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おかるとな彼女  作者:
7/11

飼い犬と僕


「甘い物が食べたいわ」


亘理さんの一言から僕らは今、駅前の喫茶店にいる。僕にはテーブルの上に盛られたタワーパフェ(2000円)を見るだけで胸焼けがしそうだったが、亘理さんはそれを淡々と口に運んでいく。彼女が甘い物を好きだったなんて知らなかったけれど、こんな所に女らしさというか……人間らしさを感じる。

店内は落ち着いた雰囲気だが、駅前という良い立地にあるせいか客も多く、レジに立つ女の子は忙しそうに働いている。店舗規模として大きいものではないけれど、その分従業員も少なければ同じ事というわけだ。

「昨日、赤ちゃんが生まれる夢を見たわ。責任をとって頂戴」

「夢の中の責任はとれないよ」

「それより、困った事があるの」

「それより困る事はなんて、この世にあるのか?」

「佐倉さん……あれから、しつこくて困っているの」

「また魔術か何か?」

「私には彼氏がいると何度も言ってるのに……」

「……あんまり聞きたくないな」

いつもの会話をしながら窓を眺めると、今にも雨が降り出しそうなほど厚い雲が空を流れている。傘なんて持ってきていなかったが、駅は目の前だし家までは濡れて帰ればいいや、などとぼんやり考えていた。

「憂鬱だわ」

そう言って亘理さんの手に持っていたパフェスプーンが止まる。

「佐倉さんの事?」

「それもあるけれど春季球技大会よ。私、運動はあまり得意ではないの」

確かに華奢な体を見ると、およそ運動してきたようには見えないし本人の言うように得意な方ではないのだろうと思う。春季球技大会は年に一度、全校生徒によって行われるクラス対抗の球技大会だ。単純に言ってしまえば運動会みたいなものだが、種目として球技に限定されリレー等は行われない。なぜ球技だけなのか分からないけれど、昔からの伝統行事だそうだ。

「なので私がやる気を出すためにも、ちょっとした賭けをしないかしら?」

「賭け……って何をするんだ?」

「負けた方が勝った方と結婚するの」

「イヤだ」

「あら。負けるのが怖いのかしら?」

「勝つのも怖いよ!? どっちも同じじゃないか」

「では負けた方と勝った方は服を脱ぐというのはどうかしら?」

「何で勝った方まで脱いでるんだよ」

「それじゃ浅木君が脱ぐという事でいいかしら?」

「僕限定!?」


    おかるとかのじょ


その日は春季球技大会を前々から準備していた体育委員の祈りか、それを楽しみにしていた生徒達の願いか快晴だった。日差しは眩しいが初夏の爽やかな風が吹いていて、運動するには丁度良い日だった。とはいえ亘理さんが出る種目は室内球技だけなので、太陽の下で走り回る彼女を見る事はできない。少し残念な気もするけれど、考えてみれば彼女が学校行事でそんな一生懸命に頑張るわけがない。

「裕也君! 絶対優勝しようね!」

「う、うん。頑張ろう」

さすがに体育委員の岸本さんはやる気に満ち溢れていて、その熱い魂は入学して間もない僕達のクラスを十分に盛り上げてくれた。そんな岸本さんという人間は良い意味で目立つ存在で、こういったムードメイクは簡単にできるようで、簡単にできるものじゃない。それを僕は羨ましく思う。

「ええと、朝日さん。裕也君の種目は何だっけ?」

「岸本さんも体育委員なのに忘れたの? 浅木はサッカーとバスケットだからね」

「うん、わかったよ」

同じ体育委員の朝日にも気合が入っているように見える。企画側にとっては僕らに楽しんでもらいたいだろうし、三年生にとっては最後の球技大会なので、その思い出をと考えれば必死になるもの当り前かと思う。もちろんそれは良い事だと思うし、放課後遅くまで学校に残っていた彼女達を思えば心なしか僕自身にもやる気が沸いて来る。

現在、過去を問わず自分の所属する部活と同じ競技での参加は認められない。サッカー部員、またはサッカー部員だった人は球技大会でサッカーには出られないのだ。もちろんこれは技術に差がありすぎて試合にならないという状況を防ぐためだ。更に1人の人間が参加できる種目は最高でも最低でも必ず2つと決まっている。経験が無いとはいえ運動神経には差があり、そういった人ばかりが球技に参加するのではなく全員が洩れなく参加するためだという。そして勝ち試合1つにつきクラスに1点入り、校内全体での総合順位が決められるというものだ。当たり前だが男女は別々に試合をするので亘理さんとの直接対決はない。

