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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第7章 戦時の大和~1943年
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第80話 満州の荒野に虎は吼ゆ(前)

 第80話『満州の荒野に虎は吼ゆ(前)』

 

 

 1943年9月1日

 満州国/吉林省

 

 国都新京。そこに居を構える関東軍総司令部庁舎はその建築様式がとにかく印象的な建物だった。何しろ、それは――『城』なのだ。天守閣様式のその建物は、計画都市『新京』においても、もっとも日本人のエゴが浮き彫りになった象徴的存在といって過言ではなかった。しかし、周囲を守るのは堀や土塁ではなく赤煉瓦の壁という、まさに見かけ倒しのハリボテの城。それが関東軍総司令部庁舎なのだ。その印象的な建物は支那人達にとっては恐怖を、帝国軍人にとっては畏怖を覚えさせるのだが、同時に哀れな光景でもあった。

 しかし、いまやそんな関東軍総司令部――通称『お城』――は壊滅の危機に瀕していた。空をおびただしい数のソ連空軍機に埋め尽くされ、制空権を握られているのだ。過去も現在もそうだが、どれだけ強固な陣地も空からの攻撃には弱い。かくいう関東軍総司令部――“ハリボテのお城”も、その例には漏れなかった。並木通りに沿った建物はたちまち炎に包まれ、午前1時の漆黒と濃霧に染まった新京を照らしめるのは、対空火砲の砲炎、爆撃の閃光、住居や工場を燃き尽くす火しかなかった。爆撃の音は断続的で不規則だったが、対空砲火の轟音が鳴り止まぬことはなかった。ここは天下の新京、関東軍の顔なのだ。そこに泥を塗ったソ連空軍を生きては帰さぬと、対空火砲、対空噴進砲、邀撃機が大奮闘した。

 そんな新京は関東軍総司令部の地下壕では、一早く避難した関東軍首脳陣らが一堂に介し、各所から送られてくる情報を集計してソ連軍の活動を把握しようと必死になっていた。地下壕に設置された大きな表示板には、複数の地図や電信文がペタペタと張られ、頭上の白熱電球は爆撃の震動で絶えず揺れ動いていた。その度、塵や土埃が舞い上がり、関東軍将校達の顔を土色に汚した。

 「敵の規模は?」

 長机に腰を据えていた関東軍総司令官今村均陸軍大将は、満州国の地図を見下ろしながら問う。

 「現在、『帝機関』ならびに関東軍国境守備隊を通じて確認できた敵兵力は、90個師団将兵270万名です。うち戦車師団は45個、戦車・自走砲は10000輌以上と推測されます」

 そう語ったのは、ロシア通で知られる関東軍参謀総長、笠原幸雄中将だった。

 1943年9月1日0100時。ついに火蓋は切って落とされた。満州国の東部国境、北部国境、西部国境の3ヶ所同時に、それぞれ第1極東方面軍、第2極東方面軍、ザバイカル方面軍(モンゴル人民革命軍含む)計90個師団270万名が一斉に進撃するという、前代未聞の侵攻作戦が開始されたのだ。

 これに対し、関東軍は各地の要塞防衛線を主軸とした拠点防御戦を展開した。関東軍は1934年から1943年の9年間に渡り、東は琿春市から西は海拉爾(ハイラル)に至る国境地帯に計19ヶ所、4700kmに及ぶ要塞防衛線を建設、設置していて、これではさしものソ連軍も素通りする訳にはいかなかったのである。ヨーロッパの『マジノ線』や『スターリン線』には劣る要塞防衛線だったが、ソ連軍の進攻を妨げる時間稼ぎにはなりそうだった。

 「現時点で緊急展開可能な我が方の兵力は、後方の関東軍25個師団35万名、満州国軍20個師団25万名、国民革命軍60個師団35万名、中国工農紅軍35個師団40万名の計135万名です」笠原は言った。「そのうち、機甲戦力は戦車・自走砲合わせて3180輌程度。しかし火砲は15000門を数えますし、航空戦力に至っては陸海合計12000機の配備が整っております」

