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おかるとな彼女  作者:
6/11

本に住む悪魔と彼女

「お兄ちゃん早く起きて。起きないと大変だよ!」

布団の上から美幸の声が聞こえてくるが、日曜日くらい好きな時間に起きたいので絶対に起きるつもりはない。寝不足で瞼が重いので起きられないのが本音なのは昨日深夜まで勉強したのが原因だった。美幸は布団から出ない僕に耐えかねたのか布団越しに僕の体を激しく揺する。

「お兄ちゃん本当に起きないと大変だよ?」

「ほらね。それじゃ手ぬるいのよ。私に任せて」

聞き覚えのある声に体が反応した。いや危機覚えと言った方がいいかもしれない。間髪入れずベッドから飛び起きて辺りを見回すと、驚いたような顔をしている美幸とロープを手に持った亘理さんが残念そうな顔をしている。この不可解な状況を全く飲み込めていないが、1つだけ分かった事がある。

(妹の言う事はちゃんと聞こう)


    おかるとかのじょ


日曜日。学校はもちろん休みで僕の部屋にはなぜか亘理さんが来ていた。白いブラウスを羽織っていて長い黒髪が良く映える。彼氏の僕が言うのも何だが亘理さんは何を着ていても似合うと思う。

「それで? こんな朝早くに何の連絡も無しにどうしたんだ?」

「朝早く? もう昼過ぎじゃない。それに連絡ならとっくにしたわ」

言われてから気づいたのだが正確な時間はまだ知らなかった。時間を確認しようと机の上に置いてある携帯電話を開けると、デジタル時計の数字がもはや13時を示している。その横には不在着信のマークが光っており、それを開き着信履歴の全てが亘理さんからの着信で埋まっているのを確認すると、僕はそっと携帯電話を閉じた。

「先日、浅木くんが原因とはいえ勉強の邪魔をしてしまったのでお詫びにきたのよ」

「お詫び?」

「私の崇高なる知識を浅木君に分けてあげようと思って」

「僕にはオカルト趣味はないぞ」

「勉強を教えてあげる。と言ってるの」


というわけで僕らが向かったのは市立図書館だった。まだ初夏だというのに日差しの熱でアスファルトは燃えるようだった。それに比べて、図書館の中はクーラーが効いていてまるで天国だ。さすがに市立図書館は学校の図書室とは違い規模が半端じゃなく大きい。4階建全てのフロアが本で埋め尽くされていてその数に圧倒される思いだ。各階の入り口には長机と椅子が用意されてあり、その先に貸出し等を行う受付がある。近くには各階へと続くエスカレーターが絶えず動いていて、それらの奥にはもう本棚がズラリと並び目をこらしても最奥の本棚が見えない。

わざわざ勉強するために図書館へ足を運んだのは、僕の部屋という密室で亘理さんと2人きりになる事に身の危険を感じたからなのだが、理由はそれだけではない。

単純に亘理さんと2人で時間を作って外出する事は滅多にないからだ。つまり勉強という口実でいわゆるデートというやつをしてみたかったのだ。もちろん勉強もするつもりだが過去、僕の人生を振り返ってみても女の子とこうして付き合った事はおろか、デートなんてした事はなかったので例えそれが図書館だとしても少し浮かれた気分になってしまうのは当然だろう。

「初デートに浮かれる童貞のような顔をしているけれど大丈夫?」

「だ、大丈夫……」

僕はいつものように何気ない会話をしながら本棚から使えそうな英語の参考書を抜き取る。月間テストの科目は国語・数学・英語・世界史・化学の5教科で選択科目は含まれない。つまり必須教科だけのテストを行う事で1つの学年全体の総合順位を割り出すのだ。それは何のためか? と聞かれれば競争心を煽ぐだとか、順位が低い学生には危機感を覚えてもらうだとかそんな所だろう。


隣で亘理さんが「嘘を見抜く心理学」というタイトルの本に手をかけた時、あっと小さな声を漏らした。

「佐倉さん……私のクラスの子だけれど、浅木君は知らないわよね?」

僕達の立つ本棚から通路は挟んで隣の参考書がズラリと並ぶ本棚を眺めている女の子を指さして言う。眼鏡をかけていて亘理さんほど長くないにしろ、少し長めの髪が綺麗に揺れている。亘理さんと同じクラスという事は僕にとっても同級生なのだろうが、亘理さんの言うように全く面識はない。