体育委員もしっかり考えているんだなと感心してしまう。


開会式もそこそこに終わらせると、試合を行うクラスが体育館やグラウンドに移動して競技が始まる。あんなに燃えてる朝日や岸本さんを見てしまったら学校行事とはいえ面倒とは言っていられない。僕もできる限り頑張ろうと思った。

競技に参加する何名かをクラス全体で応援するという事になるのだが、何十人もの声援を受ける中で試合をするというのは思ったより緊張するものだった。岸本さん率いる我がクラスは岸本さんと朝日のバトミントンのダブルスだけが快進撃を続けていたが、他はお察しの通りだった。

亘理さんはと言うと、やる気がなさそうに卓球をやっていたのを見かけたが、その不機嫌な顔を見るにおそらく晒し者にでもされた気分なのだろうと思う。確かにあの運動神経では憂鬱にもなるのが十分に分かる。そういう僕もあまり貢献できたとは言えず、クラスの皆には申し分けなかった。


やがて春季球技大会の日程は進み、残す試合は後1つという所まで来た。体育館の得点板を見ると、何と亘理さんのクラスと僕のクラスは同点で順位としては最下位だったのだ。これは一体どういう事かというと、つまり次の試合の対戦相手が亘理さんのクラスで、その結果次第で順位が決まるという事だ。負けた方は校内最下位クラスとなり、勝った方はブービーなわけでどんぐりの背比べみたいなものだったが、やはり最後は勝って終わりたいものだ。そこについては最後の試合は岸本さんと朝日によるバトミントンのダブルスなので安心はしている。

もうこの時点でほとんどの試合は消化され、他のクラスや2年生や3年生も暇つぶしにという感じで見に来ており、体育館の中は生徒達で埋め尽くされていた。自分のクラスという事で僕はコート際で応援するのだが、2階のアリーナ席が生徒で埋まっているのを見ると壮観だった。岸本さん達はコートの中でも平然としているが、僕だったらこの雰囲気に飲まれて萎縮してしまうだろう。

やがて相手選手もコートの中に入ったのだが、それはなんとも気だるそうにラケットを手からぶら下げる亘理さんと、何の特徴もない女の子のダブルスだった。

「亘理さん、手加減はしないから」

「そう。頑張るといいわ」

やたら挑発的な岸本さんに対して亘理さんはいたって冷静だった。さもあろう亘理さんごときが頑張ったところで負けは見えている。その表情からは「さっさと終わらせて甘い物が食べたいわ」という声が聞こえるようだった。そして案の定試合が始まってもろくにラケットを振りもせず、適当に来た球を返すだけだった。そのせいでコートの中を走り回る相方の痛々しさに思わず目頭が熱くなる。うん。

とりあえず勝ちゲームとはいえ、僕は同じクラスだからと岸本さんと朝日を応援する。

「岸本さん、朝日がんば……痛っ!?」

ふいに飛んできたラケットが僕の下腹部に直撃する。

「ごめんなさい、手が滑ってしまったの」

亘理さんがゆっくりとコートから出て来て、慣れない手つきで落ちたラケットを拾い、黒く染まった眼差しでニッコリと微笑み僕に言う。

「いけない、いけない。大事なラケットが折れてしまうところだったわ」

危ないところだったが、ぎりぎり急所は外れている。

「こんな応援ごときで僕の将来を人質に取るというのか……」

「本当に、折れなくて良かったわね」


結果は岸本・朝日ペアの圧勝で終わり、両ペアがコートの中央で握手する。

「残念だったね亘理さん」

「2人がかりで偉そうに……」

「ダブルスでしょうがっ!」

岸本さんの返事を無視しながら、亘理さんは握手していた手を見つめながら難しい顔をしていた。


    おかるとかのじょ


先日、春季球技大会が終わり肩の荷が降りたような顔をした2人を見ていると、本当に怪我人も出さず終わる事が出来て本当に良かったと思う。成績としては最下位から二番目と誉められたものではなかったけれど、実際のところ僕等にとって順位なんてどうでも良かった。

