。


「何叫んでるの、つっこみらい。」 たいちょーが、向こうからやってきた。タオルを首から下げ、Tシャツにショートパンツというラフな格好である。

つっこみらいは、ぶんむくれたまま振り返った。

「何もへったくれもないよ! せっかくゾンビになって、我慢しなくてもよくなったっていうのに! たいちょー! なんか変なことやってよ!」

たいちょーも、呆れ返って叫んだ。

「無茶言わないでよ! もう、人間じゃなくなってずいぶん経つもん。人間にとって何が変かなんて、忘れちゃったよ!」

言いながらたいちょーは、タオルで濡れた髪を拭いていた。


「ん、濡れた髪? たいちょー、さっきまで何してたの?」

「え? 普通にお風呂入ってたよ」

「お風呂か、なーんだ、それじゃあ突っ込めないな…あああああああ!」

つっこみらいは何かに気づき、たいちょーを指差した。

よくよく考えたら、これは、突っ込みどころだ。人間には普通すぎて、気づかなかったが。

「ゾンビも風呂入るのかよ!」



「人を指差すなんて失礼でしょ! それに、ゾンビが風呂入っちゃいけないっていうの!」 たいちょーは声を荒げた。

「ごめんごめん!」 つっこみらいは、軽く謝罪した。 「でも、あの…私が人間だったとき、ゾンビってものすごい臭いがしたから…」

人間の嗅覚では、ゾンビは強烈なくさや臭を放っている。ゾンビになるとその臭いはほとんど感じなくなってしまうのだが、つっこみらいには、ゾンビに襲われたときの臭気が強く印象に残っており、風呂になんか入っていないのだろうと勝手に思い込んでいたのだった。