「そうだね。僕は見た事ないな」

と、口にした所で気がついた。いや僕は彼女を知っている。と言っても何を知っているというわけではなく先日、学校の図書室に行った時に受付で搬入作業の案内をしていた子だったから見た事がある。ただそれだけだ。

学校では図書室に居て、日曜日は図書館に来て参考書を借りに来ているのだから相当に勉強好きなのだろうか。それとも本が好きなのか……。どちらにせよ僕の知るところではないのだろうが。

佐倉さんは本棚から何かしらの参考書を抜き取り受付に向かった。その際の通路に僕達がいた事で鉢合わせた形になった。

「あ……亘理さん。こんにちは。隣にいるのは噂の浅木君でいいのかな?」

「こんにちは、佐倉さん。ええ、例の浅木君で間違いないわ」

「やっぱりそうなんだ。よろしくね、浅木君」

そう言ってにっこり微笑む佐倉さんに僕も軽く会釈をしながら挨拶を返す。初対面には変りはないが図書室に居た彼女が同級生だと分かると微妙な親近感が沸いてくる。そのせいか分からないし、僕にそういうフェチズムがあるわけじゃないけれど、その笑顔を見てると眼鏡女子っていいものだなと思った。2人の会話から察するに「例の」と告げる亘理さんこそ「噂の浅木君」を作った張本人なのだろうが、それがどんな噂だったのかは気にしないでおく事にする。


「これから私達は一緒に勉強するのだけれど、良かったら佐倉さんも一緒にどうかしら?」

「え……?」

この言葉に驚いたのは佐倉さんだけではなかった。僕もだ。ただでさえ僕が女の子と一緒にいるのを嫌がる亘理さんなのだが、今回は亘理さん自らそういう状況を作ろうとしているのだ。何か企んでいるのか?それとも亘理さんもその空間にいれば許されるという新しいルールなのか?

「私は良いけれど……」

と語尾を濁して佐倉さんが僕の方をチラリと見る。

「あ、僕は全然構わないよ」

「あら。無理しなくてもいいのよ? いつもみたいに亘理さんと2人きりじゃなきゃ嫌で、できる事なら全裸の亘理さんをホルマリン漬けにして部屋に飾っておきたい。そしてもし亘理さんが家族、友人問わず他の誰かと話をしようものなら卑しい嫉妬にかられ魔術でも奇術でも駆使して皆殺しにしてしまうかもしれない。だからこの場は遠慮して欲しい。と言ってもいいのよ?」

間髪入れずそう言って目を細める亘理さんがここにいる。

「ちょ、それ……亘理さん!?」

「あ、あはは……やっぱり私は遠慮しておこうと思うの! うんうん」

「さよなら佐倉さん。また機会があればご一緒しましょう。」

そして僕らは足早に去っていく佐倉さんを見送るのだった。


僕はコーヒーを。亘理さんはカフェオレを注文した。


図書館の中にはちょっとしたテラスがあり、そこでは友人同士が談話したり、家族が軽食などを済ませたり、今さっき借りたばかりの本をコーヒーを飲みながら読む事ができる場所だ。今日が日曜日だという事もあり席はほとんど埋まっていたのだが空いてる席があった事は幸運だった。テーブルを挟んで向かい合う形で椅子に座るとすぐに注文した物が運ばれてきた。

「さっきのは何だよ。僕が完全に変人みたいに思われるだろ」

僕はさっき借りて来た参考書を広げながら言う。

「不完全よりはマシだと思って……」

亘理さんは申し訳なさそうに言って借りてきた本を広げる。

「僕は自分の変人さを完全なものにしようと思った事はないよ。だいたい佐倉さんの事は亘理さん自身が誘ったじゃないか。それなのに僕をダシにして追い払って、亘理さんは佐倉さんと勉強したかったのか、したくなかったのかどっちなんだ?」

「そうね……」

言葉を濁してカフェオレを口に含んだ。

「両方正解が正しいと思うわ。それよりも浅木君、私の簡単な質問に答えて頂戴」

僕の質問を軽く受け流しながら広げた本のページをめくる。

「あらかじめ言っておくけれど、私は嘘が嫌いなの。浅木君の場合どんな些細な嘘でも私に対してついてはいけないの。とりわけその嘘が女絡みであればどんなに天気が良くても赤い雨が降るかもしれないわ。そうなってしまっては大変よね?」

どんどん亘理さんの声のトーンを下げながらペラペラと本のページをめくっていく。僕はまだ熱いはずのコーヒーに口をつけたが温度なんてものは感じなかったし、味も分からなかった。それでも何とかおそらく熱く苦いであろうコーヒーをごくんと喉に通した。