行事が終わると一瞬で元の授業ばかりの日常に引き戻されるけれど、彼女達が作ったものはきっと大きな価値があるもので、それらはもちろん彼女達にとってもそうであって欲しいと思う。

「お疲れ様。岸本さん」

教室でぼんやりしている彼女に声をかけた。よくよく考えてみれば春季球技大会の準備と月間テストの勉強で相当忙しかったに違いない。学生の本分は勉強だ、だからこそ委員長を努めるのは岸本さんのような一年生なのだろう。僕自身、委員会には入っていないから分からないけれど、2年生、3年生と進級するにつれ受験が近づくので、こういった行事にも極力参加を控えさせて勉強に専念させる。という意味なのだと思う。

「お、裕也君。ありがと、ちゃんと楽しめた?」

「うん。とても良い思い出に出来たよ」

「……そっか」

よほど疲れているのか返事が上の空な気がする。

「だ、大丈夫か?」

「うん元気だよ。ただ今朝なにか夢を見ていた気がして……」

それが気になるの。と少し照れたように指先で頬を掻いた。

確かに夢というものは不思議なもので、ついさっきまで見ていたはずなのに忘れていたり、ずっと昔に見た夢なのに鮮明に覚えていたり、どんな夢だったのか気になったりするものだ。そしてたまにふっと思いだす。ああ、変な夢だったな。と。


「……夢?」

亘理さんは自分の弁当箱に入っていたピーマンを僕の弁当箱に移しながら聞き返す。

「寝ている間に意識が見せるもので、とり憑いた悪魔や霊を夢の中で見る事があったりするみたいね。夢の中だったとしても姿を現してしまうものは力が弱い証拠だけれど、そんな強烈な夢を見て忘れてるなんて有り得ないと思う。それがどうしたの? 怖い夢でも見たのかしら?」

何となく聞いてみただけだ。別に何かを心配してるわけじゃない。彼女はいつも通り登校しているし普段の様子に変った事は何もない。ただ少し気になっただけなのだ、照れたような顔した彼女の瞳が虚ろだった事に。

僕はううん。と首を横に振って弁当に入ってるピーマンを口に運んだ。亘理さんの話によると、岸本さんのそれはただのオカルトな類とは全く関係なく、ただの日常にありふれたものだ。亘理さんと付き合うようになってから、そういう変な現象がありすぎて何でもそういう風に捉えてしまっているのかもしれない。

(良くないな)

僕は空になった弁当箱の蓋を閉めた。



春季球技大会が終わると、またすぐに月間テストに向けて勉強しなくてはならない。休む暇がないとはこういう事なのだろうと思う。部屋の置き時計が既に0時を指しているのを見ると、思わず欠伸が出てしまう。僕は握っていたペンを机の上に置き、立ち上がってカーテンを開けた。2階にある僕の部屋から真暗な空を見上げると重そうな雲がまばらに流れ、その隙間から月が見え隠れしている。歩道には街灯が点々と続いているが他は車の灯りさえ見当たらない。数学の公式を呟きながら窓を開けたが風はなく、そこには静まり返った街と見慣れた風景が広がっているだけだった。妹は隣の部屋で既に寝ているだろうが、両親はまだ帰らない。そろそろ帰ってくる時間ではあるが、その日によって差があるのだ。

ふぅと息を窓の外に吐いて窓を閉めようとした時、僕の家の一番近くの街灯の下に何かいる事に気が付いた。

それは僕と目があった瞬間にやりと笑い、空を指さして言った。

「良い月が出ているよ、アサギ」



僕の家から駅へと続く道、その丁度真ん中に集合住宅に囲まれた小さな公園がある。

「白石公園」と書かれた看板の横を通り抜けるとブランコ、鉄棒、砂場、が並んでいて、いかにも子連れの母親達が遊びに来そうな公園だ。いや母親連れの子供が、かもしれない。もちろんこの時間では誰1人見当たらないのだが。


「一度これに乗ってみたかった」

と言ってブランコに足をかける朝日によく似たそれは、朝日であって朝日ではない。

「それは立って乗るものじゃない。座るんだ」

僕はそのブランコの目の前にある柵に腰かけて、それと向かい合った。それは僕の方をチラリと見てから、まじまじとブランコの手すりを眺めながら椅子を手で触っていたが、やがて足をたたんでブランコの上にちょこんと座った。

