レドニュー
マンホールの中に転落してしまった僕は、終わりのない落下から解放された。
ただし、全身を突き抜ける痛みによって。
マンホール国家
2 レドニュー
……明るい。目を閉じていても明るい。そうか、僕、もうあの世逝っちゃったのかな。ここはあれかな、お花畑か。死んだおばあちゃんが待っていてくれてるかも。そう思って目を開けると、見覚えのない天井。それに、ふかふかとしたベッドの感覚。…あれ?僕が落ちたのは確か…
「お!起きたか!」
「うわあああ!?」
急に視界に現れた見知らぬ男。驚いて立ち上がろうとしたけれども、身体中に痛みが走る。上手く力を入れられずなかなか立ち上がることが出来なかった。見てみれば、身体中包帯を巻かれている。そして信じられない臭い。下水臭い、とは違う。鼻の奥を抉るようなキツイ匂いだった。
立ち上がろうとする僕を見て、男は「まだ動くな、傷が開く」と慌てふためいて僕の身体を押さえた。見た目からしてものすごく力が強そうで、実際も抵抗してもびくともしない。でも、顔つきは穏やかで少し眉毛を下げて僕のことを覗きこんでいた。僕が驚いて言葉も出ずにいると、がちゃりと部屋の扉が開いた。
「…!ちょっと、ニアトン!!怪我人に暴力振るうんじゃないよ!」
「ち、ちが!レビル大尉、これは誤解だ!こいつがこんなに怪我しているのに動こうとすっから…!!」
「いいからさっさとその手離しな!鬱血しちまってるだろ!」
入ってきたのはショートカットの女性。ものすごく…うん、気が強そうな人だ。この大男(ニアトンって言うのか、)もたじたじになっている。そして、ずっと僕の腕を掴んでいて力を入れ過ぎて鬱血していることに気付き急いで手を離した。
青くなっている僕の腕。だんだんと血色を取り戻していく。どくん、どくん、とそこだけ妙に脈打っている。…ああ、まだ僕生きていたんだ。
「…ああ、君!調子はどう?いくら生命維持薬を使ったからってあの高さから落ちたのにこんなに動けるのね」
「……はあ…」
生命維持薬?そんな凄い薬があったんだ。…あ、もしかしてこの酷い臭いの原因かな?しかも落ちてきたのって本当だったんだ。てっきり僕は夢かと思ってたよ。
「やっぱり予言通りだな」
「 “表”の人間はこっちよりも頑丈だとは聞いていたけど、ここ数年で落ちてきて生き残ったのはあなたが初めてよ。もう3日間も眠ったままだったからダメかと思ったわ。」
「…お、“表”…?」
この人たちが一体何を言っているのか僕には全く分からない。予言?“表”?まず、ここがどこだかも分からない。ここは一体どこ?とりあえず外ではないことは確かみたいだ。それに、危険な場所ではないみたい。…さっきこの女性は大尉って呼ばれていたからどこかの軍とか…なのかな。
「回復力が凄まじいわね」
「お前じゃなかったら死んでたかもな!」
「…ちょっと待てください、訳が分からないんですけど。一体ここはどこなんでしょう?」
訊ねると、ニアトンさんとレビルさんははお互いに顔を見合わせて、ニアトンさんは壁に貼られた地図を剥がし持ってきてからおれに答えた。
「ここはイーストレドニュー、『ティネーロ』の行政隊第13支部」
見たことも無い不思議な形の地図を指差されて言われた言葉は、全く聞いた事もないものだった。なんだ、聞いたことないよ…レドニューなんて。言ってみようとしたが思い切り舌を噛んでしまい上手く言い表すことができなかった。
「はは!お前言えてねェぞ!」
「 “表”から来たんだもの、分からないわよね。いい?この地図が……」
きっと僕はちんぷんかんぷんな顔をしていたのだろう、レビルさんは地図を指差しながら説明をしだした。自慢じゃないが僕決してはバカな方ではないから、大抵の説明は聞けば分かるんだけど、今回ばかりはよく分からなかった。見知らぬ土地にいきなり来て、気が動転していたのもあると思うが、本当に分からないのだ。まるでSFみたいな話だから。
