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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第4章 戦前の大和~1940年
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第38話 未来への灯

 第38話『未来への灯』

 

 1940年11月26日

 東京府/麻布区

 

 この日の1週間ほど前、11月20日に『日独英伊軍事同盟』は締結された。指導者が直接接触せず、世界にも公表せず、国際通信網によって確約されたこの同盟は、複数の条件の下に築かれた密約同盟だった。 しかしその“密約”という特異な同盟関係は、アメリカという強大な敵に表立って戦えないことを表す。同盟の大定義は共通の敵アメリカ――への抵抗であるが、現実的にアメリカの驚異的国力と経済状況、そしてその軍事力を考えればすう考えるのも当然であった。その為、当同盟は『経済的支援』『技術交換協定』という2つの条項を大前提として加え、水面下で行われることが明記された。これにより、4国は経済面での相互支援。そして、海路・陸路を用いた軍事・科学技術の交換を開始する。

 大日本帝国は酸素魚雷、46cm主砲。ドイツはジェット機、戦車、潜水艦、V1・V2ロケット等先端技術。イギリスはレーダー技術、精油技術、対潜兵器『ヘッジホッグ』。イタリアはペニシリン等医療技術……。各国が世界最高水準の技術を出し合い、互いにその改良・量産体制の確立を進める。それによって対米戦争前の戦力向上・近代化を図るのが、技術交換協定の要だった。既に『日独伊三国科学・技術協定』が結ばれていて、その技術交換は着々と進んでいたが、工業国では大先輩に当たるイギリスの生産指導を受けるということで、3国は『優秀な兵器の量産化』という夢を抱くようになった。やがてその夢は現実のものとなる。

 

 

 その日、主不在の藤伊邸――『大和会』拠点――に原茂也が姿を見せたのは、その1週間前に締結された軍事同盟が関係していた。いよいよ計画の中核を成す『日英同盟』の締結が決まり、『大和会』と大日本帝国は軌道に乗り始めていた。その為、今後の“指針”に含まれる技術開発について議論すべく、『大和会』関係者の一部が集結したのである。

 原は霞ヶ浦で飛行訓練生を勤める伊藤の代理だった。過去でも今でもヨーロッパ駐在経験が長い彼は、先の10月にはイギリスへと赴いた。そして11月に帰国し、伊藤不在の『大和会』を支える存在として、今に至る。本格的な戦艦『大和』就役が迫り、訓練スケジュールの詰まった森下信衛の代わりでもあった。

 藤伊邸の居間に集まった面々を見て、原は不気味に感じた。長方形のテーブルには6つの椅子があり、それぞれに来訪者が座っている。その来訪者は――海軍大臣山本五十六。陸軍航空総監で史実における首相東條英機。現首相の米内光政。闇の参謀辻政信。そして――『帝機関』総参謀長石原莞爾である。山本と東條。山本と米内といった具合に、よく皇居や霞ヶ関各所で顔を合わすことの多い3人が一緒でもさして何とも思わない。

 しかし問題は――辻と石原のペアである。

 『暗躍』という代名詞が良く似合うこの2人が引き合わされればろくなことにならないと、原は心の中で呟いた。事実、今回の『三重殺作戦』を立案――大部分は伊藤の考えだが、まとめたのは2人――、実行したのもこの2人だった。

 石原が『大和会』に参加したのは、辻による手引きの結果だった。先の1937年、『盧溝橋事件』回避工作の中で顔を合わすこととなった辻と石原はそこで面識を持った。盧溝橋の一件の日本側調査団を指揮する石原に対し、抗議する形で辻は顔を合わせる。そして1938年12月に辻が『大和会』に加入。役に立つ人物として辻は石原を伊藤に紹介し、両人の了解によって石原の加入も決まった。そして『ノモンハン事件』で陸軍中枢部からの信頼を得た石原は、そのコネによって『帝機関』の総参謀長に抜擢される。