たいちょーは、なおも憤然とたまま説明した。

「ゾンビになると、ゾンビウィルスの影響で体が醗酵するんだよ。だから臭いだけで、お風呂に入っていないわけじゃないんだよ…」

つっこみらいは、気まずそうにそれを聞いていた。

「本当にごめん…」

「わかってくれたんなら、いいよ」 たいちょーも、やっとのことで冷静になった。


その直後、つっこみらいの表情が固まった。元・人間として、重大な事実に気づいたのだ。

「ちょっと待って、私……3日もお風呂入ってない! うわあああああ!」

つっこみらいは、思わず頭をかきむしった。恥ずかしいし、痛覚がないはずなのに頭がかゆい気がしてきた。

「私だけ入ってなかったなんて… 馬鹿なことやってないで、一言訊いておけばよかった…」

あまりの落胆ぶりをみかねて、たいちょーがなだめた。

「いや、別に、私だって毎日入ってるわけじゃないからね? ゾンビの入浴は、人間と目的が違うし…」

しかし、つっこみらいはもう止まらない。人間だったら、当たり前のことだったのだ。

「ああああ! もう我慢できない、私もお風呂入る! たいちょー! お風呂はどこ!?」

つっこみらいが半狂乱になっていると、お風呂セットを抱えたふくたいちょーが現れた。

「お風呂入るの? じゃあつっこみらい、一緒に入ろうよ!」


大倉庫の裏には、さらに複数の小倉庫があり、かつては道具置き場などに利用されていた。ゾンビが占拠した現在では、その一つが浴場になっているようだ。

ただし、ゾンビに大規模な建築技術がある者はおらず、大浴場というわけにはいかなかった。

風呂桶は充実しており、西洋式のバスタブと、ドラム缶がそれぞれ十数杯ずらりと並べられている。

しかしシャワーはというと、普通の水道からホースがつなげられ、その先にシャワーヘッドが取り付けられた簡易なものしかない。


バスタブとドラム缶にはすでに水が張ってあるのだが、それを見た途端、つっこみらいは震え上がった。

「やだああああ、何この色! お湯ぐらい取り替えようよ!」

その水は、風呂という言葉から連想される清潔感からはかけ離れていた。全体的に茶色く濁って、底が見えない。

つっこみらいは、自分がゾンビであることを神に謝した。人間だったら、あまりの悪臭に悲鳴を上げて気絶していただろう。


水道の蛇口へ走ろうとするつっこみらいを、ふくたいちょーが慌てて制した。

「ちょっとつっこみらい! ダメだよ! その濁り具合が大事なんだから!」

つっこみらいは、信じられないという顔で振り返った。

「なんで!? こんなお風呂、バイキンの巣みたいなもんじゃない!」

「なんでって言われると…説明難しいなあ…」 ふくたいちょーは少し言いよどみ、口を開いた。

「話すより、見たほうが早いな。私が先に入るね」

そう言うと、ふくたいちょーは脱衣所まで歩いて行き、服を脱ぎ始めた。


「え、ほんとに入っちゃうの!? こんなきっちゃないお風呂に!?」

つっこみらいが慌てふためくのをよそに、ふくたいちょーは近場のバスタブに行き、いつの間にか抱えていた袋を開けて、中身を全部投入した。

「何それ、入浴剤?」

「ある意味ね。これは塩だよ。入るときには必ず入れるきまりになってる」

ふくたいちょーはそういいながら、バスタブに足を入れ、そのまま肩まで浸かった。

「ふいー、生き返るぅ」

「ゾンビなのに? …じゃなくて、せめて沸かそうよ!」

「ボイラーがないから、沸かせないよ。熱いお風呂に入りたかったら、ドラム缶の方を沸かしてね」

「なんてこった…」つっこみらいは、突っ込みどころがなくなったなどと増長していた自分を恥じた。その報いとして、彼女は女の子の最大の娯楽に突っ込まなければならなくなったのである。


