第91話 バグラチオン作戦(前)
第91話『バグラチオン作戦(前)』
1944年3月26日
ポーランド/モドリン
1944年3月1日、ポーランドに未曾有の危機が襲い掛かった。突如としてソ連がポーランドに宣戦布告し、中立の一方的破棄を宣言、領土侵攻を果たしたのだ。遂にソ連赤軍のEU反撃攻勢となる『バグラチオン作戦』が発動されたのである。ソ連軍はセミョーン・M・ブジョーンヌイソ連邦元帥を総司令官とする中央方面軍、キリル・A・メレツコフ元帥を総司令官とする北部方面軍、アンドレイ・エレメンコ大将を総司令官とする南部方面軍の3個軍から構成されている。
3個方面軍120個師団は兵員数約400万名、戦車・自走砲10000輌以上、火砲20000門からなり、これに航空兵力として5000機が用意された。全てはモスクワからウラル山脈東部へと疎開させた工業地帯の賜物であり、アメリカの武器・資金貸与の結果であった。先の極東戦線で大損害を被ったソ連軍としては、この攻勢を成功裏に収めることでスターリンの気を落ち着かせたいと考えていた。
しかし、現実はそう甘く無い。
3方面は極東戦線の開戦によって膠着状態にあった去年の9月末から要塞化が進められており、EU側は万全の状態で迎え討たんとしていた。かつての英雄都市レニングラードには巨大な要塞と軍事拠点が築かれ、ポーランドからイタリアまでに至るEU国境線上には、『マジノ線』にも引けを劣らぬ程の堅牢さを誇る要塞防衛線『西の壁』が敷かれていた。この西の壁は『ジークフリート線』における洗練された新機軸の技術、そしてマジノ線から受け継がれたノウハウを活かして築かれた新鋭要塞防衛線であり、流石のソ連赤軍も一苦労するのは必至だった。
西の壁はポーランド北東部のビャウィストクからイタリアのトリエステまで約1000kmに渡り、欧州大陸を貫くようにして築かれた超大な要塞防衛線である。対ソ戦における軍費の増大から、各所各所で建造が進んでいない所もあるが、主要な拠点に関しては全体的にカバー出来ていた。この要塞防衛線の設置に伴い、これを保有する国々は、フランス軍のような拠点防衛軍に一新されており(イタリアは例外)、旧来の軍事戦略を重んじるソ連軍に対しては、十分に対抗出来るような軍となっていた。
しかし、それは同時に『電撃戦』のような次世代の戦法を用いる敵に対しては無力だということの裏返しでもあった。実際、『マジノ線』を戦略の中核として第二次大戦緒戦を戦ったフランス軍は、ドイツ軍によるベルギーからの迂回戦術を前に敗北を喫していた。このような要塞防衛線の背を突く戦術を取られると、この類の軍隊は全く役に立たないのである。
だが今回、西の壁の中核を突くのはセミョーン・M・ブジョーンヌイソ連邦元帥である。ブジョーンヌイソ連邦元帥は、戦間期以前の戦争経験を重んじる人物であり、一言でいえば時代遅れの戦略家であった。旧来活躍した騎兵隊を過大視する一方、戦車等を主軸とする機械化部隊については、過小評価の姿勢を崩さない。ブジョーンヌイソ連邦元帥は近代化の道を歩むソ連軍からすれば『粗大ゴミ』であり、既にその道を進んでいるドイツ軍からすれば絶好の『カモ』であった。
今回、ソ連軍のポーランド侵攻に際し、総統命令で北部戦線から引き抜かれたエルヴィン・ロンメル上級大将もそう考えていた。史実では『砂漠の狐』、新史では『雪原の狐』としてその名を轟かせているこの男は、第1緊急即応集団を発展解消させた『第1緊急即応軍団』の総司令官に就任、僅か3週間足らずでドイツ領内、及びフィンランドに駐留していた軍団をポーランドへと緊急展開させている。
