第81話 満州の荒野に虎は吼ゆ(後)
第81話『満州の荒野に虎は吼ゆ(後)』
1943年9月1日
東寧県/牡丹江
9月1日0000時。8月31日深夜から日付変更を待ち侘びていたソ連極東方面軍は、ついに満州国への一大侵攻作戦を開始した。1942年11月から端を発した『冬戦争』は、その戦火を大陸の裏にまで飛び火させ、ここにもう一つの『大陸戦争』を誘引してしまったのだ。満州国へと3個方面軍90個師団が投入されることとなったこのもう一つの大陸戦争は、『満州戦争』や『日ソ戦争』などと呼称され、後世の歴史書などに刻まれることとなる。
9月1日0100時。3個方面軍はそれぞれ満州国東部、北部、西部の3ヶ所から計90個師団の主力戦力を投入、全面攻撃が開始された。ソ連極東軍総司令官に新たに任命され、赴任したばかりのセミョーン・K・チモシェンコソ連邦元帥は、機甲軍と航空軍を前面に押し出した電撃“もどき”作戦を起案した。第1極東方面軍司令官のゲオルギー・K・ジューコフ上級大将は3個方面軍随一の大火力によって関東軍の東部国境地帯要塞群を撃滅しつつ進撃せよとの下命を出し、第2極東方面軍司令官のアレクサンドル・M・ヴァシレフスキー大将とザバイカル方面軍司令官のロディオン・J・マリノフスキー上級大将には、満州北部と西部からの挟撃を命じていた。この3名の方面軍司令官は、EUによる支援と過酷な気候を耐え忍び、『冬戦争』で数々の功績を残してきた“スターリンのお気に入り”達だった。だからこそ、それぞれが平均30個師団もの膨大な戦力(ザバイカル方面軍はモンゴル革命軍含む)を託されているのだ。それだけに、一度スターリンの機嫌を損ねるような戦果を挙げてしまえばどうなるか、彼らは重々承知していた。
「分かっているな、諸君。“後退”は許さんぞ」
『『『了解』』』
各方面軍司令部との直通電話を手に取っていたチモシェンコ元帥は、3個方面軍の各司令官から発せられた、同じような短い返答を聞くと、ようやくその重い腰を上げた。がっしりとした岩のような体躯が、何事にも動じない性格を物語っている。
司令部の表に出ると、辺りは闇と泥と喧騒に包まれていた。チモシェンコの視界に覆い被さるのは、星をべったりと塗りたくったような夜空だった。煌々と輝く星々を見たチモシェンコはその美しさよりもまず、夜間行軍で自然の光源を確保出来ることに感動した。
「まさに神様のささやかな贈り物だな」
チモシェンコがそう呟き、穹窿を仰ぎ見る中、満州と接する国境地帯各所では、着々と侵攻準備が進められていく。計270万名のソ連軍兵士達は鉄兜の紐を締め、靴紐を締めてから、銃を持ち直した。そして、士官の号令によってその隊伍が整えられ、彼らはただただ正面に広がる闇を無言で見つめた。地平線の端から端まで築かれたその無数の隊列が足踏みを始めると、大地は鳴動する。星に満ち溢れた蒼穹を、無数の航空機が驀進すると、大気が鳴動する。その2つの鳴動は、止む気配が無かった。まるでそれはソ連軍のこの行軍にEUが、世界が震えているように……。
ソ連軍による侵攻作戦は、殆ど奇襲に近かった。これまでEU準加盟国であり、戦争参加国であり、『冬戦争』では現実にソ連軍と対峙したにも関わらず、約10ヶ月もの間、両国が戦争状態に突入しなかったのは“奇跡”と言って良かった。ただ、実際にソ連が大日本帝国の領土へ攻撃を仕掛けなかったのは、単にいつでも制圧出来ると考え、『大日本帝国侵略』が優先順位の下位に甘んじていただけのことだった。しかし、『冬戦争』で小国フィンランドに完敗し、北欧への侵略戦争の橋頭堡を失ったことにより国民からの支持が急激に低下し、国政も苦しかったソ連は、『大日本帝国侵略』を最優先事項として、その順位を上げたのである。これに伴い1943年9月1日、『日ソ戦争』は勃発した。
