第64話 大山鳴動して無用の長物
第64話『大山鳴動して無用の長物』
1943年2月14日
長崎県/長崎市
日本列島を構成する島の1つ、九州の北西部に長崎半島は横たわっていた。そして、その長崎半島及び西彼杵半島を市域に組むのが、長崎市だった。その周囲には、まるでお伽話の怪物が持つような3本指の足のごとく、西彼杵半島、長崎半島、島原半島が南を向けて突き出でており、ちょうど長崎半島と西彼杵いう2つの指の付け根に長崎市は位置している。ここ数年、この街の人口は急増していた――ヨーロッパとアジア、オセアニアのEU加盟圏で起きている戦争特需が、この街でも起きていたのである。とりわけこの街は、世界と日本とを繋ぐ“貿易港”と、日本が世界に攻め込むための“軍港”の2つを備えていた。最近では、長崎湾にはEU本国や植民地国の軍事・交易を目的とする船舶が多数行き来し始め、更なる発展をこの街は秘めていた。
しかし、時に発展の『可能性』に欠如したものも存在している。それは三菱重工業長崎造船所にて、その建造が進められていた超弩級戦艦――『武蔵』である。
史実、抑えがたい艦隊決戦衝動を秘めたこの獰猛な無用の長物の誕生は、1934年から端を発した。大日本帝国はワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告、それが認められたのが1936年のことだった。早速、長期休日明けの海軍上層部の面々は、新型巨大戦艦の建造を計画、1937年開催の第70回帝国議会で予算が承認され――ただし機密保持の為、架空の35,000t戦艦1隻(約9500万)、架空駆逐艦3隻(約2700万)、本物の潜水艦1隻(約1200万)という建造予算が計上された――その建造が三菱重工業に発注されたのは9月のことだった。三菱重工業は、これまで4隻の戦艦を建造してきた経験者ではあったが、7万t級というとてつもない巨艦を造ることになったのはこれが初めてであった。それから苦節5年、戦艦『武蔵』は姉妹艦『大和』の問題点等を解消しつつ、1942年8月5日に就役した。開戦には間に合わなかったが、既に就役していた『大和』もそれに等しく何らの成果も挙げていなかったのは、事実である。
今物語において、大和型戦艦『武蔵』は“武蔵型戦艦”――といえるほどに、改良されていた。史実では、37年9月に行われた筈の三菱重工業への発注は延期され、軍令部と艦政部、そして『大和会』による複数の協議と提案を経て、『武蔵』が発注されたのは年明けの2月下旬のことだった。
当初の大和型戦艦は、軍艦の艦種の1つである『戦艦』の、潜水艦と航空機を除く全ての海上戦力の頂点に立つ、それは完璧で強大な存在といっていいだろう。なぜなら、大和型戦艦は世界最大・最強の45口径46cm砲を主砲として備え、且つその装甲は同格の46cm砲弾をもはねのけるだけの強度を有しているからである。この謳い文句が上手く作用する、そんな世界であれば大和型戦艦は仮借なき殺戮マシーンとして、第二次大戦時の海の覇者と成り得たことであろう。
しかし航空機は、その比類なき46cm砲弾よりも徹底的に、戦艦を破壊出来る。航空機の犠牲者たる戦艦は、エアカバーなしでは空に向けて無数の外れ弾を撃つ存在であり、その航空機が搭載する爆弾やな魚雷を前にしては、どれだけ重厚な装甲も打ち砕かれてしまう。たとえ船体が無事だとしても、動力源や舵や武器を捥ぎ取られ、水攻めにされてしまう。その戦艦の哀れな姿は――『鉄の棺桶』に他ならないのだ。
三菱重工業長崎造船所のハンマーヘッドクレーンは、この長崎造船所の象徴的な設備である。高さ61m、長さ73m、総重量150tのそれは、西風が吹いて空の澄み渡った今日のような日には、すり鉢状に広がっている長崎の街々からよく見えた。観方を変えれば、漆黒の尖塔――のようにも見えたその大型構造物だが、その背後には更に巨大な“紅色の宮殿”の姿があった。それこそが、戦艦『武蔵』である。
そんな漆黒の尖塔と紅色の宮殿が建ち並ぶ飽の浦の岸壁を、白水晶のように陽光に煌めく倉庫の前で伊藤整一は見据えていた。この背後の倉庫群は戦艦『武蔵』を隠す為に造られたものの1つで、その他にも船台に覆いをしたり、憲兵隊による厳重な監視等でその存在を隠していたという。それも『大和』が世界に公表された今となっては、全く無駄なものであった。
「遂に完成したか……」
伊藤の隣に立っていた山本五十六海相は、前方に聳える『武蔵』を見て言った。「苦節5年、期間としては史実と大差無いようですが……」
「しかし、『武蔵』そのものは大きく変わっていますからね」伊藤は言った。
2人は肩を並べ、先程三菱の担当者から手渡された戦艦『武蔵』の性能諸元を見た。
その性能諸元は――。
■大和型戦艦第2番艦『武蔵』性能諸元