「う、うん。嘘は良くないよ。嘘は。それで質問は何かな?」

「佐倉さんに会った事がなかったというのは本当かしら?」


ぱたん。と音を立て亘理さんは本を閉じた。



   おかるとかのじょ



結局、僕は追試を受けるはめになってしまった。しかも全科目でだ。

他人が聞けば「何をバカな」と言って笑うかもしれないが、何の呪いか僕の右手は浅木沙織としか文字を書けなくなってしまったため、テスト当日には左手で解答したのだが慣れない左手では思ったより書く事に時間が掛かってしまい、解答欄を半分くらいしか埋める事ができなかったためである。

僕の浅木沙織と書き殴られたノートを見てニヤニヤしていた亘理さんに、このままだと留年して亘理さんと一緒に修学旅行も行けなくなるね。と言うとなぜか、その次の日には治っていた。


誰もいない教室でただひたすらに追試の時間を待った。右手さえ使えれば月間テストで赤点なんて取る事もなかったのに無駄に時間を取られてしまったな。などとぼんやり考えていると、ガラリと教室のドアが開き佐倉さんが入ってきた。一瞬、僕は教室を間違えてしまっていたのかと思ったけれど大事な追試の教室を間違えるはずもない。という事は……。

「佐倉さんも追試?」

彼女は恥かしそうに小さく頷いて僕の席から1つ空けて座った。佐倉さんは見るからに頭が良さそうな感じがするのだけれど、こういう人でも赤点を取る事もあるんだなと逆に感心してしまう。人は見かけによらないと言うし、そういう事なのだろう。

「こ、今月は難しかったからね」

口に出してから、しまった。と思った。思わず変な気遣いをしてしまったがよく考えてみれば僕も追試を受けてる身だった事を忘れていた。

「そうなんだ……。私テスト当日休んじゃってて」

と言って少し困ったような笑みを見せる。そういう理屈ならばなるほどやはり佐倉さんは見た目通りらしい。そんな彼女に対してさっき僕が言った言葉は相当情けないものに聞こえただろうが、僕の追試の理由を説明すれば、ただでさえ不完全な変人と噂の僕が完全体になってしまう気がして言うのをやめた。

「亘理さんって……」

「え?」

「少し変ってるよね。浅木君も大変だね」

と彼女は言って微笑んだ。

(何ていい子なんだ!)

亘理さんは校内では目立たないようにおとなしくしている。その亘理さんが僕をどんな風に説明していたのか知らないけれど、それらに違和感を持っていてくれてたらしい。僕は今すぐにでも佐倉さんの手を取り心から「そうなんだ! もう大変過ぎて死ぬ思いだよ!」と言いたかったが、どこで誰が見てるか分からないのでそういう事はしない方がいいと思いやめた。


月間テストかつ追試という事もあり、その内容は濃いものではなかったけれど、さすがに5教科も行うと外は真暗になっており部活をしている学生達の姿も見当たらず、消灯時間まではまだ余裕があるものの一部の先生方を除いて校内にはほとんど人がいない。やっと終わったね。と笑顔を見せる佐倉さんの顔には余裕が見られ、おそらく追試は抜群の手ごたえだったのだろうと思った。

5教科通しての追試で肩が凝ってしまい、肩を回す僕に佐倉さんが言う。

「ねぇ浅木くん。亘理さんってどんな子?」

「ん……佐倉さんが言うように少し変ったやつだよ。同じクラスで女の子同士だし、佐倉さんの方が亘理さんについて分かってるんじゃないのかな? 僕は彼女が何を考えてるかも分からないくらいだよ」

「そんな風に言ったら亘理さんが悲しむよ、ちゃんと彼女を見てあげないとね」

僕はあっと口に手を当てた。確かに佐倉さんの言う通りで亘理さんが聞いたら悲しむような。いや怒るような物言いだったかもしれない。佐倉さんとはまだ少ししか話はしていないが、それでもその僅かなやり取りの中で彼女の聡明さと物腰の柔らかさが伝わってきて、僕と同い年とは思えない。

「この間、亘理さんと一緒に図書館で勉強していたみたいだけれど、浅木君は勉強が好きなの?」

「いや、勉強は好きな方ではないかな」

「そう……」


私も。と一言残して彼女は席を立った。


   おかるとかのじょ


教室の机を挟んで僕と亘理さんは弁当を食べる。それはいつもの光景で僕は前の人の席に座っていて、僕の椅子には亘理さんが座っている。それも変らない。ただこの日の彼女はいつになく上機嫌だった。