大日本帝国にとっては3度目となる中国大陸での大規模戦争となった今回の『日ソ戦争』だが、当初のソ連はこの戦いを“一局面の戦い”でしかないとみなしていた。スターリンはこのアジア域における作戦を1944年3月に予定する『バグラチオン作戦』――ヨーロッパへの大規模侵攻作戦までの小手調べと考えており、9月から3月までの6ヶ月間で満州国・朝鮮・中国、そして日本本土を制圧するつもりであった。9月~11月までの2ヶ月間で満州・朝鮮、11月~1月までの2ヶ月間で中国・台湾、そして1月~3月までの2ヶ月間で日本本土という計画だった。それは根拠も何もない、スターリンの妄想じみた突拍子もないハードスケジュールだったのは言うまでもない。日本が8年間掛けても堕とせなかった中国大陸を僅か2ヶ月のうちに征服し、さらに日本までをも“オマケ”として堕とそうと言うのだから失礼極まりないと、当時の大本営の一部幹部達は考え、憤りを露わにしていた。
しかし当のソ連には、それを可能とし得るだけの国力があった。7月の講和破棄から僅か2ヶ月で90個師団にも及ぶ戦力を極東に集結させ、その膨大な軍を支えるだけの軍需物資をほぼ恒久的に供給できるだけの体制が整っていたのである。それは、『冬戦争』によって味わった“兵站不足”を解決すべく、躍起になって成し得た成果と言える。『冬戦争』では一日を生きるにも事足りぬ程、乏しい物資でやりくりしてきていたソ連軍だが、今回は十分すぎる程の物資を供給され、戦争に臨んでいた。
一方、大日本帝国軍側も、準備を怠ることは無かった。ソ連軍を凌駕する航空戦力と人数では拮抗する兵員数、そして地の理を活かした防衛体制を構築し続けてきたのだ。関東軍150万名を基軸とし、中国国民革命軍、中国工農赤軍、満州国軍合わせた約150万名近い戦力を、それぞれ適した環境において運用することの出来る配置を行わなければならなかったのだから、関東軍司令部としては骨の折れること間違いなかった。機甲戦力と機械化に劣る中国同盟軍としては、一つでも多くの工夫が必要だったのだ。
また、情報網の確立も重要だった。関東軍情報部及び『帝機関』を軸に進められた4国軍間の情報・諜報ネットワーク構築は、ドイツやイギリスの諜報部関係者の協力もあって順調に進み、この9月1日に勃発した『日ソ戦争』でも、関東軍側がソ連軍の侵攻を事前に察知するなどの重要情報の入手に貢献することとなった。
情報を受け取った関東軍は極秘に夜間偵察を実行した。そして各地の情報把握によって、この報告が事実のものであると確信した関東軍は、隷下の各方面軍等に戦闘準備を下命した。各方面軍は隷下の軍に指示を飛ばし、各管轄区域に駐留していた戦力は師団、聯隊単位で防御戦へと移行していった。
関東軍の防衛ラインは全部で3つ。虎頭・東寧・綏芬河の東部国境方面、愛琿・黒河の北部国境方面、海拉爾の西部国境方面である。それぞれの防衛ラインは強固な要塞陣地と精強な関東軍部隊によって構成されており、特に敵主力の侵攻が予想される東部方面国境地帯では、要塞強化と戦力増強が押し進められていた。そして東部防衛の要たる『虎頭要塞』と、ここ『東寧要塞』には戦艦『長門』の41cm主砲塔を転用した要塞砲が配備されており(東部方面2門、北部方面1門、西部方面1門の配置だった)、それらは絶大な対地攻撃能力を持つばかりか、三式弾を用いての対空射撃能力も付随していた。
