絶望に満ちた暗闇の果てより
世界が終わる直前。貴方なら、どうしますか?
***
もし、もうすぐ世界は終わるのだと知ってしまったら、人は一体どうするのだろうか。
ああ、そんなテーマを掲げた本や映画は探せばいくらでも出てくるだろう。それくらい、人々が一度は考えることだと思う。
何をするか、何を考えるのかは、彼ら彼女らに残された時間にもよるかもしれない。それが訪れるのが一週間後なのと明日なのでは、人々のとる行動も随分違ってくるだろう。
残された時を精一杯生きようとするか、思い残すことが無いようにやりたいことを全てやるか、それは人それぞれ。
だが、どの人間も共通してとる行動が二つある。
一つ目、絶望し諦めること。
二つ目、無駄と知りつつ足掻くこと。
どちらが先か、は人によって違う。諦めながらも最後の瞬間には無様に泣き喚く人間もいれば、足掻いておきながら最後には諦めてしまう人間もいる。
それは推測や予想ではなく、事実。この目で見たことなのだから……聞いた人間は俺の頭がおかしいのではないかと思うだろうが、決して間違いではない。
物心ついた頃から、俺には人の「終焉の間際」が視えた。いつでも、というわけではない。誰かに初めて会うときだけ、その『誰か』と向き合った瞬間、相手が歪む幻が視えた。
誰一人として、例外なく、足掻き絶望し諦めて、最後には狂いゆく。
初めてその幻を俺に見せたのは、両親だった。俺を抱き上げた両親の、歪む姿が最初の記憶。けれどその恐ろしさに身を竦めれば、二人は何事も無かったかのように俺をあやしてきたのだ。
どんな人間も同じだった。親戚は言うまでも無く、保育園の保母さんも学校の教師も、例外なく……
ゆえに、幼い俺は悟った。強い人間などいない、と。どんなに強い人間でも、どんなに偉い人間でも、最後に取る行動は等しく醜い。
ならば――どうして、彼らを愛することが出来よう。どうして、彼らを尊敬することが出来よう。
当然と言えば当然の心理。俺が人に絶望するまで、そう長い時間は必要無かった。
そうして、十数年。高校二年になった俺は、当然のようにクラスで――いや、校内で孤立していた。
***
「あ、あの……」
そんな控えめな声にちらりと視線だけを向けると、机の傍に一人の女子生徒が立っていた。
「何」
そっちを向きもせずに一言だけ返すと、彼女はびくりと肩を震わせた後、おずおずと告げる。
「み、海藤君、図書委員だったよね? その、私もで……今日、委員会あるから、あの」
「知ってる」
「うあ……あの、そ、そうじゃなくて! その、私、用事があって! だから委員会、代わりに行ってくれないかなって」
「俺も、用事あるんだけど」
呟くと、彼女は青ざめる。
「あっ……そそそ、そうなんだ! ご、ごめんね、それじゃ良いの! 友達に頼むね!」
「それ、わざわざ俺に報告してどうすんの?」
「ごっ……ごめんなさいっ」
逃げていく彼女を見もせずに、俺は荷物を持って立ち上がる。途端、ざわめく教室内。
「こっわ~……」
「何もあそこまで冷たくすることないよね……かわいそー」
「ほんと何なのよアイツ……何様のつもり?」
「しっ、聴こえちゃうよ!」
しかし俺は彼女らをも無視し、教室を出る。
用事など無かった。だが、あの教室に……否、この学校にこれ以上長くいるのは耐えられなかった。
自分の醜さすら知らない奴らに囲まれるのは、俺には耐えられなかったのだ。
学校を出てしばらく歩くと、目の前に見える小さな図書館。駅前にある大きな図書館に客を取られてほとんど誰も来ないここは、人を避けるには絶好の場所だった。
しかし……読書を初めてしばらく経った頃、入り口の方から足音が聞こえた。思わず見ると、ちょうど入ってきた一人の女性と目が合う。
「っ!」
「あら」
いつもの……『終わりを視てしまう』恐怖から、目を逸らす俺。対照的に、女性は面白そうに微笑んで俺に歩み寄る。
「珍しいわね、ここに私以外の人が来るなんて……こんにちは」
「……」
無視して本に視線を戻すと、女性は何がおかしいのかくすくすと笑みを零す。
「人間が好きな人間なんていないわ。皆心のどこかで、人間なんかいなくなればいいって思ってる。なのにそれを自分も知らずに、あの子が好きとか嫌いとか……だから、人間なんて大っ嫌い。だけど貴方は、自分が人間嫌いだと知っているのね。それを隠そうともしない。だから好きだわ」
