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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第8章 戦時の大和~1944年
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第93話 バグラチオン作戦(後)

 第93話『バグラチオン作戦(後)』



 1944年3月20日

 ユーゴスラビア王国/ベオグラード


 3月1日に発動された『バグラチオン作戦』はその後、3つの戦線を形成した。レニングラードを主軸とする“北部戦線”、ワルシャワを主軸とする“中央戦線”、そしてベオグラードを主軸とする――“南部戦線”である。EU(ヨーロッパ同盟)とソ連軍の間で繰り広げられた“まやかしの戦争”――『冬戦争』から約8ヶ月、戦火は北欧からポーランド、そしてルーマニア、ユーゴスラビア王国へと飛び火し、いよいよヨーロッパは世界大戦の様相を呈してきたのである。

 3月15日、ソ連南部方面軍はルーマニアを占領した。これは、EU軍の中核を担うドイツ・イタリア軍にとっては、死活問題であった。何しろ、ルーマニアは両国最大の石油供給国である。これをソ連軍に掌握されてしまったということは、近代軍としての終焉にさえ繋がりかねない事態だった。石油が無ければ戦闘機も飛ばず、戦車も自動車も動かない。危機的事態だった。

 その継戦に支障を来すことを逸早く察知したイタリア軍は、ルーマニア解放に向けた軍の派兵を決定する。これまで、対ソ戦に積極的な介入を見せなかったイタリアとしては、今回の一件が如何に堪えたかということを物語っていた。イタリアは史実とは違い、重工業化を著しく推進させ、軍の近代化も押し進めている。また資源開発にも積極的で、既にリビアの油田地帯を採掘し、石油を得ていた。しかしそれでも著しく発展しているイタリアの需要を満たす量としては程遠く、やはりルーマニアの石油は必要不可欠であったのだ。

 3月18日、ソ連南部方面軍はユーゴスラビア王国に侵攻を開始する。またハンガリー・ブルガリアに対しても、少数ながら軍を差し向けた。その一方、EU軍はイタリア軍を主力とするEU第7軍団(ドイツ軍・アルバニア軍・ギリシャ軍含)をユーゴスラビア王国への支援のため、派兵する。

 ソ連南部方面軍は30個師団95万名と、北部・中央方面軍と比べれば兵力は乏しく、また機甲戦力についても不足する分があった。しかしソ連軍最高司令部(スタフカ)はドイツ軍が2戦線で手一杯であり、南部方面にまで有力な戦力を引き抜くことは出来ないだろうと踏んでいた。事実、ドイツ軍は激戦地レニングラードとポーランドで多大な戦力喪失を被っており、しかも国の財政はいよいよ崩壊の兆しを見せつつあった。ドイツ軍は早急に戦線を広げ、ソ連から資産を回収しなければならなかったため、南部方面に手が回る状態では無かったのだ。

 だが、そのまま手をこまねいている程、ドイツ軍は甘くはない。ルーマニアの占領は全戦線における継戦能力の欠如を招く事案であった。そこでドイツ総統ヒトラーはイタリアのムッソリーニに協力を要請し、本国に残る予備兵力をルーマニア解放のため、差し向けることにしたのだ。


 

 1944年3月19日、イタリア軍は南部戦線の橋頭堡であるユーゴスラビア王国からソ連軍を駆逐すべく、EU第7軍団は攻勢を開始した。アンドレイ・エレメンコ大将を総司令官とするソ連南部方面軍(ユーゴスラビア王国侵攻軍)の陣容は、15個狙撃兵師団、2個自動車化狙撃兵師団、4個戦車師団、1個空挺師団の計22個師団67万名である。

 これに対し、EU第7軍団は44個歩兵師団(伊26個、独12個、希6個)、6個自動車化歩兵師団(伊4個、独2個)、8個騎兵師団(伊4個、独2個、希2個)、13個装甲師団、(伊8個、独4個、希1個)、7個山岳兵師団(伊4個、独2個、希1個)、2個空挺師団(伊1個、独1個)の計80個師団146万名であった。各戦線同様、戦力では優位だった。