その41cm砲を配備された東寧要塞はいまや鉄壁の要塞、陸上戦艦『長門』と化していた。第一方面軍隷下の第五軍管轄下の東寧要塞は、0100時からソ連軍による準備砲爆撃を受けていたが、1t爆弾にも耐えうる厚さ3mのコンクリート壁と、新型電探によって統制された多数の高射砲・要塞砲によって戦闘開始から3時間あまりが経過した現在でも、無傷同然だった。そもそもソ連軍の砲兵は精度が低く、いくら砲弾を飛ばしても要塞に当たらないのだから、ただただ弾と火薬を消耗しているに過ぎなかった。たとえ当たったとしても、厚さ3mのコンクリート壁の前には手も足も出ず、大抵の砲弾は近くに転がっている岩を飛び散らせるだけか、土煙に化けてしまう。その一方で、東寧要塞の守備隊にしてみればソ連軍は射撃練習の的のようなもので、夜間にも電探を用いた信頼性のある砲撃を実行出来ていた。
これに危機感を示したのが、同方面攻略を担う第1赤旗軍司令官のイワン・コーネフ大将だった。史実ではジューコフとベルリンへの1番乗りを競ったという勇将の彼でも、関東軍の要塞の頑丈さには泣かされる始末だった。ソ連軍のいわゆる『大火力主義』の根本を担う重砲が使い物にならない以上、重砲よりも早急に、適確に、甚大に要塞へダメージを与えられる戦力の投入が重要であると考えたコーネフは、第1赤旗軍隷下の第9航空軍に戦略爆撃機部隊の出撃を要請した。
数十分後、ウラジオストク及びハバロフスクから到着したIl-4を始めとする戦略爆撃機は、東寧要塞や牡丹江に向けて、進攻を開始した。その数は300機近くに及び、過去の遺物たる通常の要塞であれば、その爆撃の前にはひとたまりもなかっただろう。
しかし、大日本帝国軍の本領は――航空戦力だった。電探網と独自の情報網を用いて敵爆撃編隊の進攻を察知した関東軍総司令部は、第零特別航空隊を中核とした航空戦力を展開、組織的邀撃を狙った。
『こちらは若松一番。赤鼻のエースの登場だ』
『赤鼻のエース』、『赤ダルマ隊長』こと若松幸禧少佐は、新型の無線電話の受話器を握り締め、意気揚々と言い放った。御年32歳、戦闘機パイロットとしては“高齢者”の部類に入ってもおかしくない彼だが、その実力と精神力は本物だった。『冬戦争』では、陸軍から海軍に移籍して第零特別航空隊の第三中隊を指揮、その手腕を存分に揮ってソ連軍機18機の撃墜を記録していた。
バチバチドンドンと雷鳴の如き音を立てるソ連軍砲兵隊の砲撃を背に、若松は驀進する。彼が新たに受領された四式戦闘機『疾風』は、まさにその名に恥じぬ疾風怒涛の豪速で、満州東寧の上空を駆け抜けた。『疾風』垂直尾翼の中隊マークとプロペラ・スピナーは『赤色』に塗られていた。これが彼の渾名の所以である。
この若松が搭乗する四式戦闘機『疾風』は、帝国陸軍が1944年に制式採用を予定している新鋭戦闘機である。この若松搭乗の試作機は、史実の『紫電改』に相当する『紫電』一一型と同様の火星二五型空冷複列星型18気筒エンジンを搭載するが、信頼性・生産性を考慮して『ハ-45』を搭載する量産型の配備も見込まれており、史実以上の工業基盤の整った今物語の大日本帝国では、1944年末までに1000機超の配備を予定していた。
また、史実では保守的な疾風だったが、今物語では新機軸の設備をいくつか備えていた。まず、高性能無線電話による編隊、地上管制官との意思疎通の向上、次に防弾性能の向上、そして紫電一一型にも採用された『腕比変更装置』や『自動空戦フラップ』の搭載などである。これにより、操縦性・安全性が一挙に向上された。またこれらのパイロットの負担軽減対策の他、量産性においても国内で定められた統一規格制度や工数・部品数の削減によって向上されており、整備の面においても陸海軍パイロット、航空機の入り乱れる第零特別航空隊の例に倣って、陸海軍での部品類の共有化が進められていた。
東寧上空。四式戦闘機『疾風』を駆る若松少佐の視界は、白みを増しつつあった。朝の到来だ。しかし若松は次第に明るくなっていく暁光に照らされて、眼前の空一面に大小様々な大きさ形の機影があるのに気付いた。かなりの数だ。