3月1日の開戦以降、ポーランド軍はEUの増援を待って必死の時間稼ぎを行ってきた。ポーランド軍はその兵力が42個師団120万名と、50個師団145万名からなるソ連中央方面軍に数で負けており、また質に関しても、英独仏からの払い下げ戦車を中心とした機械化しか進んでいなかった。一方、ソ連軍は主力中戦車『T-34』を始め、『IS-1』『IS-2』重戦車やカチューシャ・ロケット等、重火力を誇る機甲戦力を多数保有しており、その差は歴然であった。ただ、ブジョーンヌイソ連邦元帥にしてみれば、戦車はあくまでも歩兵支援火力に過ぎず、それ以上を求めようとはしていないのだが……。
このような圧倒的な戦力差に対して、ポーランド軍は3週間の戦いの中で後退と再編成を繰り返してきた。彼らがここまで粘れたのは、“愛国心”や“縦深戦術”、そして――“西の壁”による所が大きかった。また、ドイツ空軍による航空支援も功を奏していた。
ロンメル大将はこの戦況をモドリンに設置されたポーランド軍最高司令部で聞いていた。モドリンはポーランド軍防衛ラインの中核である“ワルシャワ”から北西部に位置する都市だ。市街地には要塞が築かれ、ソ連軍との決戦に備えて準備が進められていた。
「ソ連中央方面軍の総司令部は、ブレスト・リトフスクにある」
薄暗い作戦司令室の中で、ポーランド軍最高司令官のエドヴァルト・リッツ=シミグウィ元帥の声は唐突に響き渡った。9月24日に設営されたばかりのソ連中央方面軍総司令部は、未だ通信設備等で多数の不備があり、ポーランド全域に展開している100万名以上の軍が相互連携を欠いているという有様だった。
「現在、ソ連軍はワルシャワを目指しているのでしょう?」
ロンメルの問いに対し、リッツ=シミグウィ元帥は頷いた。
「情報によると、敵は第5親衛戦車軍を主力とした大軍団らしい。戦車800輌が今回の『ワルシャワ攻勢』に合わせて投入され、こちらの機甲戦力を壊滅する気だ」
第5親衛戦車軍といえば、史実では『クルクス会戦』で有名な軍だ。“史上最大の戦車戦”こと『プロホロカフの戦い』でソ連軍側の主力を担い、ドイツ軍側に戦略的敗北を強いている。今回行われようとしている『ワルシャワ攻勢』では、この第5親衛戦車軍を主力にソ連中央軍が侵攻、ポーランド軍の防衛ラインを食い千切ろうとしていた。
「どうする?」
「正面から決戦という訳にはいかんでしょう。第一、アホらしい」ロンメルは言った。「モドリンとルブリンから敵の両側面を突く……というのはいかがでしょう? 敵の補給線は伸び切っているので、そこを突けば補給を断てます。要塞化されたワルシャワを攻略するとならば、補給なくしては実現の可能性は得られますまい」
ロンメルは不敵な笑みを浮かべ、更に続けた。
「我が軍は500輌の戦車を有しています。数では不利でしょうが、速度ではこちらの方に分があります。そこに貴方がたの3個戦車師団を加えれば、800輌程度。数の差はなくなる。どうでしょう?」
リッツ=シミグウィ元帥は唖然とした。「大戦車軍団を大戦車軍団で包囲殲滅しようというのか? 正気の沙汰とは思えん戦法だな」
ロンメルは頷いた。「確かに。しかし成功すれば、一挙に敵の戦車を削れます」
それはリッツ=シミグウィ元帥としても、悪くないことだった。今後、ソ連軍の攻勢は更に濃厚となってくる。その前に1個戦車軍を壊滅させておけば、かなり楽になるのは確かだった。
「宜しい。その案、買った」リッツ=シミグウィ元帥は頷いた。
かくして、“史上最大の戦車戦”はその幕を開けるのだった――。
1944年3月27日
ポーランド/ワルシャワ
26日深夜、モドリンとルブリンを出発したドイツ軍・ポーランド軍は、6個戦車師団・8個歩兵師団・1個降下猟兵師団をそれぞれ、ワルシャワを目指して進軍するソ連軍の両側面に展開した。27日早朝、モドリンから第2SS装甲師団、第25装甲師団と2個歩兵師団、そして『モドリン軍団』が南下して到着。一方ルブリンからは第1SS装甲師団と1個歩兵師団、1個降下猟兵師団、そして『ルブリン軍団』『クラクフ軍団』が北上し、到着した。