「何で出てきたんだ? イヌガミ」

「宿主様は月夜の晩に狼娘に変身してしまうのだよ。ふふ」

「お前は犬だろ」

「アサギは犬は嫌いか? もしかして猫派なのか?」

「どっちも好きだけど……」

「じゃあワタシは脈アリだな。ふふ」


ふんふんと鼻を鳴らし上機嫌にブランコを小さく揺らしながら、赤く光る瞳を僕に向けた。

「どうしてワタシがここにいるのか知りたいのだろう?」

その通りだ。朝日に憑いたイヌガミがこうして朝日の意識を奪いとるには朝日とイヌガミの感情や考えが一致しなくてはならない、という条件があったはずだった。つまり朝日自身も何かしら僕に伝えたい事があったからこそ、イヌガミはこうして僕のところへやって来たのだろう。

「そんな焦るな。せっかく久しぶりに会えたのだ。少しくらい歓談しても罰は当るまい」

「構わないけど……僕等の会話だって亘理さんには筒抜けだろ? また叱られるぞ」

「心配するな。今日はお忍びだ」

お忍び? お忍びって、亘理さんには繋がっていないという事か? 

もし亘理さんの拘束を受けない事ができるのであれば、それはもはや使い魔というより悪霊に近い。もし今イヌガミが暴れたら、僕にはどうする事もできない。

「もし、ワタシが暴れたら……という顔をしてるね。分かり易い。ふふ。心配しなくてもワタシも鈴の音は苦手だ」

といって僕のポケットあたり視線を向けた。

(鈴の音?)

「元々、イヌガミは呪詛主の拘束を受けにくい式神だ。呪術の媒体となる犬が手に入りやすかったため平安時代に普及してしまっただけで、逆にかみ殺された術者も大勢いる。ただし御主人様の場合は結局、力の差があり過ぎるからね。逆らうような事はしない。それに……」

「それに?」

「ワタシはアサギが好きだ」


ひょいとブランコから降りると、パジャマ姿のイヌガミは白い尻尾は揺らしながら素足のまま鉄棒へと歩いていくので、僕もその後をついて行った。

「ワタシがどうして使役者の拘束を受けないようになったのかは分からないし、こうして宿主様の体を自由に動かす事ができるようになった原因も分からない。今でも少しずつ何かが変化しているかもしれないし、していないのかもしれない」

「何も分からないんだな」

イヌガミは自分の胸くらいの高さにある鉄棒に軽々と飛び乗るように座った。跳躍力もすごいと思ったけれど、あんな細い棒の上に座るバランス感覚も大したものだ。鉄棒の手すりに指を添えながら、楽しそうに足をパタパタさせ、垂れ下がった尻尾を左右に揺らすイヌガミはまるで子供のようだ。

「分からないし、知る必要もない。ワタシは御主人……亘理がアサギを想う気持ちが生んだ霊だ。ワタシ自身がどうであろうと必要とあらば生かされるだろうし、必要がなくなれば消されるだけだ」

それでいい。と呟き鉄棒の手すりをグッと掴みのけぞるように背中を伸ばした。

そして背中からゆっくりと倒れていく。

「あ、あぶな……」

とっさに手を伸ばそうとする僕の前で足掛け後回りのような事をした。ただし足は鉄棒にはかかっていない。鉄棒にただ座った状態で背中から一回転したのだ。オリンピックなら金メダルかもしれないが、人間にそんな事はできないので失格だろう。そんな僕をきょとんとした顔で見て鉄棒から降りた。

「優しいのだな。ワタシを飼ってもいいぞ?」

「僕は亘理さんで手一杯だ。他を当ってくれ」

「……他に行く宛などないのだ」


砂場には集合住宅のどこかの子供が使っていたであろう、オモチャのスコップや小さなバケツなどが無造作に置かれている。イヌガミは僕に背中を見せたまま立ち止まって少し考える素振りを見せた。

「アサギ。ここ掘れワンワンという言葉を知っているか?」

「やめてくれ」

イヌガミは砂場の真ん中で空を見上げた。僕もイヌガミの視線を追って空を見上げたが、僕等を覗く様に雲から顔を出す月と微かな星が散らばっているだけで、特別目新しいものは何もない。

