第62話 バルト海の死闘(中)
第62話『バルト海の死闘(中)』
1943年1月18日
フィンランド/ラップランド州
ラップランド州都、ロヴァニエミ空軍基地に居並ぶ航空機はEU(ヨーロッパ同盟)空軍の機動力の結晶だった。EU空軍はかなり短期間で、西ヨーロッパから中東、アフリカ、そしてアジアにまたがる任務の焦点を、フィンランドとソ連に面する加盟諸国への輸送支援に切り換えた。ここにはドイツ空軍の第5航空艦隊の中核戦力と同盟各国空軍の部隊から回されてきた航空機がある。航空機それぞれは性能からして全く異なるが、ソ連軍に対して用いられるという用途は皆一緒だった。各機には、パイロット、整備員に加えて、それぞれ固有の修理部品、弾薬、燃料物資、航空管制チーム、飛行場常務員が用意され、常に万全の態勢が取れるようにしている。
その日はEU空軍総司令部付広報部の指揮の下、新聞向けの写真が撮影される日だった。内容は、イギリス空軍、フランス空軍、大日本帝国陸海軍の航空機が全て到着し、フィンランド駐留のEU空軍は盤石となったことを伝えるものであった。海路、空路、陸路から送り届けられたそれらの航空機は、地理的面からどうしても輸送が困難な日本を除けば、あまりにも遅過ぎた。が、フィンランド政府にしても軍にしても、1機でも多くの航空支援が必要な状況下を鑑みれば非難も出来ない。それどころか、普段ならソ連軍航空機の狩りを楽しんでいた筈の、エイノ・A・ルーカッネン中尉やエーリヒ・アルフレート・ハルトマン中尉のようなEU空軍屈指のエース・パイロット達が半ば強制的に呼び止められ、敵機に撃ち込む機銃の雨ではなく、写真用の笑顔を造っていたのだ。
鉛のように滑らかでくぐもったフィンランドの空の下、マンネルヘイム線の4分の1に相当するコンクリートで舗装された大地の上に、戦闘機が一列に並んでいる。Me109にも似たスマートな機体が特徴的なイタリア空軍の新型戦闘機、フィアットG.55『チェンタウロ』、ついで羽布張りの胴体後部が時代遅れさを象徴しているフランス空軍のモラーヌ・ソルニエMS.406、そして東洋の侍機、一式戦闘機『隼』が明灰白の機体を震わせて参入する。更にその列には、冬戦争最優良戦闘機であるオランダ空軍のフォッカーD21、フィンランド空軍の『VLミルスキⅡ』がこじんまりと、うずくまるようにして鎮座する。このフィンランド初の国産戦闘機は1941年夏、同国のEU加盟に併せて要求された機体だった。開発はタンペレの国営航空機工廠所属のベーゲルイス技師を中心に進められ、EU空軍の技術者の協力もあって何とか完成されたのだが、現在のフィンランドの余力ではこの試作機1機を作り上げたのがやっとで、その就役は1944年末を予定されていた。
その横に並び、撮影の中央スペースを押さえるのはドイツとイギリスだった。ドイツの最新鋭戦闘機『Fw190』と、イギリスの最新鋭戦闘機『スーパーマリン・スピットファイアMk.Ⅲ』がその機首を反り合って居並んでいた。どちらも、史実の第二次世界大戦空戦史における傑作機だが、寒冷地のフィンランドではエンジン整備も一苦労だった。速いだけが取り柄のひ弱な“サラブレッド”ではなく、“騎兵の馬”(ディーンストプフェーアト)を目指して開発されたFw190といえど、それは付いて回る問題だった。
これら戦闘機の横列をバックに、各国空軍のエース達が人形のごとく並べられて撮影される。EU空軍総司令部付広報部第1課長のロバート・E・マクスウェル大尉が腕を組み、カメラを持った広報部少尉が猛々しさを全身に湛えるエース達を見据えた。
