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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第7章 戦時の大和~1943年
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第76話 運命の女神は血の涙を流す(中)

 第76話『運命の女神は血の涙を流す(中)』


 

 1943年7月31日

 

 ――"Finlandia,Finlandia, sinne taas matkalla oli livana.

  (フィンランド、フィンランド、イワンはフィンランドに行った)

   Kun Molotoffi lupas'juu kaikki harosii.

  (モロトフは、そこが為すが儘の戦場だと約束した)

   huomenna jo Helsingissa syodaan marosii.

  (明日にはヘルシンキでアイスクリームを食べる筈)

  Njet Molotoff,njet Molotoff.

  (モロトフは駄目だ モロトフは駄目だ)

  valehtelit enemman kuin itse Bobrikoff――……♪

  (お前はボブリコフより嘘つきだ)


 イギリスのBBCラジオは、フィンランド軍が侵略者モロトフ外相を皮肉って作ったシニカルな軍歌、『Njet Molotoff』を流し始めるが、それは昨日には流れてはいけない筈の音楽だった。1943年7月30日、ドイツ空軍戦闘機によるソ連要人機撃墜――後に『モロトフ外相機撃墜事件』と記憶されるその出来事は、EU(ヨーロッパ同盟)とソ連の関係を激変させた。ソ連は一方的にEUとの断交を通告し、30日に予定されていた『ヘルシンキ講和会議』は当然ながら頓挫することとなった。

 その事実はドイツのEUにおける地位を大きく揺るがすものとして、EU内の『粛清』を免れない事態へと発展していくものだろうと、世界は考えていた。何しろ、講和を望むソ連政府高官――しかも丸腰――の乗った旅客機を撃墜したのだ。いくらソ連空軍への牽制としてフィンランド空域の哨戒を続け、ドイツ空軍内で厳戒態勢が維持されていたとしても、それはEUの利益と名誉を著しく傷付けるものであり、許されざる行為だったのだ。そしてそこから、誰もがドイツのEU除名処分――を予測した。

 しかし――ドイツはEUから除名されなかった。

 1943年7月31日、イギリスのBBCはその理由を淡々と語った。


 『先日、フィンランド-カレリア地峡で勃発したドイツ空軍機によるソ連旅客機撃墜事件ですが、ドイツ空軍からの声明では、今回の『ヘルシンキ講和会議』を狙ってソ連が旅客機を用いてこの会場に特殊な“爆弾”を運び入れ、EU首脳陣を殺害しようと画策しているという情報がドイツ軍諜報部筋から提供され、行った“正当”な防衛手段の1つであると主張しています。事実、フィンランド軍の調査によると、ソ連の旅客機Pe-8の爆弾格納庫内から多量の“特殊爆弾”が確認されており、今回の『ヘルシンキ講和会議』がEUの首脳陣を一堂に集わせ、纏めて殺害しようという暗殺計画であった――というドイツ軍諜報部の話を裏付ける明白な証拠であるとして、EU各国はドイツの行動を“賞賛”しています。

 また、本日パリで開かれた第3回EU緊急動議では、ドイツのEU除名決議が反対多数で否決され、ドイツのEU続投が正式に承認されました。各国はこの決定の理由を、“7月30日に執られたドイツ空軍によるソ連機への対応手段は、我がEUとソ連間で結ばれた戦時国際法下でも合法的措置であり、何ら咎められる理由はない”と表明しております。さらに、EU軍は既にフィンランドから撤退させた軍団の再配備を強く望んでおり、パリで開かれている緊急動議内で可決されれば、即座に緊急即応集団を始めとする兵力を送り込むことを宣言しております――』

 

 

 1943年7月31日

 フランス/パリ


 『花の都』と称されるパリの中心に位置する行政区、パリ1区。市の中央部から時計回りに螺旋を描きながら名付けられたパリ行政区20の中で、その螺旋の始まりを占めるこのパリ1区は、特異な行政区だった。元は宮殿だったというフランスの国立美術館『ルーヴル美術館』や、どちらかというとエトワール凱旋門の方が有名という姉妹門『カルーゼル凱旋門』といった歴史を感じさせる荘厳な建築物が聳え立つ一方、フランス司法省や最高裁判所といった司法機関も並んでおり、パリ1区はパリの司法を司る中心地でもあった。

