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白雪の桜  作者: 鷹真
4/9

疑惑

 鬼は、この深い山で暮らす術を兄弟に、根気よく教えてくれた。

 山々の恵を、薬草を、時には毒の知識を、狩りの仕方を、魚の捉え方を・・。

 ありとあらゆる事を、自分の知ることを余すことなく教え、鍛えた。

 鬼と暮らし始めて、数度の冬を越えようとしていた。

 赤く燃え上がる囲炉裏端で、兄と鬼は差し向いに座しながら静かに茶を啜っている時だった。

 穏やかな表情をした鬼は、弟が寝ている奥の部屋をチラリと見やり、それから兄を見据え、安心したかのような笑みを零し、何度も頷く。

 不思議そうに見つめているその視線を、優しく見つめ返し、そしてゆっくりと告げた。

 自分はもう春を迎える事は出来ないだろうと。

 聡い兄は、落ち着いて語る鬼の話を静かに聞いている。

 弟の・・・ハルの心は、弱い。誰よりも脆く、そして、危うい。

 困った様な、泣きそうな様な顔をした鬼は、湯呑みに視線を落としてから、再び兄を見た。

 春になったら、小屋の直ぐ傍らに一本の山桜が芽吹く。ずっと、ずっと見守ってやるからな。

 そう言うと鬼は、彼らが初めて会った時の様に兄の頭を優しく撫でた。


 ハルは小屋の傍らに生えている山桜をジッと見つめて、微かに笑顔になった。

 桜が蕾をつけたよ。初めての蕾が。

 兄弟は、鬼の森のずっと深くに二人きりだった。寂しくはなかった。互いが居たから。そして、今年やっと蕾をつけた桜があるから。

 ハルが生まれてから、11年回目の生が芽吹く季節が巡ってきた。

 閉ざしていた心は、ゆっくりとだが確実に溶けて行った。12歳になるハルは、笑顔を見せるまでになっていた。

 向けられた笑顔に返すように、兄も優しく細めた目をハルに向けて、それから、山桜にゆっくり近寄って、感謝するように、慈しむように、そして懐かしむように、木肌をそっとなでる。

 小声で何かをつぶやいたようだが、ハルは気付かなかった。

 ハルは幸せだった。幼いころの記憶はあまりない。兄と二人でずっとここで暮らしていたのだろうと思っている。

 兄も山桜も大好きだった。他には何もいらない。ずっとこのままで居られたら、それでよかったのだ。


 ハルは恐れていた。兄とずっと二人で暮らしてきた。幸せだった。

 それなのに・・・。

 木々たちが赤く色づき始めた頃、一人の少女が現れた。

 ハルは、いやだった。兄以外、朧にもう一人の大きな優しい手は思い出せるが、それ以外は見た事がなかった。

 正確には、初めて見ると思い込んでいた。なのに、心が軋み、悲鳴を上げそうになる。

 怖い・・・。アレはなんだ?人の形をしたモノ。壊すモノ。・・・怖い。

 優しい兄は、娘を小屋に招き入れた。ハルは怖くて、怖くて奥の部屋の片隅で蹲って、ガタガタと震えていた。

 娘は、ハルの居るであろう奥の部屋を気にしては、深いため息をつく。

 ハルは気に入らなかった、数日間も娘がここに居る事に。

 兄はなぜあの娘を追い出さないのか、なぜ自分に向ける笑顔を娘にも向けるのか。

 怖い・・・。壊される。

 その思いが心を占領していった。

 兄は自分の命が、あとどれほども残っていない事を知っていた。そして、恐れていた、ハルを弟を一人きりにしてしまう事を。

 そんな時に娘が現れた。その娘を兄は知っていると思った。

 ハルが娘を避けている、怖がっていり事は分かっていたのだが、この先を考えると、そうせざるおえなかった。

 この娘なら大丈夫だと思っていた。・・・血の繋がっている、この娘なら。

 兄は弟を娘に託そうと考えていたのだ。娘がまだ幼かった頃に追われるように、居なくなった兄を、弟を探していたと知ったから。

 娘は言った。

 集落では助けられなかった事が今でも悔しくて、情けなくて。見つけられたら、三人で暮らそう。自分も弟を守りたい。そう決めていたと。

 何年も探す機会を窺って、やっと見つけたのだ、家族を。


 ハルは一人ぼっちになってしまった。

 いなくなった娘、それを探す兄。嫌だった。

 兄はなぜ娘を探すのか?今まで通りに二人でいたかったのに。

 そして、ハルが12回目の季節の巡りを数えるころに、兄は亡くなってしまった。

 ハルは・・・・・。


※※※

 カーテンの隙間から洩れる朝の光が眩しくて目が覚めた。

 ゆっくりと、上半身を持ち上げて、まだ微かに寝ぼけている頭を巡らせる。そして、自分の頬をそっと触る。

 僕は、泣いていた。

 頬に触れた指に涙の欠片が付いた。

「どうしたの?怖い夢でも見た?」

 蒼の家に居場所が出来た僕と、押しかけて泊る事になった雪也はリビングの向かいにある客室に二人で布団を並べて寝ていた。

 その雪也が起き上がって、僕の顔を心配そうに覗き込んでいる。

「あ・・。いや。コレは」

 答えきれなくて、しどろもどろになってしまった僕の頭に、また、あの温かい手を置いて、大丈夫だよ。と雪也が微笑んでくれた。

 その優しい笑顔が嬉しかった。

 僕は、大きく頷いて、目をゴシゴシと雪也が用意してくれたパジャマの袖で拭う。それから、布団から抜け出した。

 リビングを覗き込むと、いい匂いがした。僕のお腹は正直だ。きゅうう、と鳴る。

「起きたか。」

 リビングの奥、キッチンの方から蒼が顔をのぞかせて、声を掛けてきた。

 いつもムスっと怖そうなくせに、以外に世話好き?

 そんな事を思っていると、雪也に背中を押された。

「朝ご飯。」

 あんな怖い顔なのにね。と小さめの声で付け足すから、思わず笑ってしまった。

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