攻撃開始は27日午後、Ju87『シュトューカ』による急降下爆撃が開戦の狼煙であった。ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大尉の駆るJu87を先頭に、多数のJu87が不気味な音を立てて急降下を続ける。そしてソ連軍の戦車に鋼の洗礼を浴びせ掛けるのだ。
「いけぇぇぇぇぇッ!!」
操縦桿を握り締め、ルーデルは叫ぶ。Ju87胴体部から解き放たれた250kg爆弾は対空砲火と機銃弾が交錯する空中を駆け抜け、一直線に『IS-2』重戦車の砲塔を貫いた。車内から閃光が迸ったかと思うと、次の瞬間、戦車に孔という孔から火炎が噴き出し、IS-2の車体を丸焦げに焼き尽くしてしまう。砲塔は吹き飛び、宙を舞う。戦車搭乗員は必死の思いで車内から這い出たが、その全身は真っ赤に染め上げられており、助かる見込みは無かった。
しかし、それは始まりに過ぎない。Ju87による地上支援は、Yak-9戦闘機部隊の出現によって中断され、続いて始まったのが空戦だった。空には無数の戦闘機が駆け上り、その腕と機体性能と誇りを賭けた戦いが始まる。ソ連空軍は新鋭戦闘機である『Yak-9』や『La-5』を主力とし、ドイツ空軍は従来の『Me109』や『Fw190』、そして新鋭ジェット戦闘機である『Me262』を投入し、戦いを繰り広げた。Me262は世界初の実用ジェット戦闘機であり、この1944年3月時点では1000機近くが生産・配備されている。一撃離脱戦法に特化し、速力でいえば向かう所敵なしであった。
また、この空戦にはポーランド空軍の姿もあった。史実では1939年の『ポーランド侵攻』で散々に言われてきたポーランド空軍だが、今物語ではドイツ空軍の『Me109』やイギリス空軍の『スーパーマリン・スピットファイア』、そして国産戦闘機のP.11を主力としている。P.11は時代遅れの戦闘機ではあったが、『I-15』等の戦闘機を未だに運用するソ連空軍に対しては十分に渡り合える機体だった。
銀翼が煌めき、白煙が蒼穹に靡く。衝撃と閃光に支配されたワルシャワ上空は、まさに一大航空決戦地であった。右からはYak-9、そして左からはMe262が突撃し、激突する。そしてその上空では、Fw190とスピットファイアの混成戦闘機部隊がLа-5と華麗なドッグファイトを繰り広げていた。
「敵対地攻撃部隊捕捉! 攻撃用意ッ!」
第7教導航空団司令のアドルフ・ガーランド大佐は、手に馴染んだMe262の操縦桿を、ゆっくりと手前に引いた。
1942年11月の『冬戦争』開戦以来、戦場の空を駆けてきた第7教導航空団は現在、100機以上のMe262ジェット戦闘機を運用する精鋭航空団となっていた。当初は頭を悩ましていた整備・運用の問題も実戦経験を積むとともに解消され、現時点ではドイツ空軍内でもっともMe262の稼働率の高い航空団となっていた。その規模は既に“実験航空団”の域を超えており、100機以上の撃墜数を記録する『ジェット・エース』も珍しくは無かった。
第7教導航空団司令のアドルフ・ガーランドもその一人である。フィンランド戦線で2番目に撃墜数100機超えを果たした(1番はゲルハルト・バルクホルン)彼は、次はドイツ空軍で“一人前”と認められる150機の壁を越えようとしていた。
アドルフ・ガーランド率いるMe262戦闘機編隊は、低空域を駆る無数の機影を発見した。『空飛ぶ戦車』ことIl-2『シュトゥルモヴィーク』戦闘爆撃機の大編隊の姿があり、その上空をLa-5戦闘機が護衛部隊として付き添っていた。
一方、Me262は中高度を飛行する。敵機に気付かれないよう、雲に隠れての飛行である。