「ワタシは考える」

背中を向けたまま砂場の上でしゃがみ、掌で砂をすくった。

「使役者の拘束から逃れ、宿主……朝日の体を自分の意志で動かすワタシはイヌガミの定義から外れる。誰の拘束も受けず、憑く肉体を求め彷徨うのはただの悪霊だ」


サラサラとイヌガミの指の隙間から砂がこぼれていく。


「ワタシは一体何者なのだ?」


そう言って振り返るイヌガミの瞳から一筋の涙が流れた。


「ワタシは悪霊になんかなりたくない」


イヌガミがどういう過程で拘束から逃れる事ができるようになったのかは僕にも分からない。そしてこれからの変化についても何も言えない。だけど1つだけ分かった事がある。

それはイヌガミは人間に近づいている。という事だ。近づいているという言葉が的確かどうか分からないけれど、それ以外に言葉が見つからない。イヌガミの感情の起伏や仕草は人間のそれと変りがない。

「別にいいんじゃないか?」

「え?」

「亘理さんの拘束を受けず、朝日に憑いて自由に動く霊。それでいいんじゃないか? 僕にとっては悪魔も霊もイヌガミも悪霊も使い魔も全部、同じに見えるよ。だから今までと何も変らないよ」

「……そうか。それで、いいのだな。ワタシは、これで、いいのだな」

イヌガミは手の甲で涙を拭うと、急に立ち上がり笑顔で抱きついて来た。

「アサギにとっては人間も霊も同じなら、ワタシはそれでいい!」

「待て! そんな事は言ってない!」


僕達は公園のベンチに座った。そろそろ両親も帰っている頃だろうと思い、今の時間を確認しようと携帯をポケットから出そうとするが、イヌガミがその手を掴んで首を横に振る。

「それをワタシに見せないでくれ」

「あ、ああ……」

理由は分からないが、どうも携帯は苦手らしい。というより携帯のストラップを指しているであろうか。

「そろそろ教えてくれよ。何しに来たんだ?」

「岸本。という女がいるだろう」

そう言いながら頭に生えた犬のような耳をふにふにと触る。

「その女、また憑かれているぞ」

「え!?」

「亘理は気づいているみたいだが、無視しているみたいだな」

(亘理さん……)

「少しやっかいな霊でな、隠れられていては鳴らない鈴も役には立つまい」

「鳴らない鈴……亘理さんからもらったストラップ?」

苦い顔をして頷くイヌガミを見ると、そうとう嫌な物だという事が窺える。前に岸本さんからコクテンカンギを追い出した時に、亘理さんからもらった鈴の形をしたストラップだったが、そんな効果があったなんて知らなかった。用意周到とはいえ初のプレゼントがこれじゃあ色気がない。が、今はそんな事はどうでもいい。

「じゃあ、亘理さん……あ、そうか」

亘理さんは岸本さんの異変に気づきながらも無視している。いくら頼み込んでも聞いてはくれないだろう。犬猿の仲という言葉があるけれど、まさにそれだ。

「アサギ、何しに来たのか? という質問には今答えよう」

そう言って立ち上がると頭に生えた犬耳をピンと伸ばし、赤い瞳で僕を覗き込んで言った。


「だから、来た」



     おかるとかのじょ


「夢を食べる霊は幾つか存在する。その例としてアルプという悪魔や漠などが挙げられるのだが、岸本に憑いたものはそんな崇高なものじゃなく、かつてはそうだった者の成れの果てだ。ユメクイとでも言っておこうか。アサギは夢をどんなものだと思う?」

「確か寝ている人の意識なんだろ?」

「そう。それを食べられるとどうなるか」

「意識を食べられる……と」

「目を覚まさなくなるのさ。永遠にね」


岸本さんの住むマンションまでタクシーで片道2500円弱、高校生の僕には手痛い出費だったが、そんな事は後で考えようと思った。僕とイヌガミは岸本さんのマンションを見上げた。7階建くらいだろうか? 一見少し古めに見えるそのマンションは、花壇には綺麗な花が咲き玄関周りはしっかりと手入れが行き届いており、近くで見ると思った以上に立派な物だった。

