第0話 お化けライダーの伝説
つっこみらいがまだ人間だった頃の前日譚。
研究学園を徘徊する暴走族の間には、お化けライダーの伝説があった。
その元となった走り屋ゾンビ・ばらばらいだーの物語。
研究学園は近未来都市だが、怪談話や都市伝説などの非科学的な話も絶えない。研究学園で有名なのは、お化けライダーの都市伝説である。
それは深夜、無謀な運転をしているライダーやドライバーの目の前に現れ、派手に転倒するのだという。慌ててプレーキを踏むも、そこには誰もいない… そんな、どこにでもある怪談話だ。
しかし近年、研究学園ではお化けライダーの目撃談が急増しているという。山間部をうろつく暴走族やローリング族までもが多数目撃しており、遭遇頻度も高いために、彼らの間で畏敬の対象にすらなっているらしい。
これは、つっこみらいがまだ人間だった頃の物語。お化けライダーの誕生秘話である。
*
研究学園は政令指定都市であり、7つの行政区を持つ。近未来都市なのは、中心部の研究学園区だけ。西浦区は、日本最大級の湖・西浦に面しており、その広大な湿地帯を活かしたレンコンの栽培が盛んである。したがって、西浦の田園風景は稲田よりも蓮田のほうが多い。
蓮田は、小さな葉がちょこちょこ出たばかり。最終的には雨傘にできそうなほど大きくなるのだが、それはまだ先の話。その間のあぜ道を、1台のライトバンが走る。しかし、速度が極端に遅く、後続の耕耘機にどんどん抜かれていく。
「なんだおめー、ちんたら走ってんだねーど! 邪魔だろうが!」
そのうちの1台を運転していた農家が、大声でまくしたてながら運転席を覗き込んだ。
「おいおめー、聞いてんのか!」
農家は、耕耘機のスピードを目一杯上げて、運転席を覗き込んだ。
「なんだよ、誰もいねえのか…ぎゃあああああ!」
農家はのけぞり、そのまま運転席から転げ落ちた。その勢いで蓮田の中へ転落し、顔だけ出して呆然とバンを見送った。
ライトバンの主は、大人の男性と中学生ぐらいの少女2人だった。
「あっちゃー、農家の人びっくりさせちゃった! 大丈夫かな、あの人?」
少女のうち、小さいほうが運転している男性に尋ねた。
「顔出してたし、大丈夫だろう」
「せんせー…いくらなんでも、耕耘機に煽られたり抜かれたりって、遅すぎない?」
大きい方の少女も、呆れながら訊く。
「だってたいちょー、危ないじゃないか… こんなところでスピード出したら」
言う通り、男性の運転はおっかなびっくりであった。やたら遅いのに、エンジン音が高い。ずっとローギアで走っているのだろう。
男性の肌はカラカラに乾き、土気色をしていた。しかし、それは男性が緊張しているからではない。なぜなら、彼をからかっている少女2人も同じ肌をしているからだ。皮膚はあちこち裂け、覗く肉はこげ茶色や緑色に光っている。
先ほど、農家の男性が仰天したのも無理はなかった。彼らはゾンビ。ゾンビウイルスに感染し、変わり果てた姿になってなお、現世をさまよい歩く存在である。
「事故ったぐらいじゃ、ゾンビは死なないのに…」
「そういえば、人間だった頃は自転車で通勤してたよね、せんせー」
「せんせーんち、学園中央だから本郷まで40分以上かかるのにね…」
「免許は取ったけど、もう懲り懲りだ。3日に1回ぐらいアクセルとブレーキ踏み間違えるし、窓が狭くて周りの様子もわからない。あのまま乗ってたら、いつか他人様を轢いていたよ。ゾンビになったんだから、車社会から解放されてもいいじゃないか…」
「ぼやかないの。おかげで、美少女2人とピクニックできるんでしょ?」
ゾンビ姉妹の姉・たいちょーは、人間に噛み付いてゾンビの仲間を増やそうとする集団「増やし隊」の隊長である。妹のふくたいちょー、名誉顧問のせんせー、その他、彼女らが仲間にした多数のゾンビたちが、新しい仲間を求めて研究学園中に散っている。人間にとっては、恐怖の「ピクニック」である。
「はい、じゃあ、仲間が見つかるまでおさらい。ふくたいちょー、条件は?」
ふくたいちょーは、聞き飽きましたよという素振りで答えた。
「はいはい。ゾンビ化するのは、人間社会が楽しくなさそうな人に限る、でしょ?」
「そう。ゾンビには、なったら二度と人間に戻れない。人間の世界が楽しいうちは、人間でいたほうがいい」
「もう一つあったよね」
「もう一つは…」
たいちょーは言いかけて、蓮田の中にいるひとりの人間に目を向けた。
「…あんな感じの人…」
指差す先の蓮田から、二本の脚が生えていた。
*
田んぼ道の西浦区に対して、北条区は県内最高峰・北条山を擁する山道である。中高生にとっては、遊ぶ場所はないわ、電車はないわ、バスは2時間毎にしか来ないわと不便な場所でしかない。しかし、バイクを嗜む者にとっては、全国的にその名が知られるツーリングコースである。
北条区は程よいスリル感と美しい紅葉が楽しめるワインディングロード。西浦区は西浦を臨みながらの田園風景。そのうえ都心から2時間ちょっとで来られるお手軽さが魅力である。
しかし、有名だけに良からぬ連中も多い。研究学園は近未来都市である一方、30年前に逆戻りしたような、暴走族とローリング族のたまり場でもある。
大雄院健吾もその一人である。14歳の時にグレて家を飛び出して以来、盗んだバイクで北条山の峠を攻める日々を送っていた。その後逮捕され、少年院を出所したあとは、必死にバイトして金を貯めた。そして、二輪免許を取得。バイクも自分で買った。車種は、小さいころからの憧れだった、佐藤重工の「サムライ」。その後ずっと、彼の宝物である。
しかし、出所しても彼の悪行は止まらなかった。北条山は二輪通行禁止の場所も多いが、彼には関係ない。合法的に、安全に走行できるバイパスなど、彼にとってはあくびの出るようなつまらない道でしかない。彼の遊び場は、その横道にある旧道。愛称・北条山バイオレットロードである。
