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第1話 みらいの終わり

 日曜日。田舎のショッピングモールは、人でごった返す。駐車場に入るには40分ぐらい待たされるし、屋内に駐めたいのに、警備員に屋上へ回されたりする。売り場はどこも人の頭しか見えず、芋洗いという先人の例えはこれを予言していたのかと錯覚されるほどだ。

 そんな中、仲良し姉妹が二人、談笑しながら人間観察していたからといって、誰が気にするだろう。

「お姉ちゃん、あの人、すごい顔してるよ」

「そうだね。お買い物してるのに、なんか楽しくなさそう」

「…ねえ、仲間に入れちゃう?」

「入れちゃおう!」

 二人の声は、誰にも聞こえない。今目の前を通った客にさえも。



 某県中央部に位置する実験都市・研究学園。国の研究機関がひしめいており、ロボットや小型移動機が飛び交う町である。

 とはいえ、アニメやSF映画に出てくるような風景とは程遠い。ロボットは二足歩行するわけではなく車輪がついており、声優があらかじめ吹き込んだ音声が流れるだけ。仕事は道案内や施設のガイドぐらいしかできない。小型移動機も、別に空を飛んだりするわけでもない、車輪で動く機械である。軽く体を傾けるだけでその方向に進むという先進性こそあるものの、坂道などには弱く安全性が保証できないので、ここのような特区でないと国の認可がおりないというだけの話である。

 つまりは、たまに変な機械が通り過ぎるだけの、ただの地方都市である。車がないとどこにも行けないし、都市部からちょっと離れると延々田んぼが続く。買い物は車で10分ほどのところにある、巨大ショッピングモールでするのが常だ。

 しかし、住民の意識は高い。ある者は人と友だちになれるようなロボットを。ある者は誰でも使え、どこへでも行ける移動機械を。そしてある者は、拒絶反応の出ない臓器が作れる万能の細胞を。各々が、自分の夢見た未来を作るべく、日夜研究に励んでいる。


 ここは、人類の未来を作る都市だ。

 その都市で、この日、ひとつの「みらい」が終わりを迎えようとしていた。



「みらい、今日の服かわいいね!」

「えー? そんなことありませんよー。春日さんだって決まってるじゃないですかー」

 ショッピングモールで、4人のOLが談笑している。3人は入社まもないであろう若い女性。筑波みらいはその中の一人だ。もう一人、春日亜子は、彼女らより年かさで、3人の先輩である。

「いやー、私なんてまだまだ。この年になって彼氏もいないしね」

「えー! もったいなーい! 春日さんならすぐ彼氏できますよー!」

「そんなー、みらいだって、男がほっとかないんじゃない?」

 みらいは、自分のおべんちゃらに感心していた。口ではこう言っているが、真意は全くの反対だった。

 残りの2人も、にこやかな表情とは正反対のことを考えていた。みらいと異なり、彼女らは悪口のボキャブラリーが豊富だった。

(とっとと彼氏作って、コトブキ退職して、私たちの前からいなくなればいいのに! どっかに会社の平和のために犠牲になってくれる男の人はいないかな! まあ、若作りに失敗してひび割れたゴーレムみたいになってるそのツラじゃ、どんなに趣味の悪い男も近づかないか!)

 もっとも、それをここで披露するほど、2人は幼稚ではなかった。満面の笑みを崩さず、みらいたちの話に合流する。

「でしょー? みらい、こないだの合コンで引っ張りだこだったんですよ!」

みらいの同僚・市後いちえは、何とか話をつなげようと必死だった。OLの会話で、沈黙は死を意味する。

「そうそう。羨ましいわー」

もう一人の同僚・仁後真澄が相槌を打つ。

「へえー…合コンなんて、あったんだ! へえー! 私、知らなかったわあー!」

 春日の一言に、3人が凍りついた。春日を誘っていないことを、全員忘れていた。いや、誘うという選択肢が、たった今まで誰の考えにものぼらなかったのである。

「ま、そうよねえー! こんなオバサンが行っても、迷惑よねえー!」

「え、あ、その! あの合コン、チャラい男ばっかりだったんですよ! 春日さんってしっかりした方が好きそうだったので、かえってご迷惑になるかと…」

取り繕う言葉を必死で探しながら、全員が同じことを考えた。

 ああそうだよ、迷惑だよ。だが、歳のせいにすんじゃないよ。お前なんか誘ったら合コンがメチャクチャになるんだよ。

 3人、特にみらいは、春日の日頃の行いを思い出していた。


 春日亜子。みらいたちの勤め先はセクハラとパワハラにまみれていたが、中でも彼女は最悪だった。

「ねえ、なんでこの報告書、できてないのよ! おかげで恥かいたでしょ!」

春日は、眉間にしわを寄せて囁いた。彼女は、癇癪混じりのキーキー声で後輩をいびるのだが、周りに聞こえないように、耳元で声を潜めていうものだからたまらない。

「え、それ春日さんの仕事じゃ…」

「言われなくても、気を利かせるのが社会人ってもんよ!」

「そんな…」

「何よ、人一倍仕事できてないくせに、口答えばっかり!」

 小さい頃から引っ込み思案だったみらいは、うまく反論できないでいた。みらいの仕事は確かに遅かったが、春日はそれにつけ込んで言いたい放題言うのみで、なにか教育するということをしなかった。または、本人は教育しているつもりだったのかもしれない。