「こいつは厄介だな」若松は片眉を上げて呟いた。「アメ公のB-17まで混じってやがる」じっと見つめているうち、若松の心臓の鼓動は高まりを見せ始めた。先の『毛沢東一派掃討作戦』時、B-17を迎撃し損ねた若松は、是非ともあのB-17を落としてやりたいと考えていた。
しかし彼の視界を埋め尽くすのは、機影だけではなかった。地上にも、数えることを諦めたくなるような無数の戦車が認められたのだ。
東寧要塞は囲まれていた。そこかしこにソ連軍のT-34中戦車が蠢いている。要塞前方に展開する多数のT-26を餌に、それらのT-34は要塞を迂回しつつ側面に展開、左右から攻撃を仕掛けていた。地平線の彼方からは無数の砲炎が煌めき、榴弾砲が雨の如く要塞に降り注いでいた。
『B-17を叩く。幸運を……祈ってくれ』
第零特別航空隊が運用する奉天の飛行場へと、若松は無線電話越しに実況放送する。そして次の行動に移ろうと、若松は深呼吸をした。かくかくと固まった首を左右に捻って解し、敵機の群れを見据えた。B-17は健在だ。
しかし次の瞬間、『天空の要塞』ことB-17『フライングフォートレス』は、薄明の空に迸った猛烈な火箭にその身を貫かれ、真っ赤な業火を噴き散らした。そしてあまりにも呆気なく、B-17は爆散し、地上に向けて錐揉み墜落を始めたのである。
予想外の光景に唖然とする若松の視界に飛び込んできたのは、二式複座戦闘機『轟龍』の美麗なフォルムだった。その低い轟音が全身を揺さぶる。横一列に並んだその帝国陸軍の双発戦闘爆撃機は、轟然とB-17編隊に突っ込んでいったかと思うと、機首の三式50mm機関砲を咆哮させた。三式50mm機関砲は耳を聾するほどの咆哮を轟かせ、その50mm徹甲弾をもってB-17とIl-4の重爆撃機防御陣にアウトレンジ攻撃を仕掛けた。元が戦車砲であっただけに、その攻撃は絶大なものとなった。『天空の要塞』B-17の重厚な装甲はまるで画用紙か何かのように無残に引き裂かれ、剥がれ散った。そして、重装甲に包まれていた筈の燃料タンクが露となり、50mm砲弾の直撃を受けて火を噴いてしまう。
長射程の三式50mm機関砲で瞬く間にB-17を撃墜した三式複座戦闘機は大胆にも、その巨躯を捩じらせたかと思うと、その身を翻した。まるで単発戦闘機のような、華麗な旋回だった。そんな三式複座戦闘機に目を奪われていた若松は、無線電話から雑音混じりの声が漏れるのを聴いて受話器を取った。
『若松少佐。第四中隊の樫出であります』
「おおっ!」彼は歓喜の声を上げた。「樫出か。よくやったな」
若松が賛美を贈る三式複座戦闘機のパイロット、樫出勇大尉は史実、B-29の累計撃墜数が帝国陸海軍最多(計26機)というエース・パイロットだった。元は九七式戦闘機のパイロットとして対戦闘機戦闘を重視していた彼だが、1940年春に複座戦闘機部隊である飛行第四戦隊に転属、1942年に二式複座戦闘機『屠龍』を受領すると、対大型爆撃機戦闘に特化した防空戦のスペシャリストとして、九州上空に侵入してきたB-29を次々と撃墜することとなる。
今物語で彼はF4U『コルセア』艦上戦闘機を受領して、かの『ノモンハン事件』に従軍。ソ連軍機9機撃墜というルーキーには似合わぬ程の戦果を見せ、『冬戦争』では二式複座戦闘機『屠龍』を受領してフィンランド戦線を戦った。そして、この満州戦線では新たに三式複座戦闘機『轟龍』を受領していた。
三式複座戦闘機『轟龍』は、1943年6月に採用されたばかりの新型複座戦闘機だった。しかしその性質は対戦闘機・爆撃機戦闘のみに限定されず、高速偵察や対地攻撃さえも可能としており、帝国陸軍としては初の『戦闘爆撃機』となった。
