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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第5章 戦前の大和~1941年
43/182

第43話 叡智は一日にしてならず

 第43話『叡智は一日にしてならず』

 

 

 1941年5月15日

 山口県/三田尻沖


 全高40mにも及ぶ艦橋を昇りきって、対空戦闘の要たる防空指揮所の入り口の前に到達するとエレベーターは止まり、鋼鉄の扉が解き開かれた。中を覗くと、外側に高さ1mほどの防弾板が張り巡らされた多数の双眼鏡と、それに張り付く海軍士官・下士官達の姿があった。頭上は紺碧の空が広がり、燦々と輝いている太陽が、光の洪水を湛えている。そんな眩い光に負けず、戦闘時を想定した兵員達はなおも双眼鏡の前に張り付き、背後の人物のことなど知らずに、熱心に目を凝らしていた。

 その人物の到来を最初に気付いたのは、戦艦『大和』砲術長――砲術士官の頂点に位置する、まさに“神様”のような存在――西宮勲海軍中佐だった。海軍砲術学校高等科を優秀な成績で卒業し、砲術学校教官を歴任するなどの経歴を持つ。ただ、かの山本五十六や加来止男のように教官から、偵察・観測・爆撃の効果を買って航空畑に転出した訳ではなく、砲術畑一貫の道を歩む。そして今年、第1代目艤装砲術長が退任すると、晴れて『大和』2代目砲術長の任に就くこととなった。

 西宮が双眼鏡に取り付く兵員達に合図を掛けると、一同は来客に敬礼した。

 第2種軍装に身を包んだ伊藤整一中将・森下信衛大佐・吉田善吾大将、そして海相山本五十六はそれを見て、遊ばせていた右手を頭に寄せ、熱心な『大和』乗員達に敬礼を返した。「諸君、硬くならんでくれ」山本は言った。「戦争はまだまだ先の話だ。君らには、この平静の世を1日でも有意義に過ごして貰い、同時に有事に備えた有意義な経験と技能をつけて貰いたい」

 「はッ!」一同は声を発した。

 「では始めてくれ。諸君の奮励努力に期待する」

 

 

 数ヶ月前のこと、帝国海軍技術研究所と海軍航空本部の合同計画チームは、画期的な『近接信管』の開発に成功した。その近接信管の発端は1937年9月、坊ノ岬沖より特殊近接信管が回収された所から始まる。その回収された特殊近接信管を見た同機関の技術者達は面喰らい、しばらく何も言えずにいた。彼らはそんな特殊近接信管の前を行ったり来たりしながら自らの経験と知識を総動員しつつ、その信管を持ち込んだ一人の海軍中将にその正体の程を教えて貰いたいと頼み込んだ。大抵は当意即妙するその中将だが、ただ『米英の開発した次世代の信管』として説明し、それ以上のことは教えられなかった。と、いうよりもその解明が彼らに与えられた仕事だった。

 技術研究所や航空本部の面々が知らないのも当然だが、それは『VT信管』――と称される米国製近接信管だった。正式には『無線近接信管』と呼ばれるこの信管だが、大戦時は『マンハッタン計画』と並ぶ秘匿計画であった為、VT信管――バリアブル・タイム・ヒューズ(時限信管)という名称が用いられていた。名前から時差を利用した時限式信管であると枢軸国側に信じさせようとしていたのだ。

 それまでの時限式信管は、砲弾が目標に到達する未来接触時間を計算、割り出した時間を信管タイマーにセットして発射し、発射後、一定時間に爆発する仕組みだった。しかし近接信管は小型レーダーを内蔵していた。レーダーは電波発振による探知を行い、15m以内で一定の金属物体が通過すると探知して自ら炸裂する。近接信管搭載の砲弾は、その砲弾の破片によって敵機を落とすのである。

 一見、破片というから航空機を落とせないのではないかと思うがそうでもない。鋼鉄で築かれた艦船ならともかく、軽量面からジュラルミンのようなアルミ合金で造られた航空機ならば、破片だけで致命傷を負わせられるのだ。

 これまでの時限式信管に対し、VT信管のような近接信管は画期的な信管だった。タイマーという信用性に欠ける目安はもはや不必要となり、砲弾自体が目標を自動検出し、炸裂するという新世代の攻撃手段が確立されたのである。これによって米海軍の対空射撃命中率は、0.015%から3倍近く跳ね上がった。かつて、航空機1機撃墜に砲弾一万発を要する程に低い射撃命中率を考えれば、大いなる前進といえる。