 航空戦力の面では圧倒的優勢を誇る日満国共4国同盟軍――以下『中国同盟軍』――だが、機甲戦力の少なさは死活問題だった。しかし関東軍と満州国軍は対戦車砲・噴進砲による重装備化が進められている。また国民革命軍はドイツ製兵器、中国工農紅軍はソ連製兵器によって機械化が進んだ近代軍隊としての形を既に確立しており、近代戦・ゲリラ戦双方における活躍が期待された。

 「そして現在、東部満ソ国境地帯の『虎頭(ことう)』を始め、『五家子(うかし)』、『東寧(とうねい)』、『綏芬河(すいふんが)』、『半載河(はんさいが)』といった主要要塞がソ連軍の砲爆撃を受け、目下交戦中とのことです」笠原は言った。「さらに、北部国境地帯ではソ連軍が黒竜江の渡河を開始。西部方面の守備隊からは、ソ連軍とモンゴル人民革命軍による『海拉爾要塞』への進攻が確認されております」

 笠原の報告を一通り聞いた関東軍総司令部の幕僚達は、殺気と怒気を入り混じらせながら、地図上に展開するソ連軍部隊の駒を睨み付けていた。東西北3ヶ所の国境防衛線を食い破っての一大侵攻作戦。圧倒的な物量なくしては出来ないような、壮大且つ単純な作戦だったが、合理的でもあった。何しろ、満ソ間の国境はモンゴルを含めてしまえば全長8000kmを超す。国力的にも関東軍がその全てをカバー出来る筈がなく、ソ連軍による3ヶ所からの侵入は防衛戦力を広範囲に渡って薄く展開してしまった関東軍にとってはもっとも効果的な戦術だったのだ。

 「もっとも火力を欲するのはどこかね?」

 「東部方面です」

 満ソ東部国境地帯には、ソ連のアジア侵略の尖兵とも言うべき『第1極東方面軍』が配備されており、第2極東方面(20個師団60万名)やザバイカル方面(30個師団90万名)を含めた3個方面軍の中でも、全軍の半数近くを擁するという1番の戦力を誇っていた。その理由は、満州国中央の早期攻略と補給線形成の安易さ、そして関東軍の対ソ基本戦略が深く関わっていた。

 「ソ連の第1極東方面軍は40個師団を擁しており、機甲部隊を前面に押し出した電撃作戦――もどき――を基本戦略として、砲兵と空軍の支援を受けつつ進攻中です」笠原は地図上の満州東部を指して言った。「虎頭を始めとした要塞を重点的に攻撃していることから、敵は陣地破壊を作戦の主軸に入れているようですね。空挺部隊や機械化師団による迂回戦術が全く見受けられないことからも、それが分かります」

 「つまりは……ソ連軍は下手な小細工を行う気が無いと?」今村は従兵が用意したコーヒーに舌鼓を打ちながら、顔を顰めて言った。今村の読みは正しく、第1極東方面軍を指揮するゲオルギー・K・ジューコフ上級大将は『物量』を武器にするという、大日本帝国にとってはもっとも厄介な戦法を取っていた。これは1939年の『ノモンハン事件』や1942年の『冬戦争』に由来する彼独自の見解で、友軍の犠牲を前提とした極めて冷酷で、非人道的ではあるが効率的な戦法だった。

 「巨大な組織ほど、単純である方が運用し易い」今村は言った。「その第1極東方面軍の指揮官は優秀な男のようだ。ぜひ一手、将棋を打ちたいよ」

 冗談じみた笑みを見せカラカラと笑う今村に、笠原は首を振った。「閣下」

 依然として笑い続けていた今村は両手を叩いた。「いやぁ、すまんすまん。だが、俺だって笑ってばかりじゃないさ。すぐに東部方面に予備の17個師団を送り込んで、兵力増強をしよう」

 今村はそう言うと腕を組み、再び満州国の地図に目を向けた。


 

 新京の関東軍総司令部地下壕で東部方面への戦力増強が決定した頃、満ソ東部国境地帯は虎林に位置する『虎頭要塞』では、ソ連軍による大規模な準備砲撃が加えられていた。『M-30』122mm榴弾砲や『B-4』203mm榴弾砲が雷鳴のような咆哮を放ち、莫大な運動エネルギーを秘めて飛び立った。咆哮とともに大気に放たれた漆黒と橙色の爆風。熱を帯び、空を切り裂きながら飛翔する無数の砲弾は、濃紺に染まったウスリー河の上を放物線を描きながら、悠々と飛び越えると、その身を震わせ、叫び、弾丸が弾け散った。そして空中にばら撒かれた多数の破片が雨のように降り注ぎ、緑黄の乾いた大地に幾数もの紅色の爆炎が膨れ上がった。

