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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第4章 戦前の大和~1940年
36/182

第36話 鷲は舞い降りた

 第36話『鷲は舞い降りた』

 

 

 1940年10月24日

 イギリス/ロンドン

 

 フランクリン・D・ルーズベルト大統領の“足”――ウィリアム・J・ドノヴァンは新英首相サー・ウィンストン・チャーチルとの談話、という合衆国と英国との国家間の命運が掛かった使命を持っているが、それはいとも容易く崩されようとしていた。ロンドン有数の高級ホテルである『リッツ・ロンドン』――王侯貴族や著名人御用達の5ツ星ホテル――5階に宿泊し、時差ボケを解消する為、仮眠を取っていた彼は、目を覚ました頃には――四肢を椅子に縛り付けられていた。

 ドノヴァンは瞠目し、眼前に立つ男の顔を見上げた。「クソッ、これは何の真似だ!」ドノヴァンは返答しない男に怒り心頭だった。「答えろクソ野郎!!黙ってないで――」

 流れるような動作で右脇を引き締め、前へ突き出してドノヴァンの胸に拳をめり込ませた。鋭いパンチは風を切り、数万ボルトの電流が流れたかの如き衝撃が、ドノヴァンの身体を駆け抜けた。苦痛にドノヴァンは息を呑む。目を大きく見開かれ、身体は椅子の中で動きを失った。こんな状況に陥れた相手はなおもドノヴァンを見下ろし、卑屈でも哀しげでもない無機質な表情を浮かべ続けた。

 「ハァ……ハァ……」

 ドノヴァンは息苦しそうに喘いでいる。彼は老体に鞭を打ち、身を震わせながら、どうにか口を開いた。「な……何を……」ようやく、言葉らしい言葉が漏れた。

 「何だと思う?」男は問いかけた。

 「イースト・エンドの物乞い……じゃないよな……」ドノヴァンは心底戸惑っているようだった。ここは天下の5ツ星ホテル、リッツ・ロンドンだ。ホテル関係者や大金を払える客でないと、中に入ることさえ許されない。

 「そうだ。それは正しい。これでお前は1点リードだな」男は言った。

 「残念ながらこの状況下ではリード出来ているとは思えんね」ドノヴァンは睨みながら言った。「勿体振ってないで用件を言えばいいだろ?望みは何だ」

 「――サー・ウィンストン・チャーチルの命」男は静かに告げた。「それが望みだよ。もっとも、貴方が払うとは思えんがね」

 「当然だ!」ドノヴァンは怒鳴り、椅子の脚を動かして男の前に迫った。「冗談は無しだ。勿体振ってないで、このクソッたれな状況を脱する条件を早く述べろ!」

 男はかぶりを振り、憤慨するドノヴァンの鼻先に顔を近付けた。「冗談じゃない。このクソッたれな状況を脱したいのならそうしろ」男は身を屈め、相手の耳元に囁いた。「でないと、娘のパトリシアの命は保証出来ない」

 ドノヴァンは瞠目した。「貴様……」

 1940年4月、史実ではドノヴァンは娘パトリシアを交通事故で失っていた。しかし歴史改変によって世界が変革された今物語ではパトリシアは存命、ドノヴァン一家は平穏な日々を過ごしていた。

 「忠告する」男は言った。「お前は要求に呑まなければならない。さもなければ、娘は不幸な死を迎えることになると思え。要求を呑めば、その命は完全に保証してやる」

 「クソッ!貴様、本当なら地獄に送って――」

 男は右腕を引き、強烈な一撃をドノヴァンの腹にくり出した。彼はぐったりと力を失った。

 「いいか、ミスター・ドノヴァン。やれもしない事をいうんじゃない……」男は渋面を浮かべながら言った。「負け犬の遠吠えを吐くような男は、チャーチルには気に入られないぞ。ガッツを見せろ――“ワイルド・ビル”」

 

 

 1940年10月25日

 イギリス/ケント州


 一面が緑に覆われ、漆黒に染め上げられた農道を、黒塗りの高級車が駆け抜ける。ヲーターハムから西に2マイルほどのこの地には、かの新首相ウィンストン・チャーチルが壮年期を過ごす一軒のカントリーハウスがあった。

 『チャートウェル』として知られるその家の歴史は、1922年にチャーチル夫妻によってこの地の80エーカー近い土地が買収される所から始まる。この地の渓谷の風景に魅了されたチャーチルの提案であり、邸宅の周辺には池やバラ園が造られた。そして、1965年までの約40年間の間、チャーチル一家はここに住み続けることとなった。

 「どうやってチャーチル首相との会談を嗅ぎ付けた?」

 スーツに身を包み、渋面を浮かべたドノヴァンは言った。

 「米英政府内には我々の内通者が居るし、両首脳は脆い通信手段を用いていた。盗聴は簡単で、両者の思惑は筒抜けだった……という訳だよ」

 当時、米英両首脳は秘密会談などの重要な音声通信には、短波での無線通信を使用していた。しかしこれは盗聴の危険性があり、ベル研究所が開発した『A-3』というアナログ方式のスクランブラーが用いられていた。残念ながらこのA-3は意味を成さず、戦時となる1941年頃には、米英両首脳の音声通信による秘密会談は、ドイツ軍に筒抜けだったのである。

 「貴様は何者だ?」ドノヴァンは言った。「イギリス人のようだが、ドイツ人の血も混じっているとみた。まぁ、さしずめドイツ軍諜報部のヒトラーの犬か、親独派の――いや、これでもやはりヒトラーの犬に違いないか」

