第4話 夢幻の艦隊(後)
第4話『夢幻の艦隊(後)』
【もう話す事は何もなかった。加藤大将は無言で頷き、しっかりとした決意を胸の内に固めた。私はその時、これからの5日間は快適で円滑の中で事を進められるだろうと確信していた。まだ剃る髭もなく、向こう見ずなバーの若人よ。君から私は学んだ。“歴史を忘れるな”という事を。】
(伊藤整一口述回顧録-第1部第3章『接触』より抜粋)
1937年7月2日
広島県/呉市
賑いの海軍街、呉市には海軍向けに複数の商業施設があった。1889年、呉鎮守府が開庁し、設備の拡張資材と人員の流入が始まるとともに、金も流れ始めた。やがて『小野浜造船所』が『仮設呉兵器製造所』となり、『仮設呉兵器製造所』は『呉海軍造兵廠』となった後、合併等が繰り返し行われ、1903年には現在の『呉海軍工廠』という名になった。その間、日本は着実に力を付け、海軍も力を付けた。金の流れは速くなり――今、それが最高潮を迎えようとしている。
戦艦『大和』の建造である。
その未曾有の計画により、流入する兵員は増え、周囲に築かれた街――『呉』は繁栄の絶頂期に達した。そんな街が8年後に辿る事となる、哀れな最期を知る者達は、大いなる目標と正義感を持って、呉の街を颯爽と歩んでいた。
【回収艦艇一覧】
・戦艦
『大和』 『長門』 『アーカンソー』
『ニューヨーク』 『ネバダ』 『ペンシルべニア』
・重巡洋艦
『ペンサコーラ』 『ソルトレイクシティ』 『プリンツオイゲン』
・軽巡洋艦
『酒匂』
・航空母艦
『インディペンデンス』 『サラトガ』 『天城』
・駆逐艦
『アンダーソン』 『ヒューズ』 『ランソン』
『リンド』 『ラルフタルボット』 『スタック』
『ウェインライト』 『ウィルソン』 『カニンガム』
『フラッサー』 『マグフォード』 『マスティン』
『メイラント』 『トリップ』
・潜水艦
『シーレイヴン』 『スケート』 『スキップジャック』
『ツナ』 『アポゴン』 『パーチー』
『パイロットフィッシュ』 『伊-四〇四』
・戦車揚陸艦(LST)
計六隻
・大型歩兵揚陸艇(LCI)
計六隻
・戦車揚陸艇(LCT)
計二十四隻
・攻撃輸送艦(APA)
計十九隻
・攻撃貨物輸送艦(AKA)
計一隻 『アルテミス』
・その他
『ARDC-13』 『LSM-60』 『YO-160』
-1937年7月3日~----------
(大日本帝国海軍-機密作戦書『Y作戦』より抜粋)
伊藤整一中将は、車の排気煙が充満する街路から、檜や草の香りに包まれた建物の中へと足を運んだ。呉本通二丁目に位置する料亭『五月荘』は1903年、明治36年創業の老舗である。趣と歴史を秘めたこの料亭は呉屈指の食事処であり、古くから地元の海軍将校達に親しまれてきた店でもあった。呉鎮守府司令長官官邸にて、台所で作られた料理、熱い風呂、客用寝室での仮眠のお蔭で気分の良くなった伊藤は、世捨て人寸前の風貌から一転、大艦隊を指揮する司令官に還った。
『梅の間』に通された彼は、伊藤艦長、加藤呉鎮守府司令長官、そして森下信衛少将の三名とともに入室した。夕刻の早い内に到着したので、外はまだ明るく、窓の外は茜色に燃えていた。
女将と仲居が膳の支度を終えるのにそう長くは掛からなかった。目の前に築かれた懐石料理は、海と山の幸を盛り込んだ、色鮮やかで新鮮なものであった。その横にぬる燗酒が入った徳利が添えられ、一同が手に持つ盃へと注がれた。その後、四人は非公開で私的な案件を話したいという理由から、給仕達を下がらせた。
「……戦争では、この様な贅沢は楽しめんな」
伊藤は懐石の一品、白身魚のけんちん蒸しを箸で解し、その身を味わう。口の中に広がる至高の味は、涙が出そうな程に美味だった。彼は一間置き、それをぬる燗酒で喉に流し込んだ。
「成程な。それはいかん」加藤中将は呟いた。「しかし、帝国海軍が敗北を喫すとは……。未だに信じられんのだ。伊藤中将」加藤はぬる燗酒を喉で転がした。「今の我が海軍の底力であれ、米英諸外国には負けんと私は確信している。先の戦争は何処で軸が狂ったのだ?」
「それは……」森下少将は唸った。「一概には言えませんが……」
「うむ、森下君の言う通り。一概には言えません」伊藤は言った。「勝手ながらも言わせて貰えば、帝国海軍は海上護衛を怠った時点で、敗北は見えていたのではと私は考えております」
「海上護衛?」