 「おのれぇ……こちらも撃ち返せッ!」

 虎頭要塞の砲火力を担う第十五国境守備隊砲兵隊長天野正大尉は、ソ連軍のつるべ撃ちの砲撃音に負けないように腹の底から声を引き絞って叫んだ。

 巨大な獣が――咆哮する。刹那、耳を聾するような甲高い爆音と、衝撃と、爆風が炸裂した。その衝撃はとてつもない程の力で、一瞬、天野の鉄兜が宙を舞った。彼は鉄兜を必死で押さえながら、塹壕内を駆け回っては周囲に形成された重砲陣地に指示を飛ばした。

 「よーし、このまま続け――ッ!?」

 「あ……天野隊長ッ!!」

 唐突に訪れた衝撃に転倒した天野に、砲兵の一人が駆け寄る。そこかしこで起こっていた爆発を“小爆発”と言わしめるほどの規模の爆発が彼の目の前で引き起こされたのだ。爆発は留まる気配を見せず、要塞の重砲陣地を次々と吸い込んでいく。虎頭の大地には小さな亀裂が縦横に走り、火柱が迸り続けた。

 「一体……これはなんという……」

 天野がウスリー河に接した要塞陣地に近付くにつれ、その大爆発の正体が明らかになっていく。彼が双眼鏡を両手に握り掲げると、2つのレンズは北の山地を投影した。大地は黄緑色と焦げ茶色をところどころに付け、その上の空を覆う夜の闇が徐々に薄れて、血のような朱に染まりつつある。その下に連なる山地の尾根は、黒よりもさらに黒く見えた。それは、漆黒の尾根のなかに何かが蹲るようにして存在していたからである。天野はその正体を掴もうと、双眼鏡を凝らして見張った。

 「く……くそッ……列車砲だとッ!?」

 虎頭要塞に襲い掛かった大砲撃の正体――それはソ連軍の列車砲『TM-3-12』だった。

 ソ連海軍太平洋艦隊の伝家の宝刀、『TM-3-12』305mm列車砲はソ連軍でもトップクラスの火力を誇る新型列車砲だった。ウラジオストクに駐留するソ連海軍第12列車砲旅団に所属する列車砲3門のうちの1門であり、今回のアジア侵略作戦第1段階――通称『9月の嵐作戦』には欠かせない火力の一つといえた。このTM-3-12列車砲はロシア帝国時代の弩級戦艦、『インペラトリッツァ・マリーヤ』級の52口径30.5cm主砲塔を流用したもので、その最大射程は50kmにも及ぶ。その破壊力も折り紙付きだ。

 ソ連軍極東方面軍司令部は、このTM-3-12列車砲による一方的な砲撃によって虎頭要塞を陥落させられるものと信じて疑わなかった。何故なら、彼らはこの虎頭要塞に配備されている要塞砲は10~20km程度の射程距離しかないと思い込んでおり、既に“シベリア鉄道の迂回”という対処策を講じていた。これは既存の『イマン鉄橋』から15km迂回させたもので、『イマン迂回鉄橋』というものが建造され、架かっていた。

 そこで悪知恵が働いたのは、あのジューコフ上級大将だった。彼はこの、迂回鉄橋でも虎頭要塞を有効射程に収め、攻城兵器としては絶大な威力を誇っているTM-3-12列車砲のイマン迂回鉄橋への配備がなれば虎頭要塞は簡単に落とせるだろうと海軍や極東方面軍司令部に掛け合い、その案を容認させたのである。彼は『ノモンハン事件』での復讐を果たそうと燃えていた。今回の一件もその布石であり、関東軍が誇る難攻不落の要塞を落とすことで華々しい軍人キャリアのスタートを成し得ようと画策していたのである。

 しかし一方、虎頭要塞はこのイマン迂回鉄橋を落とすために『試作四十一糎榴弾砲』や『九〇式二十四糎列車加農砲』等を配備していた。特に九〇式二十四糎列車加農砲は最大射程距離50kmと、ソ連のTM-3-12列車砲と同等の射程を誇り、またその威力も絶大だった。