「……何か矛盾してないか、あんたの言ってること」
嘆息するが、女性は笑顔のまま。
「そうかしら?」
「それと、俺が人間嫌いだと分かっているならいきなり告白してくるのも止めてくれ。迷惑だ」
そのまま話を打ち切って読書に戻ろうとするが、彼女がそれを許さなかった。俺の腕を掴み、覗き込んでくる。
俺は慌てて顔を背ける。だって、そうしないとまたあの視たくもない幻が――
「……っ」
視え、なかった。いつまで経っても彼女は微笑を浮かべたまま、ただ俺を見つめてくる。
それはつまり、この女性は世界が終わる直前もいつも通りにしているのだということで、この女性は世界が終わることを少しも恐れていないのだということで、それどころかむしろ――
「自己紹介、しておきましょうか。私は高崎いずみ。ついこの間、大学を卒業したばかりよ。貴方は?」
「……海藤晶。海に藤って書いてみとう、水晶の晶であきら」
「そう。よろしくね、海藤君」
微笑む彼女を見ていると、どうしても自分が視たものが……いや、視なかったものが信じられなかった。
彼女が、終末を望んでいるなど。
***
「……へぇ、じゃあ凄ぇお嬢様なんだ、高崎さん」
彼女と出会って一週間が経った。出会い方こそ衝撃的だったものの、今まで出会ったことの無かった『醜くない』人間に、俺は生まれて初めて興味を抱いた。
毎日。他に人のいない寂れた図書館に、ただ俺と彼女の話し声だけが響いている。
「ええ。おかげで働かなくても食べていけちゃうから、困ってるわ」
「何で? 人間と関わらなくて良いんだ、良いことだろ」
「海藤君は正直ね。だから好きよ」
苦笑する高崎さんに、俺は眉を顰める。
「……高崎さんさぁ、人間嫌いな未成年男子を口説いて楽しい? いい加減俺をからかって遊ぶのは止めたら?」
「あら酷い、本気なのに。人間嫌いなのも、私から見れば物凄く美点だわ」
「余計に性質悪いし。後さ、人間嫌いってことは高崎さんも嫌いなんだーとかそういう考え方は出来ないの?」
「……考えてなかったわ」
目を見開き、頬に手を当てる彼女に俺は嘆息。
「しとけよ」
「だって、嫌いじゃないでしょう? 海藤君の人間嫌いの原因は知らないけれど、私は除外されたはずよ」
「その自信はどこから」
「私が名前を訊いた時に、海藤君が答えてくれたから」
「……そっすか」
俺より六歳ほど上とは思えない。
「それに、年上好きでしょ? 海藤君」
「違ぇよ!」
思わず叫ぶが、彼女は嬉しそうに笑う。
「……何?」
「海藤君が叫んだの、初めてだわ」
「…………」
***
彼女とは色々なことを話した。例えばそれはそれぞれの家庭の事情であったり、いかに学校がつまらないかについての議論であったり、人間の醜さについての議論であったり、かと思えば互いの食べ物の好みについて批判し合ったり、好きな本であったり、とにかく何でも話した。
なるべく早く人間から離れたいのならと彼女に諭され、今までに比べれば少しだけ柔らかく、他人に接するようになった。いつしかクラス内での俺の評価は変わっていった。俺自身が孤立を望んていたため近寄る人間もいなかったが、俺に向けられる視線は敵意では無くなった。
俺が変わったのは間違いなく彼女のせいで、彼女と俺の距離は次第に縮まっていった。
けれど俺は決して、初めて出会った時の彼女の言葉の意味は訊かなかった。
けれど彼女は決して、俺が人間を嫌う理由は訊かなかった。
その暗黙の了解は、けれど突然崩れ去る。
***
「いずみさんさぁ、もしも近い将来世界が滅びますよって言われたら、どうする?」
出会ってから半年が過ぎた頃。唐突な俺の質問に、彼女は目を丸くした。
「どうしたの、突然」
「良いから。人間って奴は最終的に足掻いて諦めて狂って終わりを迎えるんだけどさ、いずみさんは違う気がして」
そう、ずっと気になっていた。彼女だけは、こうして訊かなければ知ることが出来なかったから。
もちろんこうして訊いても本音で答えてもらえる保証などどこにも無いのだが、それでも訊かずにはいられなかったのだ。
何よりも先にあの『幻』から人との出会いが始まっていた、これまでの人生があったから。
それを知らないまま彼女と共にいるのは、俺にとってどこか落ち着かないものがあったのだ。
「世界が滅ぶ前に……ねぇ」
視線を宙に彷徨わせる彼女にふと視線を向け――俺は、思わずビクリとする。
口元には、確かにいつもの微笑みが浮かんでいるのに。