当然ながら辺りには誰もおらずマンションの住人から見れば僕達は不審者に見えるに違いない。かと言ってこんな時間に玄関からインターホンを鳴らすのも、どうかと思った。

「先に言っておくが、ワタシは亘理のような除霊などできない。少々荒療治になるぞ」

「亘理さんのまともな除霊なんか見た事もないよ、大丈夫」

そうか。と言ってイヌガミがふんふんと鼻を鳴らし、ニヤリと笑みを浮かべた。

「2階で良かった」

と呟くと、その場から2階のベランダの一角に飛び乗った。ベランダの柵に手をかけ身を乗り出すと、真下でそれを見上げる僕に手を伸ばす。

「こんな所も登れないとは、人間は不便だな」

「お前が便利すぎるだけだ」

窓からカーテンの隙間を覗くとベットに横たわる岸本さんの姿が見える。イヌガミは中の様子を窺っていたが、やがてパキッと乾いた音を立てながら窓を開けた。窓鍵の部品らしき物が岸本さんの部屋のカーペットの上に落ちたが、幸い起きる気配もなく微かな寝息だけが暗く静かな部屋に響き、窓から差す月明かりが緩やかに僕等を照らしている。

「どうするんだ?」

「ワタシが岸本の中に入って追い出すのだ」

そう言うと少し照れたように僕から視線をそらし、俯いた。

「そ、その……後ろを向いていてくれないか? 今は、み、見えてしまうから……」

よく分からないが、僕はイヌガミの言われるまま岸本さんが寝ているベットの反対方向を向いた。


月明かりが僕の背中から差込み僕とイヌガミの影を作っている。イヌガミとは言っても体は朝日なわけで、そこには2人分の人影があるわけなのだが、部屋の床に映るイヌガミの影が形を変えていった。


僕は思わず振り返ってしまった。

それはまるで蛹が蝶に変体するように、朝日の体から真白な犬の姿をした何かが背中からゆっくりと出てくる。そしてそれは犬と呼ぶにはあまりにも大きく、霊として見るにはあまりにも美しく、そして恐ろしかった。

やがてそれは体を捻るように岸本さんの体へと吸い込まれていく。


僕の目には、普通に寝てる岸本さんとその横でベットに顔を伏せている朝日が映っているだけで、部屋には何の変化もないし、岸本さんの夢の中で今何が起こっているのかは全く分からない。僕は恐る恐る岸本さんの表情を窺ったが特別変った様子もなかった。

が、突然パチリと岸本さんの目が開き、思わず声を上げそうになってとっさに手で口を覆った。

ごろりと顔を横に向けてその目が僕を見つめている。僕自身もその見開かれた瞳から目を離せないでいるのだが、その口からは未だに微かな寝息が聞こえてくる。

「う……」

と小さな声が岸本さんの喉の奥から聞こえた。

すると、覆いかぶさっている朝日を押しのけ、滑り落ちるようにベットの下のカーペットに体を落とした。僕は恐怖に絶句した。なぜなら、そのままなのだ。

目を開いたまま顔を僕に向け、ベットに寝ている状態そのままなのだ。足はおろか手すら使わずに、まるでUFOキャッチャーで運ばれている人形のように、指ひとつ使わずに彼女が動いているのだ。

岸本さんはベットから落ちても尚、僕を凝視し続けていた。そして気づくと彼女は、立っている僕のすぐ足元にまで近づいていた。もちろん同じ格好のままでだ。

それは岸本さんが動いているというよりも、何者かに動かされている。と言う感じだったが目を開き、寝息を立てたまま、同じ格好で動く彼女はあまりにも不気味だった。


(!)


驚いて離れようとする僕の足首を岸本さんの手に掴まれ、バランスを崩してその場で尻餅をつくように転んでしまった。ハッと岸本さんに目を向けると、足首から脛、脛から膝へと這う様に僕の体を登ってくる。それが僕の腰まで登ってきたとき、聞こえてくる寝息の中に小さな鈴の音が聞こえた気がした。


     おかるとかのじょ


「後ろを向いてくれと言ったのに……」

イヌガミはブランコに腰を降ろし、少し照れくさそうに目を伏せ犬耳をふにふにと触った。僕も並んでブランコに座ったが、この椅子は僕には少し狭くて窮屈だった。

「ありがとう、助かったよ」

「助けたのはアサギだ。礼などいらぬ」

足を前に突き出しパタパタ揺らす度、白い尻尾が上下に揺れる。

(触ってみたい……)

「アサギが困った時は力を貸す。ワタシはそんな単純な霊でいい。それだけでいい」

そう言って見上げる空には丸い月が浮かんでいた。



「と、時にアサギよ……」

「ん?」

「き、綺麗だったか?」

「なにが?」


「ワタシの……」



「ワタシの裸は綺麗だったかと聞いている!!」


    


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