北条山バイオレットロードは、30年前事故が多発したことにより、現在二輪通行禁止である。標識を無視してやって来るバイク避けに、道路鋲が荒波のごとくうねる。まともなドライバーなら背筋が凍るつづら折りと、追いかけてくるパトカー。しかし、彼にとって、そんなものはちょっとスパイスのきいたスリルにすぎない。
その日も、健吾は北条山でまんまとパトカーを撒いたあと、山を降りて西浦に抜けようとしていた。峠を抜けて平地に出た下り坂は、眼前に広大な西浦と一面の蓮田が広がる、彼の最もお気に入りの風景だ。
また、この下り坂は大きくカーブしている。スピードを落とさずにハングオンで曲がるのはとても気持ちがいい。今日も、いつものようにスピードを上げ、膝どころかこめかみを擦らんばかりに車体をバンクさせる。いつもどおりの光景だった。先日の大雨で、地面に泥が浮いているということ以外は。
「うわやっべ、後ろ滑った!」
案の定、健吾のバイクは後輪が少し滑ってしまった。慌ててブレーキを握りこんだ。
いきなり力いっぱいブレーキをかけるとタイヤがロックしてしまい、充分なグリップが働かなる。教習所でそう教わったはずだが、彼にそんなものを覚えている記憶力はなかった。覚えていたとしても、それを今使いこなす判断力はなかった。車体は止まらず、崖めがけて真一文字に突っ込んでいく。
「嘘だろ…なんでだよ、なんで止まらねぇんだよ! うわああああああ!」
結局バイクはろくに減速せず、横っ腹からガードレールに激突した。彼とサムライはそのまま横に一回転し、空中に投げ出された。西浦の抜けるような蒼い空と、蓮の葉の鮮やかな翠が視界に広がる。だが次の瞬間、見えたのは一面のまっ茶色。
健吾は蓮田に逆さに突っ込み、頭部が蓮田の泥の中に突き刺さった。息ができない。水面に上がるため、手足を動かそうとした。
「え…嘘だろ!?」
体が、動き方を忘れてしまったのか。ほんの数秒前までならできていたことが、何一つできない。
「動けよ、動けってば! このままじゃ死んっちまうよ!」
しかし、手は指先ひとつ、ピクリとも動かない。それどころか、冷たいとも熱いとも感じない。水温む春とはいえ、そこは凍てつくような冷たさのはずなのに。
「なんでだよ…このまま死ねっつうのかよ…」
このとき健吾は頸椎を骨折し、首から下の脊髄を損傷していた。しかし、ろくに勉強をしなかった健吾に、そんな知識はない。
「嫌だ、死にたくない… こんな終わり方なんて嫌だ…ん?」
朦朧とする意識の中、ふくらはぎが引っ張られる感覚がした。感覚神経が麻痺しているのでよくわからないが、何かに噛まれているらしい。
「おいおい、ふざけんなよ…生きたまま、犬かなんかに食われてるのか…」
引っ張られる感覚がなくなった。彼の脚は、すでに感覚もなくなるぐらいに食われてしまったのだろうか。
「これで終わりか…くそったれな人生だったぜ…」
健吾はすべてを諦め、寂静の時を待った。恐怖は自然に薄れ、土と一体になる感じがした。
それはすぐ訪れると思ったが、こうしてみると意外に長い。もう30分ぐらい待っている気がするのに、いっこうに意識を失わない。息ができないはずなのだが、全く苦しくない。むしろ、呼吸など必要ないかのような錯覚を覚える。健吾は動かない首をかしげたくなった。
「なかなか死なねえなあ…どうせ来るならさっさと来いよ、お迎えさんよぉ!」
健吾は、決めた覚悟のやる方がなく、じっとしていた。すると、足の方が掴まれる感覚を覚えた。
「何だ? 俺、引っ張られてるのか?」
そう考え、健吾は気づいた。感覚…さっきまで、もう取り戻せないものと諦めたものが、いつの間にか戻ってきていた。頬に、肩に、全身に、泥や水の撫でる感覚を覚える。しかしそれは、蓮田に湛えられた水が上から下に流れているのではない。自分の体が、下から上に引っ張られているのだ。
水面では、話し声のようなものが聞こえる。
「うんしょ、うんしょ! もうちょっとで頭出てくるよ!」
「しばらく見ない間に、人間は田んぼで獲れるようになったんだね」
「見事に脚だけ生えてたもんな…まさに考えるアシ」
「あの崖からすっ飛んできたんだよね。ガードレールも、バイクもぐっちゃくちゃだし」
「農家の人はお気の毒だね。バイクに突っ込まれちゃあ、田んぼ、使いものにならないよ」
次の瞬間健吾が見たものは、もう二度と見られないと思った、西浦の碧と空の蒼。そして、少女2人の叫びだった。
「よし、抜けたああああ!」
彼は蓮田の水面に叩きつけられた。見上げた空に、燦々と輝く太陽が見える。
「…大丈夫、動いてる。せんせー! 成功したよー!」
「間に合ったか! よかった!」
健吾は、水面に浮いたまま声のする方を振り向いた。先ほどと同じ、少女と壮年男性の声だった。
「ありがとうよ、あんたが助けてくれたの…うわああああ!」
その叫び声は、「命」の恩人に対するものとしてふさわしくなかった。しかし、彼らを恩人と判断するには彼の頭は混乱しすぎていた。なにせ、その体が蓮田の泥にまみれているのはともかく、覗く肉がところどころ腐り落ちて骨が見え、目玉が片方飛び出していたのだから。
健吾はその姿を見て、小さいころにおばあちゃんが話してくれた妖怪のことを思い出した。
「ど… 泥田坊だああああ!」
「なんだよ、失礼なやつ。せんせー、ドロタボウって何?」
「東北地方の妖怪だな。田んぼの中から飛び出して、俺の田んぼを返せ! と叫ぶんだ」
彼らはもちろん、たいちょーとせんせーだ。
「じゃあどっちみち失礼じゃん! 私たち、妖怪なんかじゃないもん! それに、あんただっておんなじような姿になってるよ!」
ふくたいちょーが怒って健吾を指差した。事態をなんとか把握した健吾は、その言葉に腹が立ち、言い返した。
「ああん? 泥まみれは当たりめえだろーが! そうじゃねえよ、あんたらのその腐った…うえええ!」
健吾は、自分の手が、目の前の「泥田坊」と同じになっていることに気づいた。皮膚の色も肉の色も、見たこともないものだった。
「おい…なんで俺、腐ってるんだよ! こうして生きてるのに!」
せんせーが健吾の目をまっすぐに見つめ、答える。