「浅木君、私はとんでもない本を手に入れたの」

「何なに?」

これよ。と言って一冊のノートを取り出し、僕の目の前でそれを広げた。そこにはノートいっぱいに書かれた浅木沙織という文字がある。なんとこれは誰かの呪いのせいで書かされた僕のノートだった。

「ちょ……何でそれを亘理さんが持ってるんだ!?」

僕は取り返そうと手を伸ばすが、すぐさまノートは亘理さんの鞄の中に消えて行った。

「浅木くん、確かに私達が結婚して籍を入れる事があれば私は亘理沙織から浅木沙織になるのだけれど、こんなノートいっぱいに書かなくても……これはさすがの私でも少し恥かしいわ」

恥らうように俯きながら僕の方をチラチラ見る。

「それに物事には正しい順序というものがあるじゃない」

「順序の前に正すものがあると思うんだ」

「浅木君は野球チームを何組作るほど子供が欲しいの?」

「そんな単位は聞いた事がないし、そんな先の事は今話す事でもないだろう」

「あら。誰も将来の話なんてしてないわ」

「そこが現在なのか!?」

「童貞のあなたには分からないかもしれないけれど、世の中にはできちゃった婚というものがあるのよ」

「最低でも9人も生んでるのにできちゃったはないだろ。無理だよ」

「……そうだったの? ごめんなさい」

「無理ってのは機能的な意味じゃないぞ!?」



ふぅと息を吐いて空になった弁当箱を鞄にしまう。時計に目をやると午後の授業まで時間があるけれど特にする事もないなと、背もたれに体を預けてると亘理さんがふいに立ち上がった。

「少しお勉強してこようかしら……」

そう言って小さな香水のような物を鞄から取り出す。そのビンの中には見た事のない植物が入っていて、その濁った香水のような水の中に浸してあるようにも見える。それの蓋を開け、中に入っている水を自分の手にかけながら僕の隣を通り過ぎて行こうとする。

「亘理さんどこ行く……うわっ」

通り過ぎていく亘理さんを目で追いかけていると、椅子の背もたれに体重を乗せ過ぎてしまい椅子と共に背中から倒れてしまった。幸い頭は打たずに済んだけれど肘や肩が痛む。


そして体を起こしてから気づく。


教室に誰もいないのだ。さっきまでいたクラスメイト達全員が消えている。若干乱れた机や椅子、文字が書かれた黒板、食べかけの弁当や学生達の上着を見ると今さっきまでいた教室と全く同じだが、その中で人だけがいなくなっている。皆どこへ消えたのか? 学校はどうなってしまったのか? いや恐らくどうにかなってしまったのはきっと僕の方だ。

「ごめんなさい。汚してしまったわね」

と言って少しかがんで僕の顔にかかっていた水滴を拭ったのは亘理さんだった。

「亘理さん……これ……?」

「魔術式の中だけれど浅木君に分かりやすく言うならば、結界の中とでも言っておきましょうかしら」

「何で結界なんて張ったんだ?」

「私達はその中に入っただけ。結界を張った人は私じゃないわ」

そう言ってスタスタと教室から出て行く亘理さんの後を僕は慌ててついて行った。

教室以外もやはり人はいなかったけれど、この空間に現実味がないかと言えばそうではない。廊下の壁を叩けばこんこんという音がするし、ちゃんと靴が鳴らす足音も響いている。そして開け放たれた教室や職員室のドア、体育館に転がるボールが妙に生々しく見えるのだ。ただしこの世界から人だけがごっそり抜け落ちたかのように消えてしまっている。

「何のためにこんな事を?」

「それは分からないわ。この魔術に似たものは幾つか知っているけれど、これ自体は私も初めて見るものなの。だからちょっと得体が知れないわね。うふふ」

そう言って笑みを浮かべている亘理さんが少し怖い。

符術でもないし円環? 黒柱と白柱は校内のものを使うはずだから・・・ああでも三角陣も見当たらないわね。などと校内を歩きながらぶつぶつ言ってたが、やがてはっと何かに気づいたように顔を上げて歪んだ笑みを浮かべる。

「見つけた」


    おかるとかのじょ


「四大元素武器、祭壇、柱、四大旗、法衣、外套、香炉、聖水、油、蝋燭、ラメン、王冠、頭巾、ランプ・・・棒に剣と杖。そんなもの学校に持ち込むなんて大変だものね。佐倉さんは本当に賢いわ。ここならば全部揃っているものね。ただし絵だけれどね」