「ほんとはこんな仕事、あんたなんかにはもったいないんだけど。勉強になると思ってやらせてあげてるんだからね、ちょっとは感謝…あ、龍ケ崎くぅーん!」

春日の眉間によったしわが、一気に伸びる。イケメンで有名な、新人の龍ケ崎君だ。

「外回りお疲れ様。 外、暑かったでしょー! いま冷たい麦茶入れるからね!」

「あ、私が入れますよ!」

春日の伸びた眉間のしわが、再び凝縮した。視線はみらいの目を突き刺し、余計なことをするんじゃないよ、というメッセージを出力最大で送っている。

「みらいは大事なお仕事してるからね、暇な私が入れてあげるわぁ!」

春日は眉間のしわを再び伸ばし、気のいい「お姉さん」の顔になった。


 彼女の下について以来、みらい・いちえ・真澄の酒量は増える一方だった。

「何、あの眉間のしわ! アコーディオンじゃあるまいし、伸びたり縮んだり!」

「部下はいびる、上司には媚びる、イケメンにはもっと媚びる!」

「まあまあ、私達も新人なんだし…」

「何よみらい、いい子ぶっちゃって! 新人だって、あの女が性格最悪だってことぐらいわかるわよ!」

「龍ケ崎君も龍ケ崎君よ。『気のいいおっかさん』って感じの人ですね、だって。人の本性を見抜けなさすぎだっつうの」

「でも…『おっかさん』ね!」

「うひゃひゃひゃひゃひゃ! 本人が聞いたら、何本ツノが生えることか!」


 龍ケ崎君はその後、春日の猛烈アタックをのらりくらりとかわしていたために彼女の怒りを買い、みらいたちと一緒にいびり倒された。課長は春日の上辺にすっかり騙されて厚い信頼を寄せており、彼ばかりがモテることへの嫉妬心も相まって、グルになって辛く当たっていた。

 そして先週、彼は退職届を提出し、会社を去ったのである。


(そんな女を合コンに呼んだら、地獄絵図になる)

 3人の意見は一致していた。春日は顔だけで男を選んで愛想良く振る舞うが、相手にその気がないと見るや手のひらを返し、何もかもをめちゃくちゃにしてしまうのである。

 さて、どうやってこの場を切り抜けたものか。新入社員3人が、互いにアイコンタクトを取り、知恵を合わせようとしていた。文殊の知恵になることを願って。


 みらいたちがモンスターお局様と静かな戦いを繰り広げている一方で、新たなモンスターが息を潜め、獲物を待っていた。しかし、買い物客も店員も、遊撃の警備員ですらも、目の前に立っているそれらに誰ひとりとして気づかなかったのである。



 エスカレーターそばのソファーでは、小学生が2人、携帯ゲーム機で遊んでいる。

「なー郁人、こっちに匂い玉投げてくれよ!」

「待って待って! 今それどころじゃないやられるああああ!」

「郁人」と呼ばれた子は、あまりこのゲームが得意ではないらしい。

「うわ、こっちくんな! ちょっと亮太郎助けてうわああああ!」

「なんだよ、テグシガルパなんて序盤のザコじゃねえか…」

 亮太郎は、呆れつつもゲーム機から目を離し、顔を上げる。別に、今にもやられそうという体力でも、距離でもない。

 郁人と目が合う。瞬時に亮太郎は、叫び声の理由を理解した。


「おい郁人…なんだよそれ…どうなってるんだよ…」

 彼は、今にもやられそうだった。画面内のテグシガルパにではない。画面の外の、現実世界のモンスターに。

 郁人の肩口に、腐り果てた人間が、深々と歯を突き立てていた。

「あ…りょう…た…ろう…」

みるみる郁人の顔色が変わっていく。子供の赤みがかった肌色が消え失せ、白くなり、土気色になり、彼の背後にいる人間と同じになり、やがて動かなくなった。

 まだ小学生の亮太郎は、ホラー映画などはまだ見たことがない。彼は少ない知識を総動員し、この怪物の正体を考えぬいた。

 こいつは、おそらく「ゾンビ」というやつだ。ゲームで見たことがある。でも、妖怪のゲームで見たかわいらしいやつとは似ても似つかない。


「うう…ううううう…うわあああう!」

 死んだように見えた郁人が目をカッと見開き、大口を開けて襲いかかってきた。

「え、なんで!? なんだよ郁人!」

 ゾンビ映画の一本でも見ていれば、亮太郎にも状況が理解できただろう。しかし、彼のゾンビの知識は、小学生向けのゲームのものしかない。おまけに、21世紀っ子の彼は、「人は死んだら生き返らない。ゲームとは違う」と、口酸っぱくして親や先生に言われてきたのだ。

 目の前の郁人は、死んでいなければならない姿をしている。しかし、なぜか動きまわり、亮太郎にその牙を向けたのである。


 亮太郎は、郁人の攻撃をすんでのところでかわし、後ずさりをした。

「うわあああああああ!」

 かつての親友に背を向け、亮太郎は走り出した。頭が混乱して、何が起こっているのかわからない。しかし、ぐずぐずしていたら自分も怪物になってしまうことだけは感づいた。

 ごめんな、郁人。助けてあげられなくて。生まれ変わったら、また一緒にゲームしよう。

 亮太郎は走り続ける。肩口の、刺すような痛みにも気づかず。



 みらい達は、相変わらず談笑という名の腹の探り合いを続けていた。しかし、目の前の光景を見て4人の会話が止まった。

「う…おお…」

 さっきまでソファーで携帯をいじっていたサラリーマンの見事なビール腹が、ゾンビに引き裂かれていた。

「い…いやあああああああ!」

 4人が悲鳴を上げたのを皮切りに、買い物客が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。足がもつれて転倒する者、その場にへたり込む者もいる。そのうちの何人かに、どこからかゾンビが現れて毒牙にかける。ゾンビ化した人間はまた人を襲う。ゾンビがネズミ算式に増えていくのは時間の問題だった。