「その通り、生きています。あなたは、半発酵状態の体で永遠に生き続ける存在、ゾンビに生まれ変わったのです」
健吾は真っ青になった。しどろもどろになりながら、なんとか言葉だけは紡ぐ。
「そ、そんなわけねえだろ! ゾンビってのはうーうー言いながらのそのそ歩って、大勢で取り囲んで噛みつくやつだろ! 俺もお前らも、普通に喋って動きまわってるじゃねえか!」
「そんなこと言ったって、現にそうなんだもの。そのゾンビって、映画か何かに出てくるやつでしょ? 現実と違って当然じゃん」
ふくたいちょーはずけずけとものを言う。
「そしたら… 俺はほんとにゾンビになっちまったってことかよ…」
健吾は、泥の上に膝をつき、手をじっと見つめて呆然とした。
健吾はしばらくうなだれていたが、やがて怒りとともに、拳を握りしめて立ち上がった。
「ふざけんな… 俺を… 俺を化物なんかにしやがってえええええ!」
そのまま、目の前にいたふくたいちょーの横っ面を、渾身の右フックで殴りつけた。 ふくたいちょーの体は水しぶきと共に蓮の葉の合間に消え、泥の中に叩き落とされた。
「ちょっとあんた…!」
駆け寄ろうとしたたいちょーを、せんせーが制した。
「たいちょー、ちょっと待ってあげて。ほら、あの人の目」
「え?」
たいちょーは健吾の方を見る。目から怒りの色が消えているのを見て、踏み出した足を引っ込めた。
「ああ…また『気づき』ってやつ? しょーがないな」
こめかみの青筋は消えていないが、たいちょーはせんせーの意図に気づき、そのまま傍観することにした。
浮き上がってきたふくたいちょーを見て、健吾は我に返った。さっきは興奮していて気づかなかったが、彼女は小柄な女の子である。中学生か、小学生でもおかしくない体格である。そんな子が、自分が殴ったせいで、水死体としか思えない姿で横たわっている。殴った拍子にちぎれたのだろう、別のところから、左腕と下顎も浮き上がってきた。
「え、その… ちがう… そんなつもりは…」
サスペンスドラマの殺害シーンのような光景に、健吾も犯人のように青ざめ、言い訳の言葉を探した。しかしその後、ふくたいちょーがゆらりと起き上がったのをみて、安堵の表情に戻った。
「え、あ、生きてる… あの!」
「わかってる。ゾンビになった人は、最初みんなそんな感じになるから」
ふくたいちょーは怒るでも泣くでもなく、淡々と腕と下顎を拾い、あるべき場所にはめ直した。
「いきなり人間じゃなくなって、辛いんだよね」
「ああ…そんでわけわかんなくなっちまって…あんなことを…本当にすまねえ…」
「いいよ。だって…ほら」
ふくたいちょーは、自分の肩口を見せた。先ほどちぎれてすっ飛んでいったはずの左腕が、もう修復され始めていた。
「ゾンビはすぐ体がちぎれるけれど、しばらく経つと再生するんだ。だから、殴られても蹴られても平気なの」
「だからって…。俺は、女の子に手を上げたんだぞ! それも、あんたみたいな小さな子に!」
「それが悪いことだってわかってるんでしょ? それに、ちゃんと謝れた。あなた、本当は悪い人じゃないんだね」
悪い人じゃない。そんな言葉を聞いたのは初めてだった。健吾は、周りも気にせず大粒の涙をこぼしはじめた。
「うっ…ううううう…うおおおおお! …あんた、名前は?」
「ゾンビネームでいい? 私はふくたいちょー」
「俺は健吾ってんだ。ふくたいちょーさんよ…俺、今までワルだワルだと言われ続けて生きてきたんだ。それなのに、自分を殴ったやつにそんな言葉をかけてくれるなんて… 悪いことだとわかるとか、ちゃんと謝るとか、そんな当たり前のことに! うおおおおおお!」
健吾は、小さい頃から親に悪い子だと言われて育ち、家を飛び出したあとは悪いヤツであることがステータスであり、少年院を出所したあとは「元・悪いヤツ」であることをひた隠しにして生き、それでもやり場のないストレスを、違法走行で発散させる日々だった。「悪」のスティグマは、彼の毀誉褒貶のすべてだった。今、ふくたいちょーが言葉をかけたことで初めて、健吾は「悪」と共に「善」という評価基準を持つことができたのである。
「さっきは化物なんて言って悪かったああああ! あんたは仏さんみたいな人だああああ!」
「そんな大それたもんじゃないよ! ただ、私たちには余裕があるってだけだよ」
ふくたいちょーは、ちょっと照れながら続けた。
「人間は、殴られたらけがをするし、場合によっては死ぬ。だから、暴力を許さない。相手のことなんか考えている余裕はない。ゾンビは違う。けがしないし死なないから、暴力を振るう相手には余裕がないんだって、考える余裕がある」
「私たちも、最初にゾンビになった時は、頭がおかしくなりそうだった」
会話が一段落したのを見計らって、たいちょーが入ってきた。
「暴れまわって、せんせーに八つ当たりしたりもした。ここまで達観できるようになったのは、ずいぶん経ってから」
「健吾さん、あなたの意志に反してゾンビにしてしまったこと、誠に申し訳ありません」
続いてせんせーが前に出て、深々と頭を下げた。
「そんな、謝らないでくれよ!」
「たとえどんな形であっても、あなたには生きていてほしかった。その一心で、あなたを蘇らせました」
「今まで、お前なんか死んっちまえって言われてばっかりだった…。生きていてくれって言われたのなんて、初めてだ…」
健吾は感激し、また泣き出した。たいちょーも少し涙ぐんで言葉を返す。
「私たちのやっていることは、どう言い繕っても正しいとはいえない。そう言ってくれると、こっちも救われる。お互い様だよ。ただ…」
たいちょーは涙を拭い、真顔になって健吾の目をまっすぐに見つめた。そのまま腕を引いて、ライトバンの陰に連れて行く。
「ひとつだけ言わせて。これは、私の、姉としてのけじめ」
「ああ。何でも言ってくれ」
「ふくたいちょーはいいって言ったけど、私は、妹が傷めつけられるのを、見ていられなかった」
「わかってる。本当に申し訳なかった」