 では実力は……というと、これもピカイチであった。イタリア軍は指導者ムッソリーニによる古代ローマを模した戦闘教義により、個々の戦闘能力で言えば世界最高峰の能力を有していた。特に近接戦闘においては向かう所敵なしであり、コンバットナイフ1本でソ連兵30人を戦死させたという驚異的な事例が北部戦線に展開するイタリア軍から挙がっている。


 

 1944年3月20日、ユーゴスラビア王国の首都ベオグラードでは、EU第7軍団とソ連南部方面軍が激突、大規模な市街地戦を展開中であった。その戦闘の一角がここ、共和国広場にて繰り広げられている。ミハイロ・オブレノヴィッチ3世の銅像を前に銃弾と砲弾が飛び交い、国立劇場にはオーケストラの荘厳な旋律ではなく、爆撃と砲撃の爆発音が絶えず轟いていた。建物という建物は、ソ連軍の爆撃機とT-34中戦車の猛攻に崩れ去り、無残な残骸を残している。通りを走る路面電車は横転し、遮蔽物としてイタリア兵が利用していた。

 そんな中、ソ連軍の新型重戦車である『IS-2』は暴虐の限りを尽くしていた。主砲たる48.5口径122mm戦車砲はユーゴスラビア王国軍のⅢ号戦車の薄い装甲を引き裂き、ギリシャ軍兵士を肉塊に変えてしまう。ドイツ軍はⅥ号戦車『ティーガーⅠ』でこれに対抗しようとするも、精密なエンジンと貧弱な足回りがこの怪物の機動力を損ない、恰好の標的に仕立て上げていた。

 ティーガーⅠが大破し、炎上する。主砲88mm砲は衝撃と熱によってぐにゃりと折れ曲がり、その装甲側面部には大きな穴が開いていた。戦車の支援を失ったドイツ兵は、一目散に退散する。その一方、ソ連兵はIS-2重戦車の庇護を受けつつ、敗走するドイツ兵を追い詰めた。

 「ティーロ(発射)!!」

 刹那、1発の砲弾が共和国広場を駆け抜ける。それはIS-2重戦車の硬い前面装甲をいとも簡単に粉砕し、ソ連の怪物を仕留めた。これにドイツ兵の足が止まり、ソ連兵の足が止まる。狐狩りでも楽しんでいたかのような様子だったソ連兵はここで“獲物”へと逆転してしまったのだ。ソ連兵は悲鳴を上げ、泣き叫び、銃を捨て、死に物狂いで遁走する。その背後に迫り来るは狡猾な狐にあらず。『アリエテ』の名を冠する鋼鉄の怪物達であった。

 イタリア陸軍第132装甲師団『アリエテ』。イタリア陸軍最強の戦車師団であり、最精鋭であった。彼等が有するのはイタリア陸軍が開発した新型重戦車『P43』である。1943年11月に制式採用されたばかりのP-43は、イタリア軍最強の戦車であった。主砲には『アハトアハト』で有名なドイツ軍の88mm高射砲に匹敵する“53口径90mm高射砲”を転用したものを採用し、その破壊力はティーガー戦車と肩と並べる。更にティーガー戦車の設計をその車体に反映し、より優れた傾斜装甲を実用化している。

 そして何より、P43は『ディーゼルエンジン』を採用する重戦車であった。これはガソリンエンジンを採用するティーガー戦車とは異なる点であり、もっとも大きな差である。ディーゼルはガソリンと比べ、燃費効率や航続距離に決定的な差が生まれる一方、その開発が難しいものであった。しかしイタリアは各国に先駆けてディーゼルエンジンの開発を行っていた。そして『日独英伊軍事同盟』では英国のディーゼル技術を貰い、EU(ヨーロッパ同盟)結成後は、英仏独との共同開発により、ディーゼルエンジンの実用化を押し進めていた。これにより誕生したのが――『ディーゼル・ティーガー』ことP43である。

 このP43の成功を受けたイタリアは、既に次の重戦車――P45『カエサル』の開発を進めている。このP45という重戦車は、史実の『センチュリオン』に匹敵する戦車であり、その設計も酷似していた。