刹那、雲間から多数のMe262が飛び出し、低空を進む敵編隊めがけて突っ込んだ。それと殆ど同時に、護衛のLa-5が上昇を開始する。だが、上空を得たMe262は向かう所敵なしである。急降下からの一撃必殺の機銃攻撃。Me262の機首部に据え付けられたMk.108機関銃は、『天空の要塞』ことB-17でさえ平均4発で撃墜出来る威力を誇る。そんな重武装による鋼鉄のシャワーを前に、防弾性能を欠いた戦闘機は完全なる無力であった。La-5の曳光弾が天に駆け上がる前に、その機体は火を噴き、黒煙を吐き出しながら墜落していくのだった。
「護衛は全滅。次はIl-2だ!」
一撃離脱戦法を前に手も足も出なかったLa-5の破片の嵐を縫い進み、Me262戦闘機編隊はIl-2に襲い掛かった。低空で編隊飛行を続けるIl-2は完全なる『カモ』でしかなく、幾ら防弾性に優れているとはいえ、撃墜されるのは目に見えていた。
「撃墜、撃墜、撃墜ぃぃぃッ!!」
Me262パイロットで『ジェット・エース』のエーリッヒ・ルドルファー大尉は、僅か10分の間に8機のIl-2を撃墜する。R4M『オルカン』55mmロケット弾がMe262の機体から放たれ、複数の爆発が起こり、無数の破片がIl-2に降り注ぎ、その重厚な機体を引き裂いたのだ。彼は史実、222機の撃墜記録を持つエース・パイロットであり、1943年11月の東部戦線では、17分間に13機の敵機を撃墜したというまるで小説か映画のような撃墜記録を保有していた。
第2SS装甲師団『ダス・ライヒ』を主力とする独・波蘭北方軍集団は、ソ連軍第5親衛戦車軍隷下の第2親衛戦車軍団に対し、側面攻撃を仕掛けようとしていた。北方軍集団の戦車部隊が前進を続ける中、250kg爆弾を搭載したJu87『シュトゥーカ』急降下爆撃機がその姿を現した。唸りを上げてその頭上を通過したかと思うと、次の瞬間、戦車部隊の眼前に鮮紅の火柱と耳を聾する爆発音が轟いた。だがそれとほとんど同時に、Il-2『シュトゥルモヴィーク』戦闘爆撃機の編隊が不気味な音を立てて現れ、独・波蘭軍戦車部隊を機関銃と爆弾で引き裂いたのである。
「くそッ! 陣形を立て直せッ!」
第2SS装甲師団第2装甲連隊長のハンス・パウエル中佐は、Ⅴ号指揮戦車『パンター』の砲塔から身を乗り出し、無線機片手に怒鳴り散らした。横一列に並んだパンター戦車には、所々に空白の箇所がある。先のIl-2による攻撃で撃破された部分だ。爆撃によって吹き飛ばされたパンター戦車は、横転したり四散したりしてワルシャワの地に横たわっていた。
「パンツァー・フォー!!」
パウエル中佐の号令とともに、パンター戦車は前進を開始する。70口径75mm戦車砲が曙光を浴びて煌めき、水冷V型12気筒ガソリンエンジンが奏でる重厚な駆動音は、まるで大地の息吹のようだった。乾いた地面を総重量44.8tの車体が揺さぶり、その巨躯はワルシャワの大地を埋め尽くす。
「敵戦車1時の方向、距離2000m!!」
パンター戦車の1輌。戦車エースのエルンスト・バルクマンSS軍曹は、射撃手のディートリッヒSS兵長に命じた。彼は『冬戦争』以来の戦友であり、良き後輩でもあった。
「ヤヴォール、ヘア、ウンターオフィツィーア!!(了解、軍曹殿)」
ディートリッヒは頷き、装填作業を開始する。
敵は眼前2000m。T-34中戦車がその主力を占めていたが、中にはIS-2重戦車の姿もあった。また、IS-2重戦車の車体を流用した『ISU-122』『ISU-152』突撃砲の姿もあった。そしてさらには、Ⅲ号戦車やⅤ号戦車『パンター』といった鹵獲戦車の姿もあり、多彩な編成となっている。
一方、ドイツ軍第2SS装甲師団は、Ⅴ号戦車『パンター』を主力としながら、Ⅵ号戦車『ティーガーⅠ』や最新鋭の『ティーガーⅡ』も配備されていた。また、Ⅳ号戦車やⅢ号戦車も少数運用していた。
「フォイア(発射)!!!!」