「私に謝らなくてもいい。ただ、今日のことを忘れないで。妹に手を上げたこと、永遠に後悔して。人間だったら死ぬまででいいけど、ゾンビは死なない。文字通り、永遠だよ」
「ああ、約束する。俺は、小さな女の子を殴り飛ばした最低野郎だ。その十字架を背負いながら生きる」
健吾は、たいちょーと同じくらいまっすぐに彼女を見つめて誓う。たいちょーの顔は笑顔に変わっていた。
「ありがとう、付き合ってくれて。せんせーは、あなた自身に気づいてほしくて、私を止めてたんだ。ちゃんとわかってくれる人でよかったよ。ふくたいちょーの言う通り、あなた、悪い人じゃないんだね」
健吾は、照れて頭をかいていた。
「何言ってんだ、俺はワルだよ。さっきそう誓ったじゃねえか」
*
「はい、じゃあ大倉庫に戻ろう! バイクも引き上げようか。車にウィンチとラダーが積んであったはず」
せんせーが、たいちょーたちを招集した。ライトバンにウィンチが据え付けられ、バイクを引き上げる。その全体像を見るや、せんせーの目が輝いた。
「これ、サトウ・サムライじゃありませんか! うわ、すごいなあ!」
「え、こんなボロボロのバイクがそんなすごいの?」
バイクに興味のないたいちょーは、怪訝そうな表情を浮かべている。せんせーが「すごい」と言っているバイクは、ガソリンタンクがベコベコに凹み、ホイールはひん曲がり、フェンダーやカウルは真っ二つ。サムライどころか、これでは落ち武者である。
「サムライといえば、俺たちの世代じゃ憧れだったんだ!」
先ほどのやりとりで目を赤く腫らしていた健吾が、それを聞いて嬉しそうな表情になった。
「え、わかるんですか!」
「ええもう! 昔マンガで読んだんです。イタリアのスーパーカーとの対決シーンは燃えました」
「フレッチャロッサですよね! 俺もあのマンガに憧れてサムライ買ったんです!」
「いやー、サムライ1100が間近に見られるなんて、感激です!」
「あ…」
健吾の表情が曇る。その後、申し訳無さそうに口を開いた。
「あの…そのサムライ、1100じゃないんです」
せんせーが、露骨にがっかりした表情を見せた。
「え、大型じゃないんですか…ということは400?」
「いえ…250です…」
「ああ、そうでしたか…」
事情を知らない者にとってみれば奇妙でしかない光景に、たいちょーとふくたいちょーは、恐る恐る手を挙げて質問した。
「あのー、ふたりとも。なんでお通夜みたいになってるの? 数字がそんなに大事なの?」
「いや、バイクは数字じゃない。それはわかってる。わかってるんだけど…」
せんせーは、うなだれたままたいちょーに説明した。
「俺たちが憧れたサムライは、排気量1100ccの大型なんだ。400や250は、エンジンを小さくした廉価版だ」
健吾が説明を続ける。こちらは、うなだれるのをやめ、力説する姿勢に変わっていた。
「みんな1100以外を偽物呼ばわりするが、250には250のいいところがある! まず、大型じゃなくて普通二輪免許で乗れる! それに、車検がいらない! サムライ1100は止まらない曲がらないと言われているが、それよりはまだ曲がるし止まる!」
「つまり…」
首を傾げながら聞いていたふくたいちょーが、ぼそっとつぶやいた。
「お金ないから、ちっちゃいのに乗ってるの?」
「うっ…」
「え、どうしたの? 確か、100キロ超えると違反なんだよね? じゃあ、おっきいバイクなんて意味ないし、気にしなくったっていいじゃん!」
「ぐっ…!」
「バイクなんて、走ればどれも同じじゃないの?」
「そんな…」
健吾は、あぜ道に尻をつき、膝を両腕で抱え、体育座りの姿勢になってしょげてしまった。
「ああああ! なんてことを! ふくたいちょー! こっち来い!」
ラダーの上にバイクを乗せながら、せんせーが声を張り上げる。
「え、なんで? 本当のことを言っただけなのに!」
「言っていいことと悪いことがある。お前が言ったのは、バイク乗りを傷つけてしまう言葉だ。とりあえず謝ってこい。詳しくは、後で説明する」
「えー! あのぐらいで落ち込むほうが悪いじゃん…」
バンにバイクを格納すると、せんせーはふくたいちょーの方へ向き直り、少しかがんで彼女に視線を合わせた。
「ふくたいちょー、ポップストリームってブランドのワンピース好きだよな? それを、『ワンピースなんて、やすむらで買えるじゃん!』って言われたらどう思う?」
「うっ…それはやだ…」
「彼にとってのバイクも、同じなんだ。謝ってこい」
「はーい…」
ふくたいちょーは、健吾のところに戻っていった。体育座りから大の字に姿勢が変わっている。
「お帰り。さっきのお返しかい? きっついパンチだったぜ…」
走り屋にありがちな、ポエム臭いセリフで負け惜しみを言う。
「ごめんね、らいだー。」
「いや、いいんだ。俺が精神的に未熟だったのが悪い…って、なんだ、その『らいだー』って?」
「ゾンビネーム。普通は、その人をゾンビにした人がつけるの。今回は、私」
「えらい安直な名前だな。もっとも、あんたも『ふくたいちょー』だもんな」
「なるべくわかりやすい方がいいって、お姉ちゃんが」
「それもそうだな、いい名前だ。さて…車に行こうぜ。本当は俺がバイク積まなきゃいけないんだった。あとでお礼言っとこう」
バイクを積んだライトバンは、せんせーをドライバーに再び走り始めた。
「せんせー、不貞腐れてるうちにバイク積んでもらっちゃって、ありがとうな。お礼に運転代わるよ」
「若いのに遠慮しないで。あんなの、お茶の子さいさいですよ」
「お礼もあるけど…あの、言いにくいんだけど…」
らいだーは、遠慮がちにシフトレバーを指差したが、つい語気が荒くなってしまう。
「あんた、さっきからずっと1速で走ってんじゃねえか! 遅えにも程があるぞ!」
せんせーもムキになり、敬語を使わずに話しだした。
「だって、周り全部蓮田だよ!? 落ちたら怖いじゃないか!」
「蓮田なんだから、直線じゃねえか! 加速できんだろ!」
「蓮田なんだから、耕耘機が飛び出してくるかもしれないだろ!?」
「あんなもん自転車より遅えだろうが! よくそんなんで免許取れたな!?」