 パニックの口火を切ったみらいたちも、他の客に遅れて走り出した。しかし、みらいは足を滑らせて転んでしまった。

「みらいは私が面倒みる! いちえたちは先に行って!」

真っ先に駆け出したのは、春日だった。ゾンビが迫ってくるのも顧みず、一直線にたおれているみらいのもとに駆け寄る。

「大丈夫みらい? 立てる?」

みらいを抱き起こす春日を見て、いちえたちは一瞬胸をなでおろし、脱兎のごとく駆け出した。さしもの春日でも、緊急事態ともなれば人を助けるだけの人間性を発揮できるようだ。二人は、今だけでもそう思おうとしていた。


 いちえたちが走り去ったのを見届けると、春日は組んでいた肩をはずした。次の瞬間、みらいは胸に強い力を受け、後方に飛んで行った。春日のにやりと笑った顔が、だんだん遠ざかっていく。

「えっ?」

 一瞬のことで、事態がつかめない。ともかく、みらいはゾンビの群れの方に倒れこんだ。起こった事態を把握するため、大急ぎで頭の中の映像を逆回しする。

 状況を鑑みるに、春日がみらいを突き飛ばしたらしい。みらいは問い質そうとしたが、時すでに遅かった。春日は彼女を突き飛ばしたが早いか、遥か彼方に逃げ去ってしまっていた。追いかけようにも、ゾンビどもに阻まれて近づけない。

 彼女は、春日が何を考えてこんなことをしたのか、理解できなかった。

「私を…見捨てたの?」

 「見捨てた」という言い方が適切なようには見えなかった。春日たちとゾンビ共の間には十分な距離があった。あの距離では、突き飛ばしている間にゾンビが近づいてくるリスクのほうが高い。その上彼女は、綺麗に回れ右をして、直立不動のまま、両手で彼女を突き飛ばしたのだ。


 みらいは今まで、どんな人間であろうと、人としての最後の良心はあるものだと信じていた。

 彼女は確かに最低だが、あくまで「人として」最低なのである。例えば、私をいびるのは、私の仕事が遅くてイライラしているんだ。それは人間誰しも持っている感情であって、春日はそれが他の人間よりもとびきり多いだけ。

 今回のような状況下であれば、パニックになったっておかしくない。でもそれは、春日が人間だからだ。人格に問題のある人間として、当然の悪さだ。

 春日に良心を期待するのは酷だ。私たちの死の間際、形だけでも後輩を守ろうとしてくれるのなら、私たちの上に立つ者として、僅かなりとも矜持を見せてくれるなら、それでよしとしよう。みらいは自分の信念を守るため、許容の閾値をありえないほど下げてでさえ、春日に対する擁護の言葉を探していた。


 みらいは、春日がいかに陰険で凶悪な人間であるかを承知している。しかし、たとえ極悪人であろうと、他人をやすやすと人でなし呼ばわりしたくなかった。春日がいい人だと言いたいのではない。人間にふさわしくない人間が存在するということを、どうしても認めたくなかったのだ。

 しかし、こうなってはもはや逃れられない。みらいは、残酷な結論を出さざるをえなかった。死にゆく自分の、最後の良心を捨ててまでも。


 「見捨てた」のではない。春日亜子は、筑波みらいを「殺害した」のだ。このゾンビパニックに乗じて。

 同時に、みらいは春日の「殺害」方法にある意味で感謝していた。自分が良い子でいたいだけだった世間知らずが、今まで逃げ続けてきた感情と、思う存分向き合うことができるのだから。


「ふざけんな春日あああああああああ! この人殺しいいいいいいいい!」

 みらいが他人を罵るのは、そうとう久しぶりだった。初めてではないが、以前はいつだったか覚えていない。保育園で、カンチョーしてきたユウヤ君にだったか。または、小学5年の時におっぱいを触ってきた竹本君にだったか。

「バカ、クソ、ゴジャッペ、アンポンタレ! 今までさんざんいびりやがって! 死んじまえ! てめえ覚えてろ! ふざけんなクソ野郎!」

 みらいには、いちえや真澄ほどのボキャブラリーはない。しかし、彼女が知るかぎりの悪口雑言をぶちまけた。自分はもう死ぬし、相手は殺人鬼だ。一方的に罵倒しても、それは当然の権利だ。何より、春日も2人の同僚も、どこへ行ったか分からない。この声も聞こえないほど遠くに行ってしまったのだろう。

「オタンコナス! クソババア! 行き遅れ! タコスケ! アホ! 間抜け!」

 みらいは、ゾンビに噛まれた痛みも忘れ、春日だけに罵倒の言葉をぶつけ続けた。

 同僚たちには向けたくなかった。自分の脳内に、これ以上人でなしを増やしたくなかったのである。2人は見向きもせずに行ってしまったけれど、それはしょうがないと自分に言い聞かせた。


 彼女らにはこれからの人生がある。明日もあさっても、春日「さん」のいびりに耐え、おべんちゃらを使い、みらいが見られない未来を生きなければならないのだ。春日に合わせて、場合によっては「筑波が死んで清々した」などという言葉にさえ同調して。そうやって賢く生きてほしい。人として最低の振る舞いをしてでも、私に代わって人として生きてほしい。それがみらいの、人としての最後の願いだった。

 だが春日、お前は別だ。お前は人殺しだ。人として生きることは許さない。ゾンビになったら、真っ先にお前を襲ってやる。地の果てまでも追いかけて、お前の腐った根性にふさわしい、腐りきった体にしてやる。それがみらいの、人としての最後の怨みだった。


 春日への恨みつらみをぶつけきった後、みらいは、ゾンビどもに奇妙な親近感を覚えた。逃げるのに夢中で気づかなかったが、彼らの動きには妙に無駄が多い。よく見ると、踊っているようだ。

「そういえば昔、ゾンビが踊る映画か何かを見たっけ」

 薄れていく意識の中、みらいには、ゾンビのうめき声が何やらリズムを持っているように感じた。


 寄ってみんかい ゾンビの世界

 俺たちゃ妖怪? それとも霊界?

