第87話 反撃の狼煙
第87話『反撃の狼煙』
1943年9月7日
神奈川県/横須賀
『日ソ戦争』開戦から1週間、満ソ国境は文字通り膠着状態にあった。ソ連空軍が被った予想外の損失により、航空支援戦力が著しく削られ、東部・北部・南部の3国境に点在する関東軍要塞線を突破できずにいたのである。しかし爆撃機は沈黙しても、無限の如く沸き上がる火砲は未だ健在であり、T-34やT-26といった機甲戦力も潤沢に存在していた。危機が去った訳ではないのだ。ソ連軍は、火砲を用いた準備砲撃によって要塞の防御をじりじりと確実に削り取り、圧倒的兵員と機甲戦力を用いた正面突破を画策していたのである。
またソ連極東軍は、Yak-9といった新型戦闘機や先の2大空戦で消費した大型爆撃機、そして新型重戦車である『IS-1』の配備を間近に控えていた。IS-1――通称『ヨシフ・スターリン重戦車』は現時点でソ連最強の戦車であり、85mm戦車砲と重厚な装甲を持つ次期主力重戦車でもあった。その火力、防御力はT-34を上回り、一式中戦車の攻撃を受け付けない。そんな化物じみた戦車は来月上旬にもシベリア鉄道で増援される予定だった。また、1944年1月からは発展型の『IS-2』配備も決定しており、日ソ両軍間の戦力差がますます開いてしまうのは、明白であった。
そんな予断を許さない戦況を反映して、横須賀にある海軍御用達の料亭『小松』では、『大和会』の主要メンバーとその協力者達が一堂に会していた。陸海民間と、縄張りと意地の垣根を越えたそのメンバーは、当主たる伊藤整一を始め、層々たる顔触れだ。無論、満州戦線で出張っている陸軍協力者の辻政信やドイツに駐在している原・品川の姿は無かったが、『帝機関』参謀総長である石原莞爾の姿はあった。石原曰く、この会合は“楽しい宴”となり、女将や仲居達が次々と運んでくる海鮮料理と酒につられて『大和会』メンバーは皆、陽気になっていた。
しかし、当の『大和会』トップたる伊藤だけは、浮かない表情だった。いまこうして酒を酌み交わし、新鮮な魚介を吟味している間にも、満州戦線では激戦が繰り広げられている。そう考えると、どれだけ美味しい料理や酒も、苦味にしか感じられなかったのである。
「まさか皇居が焼失するとは夢にも思わんだ」
そう呟いたのは、米内光政首相である。米内内閣は一連の『帝都大空襲』と満州の戦いで揺れていた。陸軍からは反発の声が挙がり、内閣でも足を引っ張る者が現れ始めた。今や『大和会』――すなわち海軍伊藤派による中枢権力の掌握は、その手を離れようとしていたのだ。
「それもありますが、東北や東海の空襲の被害も深刻です」伊藤は渋面を浮かべた。「幸い、来年12月の『東南海地震』に備え、生産拠点は京浜と九州に移してましたから軽微に済みましたが……東北の被害は壊滅的です。まさか奴ら、“枯葉剤”と“焼夷弾”で水田を焼き払うとは」
昨日9月6日に勃発した『帝都大空襲』での死傷者数は約1000名だが、それほど深刻なものではなかった。問題は、東北や東海の空襲であった。東北ではソ連空軍の双発爆撃機が多数の焼夷弾、及び“枯葉剤”を散布し、水田地帯に甚大な損害を与えたのだ。枯葉剤と言えば、米軍が1945年の日本本土上陸作戦である『オリンピック作戦』に備え、画策していた枯葉剤散布戦略が存在する。これは抵抗する日本の補給を完全に断ち切るためのものであったが、8月の無条件降伏によって使用は中止された。しかし1962年から1971年にかけてベトナムで行われた『ランチハンド作戦』では約1200万ガロン相当の枯葉剤が北ベトナムに撒かれ、原住民や作戦に参加した米兵に甚大な健康被害をもたらした。そんな狂気の薬品が、対ソ支援を行う米国を介してソ連極東軍に配備され、4半世紀も早く撒かれてしまったのである。
時期は9月、季節的にも稲収穫の最盛期に入らんとするまさにその矢先のことだった。その被害の大きさは、東北に配備されていた航空戦力が帝都防空のため、東京へと集結させられたことに起因する。収穫前に膨大な量の稲を失ったのは大きな痛手だった。満州に展開する150万名の胃袋を満たすには、この損害を被った上で試算された今年の収穫量では足りそうになかった。