聞いた話では、このレドニューという場所は“地表の僕たちが生活する世界と時間を共有している地下の世界”…らしい。さらに、レドニューは東西南北に別れていて、そのうちのレドニューの東に位置するがここ、『ティネーロ』と呼ばれている大きな国家、らしい。地下の世界なんて聞いた事がない。アメリカの映画とかそういうフィクションならあるけど、小学生の時から地球は核があって、岩石が積み重なっていて…と教わっているのだから、地表からずっと下の方にこんな大きな空間があるわけがない。でも、今いるのは夢でも何でもない。この鈍い痛みがそれを証明している。
「つまり、僕は僕の住む世界と違う所に来てしまった、と」
「そういうことよ」
「……何で…」
……冗談じゃないよ。何が僕の住む世界と違う所だよ。そんな夢みたいなことがあってたまるか。きっとこれ、やっぱり夢なんだろう。痛い夢なんてリアルで珍しいな。こういうこともあるんだなー…なんて思ってたら、二人は話を続け出した。
「私たちは行政隊…行政は本部でやっているんだけどね、大体はまあ軍隊で、そこに所属しているの」
「はあ」
「実はこのティネーロでとんでもないものが発掘されてな」
そう言ってニアトンさんはポケットから小さな機械を取り出した。僕が持っているスマホに似ているようで、少し違う。ボタンを押せば、ブーン…と音を立てて立体の映像が飛び出した。所謂ホログラムというもの。3DSなんかじゃなくて、本当に空間に浮き出ている。いくつかのグラフと、何と書いてあるのかよく分からない文字。暗号なのかな、次から次へと出てくる。英語のようだったけど、でも全然読めなかった。文字の形も少しずつ違う。
「…これは一体?」
「ああ、『破壊と再生の予言』の書をデジタル化したもんだ」
破壊と、再生。なんて厨二病チックなものなんだ。でも、先ほどまでへらへらとしていたニアトンさんの顔が険しくなったので、きっとそんなふざけたものではないのだろう。僕は鼻の奥に込み上げてきた笑いを、そっと喉の奥へとしまった。
「ここに書いてあるのは、このレドニューが崩壊することだったのよ」
「へえ……」
「レドニアにはどうすることも出来なさそうなんだ」
「レドニア?」
「レドニューで暮らす人。つまり地下の人間」
つまり、もしかしてこれはこのレドニューに危機が迫っている、ってことなんだな。それからまた話を聞いてみると、どうやら各国家ごとに混乱が起こってレドニュー全土で大戦争が起こり破壊が起こる、そうだ。なんだかとても恐ろしい話だなあ。…よくできた夢だ。
「…それで、僕がここに来たのとどんな関係が」
「そうなんだよ!ちょっと待てよ、」
ニアトンさんは3Dモニターの画面をスライドして、ある画像を投影した。その画像は…今朝起きて、歯を磨きながら鏡越しに眺めていた顔だった。
「……僕、だ…」
見た目も全て、僕そのものだった。眼鏡も、制服も、全部僕そのもの。今日ついていた小さな寝癖まで。どうして僕が…!?
「これ、ウチの…行政隊第13支部の考古学チームがこの『破壊と再生の予言』の書に載っていたデータを算出して、実際に出してみた画像なんだ。そして、この書にはこの人物がレドニューを救うであろう救世主だと書いてあるらしい。」
…これってあれか、RPGとかにある選ばれし勇者!みたいな展開なのか。やっぱりこれは夢だな。だって、僕なんかがそんな役割できるはずがないだろ。今までだって学芸会とかじゃ木の役Dとかそういう脇役だったし。ないな、ない。
すると、レビルさんは僕の手を取りじっと目を合わせてきた。意志の強そうなしっかりとした瞳が僕を見つめる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「きっと君は信じていないかもしれない、でももうこれは本当のことなの。実際私の祖父は地表の人間だった。この地底にレドニューなんて世界があるのは、ありえない信じられないって分かっている。だけれど…こうしてこの世界があるのも、『破壊と再生の予言』の書があるのも、現実。」
「………」
「実際、もうすでにその予言は始まっているの。私たちを統治する国家の主体である行政隊本部は近頃何かが起きているようで国家全体が崩れ始めている」
この目が、嘘をついているのだろうか。こんなに必死に、僕に話をするだろうか。だんだんと強く握られていく手は、とても熱かった。……僕は受け入れたくなかった。でも、これは本当に現実なんだ。僕は何かが原因でこの異世界に入りこんでしまったんだ。しかも、こんな救世主なんて大きな役割を持って。
