第78話 国日共合作構想(前)
第78話『国日共合作構想(前)』
1943年8月10日
東京府/千代田区
大日本帝国の中枢、霞ヶ関に鎮座する海軍大臣官邸。その日、そこには伊藤整一中将や山本五十六海相を始め、米内光政総理大臣、森下信衛海軍大佐、石原莞爾大将、原茂也陸軍大佐といった『大和会』の重鎮達が一堂に会し、大会議室の椅子に腰を下ろしていた。1946年の――今となっては起こり得るかは定かではない――未来から舞い戻り、戦前日本を導いてきた地下組織『大和会』。陸海軍有識者の“勉強会”を表の顔とするのは、戦後も戦前も同じで、『大和会』重鎮の米内が大日本帝国の政府を統べている今であれ、それは変わらぬ事実だった。彼らは全知全能の神ではない。大日本帝国の神たる昭和天皇をバックに付けていても、それは変わらなかった。
一同が座る長机の背後に佇む映写機はカタカタと鈍い作動音を響かせながらフィルムを回し始め、一条の光を白地の投射スクリーンに差し込んだ。次の瞬間、投射スクリーン上に白黒の世界が構築され、映像が流れ始めた。
《欧羅巴戦線ハ奇々怪々ナリ》
Me109戦闘機が編隊飛行で上空を駆る映像が流れ、下部にその字幕が刻まれる。映像はフィンランド戦線域でEU空軍とソ連空軍の戦闘機部隊が戦う姿を語っており、その後、『イハンタラの戦い』でフィンランドの平野を猛進する第十八師団の兵士達の姿が流れ出した。
《大日本帝國天皇陛下及ビ欧羅巴同盟首脳ラハ『ソヴイエト』社会主義共和国聯邦トノ講和条約ヲ締結スルコトニ決定シ、之カ爲。然シ七月三十日、ソヴイエトノ外相モロトフハ芬蘭上空ニテ独空軍ノ攻撃ヲ受ケ死シタル。ソヴイエトノスターリンハ講和条約ノ締結セザルヤ》
日本映画社製作のニュース映画が欧州戦線の戦況を淡々と語っている間、じっと沈黙を守ってきた伊藤は石原に話し掛けた。「石原閣下、駐日ドイツ士官のシュミットから何か連絡がありましたか?」
石原は頷いた。「ええ。この撃墜事件については……」石原は言った。「しかし具体的な報告はありませんでした。今回の事件はあくまでも『アプヴェーア』筋で送られてきた機密情報を基に、モロトフ機に爆弾が搭載されていたから仕方なく撃墜した――と」
伊藤は渋面を浮かべた。「やはりそうですか。おかしいですね。ドイツに派遣した品川大尉によると、アプヴェーア長官のカナリス提督はそのような情報を知らなかったと言っていたとのことなのですが……」
石原は眉を顰めた。「そうか……とすると、ヒトラーは“何か”隠していますな」
「“ヒトラーの隠し事”――か」伊藤は渋面を浮かべた。「考えただけでも恐ろしい。奴は我々の制御できる範疇をついに超えたということか……」
石原は唸った。「それは我々にしても同じではありませんか。将来の『対独戦』に備え、アプヴェーアやトロツキスト、そして中国共産党の王明一派と関係を結んでいるのですから」
それらの人脈形成は、対独・対ソ・対中戦に備えた布石である。
「ええ、確かに」
伊藤は頷くと、その視線をニュース映画の映像に向けた。
《七月三一日、欧羅巴同盟ハ芬蘭ヨリ撤退シタ即応軍団ノ再配備ヲ決定事項トス。然シ、ソヴイエトノ反中立行為ニ両国間ノ中立関係ヲ破棄ナラシムルノ希望ヲ促ス独逸ノ提案ハ、波蘭ニハ認メラレズ》
映像はパリ緊急動議の会議場に移り、ポーランドの中立を守るという断固たる意志を帯びて弁舌するヴワディスワフ・ラチュキェヴィチ大統領の姿が映されていた。そしてそのすぐ隣では、ヒトラーの苦虫を噛み潰したような顔が映っていた。
《……マサニ、欧羅巴戦線ハ奇々怪々ナリ》
字幕はそこで途切れ、ニュース映画は終わりを告げた。
数週間前に製作された日本映画社のニュース映画でこれまでのおさらいを終えた後、『大和会』一同の視線は前方に立つ伊藤に注がれた。
「……先日、ドイツのアプヴェーア筋からの情報が入った。ソ連のモスクワ・キエフ等の軍管区から大量の兵員・戦車・軍事物資を搭載した軍用列車が多数、シベリア鉄道を通じて出発したそうだ。そしてそれらの列車は、満州方面を目指している」
伊藤は机上に敷かれた地図の前に立ち、ペンでシベリア鉄道を濃く塗り示した。矢印となったそれは、軍用列車の行き先が満州方面であることを指しており、幅1000キロメートルにかけて軍用列車群がシベリア鉄道を占めていることが分かった。つまりは、ソ連軍は西から大戦力を送り込もうとしているというこであった。
伊藤は続けた。「情報によると、これらの戦力の他にも多数の戦力の移動が確認されている。ザバイカル方面軍も動いているとのことだ。全てを合わせた具体的な戦力数は――70個師団と推定される。これに極東軍管区の戦力を合わせれば、100個師団を超す大戦力が満州地方に配備されることになる」