 「そういうことだ、ミスター・ドノヴァン。結論に至ってくれて嬉しいよ」男は無表情で言った。「だが、今の私はカナダの富豪でMI6米国支部局長のサー・ウィリアム・スティーブンソンだ」

 と、スティーブンソンの名を語る男は言った。ウィリアム・サミュエル・スティーブンソンは史実、MI6によって設立されるイギリス安全保障調整局(BSC)の長官だった。第二次大戦の開戦後、ニューヨーク、ロックフェラー・センタービル36階の『3603号』室に設置されたBSC米国支局長となったウィリアム・スティーブンソンは、ドノヴァンとチャーチルとの会談を手引き、ヨーロッパ旅行と扮してドノヴァンをイギリスへと渡英させ、ルーズベルトの特使をチャーチルの元に送り届けた。この時があったからこそ、米英を中心とする連合国軍は北アフリカから侵攻するというチャーチルの戦略を採用し、かの『トーチ作戦』を決行させた。

 ――しかし、カナダ人のスティーブンソンは既に居なかった。

 「殺したのか?」

 「そうだ」ドイツ人とイギリス人ハーフのスティーブンソンは言った。「チャーチルや家族、ボディーガードは俺やスティーブンソンの顔など知るまい。だが、私がスティーブンソンだと言えば、私は彼らの世界の中では、MI6のウィリアム・スティーブンソンになれるんだよ」

 ドノヴァンは悪寒を覚えた。「ところで、私に何をしろと?」

 「簡単なことだ。出発する前にも言ったが、“チャーチルの命”をよこせ」

 「何を言っているのか分からない」

 「分からないだと?今更、しらを切るな」スティーブンソンは言った。「やることは1つだ。この銃で何も知らないウィンストン・チャーチルを殺害しろ。ただそれだけだ」

 そう言い、スティーブンソンは1丁のデリンジャー拳銃を手渡した。「俺にジョン・ブースの真似事をしろというのか?あのチェンバレンを殺害した――“狂気のアメリカ人”みたいにか?」

 「率直に言えば――そうだ」スティーブンソンは決然と告げた。「デリンジャーは隠し易い。チャーチルは『狂気のアメリカ人』の噂は元より、周りには流されない男だが、政府が寄こしたボディーガードはそうとは限らないからな。それに、使い勝手も良い。至近距離になるから、ブースがエイブラハム・リンカーンを殺したみたいに、お前もチャーチルを殺せるさ」

 「黙れ!」ドノヴァンはデリンジャーの銃口をスティーブンソンに向けた。「ブースがエイブラハム・リンカーンを殺したみたいに、お前の頭を吹っ飛ばすぞ!」

 「前にも言ったろ……」スティーブンソンはワルサーP-38を懐より取り出し、ドノヴァンの額に向けた。「『やれもしないことを言うな』――と。追い詰められた人間は考えられないことをするものだから、今回の一件は水に流してやる」

 「お前は娘の頭に銃口を突きつけた!」

 「違う」スティーブンソンはかぶりを振った。「俺じゃない。“運命”が突きつけているんだ。この不条理な“運命”がな」

 「言っておくぞ」ドノヴァンは言った。「もし娘に何かあったら、お前を生き地獄に叩き込んでやる。死んでも死にきれない永遠の苦しみの中にな!」

 「好きにしろ」スティーブンソンは素気なく言った。「さあ、仕事の時間だ」

 

 

 ケント州ヲーターハム西2マイル地点。ウィンストン・チャーチルの邸宅『チャート・ウェル』

 ルーズベルト大統領の特使、ウィリアム・J・ドノヴァンは大統領により与えられた権限により、チャーチルの書斎へと入り、その懐に隠し持っていたデリンジャー拳銃を抜いた。

 「何だと!?」

 チャーチルが愕然とし、後ずさりする。書斎前で待っていたボディーガードがその異変に気付き、書斎の扉をノックし始めた。

 「黙れ」

 スティーブンソンは言った。サプレッサー付ワルサーP-38を掲げ、扉の右隣でボディーガードを迎え撃つ。P-38より飛び出した9mmパラベラム弾はボディーガードの男の眉間をいとも簡単に貫き、同時に心臓に大きな穴を作りだした。

 ボディーガードの男は倒れる。苦悶の表情を浮かべ、血に紅く染まったその姿を見て、チャーチルは瞠目した。「まさか……アメリカが我が大英帝国を滅ぼす――という噂は本当だったのか!?」

 ドノヴァンは歩み寄って銃を突きつけた。

 そして――銃声。デリンジャーからは香ばしい臭いが漏れ、薬莢とチャーチルが床に落ちる音が、書斎に響き渡った。

 数分間の静寂の後、ドノヴァンは告げた。「スティーブンソン、私は――」 

 

 そして――銃声。

 

 

 チャートウェル近郊を走る黒塗りの車の中で、今はウィリアム・スティーブンソンと名乗るドイツ諜報部員の男は、凍結した“あの時間”について振り返った。米国人でルーズベルト大統領代行のウィリアム・J・ドノヴァンは1940年10月25日ウィンストン・チャーチルを殺害。そしてそれから1分も満たず、ボディーガードによって射殺――死亡したボディーガードの銃により、死亡したボディーガードの位置から撃ち放たれたの銃弾の一撃によって――された。その後、アメリカ人共犯者――スティーブンソンと名乗る男――により、家族も惨殺された。



 そう、全ては始めからこうなる運命だった。

 

 




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