 さらに史実とは違い、今物語では戦艦『長門』の45口径41cm主砲塔が要塞砲として、この虎頭要塞に配備されていた。これは1946年から舞い戻ってきた『夢幻の艦隊』の一隻である戦艦『長門』を空母『鳳凰』に改造した際、降ろされたもので、要塞砲として流用された。この41cm砲は最大射程38km、有効射程30kmを誇り、九〇式二十四糎列車加農砲やTM-3-12列車砲を凌駕する破壊力を備えていた。この41cm砲が計4基、『虎頭要塞』を始め『東寧要塞』、『黒河要塞』、『海拉爾要塞』にそれぞれ配備され、要塞砲火力としてその主翼を担うこととなった。これは帝国陸海軍の不仲さを考えると信じられないことだったが、『大和会』の暗躍あって成し遂げられる。

 

 

 そうこうしているうちに、ソ連軍砲兵隊は第2陣として、ウスリー河対岸に『カチューシャ・ロケット』2個大隊が集結、無数の82mmロケット弾が解き放たれた。雷のような勢いで空を駆け抜け、ウスリー河の上を飛び越えると、その矢先は虎頭要塞目指して、次々と撃ち込まれた。その命中精度は決して高いとは言えず、陣地を外れる弾は多くはなかったが、当たる弾も少なくはなかった。まさに『数』の勝利である。

 「カチューシャにカチューシャを贈ってやれ!」

 M-8ロケット弾の鋼の洗礼を前にした天野は、背後に並ぶ三式82mm噴進自走砲中隊――帝国陸軍版『カチューシャロケット』――に攻撃命令を下した。

 三式82mm噴進自走砲は1942年、家族への思想弾圧と日本の政治宣伝に扇動されたソ連空軍極東方面軍の曹長が、操縦マニュアルや機密文書を携行し、『LaGG-3』戦闘機で満州国への亡命を図ったという『LaGG-3パイロット亡命事件』に誕生を由来する。史実にも起こったこの事件は、今物語でも関東軍によって最終的に保護されるという結末を見せるが、一つ違ったのはLaGG-3戦闘機に搭載されていた『RS-82』ロケット弾の鹵獲である。関東軍は亡命者の搭乗していたLaGG-3に搭載されていたこのRS-82ロケット弾を回収、『冬戦争』で鹵獲したものやドイツ軍技術者の協力もあって、地対地82mmロケット弾への派生品開発に成功したのだ。

 そもそもカチューシャロケット――つまりM-8やM-13といった地対地ロケット弾はこのRS-82の派生型であり、その開発自体はそれほど大変でもなかった。帝国陸軍はこのRS-82をベースとした地対地ロケット弾を専用の発射機に載せて『九四式六輪自動貨車』や、『一式六輪式自動貨車』(米陸軍のスチュードベーカーUS-6カーゴトラックの国産品)を用い、1943年3月『三式八十二糎噴進自走砲』として制式採用する。制式採用後、各地の自動車生産工場でトラックの製造が、専用兵器工場で三式82mm噴進弾の製造がそれぞれ始まり、満ソ国境地帯の各国境守備隊を中心に配備が進んでいた。

 話は戻る。三式82mm噴進自走砲は専用の発射レールから計16発の三式82mm噴進弾を空に向け、発射した。周囲に白煙が立ち込めたかと思うと、数分後にはウスリー河対岸で多数の爆発が起こった。その中には、三式82mm噴進弾の攻撃を受けて大破、炎上するカチューシャロケット・トラックの姿もあった。

 「第2射用意……射ェェェェェッ!!」

 再び立ち昇る三式82mm噴進弾の白煙に、天野は“和製カチューシャ”に頼もしささえ感じ始めていた。コピーが本物を上回る。そんな光景は拝めないものとばかり思っていたからである。しかし三式82mm噴進弾は、奇跡的な命中率でウスリー河対岸のカチューシャロケット大隊を直撃、大損害を与えて後退を余儀なくさせる状況にまで追い込んだ。ここで今日初めて、関東軍は優勢に立ったのだ。

 

 

 しかし激闘の一日は――まだ始まったばかりだった。



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