「ヨーロッパの戦況はどうなっている?」
一同がざわめく中、つとめて落ち着いた声で言ったのは米内だった。
「ポーランドは依然、中立を保ったままです」伊藤は答えた。「ドイツ軍を主力とするEU軍はフィンランド国境線からソ連軍を完全に排除し、レニングラードへの侵攻作戦を遂に開始したといいますが、あそこは史実、900日に渡ってドイツ軍の侵略を退いてきた難攻不落の都市です。900日とはいいませんが、1ヶ月かそこらで攻略できる訳ではないでしょう。モスクワ侵略など、夢のまた夢ですよ」
史実でもそうだが、大日本帝国陸軍が『北進論』――対ソ戦――で重要な要素としてきたのは、ヨーロッパ方面でドイツ軍が快進撃を見せ、ソ連軍が主力戦力を欧州戦線におくことだった。少なくともソ連軍全兵員の2分の1、全戦車・航空機・火砲の3分の1が欧州戦線にいなければ『北進論』は成り立たなかった。また同時に、極東軍管区からも30個師団近い数の兵員を半分以上引き抜かれ、骨抜きとなった状態でなければならなかった。
しかし今回、ソ連軍が極東戦線に向けて用意した予定兵員数は100個師団300万名、戦車・自走砲15000輌、航空機20000機、火砲50000門。これはスターリンが起案した『バグラチオン作戦』における総合戦力の3分の1近くを占める数だが、尋常ではないのは確かだった。史実1945年8月9日未明に勃発した『日ソ戦』でのソ連側戦力は175万名70個師団、戦車・自走砲5250輌、航空機5171機、火砲24380門である。計画値ではこれの2倍近くに及ぶ数が用意されている訳だ。しかし戦車・自走砲・航空機・火砲の多くは生産が追いつかず、現在輸送されている戦力を含めても計画値の半分以下だった。そこが関東軍にとっての救いともいえる。
「ヨーロッパがあてにできん以上、我々は独力で対処しなければ……」
米内はうんざりしたように呟いた。「関東軍の戦力は?」
その米内の問いには、石原が答えた。「現在、満州国に配備されている関東軍は125万名33個師団。ここに25万名17個師団を加え、9月までに150万名の動員を予定しています」
150万名といえば、ソ連軍計画値の半数を占める数だ。また史実と違い、これらの戦力の3分の1は機械化が進んでおり、近代軍隊としての体を成していた。十分に戦えるといえば戦えるが、戦車戦についてはそうとも言い切れなかった。
「但し戦車の数は、フィンランドから遣欧軍を引き戻したとしても600輌に満たず、その大半は九五式軽戦車といった旧式戦車が占めています」石原は言った。「フィンランドでソ連のT-34と戦った戦車兵の証言によると、これらの旧式戦車はソ連軍の新型戦車に傷一つ付けることも出来なかったことが多い――と」
山本は唸った。「米内閣下、頼りは陸海航空隊の航空戦力でしょう。一式中や三式砲の配備が遅々として進んでいない以上は……」
米内は頷いた。「そうだな。山本海相、陸海軍含めた航空機の総戦力は如何ほどか?」
「約20000機です」
山本は言った。「訓練機、及び9月の生産予定の機体を含めれば更に多くを投入できるかと……」
この頃、帝国海軍の戦闘機は零式艦上戦闘機二二型から五二型。帝国陸軍の戦闘機は一式戦闘機『隼』から二式戦闘機『鍾馗』や三式戦闘機『飛燕』へと更新が進められていた。これらは未来の教訓をいち早く開発陣に知らせており、設計時から欠点等を改善した仕様となっていた。このため、機体開発は史実よりも順調に進み――F6F『ヘルキャット』等、未来の米海軍航空機の鹵獲機から学んだ所も大きい――工業基盤もしっかりとしていたので、予定以上の生産数を見せていた。
「エアカバーを万全とし、いざソ連軍の攻勢が始まった時には本土攻撃は絶対に阻止するのだ。帝都上空に侵入させることなど、あってはならんぞ!」
米内は念を押し、山本に言った。これは士気等の問題が大きく関係しているが、一番大切なのは天皇の身だろう。『大和会』の陰の後援者にして大日本帝国の象徴たる天皇という存在は、戦争遂行においてはもっとも重要視される要素だった。大日本帝国における善きも悪きも、この天皇の名の下に行われてきたのだ。
「米内閣下。実は私にひとつ妙案が御座います」
そう唐突に言ったのは、『大和会』の策士たる石原だった。チェンバレン・チャーチル英首相暗殺によって日英同盟、さらにはEUを誕生させた張本人である。またこれは定かではなかったが、東條英機を暗殺した主犯でもあった。この男の発言はどれも謎めき、策謀を思わせる。
「何だ、その妙案とは?」
米内は怪訝そうに言った。
「はい。私が考えますに、このままでは関東軍はソ連軍に負けるでしょう。圧倒的に」石原はきっぱりと言った。「ソ連と事を構えるならば、彼らの得意とすることによって同等の位置に着かねば勝利は望めんでしょう――すなわち、『人海戦術』によって」
