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白雪の桜  作者: 鷹真
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はじまり

 雪深い厳しい冬を越え、ようやく木々の新しい生が芽吹く頃、集落でも新しい命が誕生した。久しぶりの赤子の誕生に、誰もが歓喜するはずだった。

 父と母とキョウダイたちと貧しくとも、幸せになるはずだった。

 しかし、子を産んだ母は、生んでから我が子をその胸に抱くことが叶わなかった。己の命と引き換えに、我が子を誕生させたのだ。

 この時代、産後に命を落とす人は珍しい事ではなかったが、集落の女は体が丈夫な者が多いのか、ここ数十年亡くなった者はない。それなのに、死んだ。

 父は嘆き悲しみ、深く深く塞ぎ込んでしまった。

 母の命と引き換えに生れた子。本来ならば、悲しくとも、生れた我が子を大切に育てた事だろう。

 しかし、そうではなかった。

 父親は、子を拒絶した。忌諱したのだ。

 その子の髪の色が、その子の眸の色が、通常のそれよりも赤い。・・・なにより、母親の命を奪った。

 このままでは、折角生まれた命が危うい。

 数えで六歳になる兄は、小さな命の危機を感じて、父に代わり赤子の世話をした。

 家畜の乳を何処からか盗んでは赤子に与えた。雑草や、川の水で飢えを凌ぎながら、片時も赤子から目を離さなかった。

 自身もまだ子供であるにもかかわらず、弟を必死で守った。守らねばならないと思っていた。

 時折、小屋の奥から、覗く者があったが、弟を注視する兄は、気付かない。

 やがて、その子が成長し、歩き回ることが出来るようになったある日、目を離した隙に兄から離れてしまった。

 集落を初めて歩く弟は、自分が疎まれ、忌まれている事を知らない。兄はいつでも優しかったからだ。

 子供らしい好奇心で辺りを見回している子の前に、ふと影が差した。集落の物が数人見下ろしていたのだ。

 その表情を見て、弟は固まった。

 初めて向けられる嫌悪の眼差し。

 背筋が凍りそうだった。どうしていいか分からず、ただひたすら兄を呼んだ。

 声には成らなかった。

 自分が息をしているのかどうかさえ分からない。

 小川の近くの小屋の前でも、風雨をさけるのがやっとのあばら家の隙間からも、あちらでも、こちらでも冷たく刺すような視線。

 それら全てが、凶器だった。

 愛されるべき、慈しまれるべき幼子に向けられていたのだ。

 ・・・全てを受け止めきれずに、何かが壊れる瞬間、兄の声が聞こえた気がした。


 深い緑の競うように高く聳える木々、折り重なるように乱立しているため、昼間でもあまり日の光が届かないのだろう、地面は湿っていて、苔に覆われている。足元に注意していないと、灌木や木の根に躓いてしまいそうだ。

 兄と弟、二人は鬼の森の奥深くを行く当てもなく、ただ、集落から逃げるためだけに彷徨っていた。

 あのままとっさに逃げなければ、きっと弟は人々に嬲り殺されていただろう。ブルっと身を震わせ、弟に目を移す。その顔には、何も映ってはいない様に見える。あまりの恐怖に、弟の中の何かが壊れてしまった。

 ・・・あの時、目を離さなければ・・・。

 兄は幾度となく、自分を責めた。そして、失わなかった弟を見ては、殺されなかった安堵と壊してしまった後悔と織り交ざった複雑な顔をした。

 それからどれくらい彷徨っていたのか、足は頼りなく、歩く事も困難になっていた。深く生い茂る草を掻き分け、折り重なるように生える木々を避ける。いつの間にか、辺りは闇に支配されていた。