また、東海・阪神地方においても、工業地帯を狙った計画的空襲が実行され、航空機産業に被害を与えた。しかし、これらの工業地帯では既に1944年12月の『昭和東南海地震』に備えた九州や関東への移転が進んでおり、損害は軽微で済んでいた。ソ連空軍がこの地点に大爆撃を加えたのは、これらの大規模移転を他国の目から隠す為に配置していた“偽装施設”――木を布で覆った張りぼて――を本物の工場だと見誤ったためである。これは東南海大地震の際、他国から多額の義援金をふんだくるための策でもあった。この秘策と『人工霧』――対B-29空襲用に開発が進められていた化学技術――、煙幕が功を奏し、軍の生産能力は保たれた。が、それにしても食糧の不足は深刻的だった。
「どうします?」山本は訊いた。
「EUに支援を要請して、東南アジアの植民地政府から米の輸入量を増やす他あるまいでしょうな」伊藤は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。「『紫電』と『疾風』の生産は、予定通りに進めましょう。2度と露助の爆撃機にこの地が汚されぬように……」
米内は頷いた。「ここは1つ、ウラジオストクとハバロフスクを爆撃すべきだと俺は思う。皇居の焼失、東北・東海の組織的空襲と、奴らは獣……いや、それ以下だ。そんな奴らに情けはいらん。この地図上からウラジオストクとハバロフスクを消し去ってしまおう」
現在、帝国海軍では三式陸上攻撃機『銀河』、帝国陸軍では『三式重爆撃機』――帝国陸軍版『デハビランドモスキート』――が爆撃戦力の主力を担っている。爆撃性能ではB-17やPe-8といった4発爆撃機には敵わないが、航続距離と高速性能においてはこちらに分がある。また、インドとシンガポールから進出した英空軍の『ハンドレページハリファックス』や『アブロランカスター』といった4発爆撃機も日本本土に配備されており、これらの戦力とソ連太平洋艦隊を追撃する連合艦隊の航空戦力が加われば、両都市に壊滅的打撃を加えるのは、そう難しい話ではなかった。
空と海からの一大反撃の話が詰められていく中、陸上からの大反撃についても言及が始まっていた。現在、300万名からなる『中国同盟軍』は縦深防御に重きを置いた遅延戦略を展開しており、不足する機甲戦力及び歩兵携行式対戦車筒の配備を待ち侘びていた。当面の関東軍の戦略は、これらの戦力と欧州戦線の好転を待ち、ソ連軍が行動限界点に達した瞬間、一大反撃に打って出る――というものであった。
「欧州戦線はどうなっているんだ?」
「ドイツに駐在する原と品川によれば、レニングラードが遂に陥落したそうです」米内の問いに伊藤は答えた。「これでEU空軍はモスクワとその周辺に点在する工業地帯を爆撃可能範囲に捉えたことになりますね。おそらく、こちらにも後々影響が出てくるでしょう」
と伊藤が語るように、欧州戦線はEU側優勢だった。ドイツ空軍及び英空軍は占領されたレニングラードに爆撃部隊の配備を進めており、10月中にはモスクワを標的にした大空襲を仕掛ける予定だった。危機感を募らせたスターリンは、モスクワの政府機能と周辺の工業機能を疎開させつつ、1944年3月から始まる『バグラチオン作戦』用の予備兵力を使って、レニングラードの再奪取を目論んでいた。この再奪取作戦には、現在満ソ国境線上に存在するソ連極東軍も戦力を一部出さざるを得なくなっており、極東軍総司令官のセミョーン・K・チモシェンコソ連邦元帥は、当初立てた戦略を見直す必要に迫られていた。
「イギリスは、50輌のマチルダ戦車と50輌のバレンタイン戦車の貸与を約束してくれましたし、ドイツもⅢ号・Ⅳ号戦車の60輌貸与を進めてくれています。これらの機甲戦力が加われば、幾分かはマシになるでしょう」
香港と中国、そしてマレーやインドといった植民地領の権益を気にする英国は、この満州戦線に積極的だった。陸軍から――旧式とはいえ――100輌の戦車貸与、空軍による爆撃軍団の進出、そして海軍の東洋艦隊の派遣と、日本への惜しみない支援を進めていた。また、それ以外にも、日本にとって有益な物を既に授けていたのである。
「三式中戦車はどうなっている?」
「それには私が答えましょう」
米内の疑問にそう答えたのは、石原だった。
