第68話 戦艦空母の交わり
第68話『戦艦空母の交わり』
1943年4月15日
東京府/千代田区
その日、大日本帝国の中枢たる霞ヶ関の朝は気象的にも政治的にも、荒れに荒れていた。突然、EU(ヨーロッパ同盟)総司令部の広報担当官が『フィンランド5月決戦』の構想を打ち明け、それを大々的に世界へと流したのが主な要因の1つだった。決戦――といっても、それで戦争が終わるかは定かではない。しかしながら万一にもEU北欧軍が敗北し、ソ連軍がヘルシンキに雪崩れ込めば大日本帝国は直接対決を強いられることとなる。何故ならば、ヘルシンキを落としたソ連軍が行軍の足を止めるとは言い切れないからだ。事実、ウラジオストックのソ連太平洋艦隊は不穏な動きを見せていて、先月も潜水艦の1隻が北海道近海に接近したという事例もあった。そうなると、次のソ連の標的はスウェーデン・ノルウェーのような北欧か、若しくは満州になるのが妥当だろう。
そんな騒乱の渦中の軸とも言うべき地、海軍省前。地を衝くような雨を伴った突風が吹き荒れ、氷のように冷たく激しいその雨粒が舗道の上に降り注いでいた。そんな中を、黒塗りの公用車から出て、傘も差さずに身を丸めて駆け込んでいく1人の男の姿があった。帝国海軍中将、伊藤整一だ。彼は入口で海軍憲兵隊の衛兵に軽い挨拶を交わし、中に入って海軍大臣室を目指した。
「いやはや……ずぶ濡れですな」
約3年前にその部屋の主となった男、山本五十六海相は心配そうに言った。彼は毎月、EU極東方面海軍のあるシンガポールとこの部屋を行ったり来たりの生活をしていて、その日はシンガポールから戻ったばかりだった。EUの盟主たるヨーロッパ諸国は、ソ連の第2の戦火が及ぶであろう可能性をもっとも秘めた日本とその占領国を憂慮しているのだ。しかしそれは同情等という甘いものでは無く、利益の為だった。日本が負ければ東南アジアの植民地にソ連軍の手が伸び、重要な収入源を失うからだ。
「ご心配には及びませんよ」
伊藤は言い、水浸しのコートをそっと掛けた。「それよりも、北欧戦線が大変なようですな」
山本は静かに頷いた。「正直、戸惑っている所が大きいのですよ。確かに我が帝国海軍はバルト海で敵の空母1隻を撃沈しました。しかし、あれは老齢艦もいい所……もっと言えば“スクラップ”も同然でしょうな。我々はその処理の手間を省いてやったに過ぎません」
航空戦艦『ミハイル・フルンゼ』の撃沈は全世界に衝撃を与え、かつて日本がロシアに成し得た『日本海海戦』の再来とも言われた。老齢空母『鳳翔』1隻でそれを成し得てしまった角田覚治少将には、帝国海陸軍や国外から賞賛の声が集まり、帝国海軍は“戦時特例中将”の1人として、損傷した空母『鳳翔』とともに本土へと戻す案も検討していた。これはソ連海軍太平洋艦隊の動向に備えたものだ。
「『第一航空艦隊』の次期司令官には、やはりあの男が適任ですか」伊藤は椅子に腰を下ろし、熱いコーヒーが入った白磁のマグカップを手に取った。
山本はかぶりを振った。「“特例中将制度”は不備が多い。そこを伏見宮殿下が何かと横槍を入れてきていましてな」山本は言った。「角田の勲功を憂慮すればあの方も首を縦に振ってくれるやもしれませんが、“『古き伝統』をこの時代だけで突き崩すのは遺憾である”とも先日仰っておりましたからな……」
「うむ……それはいかんですな。あの方の協力なくしては、海軍は先に進めん」伊藤は言い、マグカップを机上に置いた。「しかるに、一航艦の司令長官には別の候補がおありなのでしょうか?」
「小沢辺りが妥当かと……」山本は言った。「やはり空の分野に強いですからな」
小沢治三郎中将は元々水雷畑を歩んできた男で、海軍水雷学校の教官や校長を務めたこともある。しかし、太平洋戦争直前までは第一航空戦隊司令官の任にあたり、航空畑に転じた。
