第59話 あの侵略者を撃て
第59話『あの侵略者を撃て』
1942年11月30日
フィンランド/カレリア地峡
11月30日1500時、ソ連軍はフィンランド-ソビエト間国境線に4個軍、計50万名以上の兵士を布陣して、攻勢の準備を整えた。『冬戦争』の始まりである。2000門を超える野戦砲が火を噴き、アーチのように弧を描いて、フィンランドの大地に出血を強いる。それと同時に、ソ連軍装甲偵察車両と航空機による威圧偵察が開始された。それから1時間も経たない内に、歩兵は前進を始めた。
その日ソ連陸軍は、南はカレリア地峡から北は北極圏まで1200キロの国境地帯の内、27箇所を突破してフィンランド領内に侵攻を開始していた。その兵力は歩兵50万~60万、戦車2600輌、航空機3000機を数えた。フィンランド湾、及びバルト海を機雷で封鎖したソ連海軍はバルト艦隊の主力艦をもってフィンランド近海に布陣し、コイヴィストを始めとする湾岸都市に容赦無い艦砲射撃を敢行した。
一方、フィンランド軍の総戦力はお粗末なものだった。歩兵29万6000名、戦車150輌、航空機300機、艦艇13隻。EU――特にドイツ――の支援を受け、戦車や航空機は史実よりも増えたが、歩兵や艦艇の兵力差は以前として変わってはいない。そもそもフィンランド軍はこの全戦力が非常に質の悪いもので、常備軍兵力20万名に戦時緊急徴兵を掛け、9万6000名を用意したに過ぎない。それにしても、軍服の支給も無く、家族や自宅を守る為に仕方なく軍に入ったというのが実情だった。つまるところが――“民兵”である。それに戦車にしても、ドイツから供与された『Ⅱ号戦車』や、イギリスから供与された『ヴィッカース6t戦車』だった。ソ連の『BT』や『T-26』軽戦車程度なら互角、『KV-1』重戦車や新型の『T-34』中戦車なら勝ち目は無いだろう。そもそも、マンネルヘイム元帥は今回の冬戦争で、新規の戦車兵育成には多大な資金と時間が必要であり、この何時戦争になってもおかしくない情勢下では、フィンランド軍初の機甲師団が誕生するまでに戦争が開始されてしまうだろうと考えていた為、その大多数がマンネルヘイム線上の固定砲台として機能していた。
しかし、空軍戦力は随分と代わり映えしたと、フィンランド空軍のエイノ・A・ルーカッネン中尉は胸の内に呟いた。1940年以来、このバルケアラのウッティ空軍基地には、多数のMe109が投入されており、なかには新型機のFw190の姿もあった。これらドイツ空軍の先進的戦闘機を所有する第2航空団は、史実で伝説的な戦果を挙げた第24戦闘機戦隊と第26戦闘機戦隊を抱えた、フィンランド空軍の核ともいうべき部隊だった。
第24戦闘機戦隊は本来、オランダ製の『フォッカーD21』装備の戦隊であり、第26戦闘機戦隊はイギリス製の『ブリストルブルドッグ』装備の戦隊であった。D21は元がオランダ領東インドの為に作られた機体で、ヨーロッパ戦線では平凡機の部類に入る。一方のブリストルブルドッグはイギリスのブリストル社が製作した複葉戦闘機である。1927年に開発された旧式機で、新型機の『ホーカーハリケーン』と交代する1937年までは、イギリス空軍の第1線機であった。最高速度300kmと、ソ連空軍の主力機である『I-16』とは300km近い速力差があるのだが、それでもフィンランド空軍の第26戦闘機戦隊は多大な戦果を挙げていた。
このように、史実のフィンランド空軍の航空戦力はお世辞にも優れているとはいえないものだった。しかしフィンランドの勇猛なパイロット達はこのようなハンデにめげることもなく、冬戦争を戦い抜いた。
まず、フィンランド空軍は冬場の厳しい寒さで凍った湖を滑走路として、D21をゲリラ的に運用していた。ソ連軍は偵察機によって各地のフィンランド空軍基地を捕捉、榴弾砲や爆撃機による攻撃で人工の滑走路を破壊することは出来たが、天然の滑走路を全て破壊することは出来なかった。何故なら、フィンランドには湖が多いからである。その数は1000を超す。そして、その全てをソ連軍が確認することは出来ず、フィンランド空軍はそれによって地上で戦闘機を失うということは殆どなかった。
そして次に、パイロットの技量がずば抜けていた。フィンランド空軍は史実、1:10という驚異的なキルレシオを叩き出し、10倍以上の戦力を誇るソ連空軍の度胆を抜いている。D21やブルドッグの性能では、到底考えられない数字である。もっとも伝説的な記録を持つ第24戦闘機戦隊に至っては1:35。戦争を通しての全損失機数15機にして、ソ連側の損失機数は450機以上にのぼる。まさにソ連空軍にとっては悪夢だったに違いない。