 どっちにしたって とっても厄介…

 

「なんだっけ…ヒップホップ?」

 みらいの推測は、完全にあてずっぽうだった。みらいには、音楽の素養はない。それに考えたところで、これからゾンビになる身では、脳も腐りかけているに決まっている。

「あはは…なんだか楽しそうだなあ…」

 昔、映画で見たゾンビは、もっと何も考えていなさそうで、悲しそうな、いかにもなりたくないような行動をしていた。ところが、彼女が今認知しているゾンビは、もっと生き生きして、歌って踊っている。よく見ると、目の前にいるのはまだ中学生ぐらいの女の子のゾンビである。

「そうか…私もあんなふうになるのか…」

 薄れゆく意識の中、みらいは考える。これはきっと、幻覚だ。どうせなるならこんなに愉快なゾンビだったらいいのに、という自分の願望がそう見せているんだ。もしくは、自分のろくでもない人生を憐れんだ神様が、私に見せてくれたのかもしれない。

 そう考えると、みらいはいくらか落ち着いた。自分を死に追いやった、忌まわしき春日への憎悪も少しは和らいでいた。彼女は憎いが、それよりも、自分が安らかに死ぬことを考えよう。


 みらいの意識は、そこで途切れた。

 今日、ひとつの「みらい」が、終わりを迎えた。



 次にみらいが目覚めた時、見えたのは天井だった。

 そう、目覚めたのである。彼女の意識は戻ったのだ。


 天国にしては、随分殺風景だ。最近の天国は、天井が鉄骨と鉄板で出来ているのだろうか。

 体を起こすと、コンクリート打ちっ放しの壁が見える。ここはどうやら現世。パーティションで区切られた小部屋だが、全体はかなり大きいようだ。

 みらいはここまで分析して、先ほど自分の身に起こったことを思い出した。

「え、じゃあ私、ゾンビになったの!?」

 信じられなかった。だって、ここまで状況判断ができる脳は健在なのである。みらいに襲いかかってきた連中に、そんな知能があるとはとても思えなかった。

「神様の奇跡で、私にだけ知能が芽生えたとか? どうせだったら、そもそもゾンビを出さないっていう奇跡を起こして欲しかったのに。」

 今度は自分の手を見た。その色を見て、みらいの背筋が凍りついた。

「ひっ!」

ナマモノがしていてはいけない色をしている。例えばこれが鶏のもも肉だったら、売っている肉屋に大クレームを入れた後で保健所に通報するだろう。

「うげえええええ!」

思わず立ち上がった。全身見回してみると、体中の皮膚という皮膚が耐久力を失ってぶよぶよになり、裂けた皮膚から覗く肉はある部分で黒ずみ、ある部分で妙な緑色の光沢を放つ。

「うわなにこれ、腐ってる!」

 みらいは確信した。自分はゾンビになったのだ。なぜか、知能は生前とさほど変わらない状態で。

「ええと、私…生きてるの?」

 自分では生きているつもりだが、傍からはどう見ても死んでいるだろう。自分だって、我が身に降りかかるまではそう思っていたのだ。ゾンビになった時点で、その人は「死んだ」のだと。