 そんなパリ1区はヴァンドーム広場には、世界で最も豪華で美しく、評判のあるという老舗ホテル『ホテル・リッツ・パリ』が存在した。テュイルリー宮殿の北、マドレーヌ寺院の東に位置する。非常に美麗で荘厳な建物で、その機能性の高さと美しさを評価したドイツ空軍はパリ支部としてこのホテルを接収、連合国軍の到来まで使われていた。このホテルが建っている『ヴァンドーム広場』が“リュー・ド・ラぺ”――フランス語で『平和通り』を差す――の始点にあったことは、それを思うと皮肉なことだろう。

 1943年7月31日、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはこのホテルの最上級スイート『スイート・アンペリアル』に滞在していた。その部屋は史実、ドイツ空軍総司令官のヘルマン・ゲーリング空軍元帥がパリに赴く際、滞在する場所だった。スイート・アンペリアルはホテル2階にあり、寝室が2つ、居室が2つ、食堂からなる。

 パリでもっとも豪華なホテルの、なおかつ最上級の部屋であるだけあって、内装も凄い。大理石の床はピカピカに磨き上げられ、顔もくっきりと映るほどだった。白を基調とした寝室にはフランス皇帝達も愛用したというサヴォヌリ絨毯が敷かれ、フランス皇帝の肖像画が置いてある。食堂も豪華絢爛な造りで、10人は座れる。白塗りのベランダからは、ヴァンドーム広場の荘厳な景色を一望できた。

 午後3時、ドイツ宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスはこの部屋に宿泊するヒトラーとその愛人、エヴァ・A・ブラウンを前にして立っていた。2人はEUの緊急動議で午前中を忙しなく過ごし、やや遅めの昼食を摂っていた。

 ヒトラーは嬉々としながらゲッベルスの来訪を歓迎したが、そのゲッベルスに向けられる眼差しは、相手を射抜くように鋭かった。冷やかに青ざめた唇の回りには、微かな笑みが浮かんでいた。その存在感は圧倒的で、ヒトラーの顔を直視できなかったゲッベルスは、バロック調の巨大な金縁の鏡に映る自分の姿にばかり目がいっていた。

 「エヴァ。少し2人だけにしてくれないかな?」

 ヒトラーはゲッベルスや他の幕僚達にみせたことの無い笑顔を浮かべながら言った。エヴァは頷いて、ヒトラーの傍を離れると、静かにヒトラーの寝室を後にした。

 「ゲッベルス。守備は?」

 ヒトラーはエヴァに向けていたものとは180度異なる冷めた顔を見せた。

 「上々です、総統閣下」ゲッベルスは言った。「EUは完全に我々の策略を信じ切ったようです。EU加盟国の全メディアはソ連軍機が“特殊な爆弾”を隠し持ち、それによって『ヘルシンキ講和会議』に集うEU首脳陣を抹殺しようと目論んでいた――と、報じております」

 ヒトラーは長い間沈黙し、そして人差し指をピンと立てた。「よくやった」

 ゲッベルスはヒトラーの淡白な賞賛を受け、口許を綻ばせた。「今後の情報戦略は如何しましょうか? 既に本国では、ラジオや新聞を通じて事の真相を伝えていますし、現在、『殺戮者モロトフ』という題名のプロパガンダ映画の製作も順調に進んでいます。あと1週間もあれば完成かと……」

 「うむ。それをEU各国で上映させ、対ソ感情を扇動するのだ」ヒトラーは言った。「ひとつ注意すべきなのは、ソ連側の動向だ。スターリンは怒り狂った猪と化している。今の……というより、あのスターリンには、今回の事件での我々の暗躍を裏付けることは生涯を通してできないだろう。その間に証拠の抹消を進めていけばよい」

 ヒトラーは少し間を置いてから付け加えた。「だが、一直線に突き進む猪の一撃は、避けられねば手痛い一撃となってドイツの身の安全を揺るがすだろう。慎重に、そして確実に……。それを胸に刻んでおけよ」