このように圧倒的に不利な状況下でフィンランド軍は最善の戦果を挙げた。そして今回もまた、史実に違わぬ戦果を挙げようとしている。EU、特にドイツ空軍からのMe109供与により、フィンランド空軍の質は一気に上がったのである。
また、他国もそれに倣い、自国の航空戦力の供与を検討し始めていた。
もっとも早く行動に移したのは、隣国スウェーデンの義勇航空隊である。イギリス製の『グロスターグラディエーター』戦闘機を主体とした義勇航空隊は、質こそ劣るが熱意に満ちた戦力であった。
続いて立ち上がったのはイタリアだった。史実でもそうだが、イタリアのムッソリーニは冬戦争に対しては積極的だった。マンネルヘイム線の建造に協力する一方、ソ連に航空機等の戦力を提供した――という独ソ不可侵条約の関係上から、裏表で両国を支援した姑息なヒトラーとは違い、ムッソリーニは表立って共産主義に反旗を翻した。史実、唯一自国空軍の最新鋭機をフィンランドに供与したのは、イタリアでありムッソリーニである。ムッソリーニの贈り物である1938年製のフィアット『G.50』戦闘機は、複葉機や旧式単葉機が目立つ供与戦力の中でもっとも優れた機体といえる。33機がフィンランドに供与され、後方部隊であった第26戦闘機戦隊に配備された。冬戦争中には1機の損失と引き換えに11機のソ連空軍機を撃墜、継続戦争中には実に88機の敵機を撃墜した。これはひとえに、気候と技量の問題が大きかったといえる。
次は大日本帝国であった。史実とは違い零戦を入手し損ねることはなく、更に一式戦闘機『隼』と、九六式陸攻10機の供与が実現した。零戦は初期型の一一型だが、金星エンジンを搭載して防弾設備が充実した優秀な機体である。防弾設備乏しく、速力にも恵まれないD21のことを考えれば、願ってもない機体といえた。
そしてイギリスとフランスである。イギリスは『ホーカーハリケーン』、フランスは『MS406』をフィンランドへ送り込むことが決定したが、それは戦争開始から実に1週間後のことであり、2~3日で即決した他国に比べれば、幾分かは対処が遅いといえた。
このように『Me109』、『G.50』、『零戦』、『隼』、『ホーカーハリケーン』、『MS406』と、多種多様な戦闘機を供与されるに至ったフィンランド空軍だが、問題は山積していた。整備の問題、運用環境と設計理念の違いという問題、そして燃料と人員という問題だった。
まず、6種類の戦闘機から分かるように、他国から供与された戦闘機には統一性が無い。史実でもそうだが、整備員はこの多種に渡る外国製航空機の整備を一から覚えなくてはならず、泣かされることが多かった。現状は何時ソ連軍に防衛線を突破されるか分からないものであり、その不安と恐怖の中で死に物狂いで覚えていかなくてはならないのだ。――しかも超短時間で。即戦力は不可欠だった。
次に設計者とフィンランドの自然環境が上手く噛み合っていない、という問題が存在した。例えば、地中海特有の温暖な気候下で設計されたG.50は、フィンランドの-20度を下回る気温によってエンジンが回らず、風防は絶えず曇り、機銃も作動しなかった。それに勿論、D21のように氷結した滑走路に車輪が対応出来る筈も無かった。D21の後継機として絶大な希望を寄せていたフィンランド空軍上層部と現場は、その希望が可動不可能となってしまうその現実に、ただただ戦慄するしかなかった。
最後は燃料、そして人員の問題である。戦闘機があっても、それを動かす油と人間が居なければ意味を成さない。パイロットと整備員を育成するには膨大な資源と時間を要するし、スウェーデン経由で入ってくる燃料は少ない。ソ連が元々、EUの介入を許さない超短期決戦で挑んでくる以上、タンカーによって海路でノルウェー・スウェーデンに供給され、陸路で運ばれてくるという燃料は充てに出来ないのである。燃料が届いた頃に終戦――という事態にもなりかねない。
とはいえ、航空戦力の充実という事実が無かった訳ではない。史実では機体不足に指を咥えて戦争を見ているしかなかった空軍の予備士官達に十分な数の機体が供給され、フィンランドの防空体制は非常に堅牢なものになった。
「ルーカッネン中尉、司令が代わりました」
そうルーカッネンに報告するハンス・H・ウィンド少尉もその1人だった。ウィンドは撃墜機数75機を誇るフィンランド空軍第2位のエースであり、冬戦争は機体不足という理由から戦争を傍観するしかなかった人物である。「今後、第2航空団の指揮を執られるのはロレンツ大佐です」