 「近頃、時計の針の回りが早く感じますなぁ」

 石原は居間の壁に掛けられた時計を見て、呟いた。「これも9年後という時間の経験と技術の賜物ですかな。帝都の街々はまるで、時間を早送りされたように急成長した」穏やかな声で石原は言った。「そして陸軍は機械化。海軍は航空主兵化が進んでいる。これもまた、『大和会』の力……。『時』というものは、私が知る以上に凄まじい力を持っているのですな」

 石原は呟いた。「かつて私は『最終戦論』を書きましたが、そこに『時』こそが戦争の雌雄を決する――と書き変えねばなりますまい」

 石原は視線を堂々たる風格の原に向けた。

 「その万物を見極める才。後世の歴史家達は貴方を“智将”と讃えることでしょうな」原は言った。「こういう世知辛い時代で会う成り行きになったのが残念だ」

 「尤もですな」石原は言った。「生憎様、そのような時代に向かわせたのは私です。いまや戦争という“怪物”は私の手によって楔を断ち切られ、世に解き放たれてしまった……。しかし、それは事のほんの一端にしか過ぎない」

 和やかな空気はそこで断ち切れ、険悪な空気が垂れ込めていた。

 「ちょっと待て」東條は言った。「貴様、今度は一体何を企んでいる?悪いことは言わぬ。これ以上、闇の中に足を突っ込むんじゃない」

 「それは要らぬ心配というものですよ、東條さん」石原は言った。「闇に足を突っ込むのは慣れたものです。それどころか、最近では私自身が闇みたいなものですからな」

 「私は貴様を諭そうとしているのだ。勿論、せっかいなどではないぞ」東條は言った。「帝国と陛下を憂い、言っておるのだ。既にイギリスと同盟関係を結び、ドイツ・イタリアも含めた4国軍事同盟が締結された今、これ以上の関与は必要ない。現実を見るのだ」

 石原はかぶりを振った。「東條さん、それは誤りですよ。例えイギリスを同盟下に加えたとしても、帝国の絶対的優位性が確立されたとは言い難い」石原は言った。「確かに大英帝国は18世紀以来、世界を蹂躙し、支配し、統治し続けてきた。しかし、ヨーロッパの大戦と世界恐慌を経て、大英帝国にも落日が見え始めてきた。事実、3年前にはアイルランドが英国の膝元を離れ、独立を果たしたではありませんか」

 「そんなのはただの世迷言だ!」東條は怒鳴った。「米国を恐れる恐怖心から口にしたに過ぎない。大英帝国やドイツといったヨーロッパの盟主が集う今、米国は貴様が想像しているものに比べて遥かに劣る国家に成り下がったのだ。恐るるに足らず――だ」

 石原は思わず顔を顰めた。この人は何も分かってはいない。

 「とにかく、いまの現実を受け入れようが受け入れまいが、お前は指示通りに行動してもらう。満州の時みたいに、口答えすることは許さんぞ!」

 東條の口調は蔑むようなものだった。かつて4期下の部下である石原が満州国で、自身と関東軍を否定し、口答えした記憶が蘇ったのである。満州国生みの親で英雄でもあった石原に対するライバル心を誘発された東條は、その後石原を人事によって左遷することとなる。しかし、今物語では重要な役職に就いた石原は、『大和会』における自身のポストまでも奪うのではないかと思い、またもや激突したのだ。

 「東條さん、“指示”――とは何です?」その言葉を告げたのは、山本だった。「貴方は『大和会』の長であるのですかな?その記憶は私にはとんと覚えが無いが……」山本は東條を睨み付けた。「貴方は『大和会』と伊藤閣下に忠誠を尽くした筈だと思うのですがね」