「人海戦術? つまり貴様が言いたいのは、関東軍の更なる戦力増強か?」
「そうとも言えるし、そうとも言えんでしょう」石原は謎めいた笑みを漏らした。
「回りくどいな……はっきり言ったらどうなんだ?」
石原はかぶりを振った。「それが、私のような立場ではそうも言えんのですよ――中国国民党や共産党と共同戦線を張るなどとは……」
米内は目を丸くした。「支那人と手を組むというのか!?」
この石原の発言に米内が仰天したのは無理もない。日中戦争が頓挫した後も日中間の禍根は残り、その対立が続いていたからだ。今年3月、EUと大日本帝国から正式に中国の政府として中国国民党は認められ、EU入りを果たしていたが、関東軍が仮想敵国として中国国民党軍を外すことはなかった。
また米内もそうだが、この場に居る全員が――伊藤も例外ではなく――支那人を劣等民族のように軽視していた。その中で、『満州事変』を起こして支那人から土地を奪い、『満州国』なる国家を生み出した石原莞爾がこのような発言をするなどとは、『大和会』の誰もが思ってもみないことだったのだ。
「中国国民党と共産党と合作を組み、中国大陸の防衛体制を盤石なものにするのです」石原は言った。「共産党は勢力の衰えは否めませんが、国民党を合わせて兵力を抽出すれば150万名程度の兵士を用意できるでしょう。この国共軍150万名と関東軍の150万名、計300万名によって満州を防衛します」
「馬鹿な」米内は呻いた。「支那人を満州防衛に加えるのか? ろくな戦力にもならん」
「それはどうでしょうか」石原は言った。「史実の支那戦争では、国民党と共産党は国共合作によって1937年から1945年までの8年間を守り切りました。仮に満州を失ったとしても、彼らが中国大陸にゲリラ戦を展開し、我々がその補給網を提供してやれば、ソ連軍の大兵力がそのまま本土に上陸することは万に一つもないでしょう。聯合艦隊も存命ですし。その間、戦力の回復を進めればいい」
史実の1945年8月と違い、帝国海軍には有り余る程の戦力があり、ソ連海軍には乏しい戦力しかなかった。艦隊決戦はおろか、船団護衛もままならないだろう。ソ連軍が日本本土を侵略するとならば、その四方を囲む海を越えなければならないが、それは無理な話だった訳だ。
「言わば『国日共合作』です」石原は言った。「大日本帝国、国民党、共産党という東アジアを代表する3つの勢力が協力し、侵略者であるソ連軍に立ち向かう。それこそが、勝利に繋がる私の策です」
「石原閣下、百歩譲って国民党が関東軍との協力体制に加わったとしても、共産党が加わるとはとても思えません。その点は如何お考えでしょう?」
そう言ったのは、伊藤だった。彼が言うように、中国共産党はソ連からの支援によってその命を繋げてきていた。今回の『国日共合作』構想は、その生命線を自ら断つような愚行に他ならなかったのである。
「それは……ご心配なく。中国共産党内部に多大な影響力を持つ地下協力者が存在します」石原は一瞬口ごもってから言った。「その協力者の名は――“王明”。現在、中国共産党内でナンバー2の座に着く人物であり、毛沢東やスターリンの意向に否を唱える人物でもあります。この男からの情報提供により、毛沢東や共産党幹部達の潜伏する場所は知れています」
石原は続けた。「私はこの潜伏場所に関東軍2個機械化大隊を派兵し、共産党幹部を一掃したいと思います。すなわち、“毛沢東とその一派”の抹殺です。指導者を失った共産党は新指導者として王明を担ぎ上げ、そして――」
「……共産党の協力を得る、か」
伊藤の呟きに石原は頷いた。王明はコミンテルンに忠実で理論派の論客だったが、それが毛沢東にとっては目障りでならなかった。そのため1943年以降は失脚寸前の立場にあり、首の皮一つで繋がっているような状態にあったのだ。
1943年8月5日、遂に国際主義から一国社会主義へと方向転換したスターリンはコミンテルンを解散させていた。コミンテルンの支部党である中国共産党は解党を命じられており、まさに風前の灯だったのだ。ソ連からの軍需物資の支援はまだ続いていたが、中国共産党そのものの存続は危うかった。
「王明はスターリン派と聞いていたが……」
石原は頷いた。「いえ、確かに少し前まではそうでしたが、現在ではトロツキーを指導者とする『第4インターナショナル』に参加しています。コミンテルンの解散後は、完全にスターリンへの忠誠心も失っていることでしょう。党内での立場を確約してやれば、我々に協力することは間違いない筈です」
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