どこまでも冷たく、感情と呼べるものが一切浮かんでいない空虚な瞳が、そこにあったから。
「い……いずみ、さん?」
「どうしたの、晶君」
にっこりと。微笑む彼女は、恐ろしいほどにいつも通りの温かい表情で。
「いや……何でも無い」
「なら良いのだけど。そうねぇ、その質問の答えは『内緒』かしら。きっとすぐに分かるわ。いいえ、分からなくても教えてあげる。晶君のことは大好きだから、晶君にだけは教えてあげるわ。約束する」
「……え?」
その言葉の意味を理解する前に、彼女は立ち上がる。
「じゃあね、晶君。また会いましょう」
一方的に告げて出ていく彼女を、俺は呆然と見送る。
その日から、彼女は図書館に来なくなった。
***
「あ、あの……」
そんな控えめな声にちらりと視線だけを向けると、机の傍に一人の女子生徒が立っていた。……確か、同じ委員会に入っている少女である。
「……悪い、考え事してた。何?」
彼女の方に視線を向け、訊ねる。が、彼女が答える前に、思い出す。
「ああ、今日委員会だったっけ。ごめん、俺用事あるんだ」
言うと、彼女は微笑む。
「そうなの? それじゃ友達と一緒に行くから大丈夫。ごめんね、時間取らせちゃって」
「いや……じゃ、また明日な」
「うん、またね」
少女から視線を外し、荷物を持って立ち上がって、普段のように……けれど半年前とは明らかに違った感情を以てざわめく教室を横切る。
「海藤君、何か雰囲気変わったよね」
「ねー。無表情なのは変わらないけど、ちょっと柔らかくなったっていうか」
「うん、優しくなったよねー。相変わらず誰ともつるんでないけど、そこも格好良いかも」
「しっ、聴こえちゃうよー!」
いや、だから聴こえてるし……などとは言わず、教室を出る。
人間は醜い。自分が醜いことすら知らない彼らは、とても醜い。けれど醜いだけではないのだと、教えてくれたひとがいた。
彼女が姿を消して二週間。
ようやく、俺は彼女と再会した。
暗い路地裏。横たわる『何か』。赤黒い水溜まり。
二週間ぶりに会った彼女は、体の至るところを赤く染めていた。
「……いずみさん」
「あら、晶君。久しぶりね、こんばんは」
口元だけで微笑む彼女の、しかし瞳はどこまでも暗く、虚ろで……しかし俺はそこには触れず、地面に横たわるものを指差す。
「それ、何?」
「猫」
「生きてんの?」
「殺したわ」
「そっか」
短く答えるいずみさんに対してこっちも短く返すと、彼女はこくりと頷く。
「ねぇ。私、二週間前に言ったわよね。晶君にだけは、全部教えてあげるって」
「言ってたな。何、教えてくれる気になったの?」
「ええ。……まずは晶君の質問に答えておくわね。もしも近いうちに世界が滅びると言われたら、私は」
言葉を切った彼女の、空虚な笑みが深まる。
「喜ぶわ。大歓迎。世界なんて滅んじゃえば良いのよ」
「……」
いやまぁ、そうだろうなーとは思ってたけど。でもそれを可愛らしい笑顔で言わないでいただきたいものである。……俺も人のことは言えない、か?
「私はね、晶君。物心ついた時から、人の本音が見えたの。大好きって言いながら心の中で嘲ったり罵ったり、そんなのばかり見てきたの。人間は嘘吐きの醜い生き物なんだって、幼稚園に入る頃には知ってた。自分もまた嘘吐きじゃなきゃ生きていられないことも、嫌というほど思い知っていたわ」
自嘲。まさにそう呼ぶのが相応しい形に歪む、彼女の表情。独白は続く。
「だからね、貴方と出会ったときは、本当に驚いた。本音が聞こえない人間なんて、貴方が初めてだったの。貴方は人間が嫌いだって感情を隠そうともせずに曝け出してた。誰にも嘘を吐かずに生きていた。とても眩しく見えて、思わず話しかけてしまったわ。
ねぇ、晶君。貴方には、世界の終わりが見えるのでしょう?」
投げかけられたその問いに、そこまでばれていたのかと俺は苦笑。
「正しくは、その瞬間に相手が取る行動……かな」
「そう。それで貴方は、人の醜さを知ったのね」
足元に横たわる猫の死骸を見つめて呟く彼女に、俺は訊ねる。
「で? 今の話とその猫、何か関係あるのか」
「ちょっとだけ。……あのね、世界、滅ぼしちゃおうかなって思って」
絶望とも哀しみともつかない表情。
「私の家、お金だけはあるでしょう。だから、ちょっと裏ルートとか駆使して頑張れば、核爆弾とかだって手に入っちゃうんだ、って気付いて……大学でそういうの研究してたから、頑張ればそれを改造出来ることも、気付いちゃって」