「では、次は1人ずつ、操縦席に搭乗した形で」
英空軍のマクスウェル大尉が告げた英語が、各軍翻訳士の手によって母国語に訳される。フランス語、イタリア語、日本語、フィンランド語等の言語が飛び交う中、劈くような警報音と轟然たるドイツ語の前に、全ては掻き消された。
『der Notfall(非常事態)!!der Notfall(非常事態)!!』
たったいま戦闘機に乗り込もうとしていたエース・パイロット達は向きを変え、駆け寄ってくる部下の元へ走った。飛行帽を被り、訝しげな表情を浮かべていた加藤建夫陸軍少佐も同様だった。
「何があった?」
170cmの身長に彫りの深い顔立ちと、日本人離れした特徴を持つ加藤は部下に訊いた。始めは、いつものようにソ連空軍の定期パトロール部隊の越境かとも思ったが、どうやら毛色が違うようだと感じていた。
「ソ連海軍の空母です、少佐。どうやら帝国海軍の機動部隊がフィンランド湾で接触し、海戦になるようなのです」
加藤は顎を擦った。フィンランドでの今回の大規模海戦は、これまでのソ連海軍の動向からすると信じられないものだった。『雪原の狐』の名を欲しいままに戦線を駆け巡り、緒戦においてソ連第9軍に大出血を強いたエルヴィン・ロンメル中将の活躍と、各国軍のフィンランド入りが大きく影響しているのだろう。
「敵さん、切羽詰っていると見える」加藤は哄笑した。「湾の中に隠れてればいいものをわざわざ穴蔵から出てくるとはな」
「司令部より通告です。『全帝国陸軍所属航空機ハ、帝国海軍ノ本作戦ニ参加、支援セヨ』……とのこと」
加藤は頷いた。「了解した。一丁、やってやろう」
1943年1月18日
フィンランド沖/フィンランド湾
大日本帝国陸軍の飛行第六十四戦隊、通称『加藤隼戦闘機隊』がロヴァニエミの飛行場で発進準備を進めている間、漆黒のフィンランド湾内では壮絶な空戦が繰り広げられようとしていた。第三航空戦隊――『角田機動艦隊』は、空母『鳳翔』より零戦6機構成の艦戦隊と、『彗星』基幹の艦爆隊を発艦、一方のソ連海軍の小艦隊は航空戦艦『ミハイル・フルンゼ』よりI-16艦上戦闘機12機と、Su-2艦上攻撃機13機の計25機が発艦した。
発艦は滞りなく進められ、発進。双方は半径150km圏内において会敵したが、その存在にもっとも驚いたのは、ソ連海軍のパイロット達の方であった。
「小艦隊司令部、敵機はEU海軍だが……『日本軍機』である。繰り返す、『日本軍機』である」
I-16艦戦隊隊長、イーゴリ・F・メドヴェージェフ大尉は無線越しに叫んだ。機体に描かれたEU海軍の象徴的マーク、『協調』の輪から所属機であることは明白だが、事態を悪化させたのはそこに『日の丸』があったことである。対英戦略を中核とし、ホロストロフスキーによって考案された対英戦術を頭に叩き込んでいたI-16とSu-2のパイロット達としては、根底から何かが覆された気がしてならなかった。
「カスタルスキー、相手は日本人だ。気を抜くな」
ソ連海軍の精鋭中の精鋭、機動部隊航空隊に所属するカスタルスキー少尉は頷いた。『了解しました、同志大尉。むしろ、帝国以来の雪辱を晴らせる機会として嬉しい限りです』
と、カスタルスキーが言うのは『日本海海戦』のことだった。38年前、日本海で東郷平八郎に敗北を喫して以来、このバルト艦隊は躍進してきた。ソ連軍内部の冷たい風当たりを受け、党幹部によって睨まれ続けてきたが、それも今日勝てば――終わるのだ。