亘理さんの声に佐倉さんが振り返る。

誰もいない図書室に佐倉さんが1人だけいた。長机が三角形に並べられていてその上には幾つかの本が開かれた状態で置かれている。それらには先ほど亘理さんが言っていたものが写真や押絵ではあるが確かにそこに存在する。

佐倉さんはさっと身を固めた。その態度には頑ななものを感じる。

「亘理さん、浅木君、どうやってここに来たの? 私の邪魔しに来たの?」

「そんな事するつもりはないわ。私は私の知らない魔術を勉強しに来たのだけれど・・・タネが分かってしまえば下らないのもね。見ててあげるから早く終わらせたらどう?」

そう言って亘理さんは図書室のドアの近くにある受付に腰掛けた。それを警戒するようにじっと見つめていたが、やがて一冊の本を長机で作った三角形の中心に置いた。

「佐倉さんは何をするつもりなんだ?」

「本の中に悪魔を入れる魔術ね」

「悪魔!? 何でそんな事!?」

「それは彼女に直接聞かないと分からないわよ」

図書室の中だと言うのに微かだけけれど肌に風を感じた。それは次第に強くなっていき開かれた本の写真の蝋燭に火がついた。決して本自体が燃えたというわけではなく、ただの蝋燭の写真が火のついた蝋燭の写真に変ったという事だ。やがて閉めていたはずの窓がガタンという大きな音と共に勝手に開き、強風と呼べる程に凄まじい風が流れ込んで来る。その風で、すごい速さで置かれている本のページがめくれていくのだけれど本自体は机の上から全く動かなかった。

その中で佐倉さんが何か呟くと、幾つも置かれていた本のページが破れ何枚もの紙が風に煽られ、宙を渦を巻くように舞った。風が凄まじく目を開けているのが辛い、更に破れ飛んでいくページで視界が悪くなっている。僕は思わず手を目の前にかざした。


「見て、浅木君」

と亘理さんが指さしたのは、三角形に並べられた机の中心にある本だった。見える。かざした指の隙間からその本の上に黒い人のような形をしたものが体を震わせながら立っているのが見える。目や鼻や口はなく顔の輪郭さえ分からない。足は普通に2本あるのだが腕はなかったし、もちろんこれも真黒で関節なども確認できなかった。不気味に体をブルブルと震わせ目のない顔で佐倉さんを見ている気がする。

「ソネイロンの最下級悪魔ね。その本で何をしようと勝手だけれど浅木君には近づかないでね」

そう言って亘理さんがひょいと座っていた受付から降りた時、黒いものは佐倉さんを見下ろし何か呟くと、まるで溶けていくように本の中に吸い込まれて行った。それと同時に次第に風は止んでいき宙を舞っていたページがひらひらを床に落ちていく。

佐倉さんはその本を拾うと大事そうに胸に抱えた。

「佐倉さん、それをどう使うんだ?」

佐倉さんはゆっくりと僕の方に顔を向けたがその表情からは何も読み取れなかった。達成感からなのかひどく呆然としてるように見える。

「浅木君……私ね、勉強が嫌いだった。小さい頃からずっと嫌いで嫌いでたまらなかった。でも両親は勉強しないとダメだって私が好きだった小説も全部捨てられちゃった・・・」

「え……?」

「これでも私、中学校までは成績良くてね。高校受験も問題なかったんだよ? 本当にいつの間にかなの。いつの間にか先生の言ってる事が分からなくなっちゃってて……」


あ……。

追試受けて……あれ……休んだ……嘘?


「嫌だな嫌だな。って思っていたら……本当に何もかも嫌になっちゃってね……」

佐倉さんの目から涙が零れ声が震え出す。

「どうせなら、いっそ……って思っちゃったんだ。私」

今度は写真じゃなく三角形に並べられた机の上にある本自体が燃え出す。その中心には悪魔が憑いた本を抱えた佐倉さんがいる。完全に炎に囲まれた状態になってしまったのだ。それでも彼女は呆然とした表情で涙を流したまま動かない。

「なるほど、こういう使い方なのね」

「邪魔しないでね亘理さん。私の望んだ事なの。誰にも迷惑はかけないから」

邪魔なんてしないわ。と亘理さんが冷めた目で佐倉さんを見つめる。

「わ、亘理さんどうなってるんだ?」

「今度は佐倉さんが本の中に入るみたいね」

「自分が? そんなバカな事って!」

床に落ちていた破れたページが燃えていき、紙と木の焦げた匂いと黒い煙が図書室の中を満たしていく。思わずむせ返ってしまう程に苦しいはずだが、亘理さんは平然として佐倉さんの持つ本見つめている。段々とその火は激しさを増し本棚やカーテンにまで燃え移り、図書室全体に広がっていく。