 また空においても、ベオグラードを巡る戦いが繰り広げられていた。ソ連空軍の新型戦闘機Yak-9は、その性能と数においてユーゴスラビア王国空軍を圧倒しており、これを撃滅する。制空権を掌握したソ連軍とユーゴスラビア王国軍の勝敗は――僅かな時間ではあるが――決したかに思えた。

 しかし戦闘は、ドイツ空軍とイタリア空軍の参戦により、その様相を変えた。Me109やFw190といったドイツ空軍の主力戦闘機が次々とその姿を現し、ソ連空軍の戦闘機パイロット達を驚かせた。遠くに閃光が煌めいた。Me109が何機か向かってくる。

 「手を出すなよ兄貴! メッサーシュミットは俺の獲物だ」

 粗製の無線機越しにそう言い放ったのは、ディミトリー・グリンカ少尉である。史実では50機の撃墜記録を持つ彼は、同じくソ連空軍エース・パイロットの兄を持つ兄弟エース・パイロットでもあった。

 「それはちと、虫が良過ぎるんじゃねぇか、ディミトリー?」

 アメリカから供与されたP-39『エアラコブラ』戦闘機を駆る兄ボリス・グリンカ中尉は、不敵な笑みを漏らしながら無線越しに反論した。

 「先に見つけたのは俺だぜ。俺にやらせてくれよ」

 「いいや、やだね」

 断固として譲らない兄ボリスに対し、ディミトリーは溜息を吐いた。「大人になれよ、兄貴。アメリカの無線機で兄弟喧嘩なんて、政治将校に知られたら銃殺モンだぜ?」

 仕方無い、とボリスは頷いた。

 「じゃあ右のイタ公は俺が全部頂く。それで良いよな?」

 「ご自由に」

 ディミトリーの言葉を聞いたボリスは、待ってましたとばかりにイタリア空軍の戦闘機編隊に突っ込んだ。これまでボリスは、イタリア空軍機と戦ってきた経験は無かった。しかし『冬戦争』で戦った戦友の多くが、イタリア空軍の戦闘機G.50を受領したフィンランド空軍に苦戦を強いられたということを口にしており、それを耳にしたボリスは一度、戦ってみたいと考えていた。

 「G.50が強かったのはフィンランド人が優れていたからだ。機体は大したことない」

 ボリスはそう呟き、彼方に煌めく複数の機影を見張った。イタリア空軍の戦闘機だ。だが、その機体性能は、ボリスの想像を凌駕するものであった。電光石火の速さでイタリア空軍戦闘機はP-39の編隊に迫り、その“鰹節”のような機体に疾風怒濤の攻撃を仕掛けてきた。

 「くッ!? なんて奴らだッ!!」

 刹那の衝撃。目の前に一条の火箭が迸ったかと思った次の瞬間には、僚機のP-39は鮮紅の焔を噴き出し、墜ちていた。予想外の機体性能に圧倒されたボリスやソ連空軍のパイロット達には、最早、言葉が無かった。

 P-39を葬ったその戦闘機は、イタリア空軍の最新鋭戦闘機MC.206『テンペスタ』であった。このMC.206はフィアット社が開発した新型戦闘機であり、設計技師マリオ・カストルディの最高傑作でもあった。同機はMC.205『ベルトロ』を発展させた機体で、その性能はMC.205を大きく凌駕する。MC.205がMe109にも採用された『DB605』エンジンのライセンス生産品を使用している一方、このMC.206はFw190に採用された『BMW801』をその動力源としていた。

 また武装においてもMG151/20mm機関砲を4門備え、前作のMC.205の2倍の火力を有することとなった。更にドイツの『R4M』ロケット弾のライセンス生産権を取得し、生産された55mmロケット弾も搭載可能であり、対爆撃機性能が向上している。