「できることなら取りたくなかったよ! 俺は人間だった頃、清く正しいペーパードライバーだったんだ!」
「じゃあせめてオートマにしろよ! なんでわざわざマニュアルに乗ってんだ!」
「オートマは、アクセルとブレーキ間違えたら危ないじゃないか! マニュアルならエンストしてくれるから安全なんだ!」
「いつまでもローで走ってるほうがよっぽど危ねえよ! いいから運転代われ!」
「俺だって、年長者としての責任感というものがだな…」
「そういう御託は、まともに運転できるようになってから言え!」
たいちょーの堪忍袋がそろそろ限界になってきた。
「せんせー! らいだーの言うとおりだよ! つまんない意地張ってないで交代して!」
*
常識的なギアチェンジで走るライトバンの、なんと軽快で静かなことか。たいちょーたち「増やし隊」の面々は、どうにか日が暮れる前に、本拠地・大倉庫へと帰ってきた。
「大倉庫って、ここだったのか…。確か、業務用ショッピングセンターになるはずだったよな?」
「はい。紆余曲折あって、今は我々の本拠地になっています」
バンから降りると、倉庫からゾンビがぞろぞろと出てきた。老若男女、学生っぽいのからフリーターっぽいの、スーツをきたおっさんから主婦っぽいの、なにをやってるか分からないものまで。研究学園は、いつの間にこんな数のゾンビであふれていたのか。らいだーは仰天した。
「たいちょー…これ、全員あんたらが増やしたのか」
「そうだよ。300人ぐらいかな。らいだーみたいに死ぬ直前だったり、ゾンビになるよりひどい目にあっている人間を、スカウトして仲間にするんだ」
「はあ、世も末だなあ…。」
一人のゾンビが近づき、たいちょーに話しかけた。
「ヘイたいちょー、遅かったじゃねーかYO! やっぱせんせーの運転のせいかい?」
「そうなんだよー! でもね、バイクと車運転できる人が増えたから、今度からはもうすこし楽になると思う」
たいちょーは、車にいるらいだーの方を向いた。せんせーと、バイクを出している最中だった。
「こんちゃーっす! らいだーです!」
「ヘイヨー! 俺はでぃーじぇい! それがあんたの愛車かい? おー、サムライじゃねーか! So coolだね!」
「あざーっす!」
せんせーとらいだーは泥まみれのバイクを地面に下ろし、センタースタンドを立て、一息ついた。せんせーが続ける。
「だろ? それなのに、ふくたいちょーったらひどいんだよ。バイクなんてどれも一緒じゃん、だって」
「ヘイ、そりゃーひどいね! サムライは俺も好きだぜ!」
大倉庫の入口付近を物色しながら、らいだーも話に合流する。
「他にもバイク乗りがいるそうだな。ここには、バイクの格納庫があるのか?」
「車庫代わりに使ってる小倉庫があるYO! 修理でも洗車でも、好きにするといいYO!」
「ありがてえ。そうさせてもらう」
*
新入りのゾンビは、大倉庫に来ると自己紹介や歓迎会などがある。しかし、らいだーは断った。一刻も早く、サムライの修理をしたかったからだ。彼は、人間だった頃は板金工場で働いていた。特に腕が立つというわけではないが、自分の愛車ぐらい自分でなんとかしたい。
らいだーは、三日三晩小倉庫にこもり、修理を続けた。ゾンビに睡眠は必要ないので、いくらでも時間をかけられる。
修理が終わったサムライ250は、新品同様とはいかなかった。しかし、タンクは少しでこぼこしている程度だし、カウルも割れ目が目立たないくらいに修繕できている。エンジンも好調だ。少し通じている者にはスクラップ車だとわかるが、普段使いにはほとんど問題ない。彼の経歴の中では、最高の出来だ。
「らいだー! 直ったんだね!」
ふくたいちょーが、後ろから顔をのぞかせた。
「ああ! 見てくれよ、これがサムライだぜ!」
「え…なんか…すっごくかっこ悪い! ひとつ目のサンマにしか見えないよ!」
言ってしまってから、ふくたいちょーは恐る恐るらいだーの方を見た。ところが、らいだーは満面の笑みを浮かべている。
「そうだろ、かっこ悪いだろ? そこが最高にかっこいいのさ!」
「おお! 250でもサムライはいいなあ!」
せんせーが整備室をのぞき込み、感激した。
「『でも』はないだろ、せんせー。サムライは、大型も中型も、たとえ原付が出てもかっこいいんだ!」
「へんなのー。私がこのバイクかっこ悪いって言ったら、大喜びしてたのに」
せんせーはふくたいちょーの言葉を聞くや、大笑いした。
「あはははははは! 確かに、よくわかんないよね。それは、彼がサムライ乗り、サトウ乗りだからさ」
「サトウのバイクは、すごく速えけど、ひと癖もふた癖もあるやつばっかりだ。でも、乗ってると、不思議と愛着が沸いてくるんだよ」
「ふーん、よくわかんない。そんなにいいバイクなら、後ろに乗ってみたい!」
それを聞いたせんせーとらいだーは、青ざめて首を横に振った。
「ダメだ! 後ろに人乗せたことがねえし、そうでなくても、バイクは転ぶ乗り物だ。恩人であるあんたを、危険な目に遭わせるわけにはいかねえ」
「らいだーの言うとおりだ。バイクの二人乗りは、同乗者にも技術が必要なんだ。ふくたいちょーにはまだ早い」
「でも… 私たち、ゾンビなんだから、事故っても大丈夫だよ?」
「ああ、死にゃあしないんだろうさ。でも、あんたのお姉ちゃんは、それでも悲しむだろう。俺はたいちょーに誓ったんだ。二度とあんたを、ふくたいちょーを傷つけないと。」
「へぇー、いつの間にふたりきりになったの? お姉ちゃん、だいたーん!」
らいだーは、顔を真っ赤にした。
「そうじゃねえ! お姉ちゃんはなあ、俺に怒ってくれたんだよ。あんたのために。あんたには、そうやって気にかけてくれる家族が、仲間がいるんだろ? そういう人たちを心配させるようなことは、すんじゃねえ」
らいだーの目は、まっすぐふくたいちょーを見つめていた。ふくたいちょーは、その目に圧倒されていたが、やがて笑顔になって答えた。
「そうか… ありがとう、らいだー。でもね…今の言い方、あなたには仲間がいないみたいだよ?」