戦闘は――咆哮と硝煙とともに幕を開ける。両陣営はにじり寄った後、距離1500mの地点で戦車戦を開始したのである。ドイツ軍は世界最強を冠する『ティーガーⅡ』重戦車を中心に、88mm戦車砲による砲弾の嵐をソ連軍側に降り注がせた。またその背後では、『シュトゥルムティーガー』突撃砲や『フンメル』自走砲といった重火力兵器が出し惜しみせず、その大火力をソ連軍側に浴びせ掛けた。
「アゴーイ(発射)!!!!」
続けてソ連軍も射撃を開始する。独裁者の名を冠する『IS-2』重戦車を主力に、IS-1重戦車、KV-1重戦車、T-34中戦車、T-26軽戦車が咆哮し、ドイツ軍戦車を舐め回した。ソ連軍が誇る野戦砲部隊は、数千、数万にも及ぶ砲火力を以て、ドイツ軍戦車部隊に無数の砲弾を浴びせ掛けた。残念ながら命中精度はからっきしで、その砲弾の多数は両陣営の間に生まれた数キロの空間の中に吸い込まれるようにして着弾したが、地形が変わる程の砲撃を前にドイツ軍はただただ唖然とするしかなかった。
「フォイア(発射)!!!」
その間、断続的な航空攻撃が続いている。黎明の薄明りの中でソ連軍戦車部隊は、北西の稜線すれすれに、ずんぐりとした翼の、ドイツ空軍が誇る戦車キラー『Ju87』の姿を見ることが出来た。この不格好で無慈悲な悪魔は、もはやソ連軍にとっては『伝説』とも言うべき敵だった。どこからともなく、不気味な音を轟かせながら忍び寄り、頭上から爆弾と機銃弾の雨を降り注がせる。この攻撃を逃れられるものがいるとすれば、それは高射砲や戦闘機の護衛を受けられている時だけである。
「アゴーイ(発射)!!!」
ドイツ軍にも“似た”『伝説』はある。
どこからともなく姿を――途方も無く沢山な数で現れ、全てを消し去って行く存在。『黒死病』と恐れられる存在。それは、ソ連空軍が誇る戦闘爆撃機『Il-2』である。
『空飛ぶ戦車』や『空飛ぶコンクリート・トーチカ』とドイツ空軍の戦闘機パイロットにも忌み嫌われるこのIl-2は、その防弾性能は元より、攻撃能力についてもJu87に引けを取らない。世界最強と謳われる『ティーガーⅡ』でさえ、このIl-2を前にすればただの“獲物”でしかないのだ。
「フォイア(発射)!!」
戦闘開始から30分。総勢1600輌以上の戦車が参戦した『ワルシャワ会戦』は、その大地の地形を豹変させるほどに熾烈な戦いだった。爆弾と砲弾が宙を舞い、戦車が吹き飛び、踊り出す。野砲は止む気配を見せず、むしろその火力を増していた。
「アゴーイ(発射)!!」
ソ連軍は善戦していたが、敗北は必至だった。ロンメルによる包囲殲滅作戦により、その補給路を断たれていたからだ。また、史実よりも数が充実している『ティーガー』重戦車や『パンター』中戦車の活躍もあり、ソ連軍側は質・量ともに分が悪かったのである。
「ファイア(発射)!!!!!」
最後の大攻勢が始まる。ドイツ軍はその機動力を活かし、ソ連軍を包囲したのだ。これに加え、制空権を奪取したドイツ空軍は、Ju87による航空支援を開始する。一方、ソ連空軍は戦闘機、戦闘爆撃機ともにその大半を喪失し、満身創痍の中で撤退を始めていた。
「後退! 後退ッ!!」
遂にソ連軍は撤退を開始した。野戦砲の咆哮は止み、戦車部隊は背を向けた。それを許さぬとドイツ軍は包囲と追撃の手を緩めず、ソ連軍145万名の将兵は、ワルシャワを目前として完全に孤立してしまう。航空機による対地攻撃と、戦車を主体とする機動戦術を前に手も足も出ないソ連軍は、1944年4月12日、遂に壊滅を喫する。
かくして、『バグラチオン作戦』の緒戦はソ連軍側の歴史的大敗によって幕を閉じた。しかし、これは全戦線の一方面に過ぎず、他の2方面でも同様の激戦が繰り広げられていた。厳寒の北部戦線と、温暖な南部戦線。英雄都市レニングラードを軸とする大市街地戦と、眠れる獅子を目覚めさせる遠因となったユーゴスラビア・イタリア戦線。
――戦いはまだ、始まったばかりである。
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