 気が付くと、目の前に明かりが灯った小屋が見える。山奥にぽっかりと、切り取られた様な、開けた空間があった。

 兄は迷った。兄は、この森がなぜ鬼の森と言うのかを知っていたからだ。

 鬼の住む森。

 人々は決して、この森には入らない。恐ろしい鬼の住処、禁忌を侵して森に入れば恐ろしい事になる。そう言い伝えられていた。

 しかし、集落にも戻れない。明かりと弟を交互に見やって、ゆっくりと瞼を閉じる、そして、深呼吸をした。弟の人のそれより赤い髪を梳き、人のそれより赤い眸を覗き込む。

 兄の目に堅い決意が垣間見える。弟だけは、この子だけは守ろうと。


 板戸がガタガタと少しずつ開き、中から大きな影が出てきた。板戸を背に立つ鬼の顔は真っ黒な影で見えない。しかし、その大きな体躯が恐ろしいげである。

 兄は板戸の前に悠然と立つ強大な鬼に向かって、ゆっくりと、そして、はっきりと言葉を伝える。

 自分は喰われてもいい、弟を仲間にしてやってくれ。弟だけは、どうか。どうか、助けてやってくれと。

 鬼に情があるのか分からないが、人も鬼になる、そして、その逆も・・・。それに賭けたのだ。

 暫く二人を見下ろしていた鬼が、その大きな手を兄に向かって伸ばして来た。

 兄は恐怖の為、顔がやや強張っていたが、目を逸らさずに鬼の行動を見張った。弟を自分の背に庇いながら。

 切り裂かれるのか、頭をかち割られるのか、極度の緊張が続いて、立っているのがやっとの兄の頭を、鬼は優しく撫でた。

 半ば呆然とする兄に鬼は、目を細め、口元を僅かに上げながら言った。

 人など喰わん。行く所がないのだろう。ここに居ればいい。

 小屋の中に引き入られた兄は、その時初めて鬼の顔が見えた。

 その表情は、鬼ではなかった。優しげで、とても慈愛に満ちていた。

 そして・・・その髪は、眼は・・。

 兄は悟った、鬼がなぜ山奥に居るのか。この山が鬼の森と忌諱されているのか。

 兄は知った。鬼というのは、集落に巣くっているモノなのだと・・。

 それから兄弟は、鬼と山奥で暮らし始めた。


※※※

 昨日から降り続いた雨が止んで、毒々しいほどの朱が辺りを染めつくしている。ただ、なんとなく帰るのが億劫なだけだ。

 しかし、いつまでも残っていても・・・・。そこまで考えていた時、ガラっと、勢いよく教室のドアが開けられ、いつもの声を耳が捉えた。

「蒼!居た!間に合った~。」

 肩に付きそうなほど伸びた柔らかそうな髪を耳の後ろでヘアピンで留めている、この男、朝倉雪也とは、小学校からの付き合いだった。いくら冷たくあしらっても纏わりついてくる。