そのルーツはドイツ空軍の双発重戦闘機Me410『ホルニッセ』である。Me410は元々、重戦闘機として限界を見せていたMe110の後継機として開発されたMe210を更に改良して生まれた機体だったが、ドイツ空軍機としては長い航続距離と高い爆撃能力が評価され、『万能戦闘爆撃機』として運用されていた。帝国陸軍はこれを購入、同時にライセンス生産権の取得を実行し、独自の改修を施して完成させた。
その性能諸元は――
■『三式複座戦闘機轟龍甲型』性能諸元
全長:12.48m
全幅:16.35m
全高:4.28m
主翼面積:36.20㎡
自重:7,200kg
全備重量:9,600kg
最高速度:620km
発動機:ハ-62-11ル(離昇:1,750馬力)×2基
航続距離:2,400km
乗員:2名
兵装(両翼機関砲は各種組み合わせて搭載数4門)
機首:三式50mm機関砲×1
(装弾数22発 対爆撃機型のみ)
両翼:二式20mm機関砲×2
(装弾数各200発)
三式30mm機関砲×2
(装弾数各120発)
一式12.7mm機関銃×2
(装弾数各250発)
翼下:三式55mm噴進弾×24
:爆弾1000kg
Me410を基に開発された三式複座戦闘機『轟龍』は、その名に恥じぬ轟然さを誇る重戦闘機だった。ドイツ陸軍のⅢ号戦車主砲を基に開発されたラインメタル社製BK-5-50mm機関砲は、B-17をまるで一式陸攻同然にあしらってしまう程の威力を誇り、その他の30mm、20mm機関砲も重爆撃機迎撃には申し分のない火力と言えた。
そして、その重装甲の戦闘機を支える心臓部を担うのはDB603の国産型である『ハ-62』だ。これは史実でもライセンス生産権を巡る逸話で有名なDB601の拡張発展型であり、陸軍としては既に開発・生産の土壌が出来上がっていたため、それが三式複座戦闘機『轟龍』の早期完成に大きく起因していた。
「全く。男の話に水を差す気か?」
と、若松は愚痴を漏らしながら前方に迫ってくるB-17を睨んだ。若松は左右に身を捩じらせ、ジグザグに飛びながらB-17の防御火器の攻撃を避けていった。
「樫出! その機首の機関砲は使わんのか?」
『あ……はい。コイツは装弾数が少ないものですから』
「もう弾切れか!?」
若松は仰天しながら言った。海軍の九九式20mm機関砲の話も聞いたことはあるが、これはそれよりも弾が少ないのか。若松はそう呟きつつ、両翼に備えられた三式30mm機関砲でB-17に狙いを定めた。
「射ッ!!」
30mm徹甲弾は一条の火箭となって、暁の空に煌めいた。若松の得意技、遠距離からの精密射撃による一撃必殺の攻撃だ。これにより、若松は無駄に弾を消耗することは無かった。刹那、B-17は鋼鉄のシャワーを浴びて爆裂し、黒煙を曳きながら錐揉みで堕ちていった。
「くそッ……まだまだ居やがる」若松は視界を埋め尽くす敵機の光景に腹を立てながら言った。「だが……やってやるさ」
若松はそう言うと、スロットル・レバーを前に押し出し、ドイツの血を混じらせたハ-62エンジンを吼え立たせ、敵爆撃機編隊へと突き進んでいった。
1943年9月1日
東寧県/万鹿溝
関東軍の主翼、第一方面軍司令官の山下奉文中将は、東寧県万鹿溝に位置する第三軍司令部に前線視察を兼ねて訪れていた。前線のおおまかな状況を確認しようと地図とコンパス、そして双眼鏡を手に山下中将は司令部施設に隣接する山地を登り、頂上を目指した。高い所から、全体を把握しようと考えたのだ。軍靴を泥で盛大に汚しながら尾根の近くまで来ると、彼は瞠目した。その視界には、真っ赤に染め上げられた北東の地平線が映り込んでいた。満州の大地を焦がす紅蓮の業火は暁が昇らんとする薄明の空さえ、その手中に収めようとますます燃え広がっていた。業火は風に乗り、渦を巻いて天を駆る。双眼鏡を手に、その光景を眺めていた山下は、渋面を浮かべて第三軍司令官の下村定中将に尋ねた。
「下村、敵の数が予想以上に多いな」
