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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第1章 戦前の大和~1937年
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第5話 三羽烏の巣(前)

 第5話『三羽烏の巣(前)』

 


 

 【ヒトラーの結果を知る者は居る。ヒトラーの野望を知る者もいる。しかし、ヒトラーの理念や思想を詳しく言及する人間が何処に居ようか?陸軍内で、ポーランドでの電撃作戦を学ぼうとする人間に限って、世界に蔓延していた筈の“絶滅収容所”や“民族浄化”の噂を知ろうとした者は一人も居なかった。そしてその前にも、確かにナチスは避妊手術や国外追放を劣等人種に向けて行っていた。そして陸海軍の親独派は知る由も無い。それが自らの首を絞めている事になろうとは。】


 (原茂也-『第三帝国の闇』より抜粋)



 1937年7月3日

 兵庫県/神戸市

 

 やや芝居掛かった最後の台詞を胸に、伊藤は呉を発ち、加藤呉鎮守府司令長官から頂戴した包みを懐に入れて、駅に向かった。伊藤は呉軍港近くの旅館に戦艦『大和』とともに歴史を逆行してきた一同を残したが、一人だけ同行させた。

 五十幾何の齢の男、原茂也は駐独経験豊富な陸軍士官の一人だった。ドイツ語が達者で、戦前はヒトラーとナチス政権の辿った歴史の変遷や、ヨーロッパ方面の実情を調べるようにと命ぜられ、幾度かヨーロッパを赴いては、現地で緻密な調査を進めた。そしてその情報は1940年9月27日の『日独伊三国同盟』に少なからず役立てられる訳だが、原は同盟締結に激怒し、上司に『軍部は愚行を、過ちを犯してしまった』と発言して大目玉を喰らう事となる。そんな原と、日独間軍事同盟を嫌う海軍三羽烏を会わせば、何が起こるか伊藤は薄々気付いていた。

 無論、三羽烏の暴れっぷりを見たかっただけでは無い。陸軍内に精通する彼ならば、頭の堅い陸軍連中を説得出来るだけの第三帝国の悪行を伝えられると考えたからだ。



 神戸駅に着き、二人は『燕』に乗り換えた。超特急『燕』は、1930年10月1日、東京-神戸間で運転を開始した列車で、1929年、東京-大阪間を運行していた特急『富士』『櫻』に比べ、同区間であれば2時間30分近く短縮した8時間20分ほどで運行出来た。また、東京-神戸間は9時間ほどで運行出来た。この事から、『燕』は『超特急』の名を冠する。

 二人は正午近く、その燕に乗った。やがて大阪に着き、名古屋を越えていった。夜の帳が降りた頃には食事が用意され、二人は超特急の味を舌鼓した。食堂車に二人が入ると給仕が現れ、メニューを手渡した。それから数十分後、二人の目の前には、湯気の上がったビーフカツカレーが姿を見せた。



 その晩は、寝る事よりもお喋りの方に時間が費やされた。今後の歴史改変にまつわる事と、海軍三羽烏に会った際の事。そして――3年後に迫る『日独伊三国同盟』の阻止が命題となった。後に悲劇を生む結果となる三国同盟の締結は、何としても防ぐべき問題であった。

 「閣下はヒトラーを如何ほどに知っておられますか?」

 原は言った。「彼は恐ろしい人間ですよ」

 第三帝国総統、アドルフ・ヒトラーは元を正せば画家志望の平凡な青年であった。幼少期はカトリックの聖歌隊に所属、一度は聖職者を目指した彼を変えたのは、心の奥底に潜む悪魔と、現実に実体化した悪魔――父アロイスに他ならない。不幸と横暴――事業に失敗し、そこから来る怒りのはけ口を、アロイスはヒトラーに“体罰”という形でぶつけた。ここで既にヒトラーが傾倒し始めていた大ドイツ主義――ドイツ人及びドイツ系から成る統一国家構想――は、後の『アーリア人至上主義』のナチスドイツ、ヒトラーや人種差別主義者達の悪の巣窟――『第三帝国』へと変貌を遂げる。

 第三帝国の負の象徴、『ユダヤ人絶滅計画』はオーストリア、ウィーンでの生活から始まる。1905年、ヒトラーは芸術の都ウィーンに渡り、美術を学ぶ事に決めた。その後、二度の挫折を味わう。この頃のヒトラーは古典主義――いわば、中世ヨーロッパに描かれた壮麗な絵画こそを“芸術”と認め、近代芸術は屑だと考えていた。

 この堕落した時代――公園のベンチで1日を過ごし、食うにも困った青年を誰が未来の“総統”と考えただろうか?その後、第一次世界大戦下、ヒトラーは伝令兵として勇猛果敢に戦場を駆け、多くの報せを伝えていく。そして1918年、マスタードガスで一時的に視力を失い、戦争は終わった。この時には、彼の中では自身が神に選ばれた存在――ドイツを救う事を使命と考え、戦争を敗北に終わらせたユダヤ人を根絶する具体的な決意を固める事となる。

 

 

 「第一次世界大戦前、ヒトラーは複数の秘密結社に関わっていました」

 燕が夜の東海道を駆け抜ける中、原は語った。ヒトラーは画家志望の青年時代、複数の秘密結社の会員達と親密な関係にあった。その中でも興味深いのが、アドルフ・ヨーゼフ・ランツとグイド・フォン・リストの二人だった。自称、“イェルク・ランツ・フォン・リーベンフェルス”と称するこの男は、『神聖動物学』と呼ばれる著書を出していた。内容は急速に発展する科学と、オカルト的な宗教的見地を混ぜ込み、それを二で割った様な仕上がりだった。そこでは、ランツはアーリア人を『神人』と呼び、劣等人種を『猿人』として平然と罵っていた。彼に言わせれば、“猿人”は去勢・不妊手術・国外追放・奴隷化ないし強制労働に処するべき存在だった。更に、ヒトラーにとってのヒントであろうアーリア人の血統を守る『人種隔離』という案も出ていた。これが後にユダヤ人絶滅、スラヴ人強制移住に繋がっていく。そしてグイド・フォン・リストもまた、同様の思想を抱いていた。

 両者の特筆すべき思想は『アリオゾフィ』と呼ばれるアーリア人至上主義を抱いている事だった。アリオゾフィとは、『アーリア』と『ゾフィ(叡智)』の合成語である。その中の民族(フォルク)主義、反ユダヤ主義はオーストリア、そしてドイツに広がった。ランツが造ったこの教説は彼のオカルト組織、『新テンプル騎士団』――通称『ONT』で支持された。そしてこの教説は後のナチズムに踏襲される。

 「ここで重要なのは、劣等人種ウドゥミ(猿人)にはユダヤ人のみならず、有色人種が含まれているという事です」原は言った。「ここでいう有色人種とは、アーリア人以外の全ての人間です。無論、我々も例外に値する筈も無いでしょう」

 ヒトラーは公衆の面前においては、カルトを禁止していた。無論、ONTも例外ではなく、1938年のオーストリア併合後、ランツは著作物の発表を禁止された。ランツが書いた『オースタラ』は昔、ヒトラーにも購読されていたが、ヒトラーはナチスの地盤を固めた後、ランツの著作――『オースタラ』も含め――を読む事を禁じ、自分以外のカルト組織を禁じていった。これによりトゥーレ協会、フリーメイソン、そしてONT等、私的組織は次々と解散させられた。



 これらの行為は、ヒトラーがナチズム以外の競合相手を拒んだ為である。


 

 第三帝国にとって――ナチズム以外のカルトは必要が無かったのだ。



 

 

 

 

 

 








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