 そんなMC.206『テンペスタ』は、MC.205『ベルトロ』やS.A.I.403といった主力戦闘機を引っ提げて、ボリス中尉率いるP-39戦闘機編隊に襲い掛かった。MC.205はMe109の心臓を得た高速戦闘機であり、S.A.I.403は最高速度650kmを記録する新鋭戦闘機である。特にS.A.I.403は驚くべき機体だった。何しろ動力源は、出力750馬力の空冷12気筒倒立V型エンジンである。帝国海軍の新型戦闘機『紫電』一一型でさえ、2000馬力のエンジンを積んでやっと640~650km台を記録している。洗練された機体設計の成せる業――とでも言うべきS.A.I.403だが、史実では量産化される前に戦争が終結し、その戦闘能力は殆ど未知数であった。

 しかし今、S.A.I.403はユーゴスラビアの空に居た。相手はアメリカのP-39、ソ連のYak-1戦闘機であった。MC.206、MC.205とともに空を駆るS.A.I.403は、両者と比べてもややこじんまりとしていた。それは、空力的に洗練された機体設計のためである。

 「ティーロ(発射)!!」

 MC.206『テンペスタ』を駆るフランコ・ルッキーニ大尉は操縦桿を握り締め、射撃ボタンを押し込んだ。そして一斉射。MG151/20mm機関砲が放つ轟音はルッキーニを揺さぶった。MC.206はとても洗練された機体だが、それは“合理的”に――である。快適性、デザイン性においてはMC.205に劣り、露骨さが印象的な機体だった。しかしその運動・攻撃性能はMC.205とは比べ物にならず、戦場から生きて帰りたいのならMC.206を選ぶべきであった。

 刹那、ルッキーニの眼前に一筋の閃光が迸った。次の瞬間、敵のYak-1の右翼が吹き飛び、破片が舞い上がった。1機、また1機とYak-1はイタリア空軍の戦闘機を前に墜ちていく。それでもルッキーニは手を止めなかった。目と鼻の先を掠め飛んでいく、勇猛果敢な1機のP-39。彼はその機影を見て、胸の中に得も言われぬ熱い感情を覚えてしまった。

 「勝負だ」

 ルッキーニは操縦桿を握り締め、MC.206を荒々しく駆り進めた。P-39はまるでサーカスのブランコ乗りのように、空中を大きな弧を描きながら駆け抜けた。その後ろをルッキーニのMC.206が追う。P-39から僅か数十m上空に陣取るルッキーニはP-39の背後、斜め上から突っ込んでいった。

 P-39の太い胴体が照準器に収まった。ルッキーニは焦らず、P-39に照準器の輝点を合わせ、そして――MG151/20mm機関砲を咆哮させた。

 20mm機関砲弾による鋼鉄の洗礼は、P-39のずんぐりとした機体を容易く引き裂いた。刹那、P-39は真っ赤な火を噴き、やがて真っ白な光の玉となって爆発した。背後でMe109相手に戦っていた弟のディミトリーは、その光と音に愕然とした。兄ボリスが率いていた筈のP-39の編隊は影も形も無くなってしまい、灰と残骸として空中を下降していた。

 「そ……そんな……」

 ディミトリーは目を疑った。兄の死が確定した訳ではなかったが、この状況を見る限り、それを覚悟しなければならないのは間違いなかった。

 「く……くそッ……」

 ディミトリーは罵った。意味も無く。

 彼は燃料計に目を向けた。見事に燃料は空となっている。なんてタイミングなんだ……と、ディミトリーはまた、何者でもない誰かを罵倒するしかなかった。

 


 3月27日、1週間に及ぶベオグラードの戦いは終結を迎えた。最終的にソ連軍は撤退し、EU第7軍団はユーゴスラビア王国をソ連軍の魔の手から救い出したのだ。これに気を良くしたEU各国は、南部戦線に対して軍や物資を送り、ルーマニア奪還とソ連侵攻を画策する。遂に重い腰を上げたイタリアもまた、同様の考えを抱いていた。イタリア指導者ムッソリーニ――未来を見透かし、過去を知る男――は己が胸の奥底に封印していた怪物を起こしたのだ。リビアを開拓し、国民を鍛え上げ、重工業による国家近代化を推し進めるこの男は、キエフの油田を密かに狙っていた。



 1944年5月、早くも形勢は逆転する。


 『バグラチオン作戦』を挫く反攻作戦――『ジャッジメント作戦』は発動する。






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