「あぁ。それがどういう訳か、ソ連軍が我々の兵力を知り尽くしているようなんだ。奴ら、2倍以上の兵力を持って力押しを挑もうって気らしくてな」
下村と山下は陸軍大学校28期の同期であり、面識もあった。
「それだけじゃない。どうやらこちらに斥候が潜んでいるらしい」
「斥候だと?」
「実は先ほど、捕虜が1人出た。正体は――朝鮮人だ」
山下はその言葉に眉を顰めた。「朝鮮人? 一体、どういうことだ」
両手を軍服のポケットに突っ込みながら、顔を伏せながら言った。「『朝鮮独立運動』に加担していた“糞”朝鮮兵どもだよ」下村は続けた。「東北抗日聯軍。聞いた事ぐらいあるだろ?」
山下は頷いた。「ああ。だが、奴らは去年の暮れに壊滅しただろ?」
「まぁな。だが、どうやらソ連に亡命していたらしい」
「数は?」山下は訊いた。
「約200人。『帝機関』と第三軍情報部の報告によると、奴らは“第88独立狙撃旅団”とかいうソ連軍の特別旅団に加わっているらしい」下村は答えた。「しかもだ。この旅団には毛一派の残党共やらなんやらの抗日支那兵どもも加わっていて、破壊工作や偵察任務に従事しているらしい」
「『国日共合作』が裏目に出たな。いまや背後も敵だらけだ」
山下はそう言い、後ろを振り返った。いまや背後にも敵は潜んでいるのだ。それこそ、いつ狙撃されるか、爆殺されるか、刺殺されるかも分からない。それが山下にとっては不安で仕方が無かったが、辺りの暗さで表情がまぎれ、不安が顔に出る心配をしなくて済むのがせめてもの救いだった。
「もっとも、俺の右側にも“敵”みたいな奴はいるようだが……」
山下はそう呟くと、右手に立っていた辻政信中佐を見据えた。
「ご冗談を、閣下」
辻は不敵な笑みを漏らしながら言った。
「『帝機関』は何をしていた? 確かにソ連軍の侵攻は事前に知ることが出来た。だが、朝鮮人や支那人の間諜がこの満州に忍び込んでいたことは何故、察知出来なかったんだ?」
「それは申し訳のしようがありません」辻は頭を下げた。「我々は、ソ連軍が満ソ国境線上で侵攻作戦の準備を進めているのに夢中になり、このような失態を犯してしまったのです。本当に、申し訳ありません」
何度も頭を下げる辻に、山下は気味が悪くなった。辻という男は、たとえ相手が上官でも言いたいことを言ってしまう男だった筈だ。それが今、こんなに頭を下げて謝罪しているのだから、何か“裏”でもあるのではないかと疑ってしまうのである。
「貴様のことだ。それを挽回する“策”があるのだろう?」
「……はい、勿論で御座います」
辻は薄気味悪い笑みを浮かべながら言った。「目には目を、間諜には間諜を……です。満州に亡命したソ連軍兵士を集い、同じように工作部隊を創るというのはどうでしょうか? ソ連軍内部に潜ませて機密情報の入手をさせたり、侵攻作戦の核となる“兵站破壊作戦”として、補給網・交通網の破壊工作を行わせるのです。万が一にもその存在がばれたとしても、スターリンのことです。ますます粛清の嵐を吹かせて、自らの従順な兵を死なせることでしょう。それはこちらとしても、都合が良い」
「転んでも起きぬ……か」
山下は訝しげな表情で辻を見据えた。「よし、それでいこう」
「閣下、有難うございます」
辻はそう言い、もう一度、頭を下げた。
1943年9月1日。こうして始まった『日ソ戦争』は、序盤、ソ連による一方的な攻勢から幕を開けた。各要塞防衛線は貧弱な機甲戦力の補填として海外製戦車の投入や航空戦力の投入を行い、その急場をしのいでいった。しかし全ては――始まったばかり。ソ連によって行われた『9月の嵐作戦』は、ユーラシア大陸制圧作戦においては、まだまだほんの序の口に過ぎなかったのである。
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