基準排水量:64,000t
全長:263.0m
全幅:38.9m
水線長:256.0m
機関
主缶:ロ式艦本式専焼缶×12基
主機:艦本式高中低圧式ギヤードタービン×4基4軸
出力:187,000馬力
最高速力:30.0ノット
航続距離:16ノットにて7,200海浬
燃料搭載量:6400t
兵装
45口径46cm三連装砲:3基9門
65口径九八式10cm連装高角砲:10基
50口径三式12.7cm連装高角砲:2基
60口径ボ式40mm四連装高角機関砲:25基
60口径九六式三連装高角機銃:12基
76口径九三式高角連装機銃:2基
装甲
舷側:400mm
甲板:190mm
主砲防盾:600mm
艦橋:500mm
搭載機:6機
戦艦『武蔵』は新たな計画に従って、『改大和型戦艦』を基とするものに変更された。当初の大和型戦艦は『対46cm防御』を備え、砲戦では安全であったが、一面、航空機に弱くもあった。史実、真珠湾奇襲やミッドウェー海戦において航空戦力の有用性を認識する前から、海軍上層部はその可能性に気付いていた。そこで提案されたのが『マル5計画』であった。1941年に立案されたこの計画は、米海軍の『両洋艦隊計画』に対抗したもので、『マル6計画』とともに定められたものである。そのマル5計画で出されたのが改大和型戦艦であり、今回の『武蔵』の源流でもあった。
今物語の『武蔵』建造計画では、第1番艦『大和』や史実の『武蔵』の建造中に実施された改正点――連合艦隊旗艦設備の調整と燃料搭載量の縮減等――を全て新造時から採り入れるとともに、副砲の完全撤去とそれに伴う高角砲の増設が加えられた。
また、『武蔵』は艦底防御の強化が図られていた。元々、史実の『大和』や『武蔵』は魚雷や機雷による艦底下での爆発を防ぐ為、弾薬庫の下方に甲鉄を張って防御していたが、第二世界大戦初期に磁気機雷が出現し、さらに帝国海軍で磁気を利用した『二式艦底起爆装置』――艦底起爆魚雷――の開発に成功したことで危機感を覚えた。そこで、『マル4計画』において建造された大和型2隻――『信濃』と第111号艦――では、起工直後に機関区画の艦底部についても水中防御を徹底させるべく、厚さ25mmのDS板による三重底を設置した。この三重底は当初、『大和』や『武蔵』でもその必要性が認識されていたが、三重底は二重底に比べて非常に構造が複雑で、多くの時間と労力を必要とした。結局、条約明けから1日でも早く即戦力が欲しかったことと、二重底でも強度は十分であることから帝国海軍が妥協した為、三重底構造は廃案となった。しかしそれは第3番艦『信濃』において復活し、これで米国製の魚雷程度なら十分に防げるだろうと考えられていた。
この艦底防御強化とともに、『武蔵』は約600tの重量が加算された。そこでその艦底防御強化による重量増加の代償として、舷側甲鉄及び中甲板甲鉄、砲塔円筒甲鉄の厚さがそれぞれ10mm薄くなった。とはいえ、それでも敵国の戦艦とは十分に渡り合えるだろうと想定されていた。
「就役はまだまだですが、それでもEUの情勢を考えれば『武蔵』は今回の冬戦争とは無縁ですからね」伊藤は言った。「時間を掛けて熟せば、空母随伴の戦力として高められる事でしょう」
山本は頷いた。「しかし、この時代に戦艦はやはり“無用の長物”――なのでしょうか」
そう告げる山本の言葉に、伊藤はかつて海軍内で流行っていた『世界三大無用の長物』というものを思い出した。それは戦時中に唱えられていたもので、1つは『万里の長城』、もう1つは『ピラミッド』、そして最後に『戦艦大和』というのだ。それは的を射ていた。
「戦争が始まった今となっては、仰られる通りかもしれません」伊藤は顔を顰めて言った。「しかし、この『武蔵』は違うのです。航空戦に向けて徹底して設計され、且つ敵国の大半の戦艦を凌駕する存在なのですから。それに、当の対処出来ない戦艦についても、航空機を差し向ければ――」
伊藤はふと、言葉を切った。ならば、やはりこのような戦艦の全てを鉄やらに還し、空母や航空機の開発に用いるべきではないか、と。だが、空母を操るには“人”が要る。航空機を操るにはもっと多くの“人”が要る。それに並々ならぬ知恵と根性もだ。それに、大和型戦艦は今や大日本帝国の象徴なのだ。鉄屑などに戻してしまったら、国民は愕然として希望の光を失うだろう。そして、その名を冠する『大和会』もその存在意義の根幹を失ってしまうことになる。
「――しかし、力の象徴も必要でしょう。ピラミッドや万里の長城などは、古代の王が自身の権威を後世に伝える目的を踏まえて建造されたのですから」
「では、『大和』も?」山本は訊いた。
「帝国海軍の真の象徴として、永久にその歴史が伝えられることでしょう」伊藤は言った。「例え、海底に沈んだとしても」
ご意見・ご感想等お待ちしております。