「7月に制式採用された三式戦車ですが、既に満州への投入が進められています。一方、ソ連側もIS-1重戦車の配備を着々と進めているでしょうが、三式中戦車でなら十分に対抗可能です。無論、三式砲戦車を組み合わせれば鬼に金棒、向かう所は爆撃機以外なら敵なしでしょう」
1943年7月に制式採用された『三式中戦車』は、大日本帝国陸軍が誇る新型中戦車である。
その新型中戦車の性能諸元は――。
■『三式中戦車』性能諸元
全長:7.85m
全幅:2.76m
全高:2.62m
重量:33.2t
懸架方式:平衡式連動懸架装置
速度:38.6km
行動距離:170km
兵装
主砲:三式55口径76.2mm戦車砲×1
(弾薬搭載量:77発)
副武装:二式12.7mm車載重機関銃×1
(弾薬搭載量:1000発)
装甲
(砲塔)
防盾:88mm 前面:76.2mm
側面:50.8mm 後面:50.8mm
(車体)
前面:50.8mm 側面:38mm
後面:38mm 上面:22mm
エンジン
ハ9乙川崎九八式発動機改造
液冷V型12気筒ガソリンエンジン
乗員:4名
1941年、実用化の目途が立った『一式中戦車』だが、その一式中戦車が誇る火力・防御力は、ソ連の主力中戦車『T-34』や『IS』重戦車シリーズには力不足と判断された。しかし、開発が進んでいた『三式砲戦車』は威力は十分ではあるが、生産性と運用面において帝国陸軍には非常に荷が重いとして、判断されていた。そこで帝国陸軍は、『大和会』からもたらされた“未来情報”を基に、英陸軍の17ポンド戦車砲を搭載した主力中戦車の開発に乗り出した。1941年、『ヨーロッパ同盟』の成立とそれまでに結ばれた『日独英伊4国同盟』の技術提供密約に則り、帝国陸軍は英陸軍に対してオードナンスQF17ポンド対戦車砲のライセンス生産権を要求、これを受諾された帝国陸軍は、一式中戦車の車体を流用しこれを戦車砲に改造したものを載せた、という『三式中戦車』の開発計画を立ち上げた。一式中戦車(M4中戦車)の生産性の高さと、三式砲戦車(88mm戦車砲)の破壊力を折衷した三式中戦車は、史実における『シャーマン・ファイアフライ』中戦車に酷似する姿形となって誕生した。
「この発展型となる四式中戦車では、58.3口径の新型戦車砲を載せますが……」石原は言った。「史実でこの戦車に相当する『シャーマン・ファイアフライ』は、ノルマンディーに上陸した連合国軍のなかでは唯一、ドイツ陸軍のティーガー重戦車を正面から破壊し得る火力を持っていた、と言います」
そこには1つ、落とし穴が存在する。このシャーマン・ファイアフライがその真価を発揮したのは、離脱装弾筒付徹甲弾――通称『APDS弾』(当時はSVDS弾)があったからこそだった。このAPDS弾は、タングステン合金や鋼鉄などの重金属で出来た弾芯の周りに軽金属の装弾筒を付けた構造の砲弾である。表面部の軽量装弾筒によって弾自体は軽く、弾芯の部分は重い。そんな特性から、APDS弾は発射時の初速は通常の高速徹甲弾よりも速い。そしてタングステン合金等で形成された弾芯には重量があるので、高威力を実現しているのだ。しかし、当時の英国でさえ量産が困難であったAPDS弾なだけに、ろくな高速徹甲弾も作ることが出来なかった帝国陸軍でこれを生産することができるかは、殆ど未知数に近かったのである。
「問題はSVDS弾ですな」
「我々の介入があったとはいえ、未だ冶金技術は後進国だからなぁ……」
伊藤はそう呟き、頭を抱え込んだ。インフラ整備、EUの技術援助、統一規格といった複数の試みを実行しているとはいえ、大日本帝国ではたしてAPDS弾などという精密なものが作れるのだろうか? もし作れたとしても、量産など出来るのだろうか? そんな不安と疑念が脳裡に浮かび上がっていた。
「しかし成功すれば、IS-2の前面装甲を破壊することができますから、やるしかないでしょう」石原は言った。「そのためには、貴方がたの協力が必要不可欠です。海軍から技術者の派遣と、ドイツにいる原君に英独への技術支援要請を頼みたい」
伊藤は頷いた。「分かっている。それは任せて頂こう」
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