「自信満々だな少尉。その意気だ」
メドヴェージェフは言い、スロットルを全開にした。I-16艦上戦闘機は機体とエンジンの軽量・改良化を図った機体で、その性能は地上のI-16と遜色無い。とはいえ、元々のI-16の性能が著しく悪いこともあって、早く新しい空母が完成することを切に願っていた。もし『ミハイル・フルンゼ』を超える大型空母が手に入れば、新型艦載戦闘機『Yak-1』が手に入るからだ。同盟陸海空軍の戦闘機に対処するなら、ぜひ必要な機体だった。
「各機、RS-82による敵航空編隊への攻撃を開始せよ!」
「敵機、確認!」
6機の零戦からなる艦戦隊、その隊長を務める岡昭司海軍大尉は無線に目一杯叫んだ。その後方には、新型艦上爆撃機『彗星』と九九式艦上爆撃機からなる艦爆隊、そして新型艦上攻撃機の『流星』、九七式艦上攻撃機基幹の艦攻隊が控えている。艦爆隊は航空戦艦『ミハイル・フルンゼ』の飛行甲板を容易に貫けるであろう500kg爆弾を、また艦攻隊は致命傷を与えられるであろう800kg航空魚雷を搭載しており、上手くいけば6t以上の衝撃をソ連海軍小艦隊に与えることが出来る。
しかし、それは出端から挫けそうになっていた。
「攻撃確認!あれは……」
岡はその攻撃を一度、EU海軍から配布された資料で目にしていた。RS-82――ソ連の空対空無誘導ロケット弾である。
「噴進弾攻撃!各機散開しろ」
露払いを担っていた零戦6機は止むを得ず、回避した。RS-82は思ったより命中率が低く、ごくごく簡単に回避出来たのだが、今度は数で勝るI-16艦戦隊が、2機ないし3機編隊で零戦に襲い掛かってくる。 「パシュリーナフイ(消えろクソ野郎)!!」
カスタルスキーは叫び、機銃ボタンを強く押し込んだ。I-16のベレジン12.7mm機銃が咆哮し、零戦の伸びやかな両翼部に無数の銃弾を撃ち込む。相手はすぐに火を吐いて、右下に流れるように滑っていく。そこにカスタルスキーの僚機が接近し、やや威力と信頼性に劣るShKAS7.62mm機銃が徹甲弾を撃ちまくる。ShKAS機銃は短調な一斉射で敵機との距離を測った後、手負いの零戦には十分過ぎる大火力を放ったのだ。翼部燃料タンクが炎上し、右翼が粉々に砕け散った。
潤滑油と炎の輪を、カスタルスキーのI-16は潜り抜ける。まるで螺旋階段でも駆け降りるかのようなその飛行技術は、ソ連海軍唯一の空母航空隊の戦闘機中隊長を務めているだけのことはあった。
I-16は非常に手癖の悪い戦闘機だった。寸詰まりのようなずんぐりとした機体、それによって発生した狭い操縦席と太い機首はパイロットの活動を妨げ、パイロットの視界を奪い、また粗末な無線機はパイロットの口耳を奪い取った。唯一の利点といえば、操縦席のすぐ前にエンジンが設置されたことで、そのエンジンが放出する熱によって何とか暖を取れた程度である。
だが同時に、その手癖に慣れたパイロット達には頼れる存在でもあった。水平面での運動能力においてはMe109や零戦、はてはFw190をも凌駕し、垂直面での運動能力はまずまず。一度、操作を間違えればスピンし易いが、容易にスピンを回復させることが出来る――というのもまた事実だった。
「やったぞ。日の丸マークを用――」
刹那、カスタルスキーのI-16は九九式20mm機銃の大砲弾が掃射される。機体は黒煙を噴き、ゆっくりと厳寒なフィンランド湾へと進んでいった。
「敵機撃墜!」