 また、砲弾が勝手に探知・炸裂する為に信管のタイマー調整作業も不要となり、時間的余裕を得る所となった。これによって米海軍は対空射撃時の環境が向上し、より多くの砲弾を敵機に向けて撃つことが可能となったのである。対空射撃レーダー、射撃管制装置、そして薬莢式弾薬・自動装填・目標自動追尾の5段構えという対空射撃の鬼のような米海軍の5インチ砲は、敵機に向けて撃ちっ放しの攻撃を仕掛けることが出来た。伊藤は終戦後、かつての旧友たるレイモンド・A・スプルーアンス大将からこの“魔法の信管”の話をマリアナ沖海戦の話題の時に聞かされ、その存在を知る所となった。

 伊藤や『大和会』がそのVT信管の開発に躍起になるのも無理はない。しかし現実は過酷だった。帝国陸海軍、そして各大学からの民間人起用等、分野の境を越えたVT信管国産化計画は、研究チーム発足の37年から40年までの3年間、中々に進展しなかった。その原理が解明され、試作品が造られ始めたのは1940年夏頃――時に、『日独伊三国科学・技術協定』でドイツの技術流入がピークに差し掛かった時期であった。この頃にはドイツのレーダー技術、そして近接信管やレーダーの分野における科学者達が日本に全面的に渡り、3年に及ぶ技術基礎の増強で工業水準が史実を抜いていた。こうした経緯を経て1941年3月に12.7cm高角砲弾用の近接信管が完成した。

 信管の要たるレーダーには真空管が用いられていたが、発射時に加わる推定2万Gの衝撃に耐えるよう樹脂や金属外皮によって頑強に固められ、砲弾の回転による遠心力を避ける為に、弾頭内部に縦に配置されていた。2万Gの衝撃に耐えられる真空管を造るのではなく、2万Gの衝撃を真空管に伝えない構造を作った訳である。この為に真空管自体は元々が補聴器用の民生品であった。また、暴発防止の安全装置も水銀が発射時の遠心力で流れ、回路を切断して解除するという簡易なものであった。まさに量産を考慮した、アメリカ人らしい発想の詰まった製品――それがVT信管だったのだ。その点で言えば、帝国陸海軍の研究チームの完成させたそれは“試作品”であり、“工業製品”としてのVT信管の完成には至っていなかった。



 それが数ヶ月前のことだ。

 こうしてVT信管の試作品は完成し、40口径八九式12cm高角砲用砲弾に使用されることが決まった。現在、戦艦『大和』は副砲として12.7cm高角砲を搭載しており――第1次改装時に積まれた、1941年に就役する筈であった『大和』用の12.7cm高角砲――今度の第3次改装で九八式10cm高角砲に改装する予定である。更に44年までに『新型12.7cm高角砲』――米海軍のMk12-5インチ砲を基とした高角砲――の搭載を予定している。

 「砲術長、1万メートルで高射砲発射用意!」

 防空指揮所にて、『大和』艦長の森下は言った。

 鈍重そうな印象を与える無人標的機が3機、防空指揮所から右30度の方角に見えた。編隊飛行から分散した3機は、各方面へと向かう。雷撃機を模したラジコン航空機で、それぞれ胴体下部に疑似魚雷を搭載していた。

 「距離1万!」双眼鏡に張り付く兵員の1人が叫ぶ。

 「撃ち方始めッ!」

 西宮砲術長が下命すると同時に、甲高い発射音に続いて空を突き破るような轟音が響き渡った。眩しい閃光が右舷から突入していた雷撃機の1機を引き裂き、両翼が甲高い悲鳴を上げて砕け散った。雷撃機はまがまがしい橙色の火の玉に変貌したかと思うと、黒煙となって潮風に吹き消された。

 「ほぅ……これは……すごいな」

 吉田は関心したように頷いた。本来なら直撃せずに通り過ぎてしまうであろう12.7cmの砲弾はすべて、雷撃機を前に炸裂して機体に襲い掛かる。『意志』を持つ砲弾、それが近接信管であった。

 「ただ、八九式は人力ですから」伊藤は言った。「これを有効に利用するとあらば、全自動化にすべきでしょう。しかし、これが実用化されれば、時限信管の調停器の問題は必要がなくなるという利点も生まれます」

