第46話 弾丸列車構想
第46話『弾丸列車構想』
1941年10月6日
神奈川/横浜
一閃、闇が深淵の面にあり、光帯が水の面を動いていた。
猛スピードの列車は横浜に向かって下りていく。そのあまりの速さに試験運転を見学していた伊藤整一は、瞠目するばかりだった。場合によっては最高時速200km超の車体が放つ、甲高い鳴き声が聞こえてくる。200kmというのは、通常の国産蒸気機関車では成し得ない速度だ。その速度の壁の向こう側を超えるその列車は『ETR200』――イタリア製の高速電車である。
イタリア国鉄のETR200型電車は文字通り最高時速200kmを誇る世界最初の本格的な長距離高速特急型電車だ。1936年に導入されたこの電車は、スティールと航空力学の新技術を取り込んだ流線型電車で、3つの車体を4つのボギー台車で支えるという連接台車方式を採用している。一等36席、二等42席の豪華仕様で、台車装荷の電動機――いわゆるカルダン駆動方式――を持ち、営業最高速度は160kmに達する。1937年には新しい201km/hという世界最高速度の記録を打ち立て、それから2年後には高速度試験運転で203km/hを記録した。
そんなイタリア製のETR200だが、史実では多くの問題が生じた。イタリア国鉄の路盤の老朽化によってその最高速度が低下してしまったり、第二次世界大戦のイタリア参戦により運行停止されて空襲による被害を被った。
しかしETR200は現時点において、ヨーロッパで最も快適で速い列車と考えられ、高い評価を得ていた。イタリアのベニート・ムッソリーニは史実、ニューヨークで開催された国際万博に1編成を送り込んでいる。そして今物語では、EU結成後にはヨーロッパ各国に積極的に輸出することを検討しており、鉄道先進国であるイギリス、フランス、ドイツとこれを基とした新型モデルを協同開発することが提案されていた。
伊藤は瞠目して島安次郎を見た。
「速いな」伊藤は言った。「これが電車という奴なのだろう?」
「ETR200型を造ったイタリアは山林に囲まれた山岳国ですから、我が国同様に路線は勾配や急カーブがちになります。そこでヨーロッパの他の鉄道先進国、例えばフランスやドイツのように、平坦地がどこまでも続くという訳にはいかず、機関車や起動車を長距離列車とすることは出来ないのです」島は言った。「その点を鑑みても、同車は『弾丸列車計画』の最有力候補と言えましょう」
イタリアは山岳国という国土的条件からフランスやドイツとは異なる技術過程を歩んできた『鉄道先進国』と言える。山岳に囲まれた長靴のような国土は通常蒸気機関車では、勾配の登り下り等に限界が生じる為、電化が進められた。また山岳国であることは、必然的にカーブが多い線形となる。その為、電車や起動車のような『分散動力車』の技術、あるいは遠心力で車体を傾斜させる『振り子式車両』の技術が古くから発展している。これらは同様に山岳国である日本にも必要となる技術といえよう。
「しかし陸軍は電車の採用には乗り気では無い様で……」島は言った。「それに湿気の問題もありましょう。イタリアとは気候が違いますから」
『弾丸列車計画』――史実では『盧溝橋事件』に端を発する同計画は、激化する日中戦争に際し、国内の輸送網たる鉄道がその輸送量の増加に対処しきれなくなることを危惧して生まれたものだった。そこで1938年12月に『鉄道幹線調査文科部』が設立され、朝鮮・中国方面と東京・大阪を繋ぐ輸送ルートの根幹を成している東海道本線・山陽本線の両幹線の輸送力強化に関する調査研究が開始された。更に翌年の1939年7月には『鉄道幹線調査会』が勅令をもって設立され、輸送力拡大の為の方策が具体的に検討されるようになり、同年11月に結論として早期に同区間に別線の高規格鉄道を敷くことが必要であるということになった。これが――『弾丸列車計画』の始まりであった。
翌年1940年に帝国議会で正式に承認され、1954年までに開通させることを目的とした『十五ヶ年計画』に基いて総予算5億5600万円をかけて建設されることとなった新鉄道だが、その最終目標は壮大なものであった。将来的に対馬海峡に海底トンネルを掘削し、満州国の首都新京や中華民国の北京までの直通列車を走らせるというものだった。無論、それは机上案に終わらざるを得なかった。
太平洋戦争中にシンガポールを占領すると、次にそこまでの延長線案も浮上した。これはいわゆる『大東亜縦貫鉄道』の第1縦貫鉄道群で、インド・チッタゴンまで続く第2縦貫鉄道群、はてはドイツ・ベルリンまで続いた第3縦貫鉄道群も存在した。シベリア鉄道に替わる超大な鉄道として構想された大東亜縦貫鉄道はやはり、日の目をみることはなかった。
また、そんな日本同様にドイツでも『ブライトスプールバーン』――という、壮大なる鉄道計画があった。このナチス・ドイツが計画した鉄道計画は、1942年から1945年終戦まで計画されていた超高速巨大鉄道網のことで、計画を立案したのはかつて画家として近代的な都市開発の構想を練っていたヒトラーだった。起点はミュンヘンに置かれ、奴隷化したスラブ人の輸送や東ヨーロッパをドイツ民族の移住地、資源の供給源として確保するのが大きな目的であった。
注目すべきは鉄道を走る列車である。時速250kmで走る全長70m、幅6m、2万4000馬力の機関車を8両連結し、その後に全長50m、幅6mの2階建ての客車を15両連結した列車を走らせる計画であった。ヒトラーはミュンヘンを起点として、これを全ヨーロッパ中に張り巡らせた鉄道網によって運行させる予定だった。
無論、これもまた実現しなかった。
今物語における『弾丸列車計画』もまた、そんな壮大な夢物語に行き着くこととなった。EUの誕生、ノモンハン事件、拡大化するソ連軍との小規模戦闘がこれに起因し、ヨーロッパ各国の協力もあるということもあり、鉄道省や陸軍の野心家達はにわかに騒ぎ出していた。計画は1940年の東京五輪の国内インフラ整備の中核を成し、史実以上に進んでいた。
しかし問題は山積している。
「陸軍は有事の際に起こる、変電所等への攻撃を懸念しているのだろう?」伊藤は言った。
「そうです」島は答えた。「全面電化となれば、送電施設が破壊された場合に運行が停止する。だから基本的には非電化にすべきだと」
「その点に関しては心配しなくていい。私が黙らせる」伊藤は言った。「君らには頑張って貰いたい。我々としても、戦争を回避――若しくは本土を主戦場とさせないよう、全身全霊を尽くす次第だ。そうなれば、送電所が攻撃を受ける――という前提を覆せるからな」
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