レビルさんはとても強いまなざしで僕を見つめたまま、僕をベッドから起き上がらせた。ニアトンさんはまた慌てて僕のことを心配していたが、表情は険しいままだった。
「いきなり来てしまって混乱しているのだとは思うけれど、私たちに
はもう時間が残されていない。お願い、君しかいないの」
「…!」
「書にはこうも書いてあった。世界は表裏一体。片方が崩れることによってもう片方もバランスを崩し全てが崩れ去ってしまうだろう。と。だから、このレドニューが崩れることで君の住む世界も大変なことになってしまうかもしれない」
僕の世界が、大変なことになる…?全く想像もできないけど、こんなに真面目にいうのだ。きっと本当に大変なことなのだろう。もしかしたら第二次世界大戦みたいに地球で戦争が起きるかもしれないし、氷河期みたいに気象がおかしくなって僕たちが絶滅してしまうということがあるかもしれない。
でも、僕にそんな世界を救うなんて大役できるのだろうか。今だって、夢とかも諦めて萎えてしまっていたし、何事もただ親の言いなりになって生きてきた僕が、そんなに大事なことをできるのだろうか。
不安そうな顔をしていたのだろうか、レビルさんの手がより一層強く僕の手を握る。
「お願い、レドニューを救うために力を貸してください」
「え、でも、僕なんかそんなの…」
「大丈夫、私たちが精一杯君をサポートしていく。行政隊第13支部が君と一緒に戦う。だから、そんなに不安がらないで」
「はあ…」
「君の名前は?」
―――――僕の名前?………あれ?僕の名前、…何だったんだ?
急に思い出せなくなってしまった。おかしい。自分の名前を忘れるなんて。もしかしてさっき落ちてきたときに頭でも打ってしまったのだろうか。名前を思い出そうとすると頭がずきりと痛む。どうしても、出て来ない。真っ白い頭の中、探しても出て来なかった。
「……分からないです」
「え?」
「僕の名前…分からない」
ふざけているとでも思われるかと思った。でも本当に思い出せなくなってしまった。僕が困惑している様子を見て、レビルさんは嫌な顔をせずに言った。
「そうか…じゃあ仕方がない。また分かったら教えてくれればいいよ。それじゃあ君、のままで呼ぶことになるけど大丈夫かしら?」
「はい」
「よし、じゃあこれから君をこの行政隊第13支部のみんなに紹介しよう。これから君はここで過ごしてくれていい。この部屋も空きだから好きなように使っていいよ」
「まあ、お前ひょろひょろして頼りないからな、おれが鍛えてやるさ」
「え、ちょ、待っ!!?」
鍛えるって、確実に僕、肉弾戦しますよみたいな感じになっている。というか何だか軍隊に入隊したみたいになっている…!と、訴えようとしたが両腕を掴まれてずるずると引き摺られるように部屋から連れ出された。必死に止まろうとしても、まずニアトンさんの力が強くて敵わなかった。そのまま廊下を連れ歩かされ、大きなホールへと連れて行かれた。
ドアを開け中に入ると、凄い数の人たちで中はいっぱいだった。みんな僕のことを見て驚いた顔をしている。そうか、そういえばあの書から割り出されたのが僕で、その僕がいるんだもんな。
スタスタと歩いていくレビルさんの後ろについて行った。すると、ステージへと上り、僕の腕を掴んで高く上げた。
「この人があの『破壊と再生の予言』の書に記されていた救世主だ!予言通り、彼は地表からこのレドニューへと落ちてきた。今この混沌としたティネーロ…それだけではない、レドニュー全体を救う光!しかし、この光はまだ弱く小さい!」
しん、としたホール全体から、どれだけレビルさんが偉い人なのかが分かった。大尉、と言っていたけれど、人望はそんな階級以上のものなのかもしれない。
「私たち行政隊第13支部一同、ここに彼を全力で援助していくことを宣言する!!」
わあああああああと歓声が上がる。あちこちから、声をかけられる。僕にそんな力があるなんて、僕自身信じられてないけれど、こうやって頼りにされたり、期待されたりしてとても嬉しかった。こんな気持ちは久しぶりだった。すごくすごく、気持ち良かった。
厨二感満載ですね。