ふくたいちょーは、しおれているつっこみらいをよそに、鼻歌交じりで入浴している。

つっこみらいは、バスタブのふちに寄りかかったまま、へっぴり虫を噛み潰したような顔でそれを見ていた。

「泡立ってるし、変なもの沈んでるし… よくこんなもんに入れるねえ…」

「『こんなもん』であることが大事なんだよ。見ててね」

ふくたいちょーは、タオルに濁った水を充分含ませ、人間が体を洗うのと同じように腕のあたりを撫で回した。

その瞬間、つっこみらいは我が目を疑った。ふくたいちょーのカサカサの腕が、つやつやと潤いを取り戻したのである。

「うそ…湯上がりたまご肌…」


ゾンビは皮膚の防護能力が極端に低下しており、普通に生活するだけでもすぐに皮膚が裂けるし、水分が抜けて干からびる。

おまけに、日頃激しい遊びばかりしているので、たいていのゾンビはどこもかしこもボロボロの見た目である。

ふくたいちょーの肌もご多分に漏れず、冷凍庫で忘れられていたホッケの干物のように、年季の入った肌だったのだ。

それが、この液体を浸透させるだけで、透明感のある、上質のピータンを思わせる黒褐色に変貌してしまったのである。

「そんな…乙女の悩みが、こんなことで…」

もとは22歳のOLであるつっこみらいにとって、この光景は夢のようだった。

人間だった頃は、「私ももう少しでお肌の曲がり角なんて言われるのかな…」と、スキンケアを少し念入りにするようになったばかり。

ゾンビになって、お肌は曲がり角を通り越して最終コーナーを抜けてしまい、それが地味にショックだったのだ。

それが、風呂に入るというたったそれだけのことで、すべて解決してしまうなんて。


つっこみらいは、ふくたいちょーの入っている水を両手ですくい、しばし逡巡した。

「人間界には、泥パックというものがある… 泥は…一般に汚い… 一般に汚いものは… 美容にいい…」

バスタブの縁をギュッと握りしめ、つっこみらいはぶつくさと自己暗示の言葉を呟いた。

「だから…大丈夫! これは大丈夫なんだ! 美容のためなんだ! 私も入る! うおおおおお!」


つっこみらいは憤然と外へ走りだし、両手に薪を抱えて戻ってくると、ドラム缶の下に敷き、火をつけ始めた。

「おしゃれは我慢… 粉骨砕身… 不惜身命… 臥薪嘗胆…」

うちわで扇ぎながら、物騒な言葉をつぶやいている。まだ完全には決心がつかないらしい。

いい湯加減になるが早いか、つっこみらいは意を決してすっぽんぽんになり、湯船に飛び込んだ。


「ういいいいい… これで… これで私もつやつやたまご肌…」

のべ何百人のゾンビが入浴した液体だろうと、彼らの落とし物が浮いたり沈んだりしていようと、 さきほどのふくたいちょーのような肌になれると思えば、ガンジス川の聖なる流れも同然だった。

見よ、その御利益あって、つっこみらいの肌も水分に満ちた暗褐色に変貌したではないか。

「このつや、まるで名古屋ウイロウ…人間だったときよりもぷるぷる…」

つっこみらいには、浴場に充満しているであろう、うんこの塩漬けみたいな臭いが、ジャスミンの(かぐわ)しさに思われた。


火の番をしていたふくたいちょーは、そんなつっこみらいを口をあんぐりさせて見ていた。

彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。この3日間、彼女は目を三角にして、ゾンビの習慣に突っ込んでばかり。感激しているのなんて、ばらばらいだーの一件ぐらいでしか見たことがない。