「閣下も承知だと思いますが、戦争は強力な兵器や、一回の大勝利で勝ち取れる程に甘くはありません。連合軍はアメリカを軸に、イギリス・ソ連・オーストラリア・中国と、圧倒的領土と資源、そして人的資源を持ち合わせた国ばかりです。いわば……我々は世界を相手にしていたと言えばよく分かるでしょう」伊藤は区切り、語を継いだ。「連合軍は鉄道、海運、自動車、馬、歩兵等、輸送の面で圧倒的に優勢です。また、資源面でも優勢にあります。そして、何と言っても大規模な工業力もあります。物を造る資源、そしてそれを加工、製品化する工業、更に世界中に送る事の出来る輸送手段――」
「成程、敵はその三つを世界規模で展開出来た……と?」
伊藤は頷いた。「そうです。対するに我々枢軸国は、アジアとヨーロッパ・アフリカの領土――つまり自国の国境内でかき集めなければならなかった」伊藤は言った。「もし、もう一度戦争を起こすのなら、世界に通用する資源量・工業力・輸送手段を確立し、尚且つそれを恒久的に維持出来る数の人間が必要となる訳です」
「更に補足すれば、それを支える基盤がなければなりません」加藤艦長は言った。
「ならば原子爆弾は?」加藤は言った。「あれをアメリカに落とせば……」
「アメリカは領土に言わせれば世界の一角ですが、連合軍の核を担える程に強い国です」伊藤は言った。「例え原爆を作れても、先ずは三要素の一つである“輸送手段”――鉄道、海運、爆撃機を確立させておかなければ、宝の持ち腐れというものでしょう」伊藤は更に言及した。「そして、それらをもし確立させて、西海岸に落とせた――若しくはワシントンに落とせたとしても、日本の様な危機的状況下にでも陥れなければ怒りを助長するだけです」
「しかし、漬け込む隙ぐらいはある――だろう?」
伊藤は頷いた。「講和ですね。しかし、山本長官も成し遂げられなかった」
【その言葉が口から出た途端、伊藤閣下は黙り込んでしまわれた。閣下は過去の事を思い出されたのだろう。親しき仲にあった山本長官の死。そんな彼の置き土産に人生を注ぎ、持つ妻子さえも自ら投げ出されてしまった。そんな幾つもの重圧を抱え、閣下は心が挫けそうになったのではないだろうか?しかし、閣下は他者にはそのような様子を微塵も見せず、常に皆の先頭に立たれたのだ】
(森下信衛手記より抜粋)
森下信衛少将は『大和会』において、軒を連ねる知識人達とは異色の人物だった。海軍時代から軍人らしさはあまり見られず、部下に対しては厳しい訓練を強い、決して評判は良くなかった。しかし、その気取らない、野武士的な豪放的さに、次第に部下達は信頼を寄せていった。その操艦技術は海軍屈指で、大和艦長として参加したレイテ沖海戦では、神業的な技術で多くの危機を脱した。
「閣下、お話があります」
伊藤が口を開き、今日の肝となる話を始めた。
「5日後、盧溝橋にて日中両軍の衝突がある事はご承知だと存じます」伊藤は言った。「戦争を防ぐ為、若しくは先の戦争に一片でも勝利の可能性を加える為には、日中間の戦争は――」
「阻止しなければならない……であろう?」加藤は頷いて同意した。「しかし、海軍は今回の戦争では影響力を持てる……とは言い難いぞ?頭の堅い陸軍連中が戦争を望まない訳がない。それを僅か5日で変えたいのなら、よっぽどの口達者でないと」
加藤はかぶりを振った。「それでも、無理だと私は思う」
「しかし、早期の停戦までは漕ぎ着けるでしょう」伊藤は言った。
加藤が頷いた。「成程、悪化しない内に……か」
一体これから何をするのか、伊藤は話してはいない。しかし、加藤は無言で一枚の包みを渡し、伊藤の前に差し出した。中には幾分かの金が包まれていた。
「要り様……と見てな。勝手ながらも用意させて貰った」ぬる燗に咽喉を湿らせた加藤は言った。「1日であったが、世界の観方を変えて貰った礼だ。未来を知るというのは、幾分も良い気持ちでな。私も此処で尽力を尽くします故、貴殿にも尽力を御貸し頂きたい――と会う相手に伝えてくれ」
宴が終盤を迎える頃には、夜の帳は既に降りていた。
包みを取り、見物するのも一興ですよ、と伊藤は言った。見物するものには事欠かない筈ですよ、と伊藤は請け負った。何しろ――ここから歴史が変わっていくのですから。
【私は舞い立った。行き先は――三羽烏の巣だ】
(伊藤整一口述回顧録-第1部第3章『接触』より抜粋)
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