ルーカッネンは唸った。「唐突だな。まぁこの非常時だ。とやかく言ってられん」
その最中、ウッティ空軍基地に甲高い警報が鳴り響いた。天を衝くような音で、2人は思わず顔を顰めた。
「空襲……か?」
ウィンドは呟いた。ウッティ空軍基地は森林深くに築かれた施設だ。そう易々とは見つからないが、一度敵の目に入ってしまえば、格好の標的として爆弾の雨が降るだろう。
そんな中、新司令となったロレンツ大佐が司令舎から慌てて飛び出てきた。彼は憤りの色を浮かべ、忌々しそうに空を見上げた。
「一同集合!」
ロレンツの声が響き、第24・26戦闘機戦隊の隊員達が駆け集まった。彼らの大半は、後のエースである。その中には第24戦闘機戦隊第3中隊を指揮するルーカッネン、及びその部下であるウィンドの他、同様にルーカッネンの部下であり、未来のフィンランド空軍トップエースパイロットであり、実兄が未来の英雄でもあるエイノ・I・ユーティライネンの姿もあった。
「本日1500未明、ソ連軍は国境を越えた。陸空からの大攻勢だ」ロレンツは叫んだ。「その内、ソ連空軍の爆撃機多数が現在、ヴィープリに向けて進撃中との報告がたった今入った。ただちにこれを迎撃、撃墜せよ!」
管制官に送られて戦闘機が次々と鉛色の空を駆けのぼっていく。機首が一斉に立ち上がり、首を伸ばして前後に揺れている。そして機首はさっと前を向き、カレリア地峡の北西端の都市“ヴィープリ”を目指して走り始めた。
ヴィープリのすぐ手前で迎撃機の編隊が突入体勢を整えた――と、同時に銃声が空を横切り、ヴィープリから轟音がわき起こった。編隊は動揺した。フィンランド第2の都市、人口8万人の頭上に爆弾を落とされてしまった。ヴィープリにはおどろおどろしい炎の弧が出現し、濃厚な黒煙と紅蓮の雨が降り注いでいた。
『あのろくでなし共を地獄に叩き落とすぞ!』
ルーカッネンは檄を飛ばした。第24戦闘機戦隊の内、ルーカッネン指揮の第3中隊が先頭に躍り出て、ソ連空軍の戦略爆撃機隊に襲い掛かった。
ヴィープリの空は鮮血に染まった。準備万端の高射砲部隊は無数の砲火を天に向けて撃ち込み、猛烈な砲火の中に第3中隊が参戦する。Fw190を駆るルーカッネンを先頭に、Me109戦闘機のみで編成された第3中隊はMGFF20mm機関銃を咆哮させた。相手はソ連空軍の主力双発爆撃機『SB-2』であった。ひとつ、またひとつとヴィープリの空に火の玉が形成され、漆黒に包まれたSB-2は落ちていった。
市内の西からは、あとからあとからSB-2とI-16戦闘機が市内中心部を目指して駆けてくる。彼らは後方に展開していた第26戦闘機戦隊に阻まれていた。すると、I-16が前に躍り出てきた。どうやら第26戦闘機戦隊を物量で打ちのめし、力押しで市内へ雪崩れ込もうとしているようだ。
「現実は甘くないぞ」
ルーカッネンは呟いた。ブリストルブルドッグを装備とするかつての第26戦闘機戦隊ならともかく、D21とMe109を装備する今の第26戦闘機戦隊なら、30機を超すI-16であれ対処出来る筈だ。
「クソ……」
I-16を操るソ連空軍の1パイロットもそのことに気が付いていた。軽快な機動で翻弄するMe109、そして巧みな操縦技術で質の差を埋めるD21。それら戦闘機を操るパイロット達は勇猛果敢に数で勝る相手に挑み、なんとこの空戦の優位を確立してしまっているのだ。一介の人間が成し得られる業ではない。ソ連空軍のマニュアルは通用しないし、上層部がひたすら宣伝していたフィンランド兵の弱さとは正反対だ。
――“あの侵略者を撃て!”
怒号に近いその声の主は、第26戦闘機戦隊隊長のものだった。その言葉が向けられたのは、第26戦闘機戦隊所属のオイヴァ・E・トゥオミネン――フィンランド空軍第4位の未来のエースパイロットだった。
「了解!」
Me109を駆る彼はレヴィ12D照準器でI-16を捉える。そして猛烈な銃撃をI-16とソ連空軍の1パイロットに向けて撃ち放った。
I-16に閃光が迸り、鈍重なその機体が太い弧を描き出した。ヴィープリ郊外に爆音が轟き渡った。不揃いで不気味な弧は徐々に下へと向かっている。操縦席では、ソ連空軍の1パイロットが頭を仰け反らせ、絶望からの笑みを浮かべていた。
――やがて機体は地を衝き、水と土煙が舞い上がった。
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