 筑波みらいは、ゾンビの襲撃に遭い、傍目には死んでいるようにしか見えない姿で生きている。どうやら神様の奇跡は、ずいぶん中途半端だったようだ。



 ゾンビに成り果てた今、これからどうやって生活したものか。みらいは乱暴にあぐらを組み、頬杖をついて思案していた。不意にドアを開ける音がする。

「あ、起きた?」

「ああん?」

声に向かって、頬杖のまま睨みつけた。しかし慌てて正座になった。

「ごめんなさい、寝起きだった?」

声の主は、女の子だった。

「ううん、ちょっと考え事してたの!」

女性はおしとやかたれ、のいうのは嫌いだ。だが、大人として子供に今の態度はまずい。

「こっちこそごめん! 私は、筑波みらい。あなたは?」

ゾンビの少女は、何か言いかけたような顔をして止まり、答えた。

「わたしは、たいちょー」

「タイチョウさんって珍しい名字だね。漢字でどう書くの?」

「漢字なんかない。それが私の、ゾンビとしての名前」

「ゾンビとして?」

「そう。ゾンビは、ゾンビネームを名乗るの。人間だった時の名前は、捨てた」

みらいは追及しようとしたが、もっと重要なことに気づき、話題を変えた。

「そう言えばたいちょーさん、あなたも知能のあるゾンビなの?」

たいちょーは目を見開き、みらいを見返した。

「知能があるって!?」

「いえね、しゃべるゾンビがいるなんて、知らなかったから」

「そんな!」


たいちょーがなにかしら言いかけたのを遮って、ドアが勢いよく開いた。

「お、新しいやつか?」

「女の人だ!」

「おお! べっぴんさんだべ!」

数人のゾンビが、ドアの外からこちらをのぞき込んでいる。

 みらいは、「べっぴんさん」に少し心を良くしたが、我に返った。もっと大事なことを質問しなければならないと気づいたからだ。

「もしかして、ゾンビって、みんなしゃべれるの?」

「はあ!?」

たいちょーは開いた口が塞がらない様子だった。文字通り、顎の関節がはずれて垂れ下がっていた。

「え、知らなかったの!?」

どういうわけか、たいちょーは大口を開けたまま、流暢な日本語をしゃべっている。

「ええ。襲われた時は、うめき声にしか聞こえなかったから」

せっかく直していたたいちょーの顎が、再びはずれてしまった。今度は肉もちぎれ、地面に落ちた。

「いやいやいや! 普通に私達、歌って踊っていたじゃない!」

ちぎれた下顎を拾い上げながら、たいちょーが口角泡を飛ばしてまくし立てる。泡を飛ばすのはともかく、口角がちぎれてすっ飛んでいったのにはみらいも閉口した。

「うーうー言いながら這いずりまわっているようにしか見えなかったよ。たいちょーが来るまで、私だけが特別に知能があるのかと思ってた」

たいちょーは、目を回し、白黒させた。いちいち文字通りに動くたいちょーを、みらいはちょっと滑稽に思った。

「ゾンビって、慣用句の通りのリアクションができて便利だわー」

「便利って何!」

「出版社勤務だったから…ちょうどことわざ辞典の企画やってたの」

「まったくもう… みんな、もしかして、知ってたの!?」

たいちょーはドアの方を向き、外のゾンビに向かって怒鳴った。

「知らなかったのかよ、たいちょー!?」

「てっきり知ってるもんだと…」

「そういや、今まで一度も話題に出てなかったな」

外のゾンビがざわめき出す。たいちょーは、頭を抱えていた。頭を抱えていないと、目玉や鼻がボロボロ落ちてしまいそうだ。

「たいちょーっていう割には、肝心なことを知らないんだ」

「知らないよ! 私はたいちょーで、お医者さんじゃない! 体の仕組みなんか、わかるわけない!」

「そりゃそうか…」

「はいはい、この話はやめ!」

扉を全開にして、たいちょーは部屋の外へ出ていった。



 みらいが思ったとおり、扉の外は大きな建物だった。今までいたところは、もとは守衛室だったようだ。

 外壁は倉庫のようだが、中はショッピングモールのように、ものが整然と並んでいる。もとはお店で、ここにあるのは元商品だろう。だとすると、ここはショッピングモール隣の大倉庫ではないか。

 大倉庫の建物を利用して、業務用の商品を扱う巨大スーパーがオープン予定だったはずだ。いつの間にやら音沙汰がなくなっていたが、まさかゾンビの巣になっていたとは。


 倉庫の中央壁際に、ビール箱とベニヤ板でステージがしつらえてあった。ショッピングモールのセンターコートにもステージがあるが、あれの三倍はあるだろう。なにせ、ワンルームしかない上にだだっ広い。アリーナを作ってもなお余るだろう。

 ステージでは、たいちょーが椅子に座り、子供のゾンビから手当てを受けていた。主な治療器具は針と糸である。鼻をくっつけて縫い合わせ、目玉が眼窩から落ちないように目尻も縫い付けている。

「いたたたた!」

「痛くない! ゾンビでしょ!」

「確かに痛くないけど! 視覚的に痛い!」

治療というか裁縫しているゾンビは、たいちょーより幼い。歳は小学生か中学生ぐらいか。たいちょーと姉妹だったら似合いそうな子だ。

「妹さん?」

「いたたたたたそうだよ。ほら、あいさつ」

小鼻を縫い終わり、玉どめをしながら妹が答える。

「うるさくてごめんね。私は、たいちょーの妹で、ふくたいちょー」

にっこり笑った口の端から、糸切り歯が覗く。

「初めまして。私はみらい。お裁縫得意なの?」

「得意になったのは、ゾンビになってからだねー。お姉ちゃん、感激屋になっちゃって、泣いても笑っても体のパーツをボロボロ落としていくの」

「もう、その話はいいでしょ!」

たいちょーは椅子から立ち上がり、みらいの手を引いた。

「みらい、仲間になってくれてありがとう。今から、私の仲間を紹介するよ」


 たいちょーに手を引かれてどこかへ向かう途中、みらいはたくさんのゾンビを見た。ひたすら踊る者、カラオケに興じる者、めかしこんでファッションショーをしている者。筋骨隆々のゾンビが、同じく体格の良いゾンビに関節技をしかけたりもしている。

 向こうでは、子供のゾンビが二人、携帯ゲーム機で遊んでいる。一方は、大型のモンスターに苦戦している様子がうかがえる。

「だから、テグシガルパになんでこんな手こずるんだよ!」

「だって、双剣ってボタン押すと力ためて暴走するんだもん!」

「片手剣の癖が抜けてないだけじゃん! 操作ぐらい覚えろよ!」

 みらいは、そのやり取りをほほえましく見ていたが、同時に元人間として恐ろしさを覚えた。

 ゆるそうなことをしているが、こいつらは、こんな小さな子供まで毒牙にかけたのだ。自分もこれから、人類の敵として、何の罪もない人間たちを化け物にしなければならないのだろうか。


 たいちょーは、本棚が並んでいる一角で足を止めた。そこでは数人がソファーに寝そべり、漫画を読んでいる。奥のほうに、歴史小説を読んでいるゾンビがいた。歳は判別しかねるが、大人の男性だ。