その時に彼は『航空艦隊編成に関する意見』と題された意見報告書を提出している。この中で彼は“一個航空戦隊ずつ主要な艦隊に配備していた従来の方法では、海軍に航空兵力の威力を十分に発揮できないから、平時から統一指揮官の下で訓練できるように航空艦隊を新設すべき”と語っていた。後にこの小沢の意見報告書は聞き入れられ、1941年4月1日、空母を集中配備した世界初の艦隊、『第一航空艦隊』が誕生する。まさに小沢は、『機動艦隊』生みの親だった訳だ。しかしながら子供である第一航空艦隊を育て育むこととなったのは、同じく水雷畑の権威だが航空に疎い南雲忠一中将だった。
「……南雲は扱い易い反面、戦に弱い。しかし小沢は戦に強いが、扱い辛い」山本は言った。「結局の所、史実の私が選んだのは南雲だった訳です」
伊藤はかぶりを振った。「それはそれで南雲が一航艦指揮官を務めた理由の1つでしょう。しかし、実際のところ南雲の人事を決したのは“年功序列”によるところが大きいではありませんか」伊藤は言った。「貴方が気にする所ではない。“歴史”は――変わったのです」
伊藤はそう言うと、窓の外に目を向けた。雨が止み、春曇りの灰色の空がそこには広がっていた。「とりあえず、今の所は塚原中将に今まで通り一航艦の司令長官を務めてもらうとしまして……」伊藤は言った。「小沢は今まで通り四機戦(第四機動部隊)司令官、二機戦(第二機動部隊)には不在の山口、三機戦(第三機動部隊)には角田を起用しましょう」
機動部隊――とは、正規空母2隻、軽空母1隻から編成される新たな艦隊戦力だった。これが計4個機動部隊編制され、一機戦『赤城』『加賀』、二機戦『蒼龍』『飛龍』、三機戦『翔鶴』『瑞鶴』、四機戦『雲龍』『葛城』の正規空母8隻が中核を担うこととなった。ここに軽空母4隻が加わるから、一航艦司令長官は計12隻の空母を預かることになる。
「しかし、塚原は大丈夫でしょうかな?」伊藤は言った「病が続いているようですが……」
この頃、第一航空艦隊司令官の塚原二四三中将は病弱で、軍務を休むこともしばしばだった。角田が呼び戻され、小沢が2人の論議に挙がったのも、その塚原が病床に着いてしまった時、第一航空艦隊を一次的に、或いは後継として指揮するに相応しい人物を擁立しておくためだったのだ。何故なら、第一航空艦隊は世界初の機動艦隊であると同時に大日本帝国海軍の主要兵力であり、大日本帝国の国防の盾だったからだ。この艦隊に何かあれば、日本になんなくソ連軍や米軍が上陸し、その国土を蹂躙することは間違いないだろう。だからこそ、伊藤は完璧を期しておきたかった。
戦争前、時空旅行に出る前の伊藤整一は、自分と祖国の進むべき道を見つけられずにいた。米国への赴任経験から日本との国力差を思い知り、海軍において発言力を持つであろう軍令部次長にまで就任した。若輩者の中将であったにも関わらずだ。本来、軍令部次長を務めるのは経験豊富な中将の筈だった。伊藤は、軍令部から海軍を変えていこうと考えていた。この戦争を早期に終結させ、国力差による持久戦への突入を避けようと。しかし、その明晰な頭脳に見合った成果を挙げられなかった。
そして1945年、第二艦隊司令長官としての彼は、「一億玉砕の魁」という重責を、戦艦『大和』旗艦を旗艦とする特攻艦隊とその乗員7000名とともに、身をもって証明することになった。重要なのは作戦成功不成功、アメリカ兵の死者不死者数ではなく、御上が戦争遂行を無意味なものだと認識して、早期降伏を果たすことにあった。1941年12月から始まった戦争に対し、終止符を打つにはそれしか手が無かった。そうすれば、死ななくてもいい人命が救われる。
しかし部下を無駄死にさせる程、伊藤も馬鹿ではなかった。機動戦力を有する米艦隊には、対抗するための『航空戦力』が必要だと判断した彼は、同年である宇垣纏中将に護衛の航空戦力を要求していた。あの『レイテ沖海戦』以降、戦艦が空母に対抗するにはそれが常識だった。
「戦艦には空母の“エアカバー”が要るように、空母にも戦艦のカバーは必要なのです」
伊藤は熱いコーヒーを喉に流し込みながら言った。「かの『ミッドウェー海戦』でも、4隻の空母は殆ど丸裸同然となり、撃破されました。あそこに『大和』や『金剛』が居れば、少なくとも戦局は長引いたことでしょう」