「そのとおりだよ。俺は14の時に家を飛び出してから悪党人生でなあ。少年院を出てからは天涯孤独の身だ。人間の世界じゃ俺は『死んだ』けど、泣いてくれるやつなんかいやしねえ」
「そうなんだ。でも、それはちょと違うかな」
「ああん? お前みたいなガキんちょに、何がわかるってんだ?」
「わかんない。ゾンビには人間だった頃の傷なんかわかんないけど…これから、一緒に傷つくことができる。確かに、あなたが『死んで』も私は泣かない。その代わり、『死んだ』あなたと、共に笑うことができる」
ふくたいちょーは、サムライ250の後部座席を、愛おしそうに撫でた。
「らいだー、バイクは転ぶ乗り物だって言ったよね。でも裏を返せば、傷つくときは私もあなたも一緒ってこと。あなたが人間だった頃、危険な目にあってまで見たかったものがあったから、これに乗ってたんでしょ? 私も、それを見てみたい」
「ふくたいちょー…」
「ふくたいちょー、だいたーん…」
後ろで、いつの間にかたいちょーが見ていた。
「からかわないでよ、もう! せっかく、かっこ良くキメようと思ったのに!」
「でも、らいだーもまんざらじゃないよ? ふくたいちょーを永遠に守るって私に誓ったし」
「微妙に変えるな! そういう意味で言ったんじゃねえよ!」
らいだーは、顔どころか耳まで真っ赤になっていた。たいちょーは、にやにや笑っている。
「あー、でも、そうするとらいだー、ふくたいちょーを『傷モノ』にしちゃうんだよね。さっきの誓いはもう破るのかなー?」
「その冗談はもういい! ったく、感動して損したよ…」
らいだーはそっぽを向き、頭を掻いてしばらく考えていたが、やがて真顔になり、向き直った。
「で、たいちょー。真面目な話、ふくたいちょーを乗せるのに俺は反対だ。俺に、後ろに人を乗せる資格はねえ。あったら、あんたらの世話になってねえはずだ」
「んー、ちょっと心配だよね。ただ、そういう自覚があるんだったら、あなたはふくたいちょーを傷つけないと思う」
「いいのか? 信用しちゃって」
「あなたは、ふくたいちょーの為に身の程をわきまえてくれた。それを信じる。それに、ふくたいちょーって、言い出したら聞かないんだ」
たいちょーはそれだけ言うと、らいだーに深々と頭を下げた。
「お願い。妹に、あなたの世界を見せてあげて」
たいちょーは、なかなか頭を上げない。らいだーは、腹を決めた。
「そこまで言うなら…わかった。安全運転で行ってくるぜ!」
*
らいだーのアパートから、せんせーたちが私物を持ってきてくれていた。
「ほら、お古のメットとプロテクターだ。これつけろ」
本当は新しい方を着せたいが、それは3日前に自分でボロボロにしてしまった。
「おお! なんかロボットみたい!」
「で、俺はこっちをつけて…」
らいだーは、3日前に運命を共にしたヘルメットをつける。ふくたいちょーを後ろに乗せると、エンジンをかけた。
「ふくたいちょー、バイクは人と車が一体となって初めてスムーズに動く乗り物だ。後ろに乗っている間、あんたは俺の体の一部になりきって、一緒に動くんだ」
「なんか、言い方がロマンチックだね」
「ああ、ロマンチックで単純だ。俺が右に曲がるって言ったら、一緒に右に傾いてくれればいい。怖かったら言ってくれ」
らいだーはサイドスタンドを払い、ギアを入れた。
「よし、発進するぞ。俺の腹に手を回せ。そこにつかむとこあるから」
「おっぱいは押し付ける?」
「動きにくいから密着しないでくれ。あんたが落ちなければ、それでいい」
「喜ぶと思ったのに」
「じゃあ、降りたら思う存分してもらおうかな! 馬鹿なこと言ってないで出発すっぞ!」
らいだーたちは、ついに公道に出た。周りには人間の車が何十台も走っている。普通ならゾンビが走っていたら大パニックになるが、今の彼らはヘルメットとプロテクターで完全武装している。人間とほとんど区別がつかなかった。
研究学園の市街地は意外に狭く、数分走るだけで、果樹園が広がる牧歌的な田舎道にさしかかった。
「この辺は栗とか梨を育ててるんだよね。社会科で習ったよ」
「俺、学校ろくに行ってねえからわかんねえわ。そういや、小さい頃に親とイチゴ狩りに行ったっけ」
「あ、あっちはブルーベリーだよ! 習ったことが実際に見れるって、楽しいね!」
「なるほどなあ…学校って、そうやって楽しむもんだったのか」
らいだーにとって、勉強とは、親がうるさいから嫌々やるものだった。楽しむという概念など、あるわけもない。
バイクが山道に入る直前、らいだーはその手前の路肩に一旦バイクを駐めた。
「ふくたいちょー、向かって右の標識、なんだか分かるか?」
「うん。バイクは入っちゃいけないんだよね?」
「そうだ。俺は人間だった頃、ここに侵入して、パトカーを撒いて遊んでたんだ。そんでどうなったかは、知っての通りだ。情けねえ話さ」
「今日は入らない?」
「ああ。守んなきゃいけねえもんを背負ってるからな」
「頼りにしてるよ、らいだーの背中」
らいだーたちは直進し、バイパスに入った。このバイパス、一般のドライバーは便利になったと喜んでいるが、走り屋にとってはむしろ邪魔だった。旧道を進入禁止にして自分たちを妨害するために、口実として造ったのだとすら考えていた。だが、今は非常に頼もしい。ふくたいちょーが後ろではしゃいでも、落ち着いて運転ができる。
「おお! トンネルだ! トンネルの電気って、なんでオレンジ色なんだろうね?」
「車の輪郭がはっきり見えるからなんだと。先輩の走り屋から聞いたことがある」
走り屋だった頃のらいだーにとって、トンネルは退屈なものだった。追い越しもすり抜けもできないし、景色も楽しめず、単なる移動のための線だとしか思えなかった。
「登りも曲がりもしねえ、ただの道路がこんなに楽しいなんてな」
「うん。おしゃべりしながらだと、楽しいよね」
「そろそろ抜けるぞ。横風が来るから、しっかりつかまってろ!」
トンネルを抜けると、そこは峠を下りるワインディングだった。3日前までなら、全速力で駆け抜けた道だが、今日は違う。