零戦に搭乗する羽藤一志三等飛行兵曹は勝ち誇ったように叫び、拳を振り上げた。21歳、童顔色白の小柄なこの青年は、史実において『ポッポ』の愛称で台南空――エースを多く輩出した航空部隊――の面々に親しまれてきたエース・パイロットである。総撃墜数19機と、怪物揃いのヨーロッパ戦線では小物に過ぎないであろう彼だったが、今物語では、対ソ戦緒戦における帝国海軍初のエースとなった人物でもあった。
「調子に乗るな、ヤポンスキー!」
羽藤三等飛行兵曹の搭乗する零戦が、I-16戦闘機隊隊長メドヴェージェフの照準点上に合わせられた。ヤポンスキーと俺は正面切って戦うが、数分後に残るのは俺だ。メドヴェージェフはそう胸に呟き、カスタルスキーの仇討ちを誓う。
しかし、状況は全く別の方向に運ばれてしまった。羽藤は操縦桿を思いっきり引いて急上昇し、機首が上に向いた時に横転させ、I-16をやり過ごした。そしてその上から、メドヴェージェフ機と同じ方向を飛行する。
「ク・チョールトゥ(畜生ッ)!!」
メドヴェージェフは操縦桿を握り締めた。突然、カスタルスキーを殺した相手が視界から姿を消したのだ。彼は目を血走らせ、左右をきょろきょろと探す。一方、羽藤はI-16を前にいかせ、背後から急降下で攻撃に転じた。
「露助め。堕ちやがれッ!!」
照準器の十字線はI-16を捉える。九九式20mm機銃が細々と機銃弾を発射し、I-16の尾翼はボコボコと無数の穴が開いて、チーズのようになった。
「ああああああああッ!!」
メドヴェージェフは背中に走った激痛に絶叫せずにはいられなかった。風防のガラスが粉々に散り、その多くが彼の背中に突き刺さったのである。時間も経たない内に鮮紅色の血が流れ、傷口が疼き、背中にかけてが妙に熱く感じ始めた。異常だった。フィンランドの空は故郷のそれを下回る酷寒であり、エンジンがある前はともかく、冷たい壁に隔てられた後ろが熱く感じたためしがないのだ。
「隊長!」
後方より接近していたI-16が1機、羽藤の後ろに迫る。I-16のパイロットは尾翼を被弾した隊長機を信じられない様子で見据えつつ、手を振ってジェスチャーで自身の援護をメドヴェージェフに伝えた。
『羽藤三等飛曹、後ろだ。後ろに気を付けろ!』
零戦機内から、艦戦隊隊長の岡大尉は無線で伝えた。羽藤はスリップ機動でI-16の視界からその姿を急に消し、何とか岡の攻撃準備の隙間を埋めることが出来た。そして岡の零戦は、その備え付けられた二式12.7mm機銃をついに咆哮させた。
二式12.7mm機銃は、史実の三式13.2mm機銃に替わって製作された航空機関砲である。その元となるのは米軍のM2重機関銃で、これは口径12.7mmだったが、史実における三式13.2mm機銃も元々はこれをコピーしたものであったし、陸軍の一式12.7mm機銃『ホ103』もそうだった。しかし口径からも分かるように陸海軍の弾薬の互換性が無く、量産と補給の面で難儀な兵器の1つでもあった。今物語では陸海軍ともに統一し、機銃製作の費用削減と生産拠点の一極化を実現させることが出来たのである。
12.7mm機銃の鋼の洗礼を受けたI-16は突然、火を噴いた。機体が傾くと同時に黒煙が立ち昇り、機体は徐々にその高度を落としていく。もはや命のないソ連海軍パイロットはぐったりと俯き、やがてコックピットも炎に包まれた。
「ク・チョールトゥ(畜生ッ)!!」
メドヴェージェフは炎上するI-16と残量少ない燃料計を見て、叫んだ。
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