「そんな事やめろよ。おかしいだろ?」

「浅木くん……本の中は楽しい事やわくわくする事ばかりなんだよ? 私はその中で生きたいの」

轟々と音を立て辺りが燃え出す。本棚は崩れ佐倉さんを囲んでいた机もその原型を留めておらず、燃え広がった炎によって今にも天井が崩れてきそうだった。煙と炎の中で佐倉さんの声だけが聞こえる。

「さよなら。亘理さん、浅木くん」

使命感だとか正義感とかそういうものではなかった。なかったけれど……。

(こんな事ってあっていいのか!?)

「亘理さん、何とかならないのか!?」

「ダメよ邪魔したら。さっき佐倉さんにも釘をさされたでしょう?

「でもこんな事ってないだろ!?」

「……」


亘理さんは黙ったまま僕の横を通り過ぎて、燃え盛る炎の海を歩いて行く。彼女が歩く道は炎が消え佐倉さんのいる場所に容易にたどり着いてしまった。そして表情を強張らせた佐倉さんに顔を寄せる。

「ごめんなさいね。私の旦那はワガママなの。友情と愛情の板ばさみで私も辛いわ」

「……。邪魔するの?」

「いいえ、ただ友人として一言忠告してあげようと思って」

「……」

「あなたが持っている本の中は、本当に楽しい事やわくわくする事ばかりなのかしら?」

「え?」

亘理さんはそう言って佐倉さんが胸に抱えていた本を指で少し開いた。するとさっきの黒い顔が僅かな隙間から幾つも溢れ出してきた。佐倉さんは思わず、ひっ。という短い悲鳴を上げ本を手元から落とした。開かれた形で地面に落ちた本から黒い影が這いずり出て佐倉さんの足を掴み、徐々に本の中へと引きずり込んでいく。

「あ……あ、あぁ……」

佐倉さんの顔は恐怖に怯え歪み口からは嗚咽のような声が零れた。その佐倉さんを冷たい目で見下ろしながら亘理さんがさよならと言った時、急に本へ引きずり込むスピードが速くなり瞬く間に腰まで本の中へと沈んでしまった。恐怖に目を見開き、掴みようもない平らな地面を手で探りながら彼女は叫んだ。


「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


佐倉さんの叫ぶ声に思わず駆け寄ろうとした僕を見て、亘理さんは少し嫌な顔をしながら崩れてなくなってしまった長机のあった場所の一角で、何もない宙に向かって右足を蹴り上げた。


瞬きした瞬間、僕達はいつもの図書室にいた。その長机で本を読んでいる学生がいるのにも関わらずそれに足をかけている亘理さんと、図書室の真ん中で、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている佐倉さんが横たわっているのは、僕にとっても他の学生にとっても異様な光景だったろう。


    おかるとかのじょ


「結界と言っていたけれど本来はあれは魔術式といって魔術を行うための空間の事なの。その中ではどんな事をしても壊れはしないわ。でないと佐倉さんみたいに燃えちゃうような魔術なんて安心してできないでしょう?」

「じゃ、どうやって壊したんだ?」

「中から壊せないけれど、外からは非常に脆いものなのよ。魔術式は微妙なバランスで構築されている、だからこそ少しのズレで崩壊してしまうわ。魔術は誰にも見つからないように行うという鉄則はそのため。誰かに結界を作るものを壊されちゃって、出られなくなっちゃったら大変でしょう?」

「それが長机?」

「それだけじゃないわ。壁にかけられた時計や校舎の支柱等も応用されてたし、奇跡のような魔術式だったわ。あんな自然に日常に組み込めるなんて大したものだわ。でも、それが少しでもズレたら……」

「恥かしい思いをするわけだな。……痛てて嘘ウソ冗談です! それにしても本の中か……」

「長谷川くんのベッドの下に隠してあった本」

「なぜそれを……日曜日か、くそっ。でもあれなら後悔しないかもな」

「女の顔は全部私の顔に張り換えました」

「……」


「佐倉さん、どうしてこうなっちゃったのかな? 何がいけなかったんだろう……」

「決まってるでしょう」


「勉強不足よ」


魔術の? 学校の? 

僕の質問はこの本に閉じ込めておこうと思う。



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