「この後、カーブが連続する。スピードは極限まで落とす。怖かったら言ってくれ!」
らいだーは、シフトペダルを踏み、ギアを落とした。いつもは、加速のための動作である。しかし、今回は減速のためにそうするのだ。
「右曲がるぞ!」「右!」「次は左!」「左!」「もっかい右!」「右!」
今までのような、派手なバンクはしない。そっと左右に重心を移動させる。ふくたいちょーがついてこられるように。
「こうやって一緒に曲がるのって、気持ちいいね! これが、らいだーの言ってた人車一体ってやつなんだね」
「気に入ってくれて何よりだ。風になるってほどスピードは出せねーけどな」
言いながら、らいだーは今までとは異なる感覚に気がついた。今まで、スピードこそがバイクの醍醐味だと思っていた。それなのに、こんなに遅い運転を心底楽しいと思い始めたのである。
「らいだー。バイク、昨日のせんせーよりゆっくりだね」
「そうだな。ちょうちょが止まりそうだ」
「つまんない?」
「今までだったら、そう答えてただろうな。だが、遅くてもバイクは楽しいってことを、あんたが教えてくれた。それに、バイクは遅い運転にもテクニックがいるんだ。それを楽しむのも悪くねえ」
「バイクって、寒いし暑いし、曲がるときは怖いし。でも、だからこそ楽しいんだね」
ふくたいちょーはヘルメットの下で微笑んだが、路上に何かを見咎めると、唇をきゅっと結んだ。
「らいだー、止まって! これは私の仕事!」
「ああ、わかってる! だがバイクは急に止まれねえ! 少し先で止まるぞ!」
らいだーたちは待避所にバイクを駐めると、先ほどの場所へ急行した。
*
急カーブの曲がり鼻にあるカーブミラー。その支柱が、パールホワイトの塊の中にめり込んでいた。塊はバイク、それもビッグスクーターと考えられるが、前半分が縦に真っ二つになっており、原型をとどめていない。
らいだーとふくたいちょーは、バイクの主を探した。もっとも、ガードレールに赤黒い塊がこびりついている時点で、その行く末は知れた。
「いた、崖下だ! うっ… 見るな、ふくたいちょー!」
らいだーが先に見つけ、ふくたいちょーの目を塞ごうとした。しかし、ふくたいちょーはその手を振り払う。
「私を誰だと思ってるの? 増やし隊にはいつものことだよ」
言いながら、仁王立ちしているらいだーの脇をすり抜け、彼が隠そうとしたものを何の躊躇もなく視野に入れた。
目に入ったのは、若い男女だった。らいだーと異なり、金髪のリーゼントとワンレン、原色の特攻服を身にまとった、古典的な暴走族だ。男性の方は、頭部からおびただしい量の血を流していた。女性の方は、頭の右半分がごっそりなくなっており、脳が見える。
ふくたいちょーは、らいだーの方を向いた。先ほどツーリングをしていた笑顔は、真剣な表情に変わっていた。
「らいだー…初仕事、お願いしていい?」
「こいつらをゾンビにするのか? いいけど、どうすればいいんだ?」
らいだーは早くもガードレールを飛び越え、崖を滑り降りている。
「噛み付けばいい。首筋がいいけど、嫌だったらどこでもいいよ」
「嫌なもんか、俺だって走り屋だ。2人でいくぞ!」
ふくたいちょーは女性の方の頸動脈に、歯を深々と突き立てた。らいだーは男性の方にそっと噛み付いたが、ふくたいちょーを見て力を込めた。
数分間そのままでいたが、犠牲者はピクリとも動かない。らいだーはしびれを切らし、噛むのを中止した。
「…なあ、ふくたいちょー。こいつら、本当に『生き返る』のか?」
ふくたいちょーも口を離し、首を横に振った。
「…ダメ。間に合わなかった」
「どういうことだ?」
「2人はもう死んでいる。だから、ゾンビにならない」
「ゾンビという形でも、死んだら生き返らないんだな。俺は、すんでのところで間に合ったのか」
「うん。山にはこういう人が多い。だから、私たちも巡回を強化していたの」
「知ってるよ。俺自身、仲間をいやというほど見送ったからな…」
らいだーはそれだけ言うと、死体を見つめ、黙ってしまった。
しばらくして、ふくたいちょーが、遠慮がちにらいだーを促した。
「らいだー、行こう。人間の死者は、人間に任せよう」
「その前に、ふくたいちょー。ちょっと考えたことがあるんだが、いいか?」
「いいよ。大体わかるけど」
「この山の『巡回』、今度から俺に担当させてくれ」
ふくたいちょーは、満面の笑みでうなずいた。
*
それから数日後。らいだーたちが見つけた遺体は警察の現場検証が済み、懇ろに弔われた。事故を物語るのは、へこんだガードレールとたむけられた花のみとなった。しかし、それらは暴走族たちへの教訓としてはあまりにも影が薄く、北条山の九十九折りは、驕り高ぶった彼らを餌食にしようと待ち構えている。今日の獲物は、北条区一帯を拠点とする暴走族・舞落駆覇斯の一味である。
「こないだ武龍義流のやつがおっちんだらしいが、俺たちはそんなヘマしねえぜ! いやっほおおおおう!」
大音響と共に、ただでさえ蛇行する道をさらに蛇行する。彼らは、法を犯すことと、危険な道路で危険な走行をすることの、2つのスリルに酔いしれていた。チャッターバーが彼らのバイクを容赦なく跳ね上げる。それは彼らを止めるために設置されたはずだが、当人たちはジェットコースターに乗ったようにしか感じていない。
このままでは、武龍義流の犠牲者と、文字通り同じ轍を踏むのも時間の問題であった。彼らは山を登っているようで、地獄への階段を降りていたのである。
その時、暴走族どもを大外から抜こうとする一台のバイクがあった。姿格好を見るに、自分たちと同じ「族」ではなく、走り屋だろう。車種はサムライ。大きさやブレーキの形状などから、250ccのようだ。舞落駆覇斯の一同はそこまで看破した。
時代遅れのバイクの、廉価版の、さらに廉価版。そんなもので走り屋気取りとは笑わせる。彼らは完全になめてかかり、大爆笑の洗礼を浴びせた。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ! サムライなのに、250かよ! だっせえ!」