 俺に話しかけなくとも、この男は友達ぐらい沢山いるだろうに。

 誰からも好かれる奴だ。

 無言で睨んでやるが、雪也はまったく気にせず続ける。

「3組の女の子が、蒼を紹介してくれって言ってるんだよ。」

「断る。」

 冷たいなぁとボヤキながらも、いつもの事なので慣れているのか肩を竦めるだけ。それ以上は言ってこない。

「じゃ、予定変更!俺とデートしよう~」

 一見、女の子と間違いそうな綺麗な顔で笑って俺の腕を掴む。

 強制連行。

 人に関わるは、煩わしい。けれども、雪也にだけは不思議と振り回されてしまう。振り払えばよいのだが、それが出来ない。

「何、言ってんだ。まったく。」

 悪態をついて、嫌そうに顔を顰めてやるが、雪也は構わず俺を引っ張って教室を出る。今にもスキップしそうな雰囲気だ、というか、こいつなら遣りかねない。


 月は頭上高くまで上って、俺を見下ろしている。あいつの所為でこんなに遅くなってしまった。雪也に連れまわされた。

 拒否すればいいだけ。突き放せば・・いいだけ。

 ・・・だが。

 ポケットから携帯電話を取り出して開く。

 はぁ。

 我知らず溜息が盛大に洩れた。受信メールがある事を携帯電話の画面が訴えている。

 煩わしい。

 ここ数日、毎日のようにメールが届く。どうやってメアドを調べたのか、教えていないはずのアドレスに毎日メールを一方的に送りつけてくる。

 勿論、返信などしない。

 この女、頭おかしいんじゃないのか?毎日毎日、ストーカー並みだ。

 受信メールを読まずに削除しながら、俺は気がついた。

 アドレスを変えてしまえばいいのか。変えたところで支障はない。

 改めて、手にしている携帯電話の画面に目を落として時間を確認する。あと数分で日付が変わってしまう。

 仄かに蒼い月を見やって、制服のポケットに携帯電話を無造作に突っ込む。そして、街灯のまばらな、やや寂れた住宅街を自宅に向かって歩き出す。

 突き当りの角を曲がって、数軒先が秋月家だ。家の目の前は、小さめだが、児童公園がある。

 まあ、こんな時間に人がいるはずもないだろうが・・・・。

 と、思っていた矢先、地面に落ちている黒い塊に気がついた。

 ・・・子供?

 公園の入り口付近にあるソレが、蹲るように倒れている子供に見える。近づくと、呻いている声が聞こえた。どうやら、死体ではない。

 救急車を呼ぶべきだろうか・・・。

 少し逡巡し、制服のポケットから携帯電話を取り出す。キーをプッシュしていると、

「だ・・だ・・め・・・。」

 その弱々しい声が、蹲っている少年から発せられたものである事は、間違いない。

 しかし、ダメと云うのは?

「今、救急車呼ぶ・・・。」

 今度は、先程より強く返事が返ってきた。

「嫌・・だ。よ・・呼ばないで・・・。」

 は?近づいて、蹲る少年を覗き込む恰好で膝をつくと、腕を強く掴まれた。少年は俺の腕をつかんだまま・・・気を失っていた。


 暗かった目の前が、ゆっくりと明るくなる。完全に開かれた目に映るのは、まったく見覚えのない天井。

 上半身を持ち上げて、辺りを見回す。ベッドに机、窓際に本棚がある。綺麗に整頓されているが、寂しいくらいに物がない。

 殺風景だ。

 勉強机に学生鞄が乗せられていることから、学生の部屋だということは分かった。

 しかし、自分はどうしてこんな所に居るのだろうか?昨夜にフラフラと歩いていたことは、覚えている。それから・・・。

 不意に部屋のドアが開いた。

「・・・気がついたのか。」

 ・・・誰だろう?

 小首を傾けていると、傍らにその男がやって来てマグカップを手渡してきた。恐る恐る受け取ってみる。

 高校生ぐらいかな?そのグレーの髪は染めているのだろうか?目はカラーコンタクト?整ってはいるが、お世辞にも愛想がいいとは言い難い顔だ。ちょっと怖い。

「・・・ココアだ。」

 思わず、吹き出しそうになった。傾きかけたカップを慌てて両手で支える。木でできたシンプルな机とセットであろう椅子にけだるそうに座っている男の、その相貌から似つかわしくないセリフの所為だ。

 男は不機嫌そうに眉を顰める。

「・・・。」

 が、怒られなかった。ちょっと安堵して、ココアを飲む。

 それから、ゆっくりと口を開く。

「・・・ココは?」

「俺の部屋だ。」

「・・・なんで?」

 覚えていないのか?と男はさらに眉を顰める。

 ・・・皺になって、癖つきそうだ。

 余計なことは言わずに、あんまり覚えていない事を伝えると、男は盛大な溜息をつきながらも、昨夜の事を教えてくれた。

 僕は、道端で倒れてしまったのか。

 救急車を呼ばないで。そう言ったまま気を失ってしまった僕を、渋々・・・そんな事は言っていないが、その顔が物語っている・・・自分の家に連れてきて、介抱してくれた。

「・・ごめんなさい・・。」

 僕は、ハルと名前を告げると、ぶっきらぼうに秋月蒼だと名乗ってくれた。見た目はちょっと怖そうだけど、悪い人ではなさそうだ。

 それに、僕の色の事を何も言わない。嫌悪の忌諱の眼差しではない。

 なにより、僕が大丈夫だ。

 少しの沈黙の後、蒼は落ち着き払って、

「家へ帰れ。」

 蒼は、それだけ言って先程まで座っていた椅子から立ち上がると、僕を見た。



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