第二次世界大戦。それは帝国主義と戦艦の完全なる終焉を意味する戦争だった。かつて栄華を極めていた帝国主義に走った枢軸国は、民主主義を謳うアメリカを中核とする連合国と戦い、ことごとく敗れ去った。またそれは戦艦も同じことで、『ビスマルク』や『大和』といった国家を象徴する戦艦は、『航空機』という新世代の兵器の前に敗れ去ってしまう。
だが、その新兵器に対抗する『対空兵器』を積み、空母によるエアカバーを受ければどうなるだろうか? 伊藤はそれを考えた。確かに戦艦は単艦では、航空機の前にはどうしようもなく脆弱だが、空母のエアカバーを受けた状況であればある程度の働きをするだろう。それに、戦争初期や中期には完全に戦艦が活躍しなかったことはない。航空戦のみならず砲戦も繰り広げられ、その度に帝国海軍は『レーダー』という新たな“眼”の前に敗北し続けた。
しかし今は――こちらも“眼”を持っている。
「その点、『金剛』型は非常に優秀な戦艦です。30ノット以上の快速を誇り、対空火器も充実しています。その戦力は『艦隊決戦重視』の第一艦隊に置いておくには勿体ない」伊藤は言った。「私は思うのですよ……『金剛』型が一航艦に編入していたら、と」
山本は瞠目した。「本気ですか? 空母部隊の直衛に?」
この歴史改変著しい時代の中でも、やはり戦艦の影響力は絶大だった。なにしろ世界最大・最強の戦艦『大和』が帝国海軍にはあり、今年中にはその姉妹艦『武蔵』も就役する。大艦巨砲主義者たちにとってはしてみれば、そんな誇り高き海軍が戦艦を空母の格下として扱うことなど、許せるはずもないだろう。
「大艦巨砲主義の奴らは黙っておりませんぞ」
心配そうに言う山本に、伊藤はかぶりを振った。「ご心配には及びません。大艦巨砲主義者は皆、根絶やしにしてやったではありませんか」
この言葉の意味するところは、大艦巨砲主義を謳う海軍の幹部連中を“左遷”や“予備役編入”にしたところを意味する。海軍省ツートップが『大和会』創設者メンバーの1人であり、軍令部においても強いコネがある今の『大和会』ならそれも可能だった。
「しかし気を付けないと。大艦巨砲主義者どもの間者はどこにでも潜んでいるのですから……」山本は言った。「先日も、EUに加盟したことや航空主兵主義に傾倒していることを批判する手紙が何十通と届いていますから。奴らは諦めてはいないのですよ」
それ程までに山本が伊藤を心配するのは、自身も間者に殺されそうになったことがあるからだった。『大和会』のリーダーであり、帝国海軍の牽引役でもある伊藤の死は、山本には考えられない所だった。
「しかし、私はやりますよ」
「閣下ッ!?」山本は悲鳴のような声を上げた。
伊藤はかぶりを振り、ただじっと山本を見据えた。
「……分かりました。本当に貴方は怖い者知らずだ」
やれやれと呆れ顔の山本に、伊藤は笑みを漏らした。「感謝します」
翌朝、4月16日。再び海軍省へと顔を見せた伊藤は、海軍大臣執務室へと向かい、そこで山本と会った。彼のデスクの上には革のブリーフケースがあり、伊藤はそのブリーフケースの中身を見ることにした。
「艦政本部から手に入れたものです」山本は言った。「現時点での進捗状況は7割で、あと2、3ヶ月もすれば改装も終わるとのことでした」
ブリーフケースに入っていたのは、大日本帝国が誇る高速戦艦『金剛』以下同型艦4隻の第3次改装の性能諸元書だった。
その性能諸元は――。
■第3次改装後『金剛型戦艦』性能諸元
基準排水量:32,000t
全長:222.0m
全幅:31.02m
機関
主缶:ロ式艦本式重油専焼缶×11基(金剛、霧島、比叡は10基)
主機:艦本式オールギヤードタービン×4基4軸
出力:136,000馬力
最大速力:30ノット以上
航続距離:18ノットにて9,800海浬(榛名は10,000海浬)
燃料搭載量:6,400t
兵装
45口径36cm連装砲:4基8門
65口径九八式10cm連装高角砲:6基(金剛、霧島)