「頑張ってサムライ買ったんでちゅね! あんたには原チャの方がお似合いでちゅよー?」
バイクの主はその声を無視し、リーダー格の人物に、一言ぼそっとつぶやいた。
「…お前の未来を見せてやる」
「ああん? うーうー言ってもわかんねえよ!」
そのバイクは先頭に出ると、彼らが先ほどしていたように蛇行し始めた。
「おい、てめー! ケンカ売ってんのか! 上等じゃねえか!」
暴走族のリーダーは逆上し、スロットルを上げて対抗しようとした。
しかし、走り屋は奇妙奇天烈な行動に出た。大きくドリフトしてUターンし、暴走族たちと完全に正対したのである。
「おい…まさか…ほんとにケンカ売るんじゃねえだろうな…」
暴走族が若干ひるんでいる間に、バイクはさらにドリフトし、今度は彼らに横っ腹を見せる。
次の瞬間、彼とサムライ250は大きく転倒した。しかし、暴走族どもに、笑っている暇はなかった。横倒しになったバイクは、彼らの走行線上にあったからである。
「おい、なにやって…うわああああああ!」
すんでのところでブレーキが間に合った。間に合わずに転倒したものもいるが、立ちごけ程度であり、暴走族側に大きな怪我を負ったものは誰もいない。しかし、一名、目を背けたくなるような惨状で横たわっているものがいる。サムライの走り屋である。
「ばっきゃろー! 死ぬなら独りで死ね! 俺たちを巻き込むんじゃ…うわあああ!」
暴走族のリーダーは、その立場に相応しくない悲鳴を上げた。走り屋の左腕は吹っ飛び、左足は変な方に曲がり、右足は取れかけてだらりとさがっている。
「おい…大丈夫かよ…」
大丈夫でないのは、見ればわかる。もはや命はないものと、リーダーは恐る恐る手を伸ばした。
「お前、生きて…うぎゃあああああ!」
リーダーは、3歳児のような悲鳴を上げた。走り屋が、伸ばした手をすさまじい握力で掴んだのだ。
「ひいいいい! 来るな、来るなああああ!」
掴まれた腕を全力で振り回すが、離れない。相手はというと、へし折れたはずの両足はいつのまにか元に戻っており、ゆっくりと立ち上がっていく。ひっかかっていたヘルメットがはずれ、素顔が見えた。
暴走族たちは、自分たちが「度胸」と称していたものが、いかに薄っぺらいものであるかを思い知った。目の前にいるのは、しょぼいバイクで走り屋をきどり、恥ずかしくも自爆事故を起こした若造であるはずだった。それなのに、その顔が原型を留めないほど崩れ果てているというだけで、なぜ全身がすくむのか。
「お、お化けえええええ!」
「いやだもおおおう! おうちかえるううう!」
「お化け」に掴まれた手は、いつのまにか解けていた。暴走族たちはバイクを放り出し、尻に帆をかけて逃げ出した。
暴走族どもを尻目に、先ほどの「お化け」は落ちている左腕を拾い、肩にはめ直した。
「ふう…一丁上がりっと。これで、馬鹿なことをする奴らが少しは減ってくれればいいが」
彼の正体は、走り屋ゾンビ・らいだー。暴走行為や無謀運転をやめさせるため、その末路を、自ら体現してみせることにしたのだった。
*
らいだーはその後も北条山を巡回し、暴走族や走り屋、神風トラックなどに恐怖を植え付け、安全運転を促していた。突然現れ、盛大にすっ転び、体のパーツをぼろぼろ落としては、いつの間にか消え失せる。そのさまは人間からすればお化けにしか見えないが、いずれもゾンビの能力で説明できるものだった。
いつしか研究学園のドライバーやライダーは、彼をおそれて安全運転をするようになった。違法走行をする連中は大部分が足を洗い、研究学園では暴走族の発生件数が激減した。
時は流れ、増やし隊には新しい仲間・つっこみらいが加わった。そんなある日、らいだーは巡回を終え、バラバラにした自分の体を、ふくたいちょーに縫ってもらっていた。
「ふくたいちょー、ずいぶん裁縫うまくなったなあ」
「おかげさまでね。お姉ちゃんも、安心して体のパーツを落っことせるって」
「妙な褒め方だなあ」
談笑していると、新入りのつっこみらいがやってきた。
「ずいぶん派手にやられてるねえ。外に駐まってるオンボロのバイク、あなたの?」
「ああ。あのバイクですっ転ぶのが、俺の仕事だ」
「何、当たり屋でもやって…ん? バイクで転ぶ?」
人間だった頃の反動で突っ込みが大好きになったつっこみらいは、ゾンビ社会のあらゆることに突っ込んで回っていた。彼にもそうするつもりだったのだが、思い当たる節があって、突然考えこんだ。
「そんな話を聞いたことが…あああああ! もしかするとあなた、北条山のバラバライダー!?」
「俺の名前は『らいだー』だ! なんだバラバライダーって!?」
「人間は、みんなそう言ってるよ。北条山に、派手にすっ転んで全身バラバラになる、お化けライダーがいるって」
「へえ。俺ってそんなに有名人なのか」
「有名なんてもんじゃないよ! 事故件数が激減したって、研究学園じゃ交通安全の守り神になってるよ」
「すげえな、俺、神様か」
「警察署のゆるキャラにもなってるよ。ほら、これ!」
つっこみらいは、ハンドバッグにつけていた反射マスコットを差し出した。デフォルメされた、両手両足がバラバラのライダーのイラストが描かれている。
「巡回中よく見かけるなと思ってたら…これ、俺だったのか」
「実在していたとは思わなかった! あとでサインちょうだいね」
つっこみらいは言うだけ言うと、鼻歌を歌いながら去っていった。
らいだーとふくたいちょーは、顔を見合わせた。
「バラバライダー…すげえことになってんな」
「目的は成功してるんだから、いいじゃない。ゾンビネームの方も合わせる?」
「そのほうがいいかもしれないな。俺は、今日から『ばらばらいだー』だ!」
「うん、いい名前。これからもよろしくね、ばらばらいだー!」
ばらばらいだーは、今日も研究学園を駆ける。人間を死なせないために。死にかけた人間を救うために。小さなサムライと共に。
(第1話に続く)