 「それは間違いです」東條はきっぱりと答えた。「私が忠義を尽くすのは陛下と帝国のみであります。『大和会』には、その意志に賛同したのみ」

 「なら、『大和会』を脱し、日本籍を破棄しろ」米内は凄みのある声で言った。「今日中にな」

 「日本籍を破棄?何故私がそんなことを?」

 「貴方は忘れているようだが、『大和会』は陛下によって承認され、存在する正統な組織だ。貴様はそんな組織を否定した。それは陛下の大御心を否定したに等しい」米内は東條を睨み付けた。「つまり貴様は陛下に背いたことになる。そんな貴様は最早皇国の民ではない……“非国民”だ」

 「それはとんだ妄想だ。甚だしいにも程がある!」東條は声を荒立てた。「私は純然たる皇民であり、帝国軍人なのだッ!私は――」

 「東條さん、この『大和会』には階級も身分も関係ないのですよ」石原は言った。「何しろ、『大和会』の皆様は時を超えてきた方々なのですからね」



 1940年11月23日、イギリスから十隻程度で編成された輸送船団――通称『パイオニア船団』が出発した。パイオニア船団はイギリス陸海空3軍の開発した新鋭技術や工作機械を満載した輸送艦から構成されている。輸送艦の中には、後に連合国軍勝利に起因する『チェーン・ホーム』対空レーダーや射撃制御レーダー、爆撃機用長距離無線航法装置、更にロールス・ロイス・マーリンエンジンやそれを陸上用に改造したミーティア・エンジンなどが積み込まれていた。

 「このP船団はP-51に使用されることとなる、『マーリンエンジン』を積載しています」原は言った。「ご存知の通り、P-51は後に米陸軍航空軍の主力戦闘機となる優秀な機体です。航続距離は零戦を遥かに超え、より優れた火器・防御性能を誇っていますが、米国はその開発に立ち遅れることとなるでしょう」

 原はそう言った。その言葉の確信の中には、マーリンエンジンの米国への供給停止があった。これにより、米陸軍内では凡機であるP-51は生まれるかもしれないが、それ以上の性能のP-51が空を飛ぶ歴史が訪れることは恐らくないだろう。

 「英国の手引きによる、シュミュード技師の招聘を予定していますので、もしかすればP-51そのものを生み出させなく出来るかもしれません」原は言った。「技師の来日が実現すれば、東條閣下の提案する『次期戦闘機計画』も一歩前進するでしょう」

 エドガー・シュミュード技師はP-51の生みの親である。ドイツ系ユダヤ人のシュミュードは米国に亡命後、ノースアメリカン社の設計技師となった。史実では1940年、ドイツに対抗出来る米製航空機を求めた英仏は、P-40を欲した。しかし、当の開発元のカーチス社は生産ラインも整っておらず、無理があった。そこで英仏はノースアメリカン社にP-40のライセンス生産権を取得させ、生産させることを思いつく。

 しかしそれはノースアメリカン社にとって、屈辱だった。これに当時設計技師を務めていたシュミュードは更に優れた戦闘機を短期間に初飛行させられる」と断言。僅か4ヶ月で設計を済ませ、7ヶ月で初飛行を実現させてしまう。

 「残念ながら、P-51にはマーリンエンジンが無いと本領は発揮出来ません」原は英空軍に初期配備されたP-51を思い出した。当時、ヨーロッパに居た彼は新型機の噂を聞いたが、それは年を重ねるごとに強まっていた。「世界最強のドイツ空軍も、P-51には震え上がっていましたよ。あれはメッサーシュミットの戦闘機よりも遥かに優れ、遥かに多くの数をヨーロッパに送り込んでいましたからね」

 

 

 その他、P船団からもたらされる技術はどれも希望が持てるものだった。対空レーダーとしては世界最高峰のチェーン・ホーム・レーダーはこの日、43年末までに関東平野全域をカバーさせる数を配備し、45末までには日本本土全域をカバー出来る数のレーダーを製造することが定められた。また、対艦・対空用射撃制御レーダーは日英独伊4国による共同開発で必要負担を4分割、その品質を統一するとともに、生産の安易性を実現させる。こうしてイギリスの先端技術と工業生産技術を培うこととなった大日本帝国は、着実にその工業力を邁進させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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