 「了解しました。総統閣下」

 ゲッベルスは静かに頷いた。「しかし総統閣下。ソ連の悪行がEUで証明された今、“第2プラン”はやはり破棄となるのでしょうか?」

 そんな彼の言葉に、ヒトラーは再び沈黙した。しかしその口許は歪み、引き攣るような笑みを浮かべていた。

 「いや、ゲッベルス。“第2プラン”は予定通り――実行された」

 「実行された?」ゲッベルスは平静を装いながら言った。

 ヒトラーとゲッベルスが言う“第2プラン”とは、モロトフが搭乗するPe-8政府高官用改造旅客機がドイツ空軍の戦闘機によって撃墜されながらも原形を留めず墜落した場合に発動され、実行に移される筈だった計画だ。そもそもの第1プランは、Pe-8を原形を留める程度にフィンランド領の地上若しくは海上に墜落させ、随伴するドイツ空軍空挺部隊をその墜落地点に送り込み、その残骸の中に“特殊な爆弾”――『石炭爆弾』をしのばせ、フィンランド軍の手で発見させることだった。

 『石炭爆弾』とは第二次大戦中にスパイ達の手によって多用された偽装爆弾の一種で、プラスチック爆弾同様に重宝されていた。何しろ爆弾を石炭そっくりに偽装させた爆弾だから、たとえ見つかってもプラスチック爆弾と違って言い逃れも――その場を素早く言いくるめればだが――できる。また当時、石炭は人々の生活に欠かせないものだったので、爆弾を隠し通せると同時に、色んな場所にこの偽装爆弾を仕掛けることができた。そして爆発させ、軍事的価値の高い火力発電所や蒸気機関車、軍需工場や軍事基地を破壊したのだ。その点、厳寒な気候のフィンランドではこの石炭が欠かせない存在であり、7月とはいえ各所に石炭が貯蔵されていた。まさに陰謀の下準備は整っていたのだ。

 ナチスはこれらの要素で陰謀の現実性を演出しつつ、“ソ連の大いなる陰謀”の架空シナリオを創作した。それは、スターリンが外相モロトフ率いる代表団を隠れ蓑にしながらこの石炭爆弾を講和会議の会場まで運び込ませ、モロトフらによってEU首脳陣の存在を確認しつつ、確実にその息の根を止めようと目論んでいた――というものだった。 また、当初は『モロトフのパン籠』と称されるソ連製収束焼夷弾の鹵獲品を墜落現場に持ち込み、Pe-8によって講和会場を爆撃するというもうひとつのシナリオも考案されていた。しかし収束焼夷弾の運搬は非常に労力と時間を食いやすく、またPe-8がそんなことをすればすぐに撃墜されるという可能性が否めないのにモロトフ自身が搭乗しているというのはおかしいのではないか、ということで廃案となっている。

 結局、この第1プランが成功したため、第2プランが使われることはないとゲッベルスは考えていたが、ヒトラーの返答は意外すぎるものだった。彼は第2プランの詳細を知る数少ない人間の一人であり、その第2プランの残虐性を知り得る人間の一人でもあった。

 「その通りだ、ゲッベルス」ヒトラーは静かに言った。「鹵獲したTB-3は今朝、既にベントケーラ飛行場から出発している。不安要素だった天候には問題がないらしい。このまま行けば、無事にフランクフルトに到着し――」

 「ユダヤ人の頭上にイワンの爆弾が……ですね?」

 ヒトラーは静かに頷き、ゲッベルスの顔を見つめた。それこそ、2人のいう“第2プラン”だ。すなわち――ソ連空軍爆撃機によるドイツ都市への無差別爆撃。正確には、ユダヤ人居住区(ゲットー)のみを狙った精密爆撃だが、無論、隣接する地区に被害が出ないとは限らない。ドイツ人にも死傷者が出るだろう。しかしヒトラーは、そんな国民が第3帝国の発展の糧となることを望んでいると思い込んでいた。それがドイツに生まれた者の使命――第3帝国への絶対的義務なのだ。

 「しかし総統閣下。何故、第2プランを実行に?」ゲッベルスは言った。「EU各国は既にソ連の陰謀として、我々が行った行為を容認しています。フランクフルトに潜む蛆虫共を根絶やしにするのは結構ですが、経済的損失は避けられますまい」

 ヒトラーは頷いた。「うむ。それは分かっている。しかしな、ゲッベルス。フランス……あの腰抜けのダラティエは頑として戦争の続行を望んでおらんのだ。全く許せん話だよ」

 EUにおける除名を免れたドイツだが、EU各国はこれ以上の戦争を望んでいなかった。特に第一次世界大戦以来、急進社会党の台頭によって軍縮と宥和を対外政策の要としてきたフランスは、どの国よりも戦争参加に否定的な立場にあった。そしてそんなフランスに追随する国は少なくなく、それが戦争再開というヒトラーの願いを邪魔する要因となっていたのだ。EU本部やEU軍総司令部があるように――これにはイギリスとドイツの上下関係を明確にしないという意図もあったが――EUで影響力を持つフランスがうんと首を振ってくれなければ、EU最大の発言力を持つイギリスもフランスを気遣って同調してくれない。そのため、フランスを説得することが、戦争再開への最優先課題だったのだ。