50口径三式12.7cm連装高角砲:6基(比叡、榛名)
60口径ボ式40mm四連装高角機関砲:18基(霧島、榛名)
60口径九六式25mm三連装高角機関銃:24基(金剛、比叡)
76口径九三式25mm連装高角機関銃:2基
三式12cm二八連装噴進砲:2基(比叡のみ)
装甲
水線部甲鉄厚:203mm+25.7mm(3~4枚重ね)
弾火薬庫上甲板:101.6mm
機関部上甲板:76.2mm
主砲塔前盾:250mm
主砲塔天蓋:152mm
副砲廓:152mm
司令塔:254mm
搭載機:3機
『金剛型戦艦』は防空戦艦として、新たなドクトリン上での運用の為、第3次改装が行われた。主缶、主機等動力部の一部換装、副砲の撤去と新型高角砲・高角機関銃の増設、新型電探の導入などである。これらは歴史改変によって生まれた新機軸の技術ばかりで、艦齢30年超の金剛型戦艦を復活させる活力剤となるのは、間違いなかった。
「やはり気になるのは、対空兵器の数ですな」性能諸元書を見て、伊藤は言った。「三式12.7cm高角砲とボフォース40mmはやはり、足りないのですか?」
山本は頷いた。「三式は生産を開始させたばかりですし、ボフォース40mmは戦争で優先的にヨーロッパに回っていて、輸入品が全く入らない状況ですからな。ライセンス生産権を取得していざ生産しようにも、ラインは稼働したばかりですしね」
この金剛型戦艦に限らず、対空兵器の不足は大日本帝国海軍を悩ませ続ける問題の1つだった。史実において九八式10cm高角砲――通称『長10cm砲』はその構造の複雑さから生産性が低く、その配備は少数に留められている。また、全体的に普及したとされる九六式25mm機銃も小型艦艇などでは1~2挺しか搭載していない艦も少なくなく、現場からは拡充の声がしきりに飛んでいた。しかし時間的余裕も少なく、経済力・工業力に乏しい帝国海軍はその不満を解消することもできなかった。粗末な部品を無理して量産し、既存の対空兵器を駄目にしてしまった例も少なくない。
「とりあえず噴進砲は後回しでもいいが、高角砲やボフォースはやはり欲しいな」伊藤は言った。「しかるに今後の課題は、生産拠点の拡充と資源開発でしょうな。それに技術者育成も忘れてはならない」
彼が言う12cm二八連装噴進砲は史実では1944年に開発、配備されるものだった。帝国海軍初のロケットランチャーであり、『ロサ弾』と呼ばれるロケット式焼霰弾を発射する架台であった。架台は九六式25mm三連装機銃の架台を流用したもので、そこに12cmロサ弾28本を装填して発射する。
28本の焼霰弾は確かに強大な威力を秘めていたが、1つ問題点があった。それは、有効射程の短さである。ロサ弾の最大射程は4800m、有効射程は1500mである。高速で移動する航空機に対してその射程は、まさに敵機が攻撃一歩手前の所でやっと対等に立てるのに等しい訳だ。勿論、全弾が命中する筈もなく、そもそも当たることさえ保証されていないから、一歩間違えれば有効な攻撃ポイントを与えてしまうこととなる。よってこの噴進砲は敵機の撃墜よりも、敵機への威嚇等に利用された。
「これをどう一航艦に編入するんです?」山本は言った。
「それぞれ1隻ずつ、1個戦隊に編入します」伊藤は言った。「一機戦には『金剛』、二機戦には『霧島』、三機戦には『比叡』、そして新鋭の四機戦には『榛名』を加えましょう」
第四機動部隊――通称『四機戦』には2隻の『雲龍型航空母艦』が配備されており、その機動戦力は既存の空母を凌駕するものだった。その点、金剛型戦艦第3番艦の『榛名』は姉妹艦の中ではもっとも速力に富み、三式12.7cm高角砲とボフォース40mm機関砲という新鋭対空兵器を両方とも備えた『最優秀防空戦艦』へと生まれ変わろうとしていたのだ。
それに伊藤にとって――『榛名』は全てが始まった艦でもあった。
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