 「さらに正確を期すべきだろう」

 吉田は言った。「やはり射撃管制装置、電探、対空射撃の新ドクトリンの確立は必要だな。信管の量産が進めば鬼に金棒。ヤンキー共に一泡吹かせてやれるというものだ」

 「実は長官、それなのですが……」伊藤は言った。「そのヤンキー共がこの技術を鹵獲して実用化してしまわないか――という問題が発生するのであります」

 

 

 当時、米海軍は信管の機密保持に細心の注意を払っていた。近接信管という所を『VT信管』と名称付け、軍艦へ搭載された他にはイギリス本土の防空――V1ロケット等の迎撃――にのみ使用され、海上では不発弾を回収されないよう、陸地方向への射撃は禁止とされていた。

 これは、ただ単に信管の作動率の観点からの結果とも言われているが、不発の信管を枢軸国側にコピーされるのを恐れていたからである。日本はともかく、ドイツのような技術先進国なら、この信管の構造をすぐに解明し、量産化される危険性は捨て切れない。また、信管のレーダー周波数がばれ、チャフや妨害電波(ECM)でジャミングされてしまうことも警戒していた。その為、敵が『イエローモンキー』で、主戦場が太平洋上であった為、VT信管は対日戦に多用された。

 VT信管の初登場は1943年1月、ガダルカナル島を巡る『レンネル島沖海戦』の中のことだった。米海軍の軽巡洋艦『ヘレナ』が4機の九九式艦爆に対して5インチ砲を咆哮させ、内1機を撃墜した。VT信管を全面に押し出したのは1944年6月のマリアナ沖海戦のことだが、その頃にはF6F『ヘルキャット』の台頭や日本側パイロットの錬度低下により、その活躍は若干薄かった。結果的にその真価を発揮するのは、神風特攻の確立後であった。

 「何――?」吉田は首を傾げた。「ふむ、鹵獲か」

 「長官もお聞き入れでしょう。私が歩んだ歴史では『甲事件』や『乙事件』等、海軍が犯した防諜面での失態は数え切れません。しかも相手はアメリカです。原爆やこの信管もまた、彼らの優れた防諜戦略によって守られていた――いわば『叡智』なのです」

 OSSやONI、MI6・MI5等から分かるように、米英の諜報・防諜能力は世界最高水準だった。帝国海軍の単純な暗号解読を始め、『解読不可能』とされていたエニグマ暗号機の解読、コーストウォッチャー等情報網の確立、VT信管・ノルデン爆撃照準器等鹵獲に対応した機密保持の徹底……。その多岐に渡る諜報戦の結果は、ことごとく米英の勝利に繋がった。

 「それは危惧すべき問題だな」吉田が険しい声で言った。

 伊藤は頷いた。「ですが、対策も講じております。信管に対抗する妨害電波を発生させる装置を現在開発しているのです」伊藤は言った。「10月上旬にも試作品が披露され、十五試陸攻に搭載されて試験を行う予定です。将来的には、『Z指揮機』に取り付けようかと計画している次第であります」

 VT信管は目標からの反射周波数が弾頭との相対速度によってシフトする現象を利用し、発振波と反射波を合成して得られる低周波によって弾頭を爆発させる。その結果から、信管が使用する周波数を用いて早期起爆させる――というのが、VT信管への対抗策だった。VT信管は180~220MHzに発振周波数が制限されており、この周波数帯に対応した妨害電波装置を使用するのだ。

 「装置の進捗具合は?」

 「周波数が解明され、装置の開発に取り組んでいる……という話です」伊藤は言った。「十五試陸攻で妨害が成功し、“Z”の開発が進めば、アメリカが信管を持っても米本土を――」

 吉田は首を振った。「皆まで言うな。未来に希望が持てただけで十分だ」

 

 

 近接信管付12.7cm砲弾の使用実験は、無人標的機3機の内――3機を撃墜するという結果に終わった。これで一定の近接信管の信頼性が確立され、実用化への機運が高まることとなった。この実験結果を基に、帝国陸海軍の研究チームは量産化に向けた信管の開発を急ぐ。

 また、独英伊との共同開発を進める『Z飛行機』計画もまた、大きく躍進した。レーダーや通信機器を搭載した戦略指揮航空機『Z指揮機』――現代の“電子戦機”に相当する――に、対VT信管用のジャミングシステムを搭載することになったのだ。通信・レーダー探知・電波妨害と、電子機器を主軸とするこの先進的な戦略航空機の実現性が高まると同時、当初案であった『Z掃射機』『Z雷撃機』構想はこれをもって早期に潰えた。


 

 

 

 

 

 

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