 「そこでダラティエを本気にさせるため、“どでかい花火”――フランクフルトの爆撃――が必要だった」ヒトラーは窓の外に視線を向けた。「第2プランは本来、スターリンの策略を信じ込ませるための苦肉の策だった。我輩としても、古都フランクフルトに爆弾の雨を降らせるのは偲びないが、あの地はロスチャイルドのような富を独占した小汚いユダヤの垢で覆い尽くされている。ここで“浄化”するのが、世のため、人のため……だ」



 1943年7月31日

 ドイツ/ヘッセン州


 ヨーロッパ有数の世界都市、フランクフルト・アム・マイン――通称『フランクフルト』はその昔から商業が活発な地で、それが多くのユダヤ人を呼ぶ要因となっていた。特に銀行経営等で莫大な財産を築く富裕層のユダヤ人が多く、ナチス政権の台頭まではまさに『ユダヤ人の楽園』のような場所だった。

 しかし現在では、『ユダヤ人の最後の楽園』と呼ぶに相応しい場所に変貌していた。1939年の『ポーランド侵攻』から端を発する第二次世界大戦が開戦せず、「ユダヤ人問題」への最終解決策――ユダヤ人絶滅計画――は実行に移されていなかった。フランクフルトの居住区に住むユダヤ人達はポーランドの強制収容所へ移送されず、細々とナチス政権の弾圧を耐え忍びながら日々を過ごしていた。そして今まさに、そんな『ユダヤ人の最後の楽園』が失われようとしていた。

 1300時。よく晴れた昼下がりのことだった。ソ連空軍に所属する4発重爆撃機『TB-3』が6機、編隊飛行で北東の空から接近していた。搭乗員はソ連兵ではなく、アーリア人として理想的――基準以上の体力と、ナチス的思想・ナチス的血統を持つ――なSS隊員から編制されており、誰もがヒトラーのためなら命を捧げても惜しくないと本気で考えているナチ的精神の持ち主であった。第2プランは、このSS隊員達が操縦するTB-3がフランクフルト上空に到達、ユダヤ人居住区を中心に空爆を敢行した後、その近郊に待機している戦闘機部隊によって撃墜されるという筋書きだった。しかし、そのまま彼らの命を犠牲にするのは流石に気の引けた行為であったため、ドイツ空軍の戦闘機によって機体が一定のダメージを受けた時には、パラシュートで脱出するよう下命されていた。

 1310時、TB-3は爆弾投下扉を開口し、60個のソ連製収束焼夷弾が搭載された収束爆弾コンテナ――通称『モロトフのパン籠』を吐き出した。フィンランド人を恐怖に陥れたこのモロトフのパン籠は低い唸り声を放ちながらみるみる降下していく。パン籠は全部で5基、TB-3に搭載されており、数分間のうちに6機のTB-3からそれぞれ3基のパン籠が投下されていた。小型焼夷弾の数は全部で1080個、木造家屋の多い日本やフィンランドとは異なって、フランクフルトは石造りや煉瓦造りの家屋が多く立ち並んではいるが、その威力が絶大なのは疑いようもなかった。

 その確信は明らかだった。フランクフルトのユダヤ人居住区に1080個の小型焼夷弾が降り注ぐと、一度居住区は地獄と化した。小型焼夷弾は耳を聾するような爆発音を数分間、轟かせ続け、建物や人が木端微塵に吹き飛んでしまった。そこから付いた火の手は見る間見る間に広範囲に燃え広がっていき、居住区は紅く染めあげられた。

 「……天にまします我らが父よ。ナザレのイエスよ」TB-3の機窓から、灰塵に帰していく故郷フランクフルトの情景を一望していたSS隊員の一人は呟いた。「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。御国に行ったフランクフルトの哀れな子羊達に祝福を。煉獄に堕ちたユダヤの悪魔達には裁きを……」

 SS隊員は少し間を置いてから、言った。



 「――そして、我らが総統閣下(マインフューラー)に永久の祝福があらんことを。アーメン」

 

 


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