息をつくように、彼女は嘆息する。
「でもね、本当に私はそこまで非常になれるのかな、って。いくら大嫌いでも、二十年以上過ごした世界を、私は捨てられるのかな、って。だから、試してみたの。猫、大好きだから。
……だけど、簡単に、殺せちゃった」
震える彼女の声。地面にぽたりと落ちた雫に気づかないふりをして、俺は問いかけた。
「……いずみさんさ。本当は、止めてほしいんじゃないのか?」
「違う!」
俺の声を振り切るように、彼女は首を横に振る。
「違う、違う違う! 嫌いよこんな世界、大嫌い! 嘘吐きしかいないこの世界なんて大嫌い! だから壊すの、止めてほしくなんかない!」
「そしたら俺も死ぬけど」
「一緒に死ねるなら、幸福でしょう?」
「嘘だね」
俺はにやりと笑い、彼女の腕を掴んだ。
「あんたが知らないはずがないんだ。こんな嘘吐きで醜い人間しかいない世界でも、生きていることは楽しいって……俺に教えてくれたいずみさんが、それを知らないはずがない」
「…………っ」
脱力し、そのまま膝から崩れ落ちようとする彼女を、俺は慌てて支える。
「馬鹿っ、気をつけろって。下、血だまりだぞ」
「……知ってるわ」
溢れ出る涙を拭おうともせずに呟く彼女に、俺は黙って続きを促した。
「知ってる……生きていることは、楽しい。それくらい、知ってるわ。でも、それでも人と接するのは辛いの」
「だろうなー、俺だっていまだに吐きそうになる」
頷くと、いずみさんは弱弱しく微笑んだ。
「だったら、分かってくれるでしょう? そんな世界に、意味なんて――」
「あのさ」
彼女の言葉を遮るように、苦笑交じりに呟く。
「俺、最近思うんだけどさ。俺たちは暗闇しか知らないから、世界が澱んで見えるだけで……光を知ってる他の奴らからすれば、世界って最高に輝いてるんじゃないかな」
「……?」
何が言いたいの、とでも言いたげに俺を見上げる瞳に、微笑を向けて。
「俺たちは暗闇の果てにいて、光なんて知らないけど。それを知っちゃいけない道理はないだろ? だったらいつかきっと、分かる日が来ると思うんだ」
「……だから、それまで耐えていろというの?」
「まさか」
俺は笑い、彼女を正面から見つめる。
「探しに行こう、光を。この、絶望に満ちた暗闇の果てから出て。一人だと辛いだけの道も、二人なら楽しいはずだから。他の奴らが見ている、輝く世界を見に行こう」
差し伸べられた俺の手を、彼女はしっかりと握りしめた。
猫は二人で頑張って誤魔化したみたいです。
……というわけで、本編に入れると雰囲気壊しそうだった補足からあとがきを始めてしまいました。高良です。
かつてないほど更新ラッシュですが多分今後は無いと思います。ぶっちゃけこの話、今日〆切でしたから。書き上げたの昨日の深夜ですから。頑張ったよね私。
さて、今回は世界を滅ぼしたり滅ぼさなかったりするお話でした。
作中でも語っている通り、割とよくあるテーマですね。ちょっとこの作品とはズレてしまいますが、『終末もの』という一つのジャンルとして確立すらしているくらいです。
このお話の主人公である晶君は何を思いながらそういう作品を読むのかなー、とか考えてみたり。
でも実際、誰かと出会うたびにいきなり相手がキレたり暗くなったりして最終的に発狂したら……どうでしょうね?
彼にとって全ての人間の第一印象は等しく『発狂してた』なのです。
そりゃ人間醜い! とかってなるよね。
対し、いずみさんは人の本音が聴こえてしまいます。全く隠し事をしていない人なんて滅多にいませんから、恐らく人と話すたびにその人の本心まで聴こえちゃう状態。それでも晶君とは違い、彼女は頑張って人と接し続けました。
だからこそ、晶君より早く限界を迎えてしまった。
彼女にとっての幸いは、そんな彼女の隣で晶君がちゃっかり立ち直っていたことでしょうか。
ところで晶君、ちゃっかりプロポーズしてるよね。
さて、そんなわけで『絶望に満ちた暗闇の果てより』、お楽しみいただけたでしょうか。タイトル長ぇ。
世界とか自分の生き方とか、そういうのをちょっと考えちゃった方が一人でもいてくだされば嬉しいです。
最後に、あとがきまでしっかり読んでくださった皆様に感謝を。相変わらず詰め込んでてごめんなさい。今回セリフ長いところばっかりだね。
ではでは。