 足元には、犬のゾンビが丸くなって寝ていた。犬種は秋田犬か柴犬と思われるが、ゾンビ化していては判別しにくい。おまけに、みらいは犬の種類に疎かった。

「せんせー! 新しい人、連れてきたよ!」

たいちょーが、歴史小説を読んでいる男性に話しかけた。男性は読んでいた本を閉じ、こちらに向かってくる。

「おお、この人が。なんで選んだんだ、たいちょー?」

「なんだかね、お買い物が楽しくなさそうだったの」

 みらいは、はっとした。確かに、春日と一緒でちっとも楽しくなかった。しかし、今日会ったばかりのゾンビにも見抜かれるほど、顔に出ていたなんて。

「みらいとそのお友達、なんだかすっごく離れてたの。笑ってたのに、笑ってない」

「目が笑ってなかったってこと?」

たいちょーは、年相応に語彙力が低いらしい。「せんせー」と呼ばれたゾンビが、笑って補足する。

「うん、それそれ。だから、こっちに引き込んだ方がいいかなって」

「ちょっと待ってよ!」

みらいが割って入った。自分の運命を決めた出来事を、そんな軽いノリで話されたことに、少し腹がたったのだ。

「つまり、私は『楽しくなさそうだった』っていう理由だけで殺されたってこと?」

たいちょーは、悪びれもせずに答えた。

「そうだよ。ゾンビにした方が楽しそうな顔してた。だから、私たち『増やし隊』が仲間にしてあげたの」

「してあげた!?」

「たいちょー、『あげた』はないだろう!」

せんせーが、声を張って制する。

「あ、そうだよね...。ごめんなさい、みらい」

「うん...」


 生返事しかできなかったことに、みらいは焦った。本当は、たいちょーを怒らなければならないのだ。自分の直接の死因は、小娘の思い込みと独りよがりだったのだから。春日をあれだけ口を極めて罵ったのだから、彼女に対してもそうすべきだ。

 みらいは人間界とゾンビ界、両方のエゴイズムの犠牲になった。そして、何よりこんな生意気な言動は、大人として止める必要がある。しかし、みらいの感情は、しけった薪のように火がついてくれない。何かが引っかかる。


「いろいろ言いたいことはあるけれど、まず一つ」

しばらく硬直した後、みらいは口を開いた。

「私はゾンビになったけど、気持ちは人間のままなの。元人間として、楽しくなさ『そう』なんていい加減な理由で殺されちゃ、たまったもんじゃない」

たいちょーは、黙ってうなずいた。

「だから、説明して。私は、どれだけ楽しくなさそうだったのか。ゾンビの世界が、人間辞めるに値するほどのものなのか」


たいちょーは、数秒考えてから、口を開いた。

「まずひとつ目。お友達の年上の人、みらいをいじめてたでしょ。」

みらいは仰天した。

「なんでわかったの!?」

「わかんないほうがおかしいよ。あの人、倒れたみらいを突き飛ばした。それで決めたの。あんな人のところで働くぐらいなら、ゾンビにしたほうがいいって」

「そう。あのやりとりを、見ていたんだ」

「うん。今までも見捨てて逃げる人は多かったけど、わざわざ戻ってきて突き飛ばすなんて初めて見たよ。あんなところ、いないほうがいいよ」

「あなたの言いたいことはわかった。ありがとう」

今の説明は、みらいにとって完全に納得がいくものではなかったが、詳しくはおいおい聞き出すことにした。


「ふたつ目の質問は、口で説明するよりも、体験してもらったほうが早い」

「ほう。何?」

「みらい、バスケしよ?」

「バスケぇ?」

 寝耳に水だった。バスケでなぜ、ゾンビの価値がわかるというのだろう。



 大倉庫の一角に、バスケットゴールが用意された。コンクリートの床に、いろいろなスポーツで使う線がきれいにペイントされている。もともとあったようではないので、ゾンビの中に心得のあるものがいるのだろう。

 スリー・オン・スリーのオールコート。たいちょーチームとみらいチームに分かれての対戦となった。たいちょーチームはたいちょー・ふくたいちょー・せんせーの3人。みらいのチームには、先ほどプロレスをしていたゾンビ二人がついた。

「やあ、新入り君! 私の名はファーメンテッド牛渡(うしわた)。普段は正義の覆面レスラーとして、憎きロッテン古渡(ふっと)と死闘を繰り広げているのだ!」

「がーっはっはっは! 俺様がロッテン古渡だ! 味方になったからには、あらん限りの反則技でお前さんを勝利に導いてやるぜえ!」

先ほどは仲良く戦っていたように見えたが、とみらいは訝しんだ。彼女にはプロレスの知識がほとんどなく、プロレスには善玉と悪玉のレスラーがいるということも知らないのだ。

「たいちょー、このなんとかウシワタっていうのもゾンビネーム?」

「ううん、ゾンビネームは『せいぎ』と『あく』なんだけど、プロレスラーだからって、リングネームを名乗ってるの」

 正義と悪が一緒に戦っていいのか。他にも突っ込みどころは山ほどあったが、みらいはとりあえず様子を見ることにした。


 メガネをかけた女性ゾンビが審判を担当する。ジャンプボールから試合開始。

 みらいはボールを奪い取り、せいぎにパス。せいぎは間髪を入れずドリブルでボールを運び、立ちはだかるふくたいちょーを一回転してかわす。大男でゾンビという、総身に知恵が廻りかねそうな風体にもかかわらず、その動きは素早い。

 振り向きざま、後ろ手であくにパスを回した。あくは飛びざまにボールを受け取り、リングに叩き込んだ。みらいは思わずガッツポーズをとる。

「ナイス! 今の、アリウープっていうんだっけ?」

「実は、プロレス一筋でバスケはよく知らねーんだ。マンガだとよくあるよな」

あくが照れくさそうに答えた。

「ナイスプレーだ、ロッテン! 今度は私が、正義のスラム・ダンクをお見せしよう!」

「頼むよ!」

みらいは、いつの間にかバスケを楽しんでいる自分に気づき、自分の役割を思い出した。こいつらは人を襲う化物で、みらいはそれを見定めなければならないのだ。


 審判のゾンビが笛を鳴らし、試合は再開された。攻撃を開始したたいちょーたちを、みらいたちはマンツーマンで待ち構える。小柄なふくたいちょーにとって、せいぎは巨大な壁も同然である。ボールを持ったはいいが、どこへパスしたものか決めあぐねている様子だ。