ふくたいちょーは、その裏に潜むゾンビの真実を、話すべきかどうか迷った。

彼女の喜びのひとときに、水をさすのはいかがなものか。しかし、知るのが遅れるほど、つっこみらいの絶望は大きくなるだろう。

ふくたいちょーは、恐る恐る口を開いた。

「えーと、喜んでいるところ大変申し訳ないのだけれど… そのぷるぷるつやつやは、お風呂から上がったら数分で落ち着くからね?」

「えっ…!」

つっこみらいの表情が一瞬で曇った。脳内に咲き乱れていたジャスミンが、一瞬で枯れ果てた。

「そんな、じゃあまた、虫に食われたアジの開きみたいな肌に逆戻りなの!?」

つっこみらいはふくたいちょーに詰め寄った。

「いやいやいやいや! さっき見た湯上がりのお姉ちゃんみたいになるだけだよ。半日たったら、人間よりちょっと乾燥肌、ぐらいになる。せいぜい新巻鮭」

つっこみらいの肩は、ふくたいちょーの肩を掴んだまま震えている。

「いやだああああ! 新巻鮭でもやだ! それじゃゾンビになった意味ない! 私、風呂おけ抱えて生きる!」

ついに錯乱し始めた。


「落ち着いて! 自分をよく見て!」

言われて、つっこみらいは自分の肌を見た。よく見ると、あちこち裂けていた傷口が、すべてふさがっている。

「あれ? 傷の再生が速い気がする」

ゾンビは体の一部がちぎれても再生するが、皮膚は、あっちが治るとこっちが裂けを繰り返すため、なかなかきれいにならないのである。

「それ! ゾンビがお風呂に入るのは、それが理由なんだよ!」

「ああ… なんだ… そんなことか…」

現実なんて、所詮そんなもんだ。つっこみらいは必死で納得しようとした。しかし、期待を削がれたショックが尾を引き、なんとも言えない表情になった。

「ゾンビに、スキンケアなんて何の意味もないよ。日向のナメクジより早く干からびるよ」

推定ローティーンのふくたいちょーには、肌を気にするという概念がないようで、歯に衣着せずものを言う。

「ナメクジ…」

その若々しさが、つっこみらいに容赦なく突き刺さる。



やるせない気持ちを抱えて、つっこみらいは風呂から上がった。

生傷が消えただけでもよしとしよう、そう何度も言い聞かせる。しかし、気持ちというものはそう簡単に整理がつくものではない。


大倉庫に戻った途端、つっこみらいは近場にいたせんせーに絡みだした。

「せんせー! スキンケアについてなんかご存知ないんですか! せんせーなんだし、いろいろ知ってるでしょ!?」

「いえ、私、専門は社会科ですし…」

「だったら、クレオパトラ秘伝の美容術とか、なんかあるでしょ!」

「知りませんよ、そんなの!」


「ええい、使えない! じゃあせいぎ!」

今度は、同じくそばにいたせいぎに詰め寄った。

「なんか新技考えなさいよ! お肌つるつるスープレックスとか!」

いきなり話を振られて、せいぎは慌てふためいている。

「何だそれは、無茶を言うのはやめたまえ!」

つっこみらいは、せいぎの首根っこを捕まえるが早いか、卍固めを始めた。

「ちょっと、やめてやめて! 腕取れる!」

「できないなら、せめて八つ当たりさせろおおお!」


こうなってはもう止まらない。せいぎに多種多様な関節技を食らわすつっこみらいを、他のゾンビは遠巻きにみていることしかできなかった。

つっこみらいは、せいぎとあくの試合でしかプロレスを知らない。技はうろ覚えで全然極まっていない。しかし勢いに呑まれて、せいぎはされるがままになっている。


「ふくたいちょー、つっこみらいはなんでこんなに荒れてるの?」

テレビを見ていたたいちょーは、リングを見遣ってたずねた。

「わかんない。お肌がぷるぷるじゃないのが嫌だって」

ふくたいちょーが、お風呂の中でのいきさつを話した。

「大人って、そういうの気にするよねー」  たいちょーは、頭を掻きながらせんせーに振った。

「せんせー、なんとかなんないの? このお風呂考案したの、せんせーだよね?」

「え、俺かよ!?」 せんせーは、迷惑気味に対応した。

「あれは、ゾンビの体質についてよくわかんなかった頃に、発酵した体の保存方法として提案したものだからなあ」

「確か…」 たいちょーが眉をひそめる。「科学的根拠はないんだっけ?」

せんせーが、大きく頷いた。

「ああ。くさやにヒントを得ただけの当てずっぽうだ。怪我の功名で、再生効果が早まることがわかったけどな」


「それを初めて聞いたとき、私たちもあんな感じになったっけ…」

たいちょーは天を仰ぎ、やれやれと腰を上げた。

「それ、つっこみらいの前では、絶対に言っちゃダメだよ。とりあえず説得してくる。私、隊長だし」

 たいちょーは、やれやれと腰を上げ、つっこみらいの方へ歩み寄った。

「つっこみらい、ちょっと」

「何?」

つっこみらいが振り向いた。四つん這いにさせたせいぎを、文字通り尻に敷いている。この間見たプロレス技・パラダイスロックを再現しようとして断念したらしい。

ものすごい形相のつっこみらいに一瞬ひるみながら、たいちょーは口を開いた。

「明日、海に行かない?」


つっこみらいは、いらついた表情を隠さずに答えた。

「行ったらお肌がぷるぷるになる?」

「うーん…なるかどうかはともかく、ゾンビとお肌について考えるいい機会になるよ」

つっこみらいは、更に苛立った表情で迫った。

「考えたらお肌ぷるぷるになる?」

たいちょーもだんだん腹が立ってきた。

「だからならないって! 落ち着けって言ってるの!」

「だったら…」つっこみらいは本日何度めかの爆発をした。

「だったら、ゾンビ汁に浸かってるほうがマシじゃない!」

いっこうに興奮が収まらないつっこみらいに、たいちょーもついに爆発した。

「大人のくせにわがまま言ってんじゃない! 大倉庫の中で荒れてるより一億倍はマシだよ! 気分転換! 隊長命令! いいね!」


(つづく)

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