「ふくたいちょー、こっち!」

たいちょーが後ろに下がり、パスを要求する。すかさずあくがマークに入る。

「お姉ちゃん!」

あくの防御をかいくぐり、たいちょーがパスを受け取った。

たいちょーは右に左に上半身を動かすが、あくも遅れじと動き回り、全く隙を与えない。

「へーい、ディーフェンス、ディーフェンス!」

「あああ! イライラする!」

そういいながらも、たいちょーはあくの下半身にわずかな隙を見つけ、彼よりは小柄な体を左体側面にもぐりこませた。

「しまった!」

焦ったあくは、たいちょーを止めようとしてた。しかし次の瞬間、彼の発酵しかけた運動神経は、バスケの動きよりも、プロレスラーとして条件反射のレベルで染みついた動きの方を優先させてしまったのである。

「え?」

たいちょーは、左腕が跳ね上げられ、自由が利かなくなるのを感じた。首全体を太い腕の感触が覆う。足の間に自分のものではない太い足が潜り込み、そのまま動けなくなった。

「え、え? なに、どうしたの?」

 コブラツイストが完全に極まった。あくが生前、いついかなる時でもこの技が出せるよう、猛特訓をしていた成果である。

「あ、やべ、つい癖で…ええいままよ!」

あくは、関節技を解くどころか、開き直って大見得を切った。

「がーっはっはっは! たいちょーよ、(いまし)めを解いてほしくば、ボールを渡せえええ!」

「あ、え…いやーん! 助けてえええ!」

たいちょーもつられて叫ぶが、顔が笑っている。本気でないと分かっているらしい。

「さあ観念しろ、お前は俺様の思いのまま…えっ!」


「きええええええい!」

あくの体が真横へと飛んだ。せいぎが渾身のドロップキックを食らわせたのだ。

「どわあああああ!」

あくの体が地面をこすった。腕が肩から外れて転がっていく。

「女性に対してそのような非道、このファーメンテッド牛渡が許さん!」

せいぎが仁王立ちして啖呵を切る。あくは立ち上がりつつ、拾い上げた腕を型にはめ直して嘯いた。

「ふふふ…どんな手を使っても勝ちゃあいいんだよ…今はお前さんも味方だろうに…」

「たとえ味方でも、卑怯な手を使うなら止めなければならん!」

「がーっはっはっは! いいこぶりやがって!」

いつの間にか、マイクパフォーマンスになっている。何も知らないみらいは、呆然と立ちつくしていた。

「いやいやいや! 審判、止めてよ! ファウルなんてもんじゃないでしょ!」

ところが、審判のゾンビは止めるどころか、目を爛々と光らせ、鼻の穴を全開にして見つめている。

「何言ってるの、もったいない! ああやって激しく争った後こそ、夜は燃えるんじゃないの!」

「はいいい!?」

みらいは、この審判が何を言っているのかわからなかった。

「うおおおおお! そのとおりだぜ、きふじんちゃあああん!」

周囲で、男のゾンビが黄色い歓声を上げた。そのゾンビの名前は「きふじん」というらしかった。

とにかく、彼女に止める気がないことは把握した。


「おらおらおらおらおら!」

「やるな、おらおらおらおらおら!」

 せいぎとあくは、バスケそっちのけでチョップの応酬を繰り広げている。みらいは二人を放っておくことにして、たいちょーに駆け寄った。

「ちょっとたいちょー、大丈夫? 痛いとこない? 変なとこ触られなかった?」

たいちょーは、なぜかうっとりしている。

「えへへ…ロッテン古渡にコブラツイストかけられちゃった!」

「お姉ちゃんずるーい! 私もやってほしい!」

今度は、みらいの開いた口が塞がらなくなる番だった。

「ええと… 暴力を振るわれたのに、なんとも思わないの?」

たいちょーとふくたいちょーはきょとんとしていたが、その後、たいちょーが手を打って答えた。

「あ、そうか! みらいには言っておかないと。ゾンビに、暴力は効かないんだよ」

ふくたいちょーも、はっと気づいて続けた。

「ゾンビはケガしても再生するし、体の一部が取れてもくっつくし」

「それに、もしあくが本気で私たちを襲っても、腕や足を引きちぎればいい。女子供の力でもすぐ取れるから、そんなことする意味はないよ。」

 言われてみれば、さきほど縫い合わせたたいちょーの傷口が塞がっているし、あくのとれた腕も元に戻っている。だからといって暴力を肯定するのはどうか、とみらいは釈然としない部分が残ったが、深く追及しなかった。いちおう謎はとけたのだ。


「じゃあ、もう一つ質問。あの審判は、いったい何を言ってるの?」

たいちょーは、興奮さめやらぬ審判を一瞥して、ああ、という様子で答えた。

「きふじん? あの人、男の人が喧嘩してるといつもあんなふうになっちゃうんだ」

「激しく喧嘩してる人同士は、夜になるとすっごく仲良しになるんだって言ってたよ!」

喧嘩するほど仲がいいということか。しかし、なぜ夜なのだろう。みらいは首をひねったが、考えるのをやめた。たぶん、ゾンビの趣向は人間と異なるのだろう。

「きふじん、すごくいい人だよ。マンガ描いてるんだけど、毎回おもしろいし」

「せっくしーで、男の人にもモテモテだよね。うらやましい」

みらいは、きふじんのほうを見た。豊満なバスト、豊満なヒップ、その倍以上豊満なウエスト。実に「せっくしー」である。正直なところ、みらいの美意識にはそぐわなかった。しかし、実際に男のゾンビは彼女に夢中だし、近年はぽっちゃり系がブームだとどこかで見た気がする。

 これはゾンビの嗜好ではなく、男は、ぽっちゃりが好きないきものなのだ。みらいは、自分に都合がいいように考えることにした。どうせ死んだんだし、このぐらいのわがまま、許されたっていいだろう。


 せいぎとあくの取っ組み合いは、完全にプロレスの興行になっていた。せいぎはあくにふっ飛ばされると、きふじんに何事か問い詰めている。あくが反則をしたのではという内容らしかった。きふじんは、首をおおげさにすくめ、両腕を上げて「アイドンノウ」のポーズをとっている。

「何の審判してるんだか…」

みらいは呆れ返り、こいつらを放ってどこかに行っちゃおうかと思った矢先に、せんせーが割って入った。みらいも他のゾンビも、すっかり存在を忘れていたが。

「盛り上がっているところ悪いんだけど、今何をしてるんでしたっけ?」

「そりゃあ、新入りの歓迎でバスケ…あ!」

せいぎ・あく・ギャラリーのゾンビたちは、はっとなってみらいを見た。

「その新入りさんを、退屈させてはいけません。仲間に失礼です」

「そうだなあ…さすがせんせー」

あくがつぶやくと、せいぎがみらいのところに来て、頭を下げた。

「すまない、新入り君。つい盛り上がってしまって」

「がーっはっはっは! 今度からは新入り君を巻き込んで暴走することにするぜえ!」

「あく」というぐらいだし、あれでも謝罪のつもりなのだろう。

「じゃあ、プロレ…じゃなかった、バスケの試合、再開ね」

たいちょーが仕切りなおし、試合が再開された。



 今度は、滞りなく試合が進んだ。どちらも一進一退の攻防を繰り広げたが、たいちょーチームが僅かに劣勢である。せんせーは手加減しているが、ふくたいちょーが持ち前のすばしっこさで追い上げる。

 残り時間が近い。その差、わずか2点。ボールはたいちょーチームのゴール下である。たいちょーはあくのボールをカットし、ふくたいちょーが拾い上げた。残り5秒。相手のゴールははるか先。

「どりゃああああああああ!」

ふくたいちょーは、渾身の力を込めてロングスローを敢行した。ボールは長い長い放物線を描き、リングに向かって飛んで行く。

 やがて、ボールは吸い込まれるようにリングの中に入っていった。ふくたいちょーの腕まで一緒に。

「やっ…ああああ!」

 ふくたいちょーはガッツポーズを取ろうとして、する腕がないことに気づいた。ボールにくっついて、尾を引いて飛んでいってしまったのである。

「あっちゃあ…あんなところに」

ボールは地面に落ちていたが、腕がネットに引っかかって落ちてこない。ギャラリーがどこかから柄付きブラシを持ってきて、ふくたいちょーに手渡そうとした。

「私がやる」

みらいはブラシを受け取り、柄の部分で腕を突っついた。なかなか落ちてこない。絡んだネットを、慎重に取り除く。

「まったく…天井に引っかかったバレーボールじゃあるまいし…ふふふ…」

「そうだね…ふふふ、ははははは!」

みらいとたいちょーが、笑い出した。ふくたいちょーもつられて笑う。


「決めた!」

たいちょーが唐突に叫んだ。

「何を?」

「みらいのゾンビネーム。まだつけてなかったでしょ?」

「あれって、人につけてもらうものなの?」

「そう。みらいの名前は、今日から『つっこみ』」

「私、そんなに突っ込んだ覚えはないよ!」

「けっこう突っ込んでたよ。それに、『言いたいことは山ほどある』って言ってたでしょ?」

そうだったのか、気づかなかったとみらいは引き下がった。

「今日からは、山ほど突っ込んでいいよ。だから、つっこみ」

「『みらい』って名前、捨てたくないんだけど」

「じゃあ、『つっこみらい』。語呂もいいし、これで行こう」

「ダジャレかよ!」

早速の突っ込みに、周りのゾンビがみんな笑い出した。

 みらい改めつっこみらいは、もう一度周囲を見渡した。この世界は、わからないこと、おかしいことでいっぱいだ。人間だった頃は、突っ込みたくても突っ込めず、愛想笑いと、相手に分からない程度の嫌味がせいぜいだった。

 しかし、ゾンビの世界は、変だとわかっていることがいっぱいで、今、たいちょーがそれに突っ込んでいいと言ってくれたのだ。


せんせーが口を開いた。

「いい突っ込みですね。程よい突っ込みは、グループのバランスを保つのにも必要不可欠です」

せんせーは歩み寄り、つっこみらいの前で深々と頭を下げた。

「いろいろご迷惑をおかけすると思いますが、これからもたいちょーのそばにいてやってください。よろしくお願いします」

「たいちょーたちはまだ子供です」

つっこみらいは、会釈を返しながら続けた。

「突っ込みというかどうかはわかりませんが、せんせーのおっしゃる通り、あの子たちには別の価値を示す必要があると思うんです」

「ああ、それでは…」

「ただ、ゾンビの世界をすべて受け入れたわけではありません。私には、あなたたちのやっていることが、まだ人殺しにしか見えない」

「仰るとおりです。私どもは、自分たちが悪であることは承知のうえで活動しております」

「だから、今のところの私の役目は、あなたたちを監視すること。それでよければ、協力します」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


今日、ひとつの「みらい」が終わった。

その代わり、明日からは「つっこみ」だらけの毎日が始まる。



「ところで…」

つっこみらいは、せんせーの足元にいる犬を指差して、たいちょーに尋ねた。

「このゾンビ犬、名前はなんて言うの?」

「ああ、その子の名前は…」

「うん」

 一呼吸置き、たいちょーは得意気に答えた。


「あぼっけ」

「はぁ?」

つっこみらいの顎が外れ、目玉が片方落ちた。

「あぼっけ!? なんでまた!?」

「わかんない。あぼっけっぽかったから、あぼっけ」


「な…なんじゃそりゃ。」

 つっこみらいは、がっくりと肩を落とした。もちろん文字通り、両肩が脱臼した。

「はぁ… 今度は私がふくたいちょーに縫ってもらわないとね」


(第2話へ続く)

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