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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第4章 戦前の大和~1940年
34/182

第34話 血の掟

 第34話『血の掟』

 

 

 1940年4月16日

 ドイツ/ベルリン

 

 首都ベルリンの黄昏の空は、ブランデンブルク門を茫と浮かび上がらせた。この『平和の門』の輪郭を付けた夕陽は、桃と金色と杏の光の帯を引きながら、西の空に沈む。アプヴェーア本部の一室に立ち、そんな窓外の光景を見据えていた品川健海軍中尉は、再び室内に目を向けた。何の変哲も無いオーク材のテーブルと、椅子が3つ。その1つには『大和会』所属の原茂也。そしてもう1つには、眼鏡を掛けた老齢の男が座っていた。

 勿論、この男は『大和会』でもなければ、無知な一般人でもなかった。彼に尊敬と敬意をもって接する者は『指導者』と呼び、憎悪と敵意をもって接する者には『反逆者』――と蔑んだ。ある者は、好ましくない人間に対し、彼の名を冠して、『トロツキスト』と呼んだ。

 そう、彼とは――レフ・トロツキーである。

 1879年にウクライナで生を受け、1929年に『鋼鉄の人』、ヨシフ・スターリンによって祖国を追放されたトロツキーは、史実では1940年8月20日に死を迎える。破滅の階段に突き落としてくれた男、スターリンその人の暗躍により送られた刺客ラモン・メルカデルによってピッケルで頭部を負傷、死亡する。逃亡先のメキシコのことであり、メルカデル自身は僅か20年という懲役期間を刑務所で過ごしただけであった。

 しかし今物語では、その悲惨な歴史も変えられようとしていた。不変的に会う事は無かったであろう品川健中尉と面会したからである。彼は御年24歳の青年将校だが、生まれは大正14年――西暦にして1925年生まれであるが、今年は1940年。だとすれば、彼は本来15歳である筈だろう。だが、その常識は『時間旅行』という概念を通せば、不変的なものではなかった。

 トロツキーは2人が黙っているのを不満に思い、鋭い視線を差し向けた。

 「貴様らは何者だ……という顔だな」『大和会』の一員、元帝国陸軍の原は流暢なドイツ語で言った。それをアプヴェーアⅠ課――外国情報収集担当――のロシア語翻訳士が、訳してトロツキーの耳に伝える。相も変わらず怪訝なトロツキーは、「フン!」と鼻息を荒げ、原の顔を睨み付けた。「せいぜいあの屑野郎に伝えてくれ――“地獄で会おう。皆、お前の為に用意して待ってる”……とな」

 一時の沈黙の後、目を半眼にして、再び原を睨み付けた。「……どうした。何故早く俺を殺さない?」

 「……いや」原は言った。「手荒い召集をして、勘違いをしたかもしれんが……」

 「手荒い――だと?」トロツキーは唸った。「頭に麻袋を被せられ、メキシコから潜水艦で数週間の旅をしたことがか?」

 今から3~4週間前、メキシコに居たトロツキーは拉致され、ここまで連れてこられていた。何が何だか分からず、潜水艦に乗艦していた時にも、乗員には一切事の説明が無かった為、トロツキーは怒り心頭であった。

 「貴方も少しはあの時の状況が理解出来ていた筈だ」原は言った。「ピッケルを持った1人の男。それを振りかざす1人の男。そして、それを止めた数人の男……」原はトロツキーの前に跪いた。「危機的状況下に置いたことは詫びましょう。しかし、貴方を助けたのは我々であり、SD(SS情報部)に身柄を引き渡さなかっただけでも感謝して頂きたい。まるで中世の騎士団の隊長気取りな妄想癖のヒムラーか、良識的なカナリス海軍中将であれば、どちら側にその身を置いたらいいか――貴方なら分かる筈だ」

 その問いに関しては、無論カナリス中将のアプヴェーアに付くとトロツキーも考えた。非人道的で極端な優生人種思想を唱えるSS。その内部組織であるSDもまた、親組織と性質が同じことは明白である。共産主義やユダヤ人を酷く嫌うヒムラーに付けば、1週間と身が持たなくなることだろう。

 「分かった。その点については感謝しよう」トロツキーは言った。「だが、その前に全てを説明して貰いたい。そうでないと、私としてもどうしようもない……」

 「では貴官がご説明致します」そう言ったのは、品川中尉だった。



 タイムスリップ前、品川は海軍兵学校第73期生の海軍中尉であった。第73期は戦時突入後初の卒業生であったが、その就学期間は通常より2年4ヶ月ほど短縮されてしまった。結果、800名以上の経験不足な生徒達は戦争に放り込まれ、多数の死傷者が出た。 一方、戦艦『大和』へと乗り込み、通信士となった品川は、激闘に巻き込まれることとなる。かのレイテ沖海戦では、若干19歳の少尉――にきび面の垢抜けない青年将校――として戦闘に参加。通信戦において大きな貢献を果たすのだが、栗田中将の行動により、意味を成さなくなった。

 その後、4月の『沖縄特攻』が決定する。彼はそれ以前から物書きとして有名な存在で、帝国海軍が勝利するという内容の架空戦記を幾つか書いていた。それは彼自身、戦争前は物書きとなるのを夢としていた為で、家柄や皇国の存亡のために、それを捨てたに過ぎなかった。余暇時間は執筆に充て、幾つかの作品を仕上げては、誰かに読んで貰っていた。

 人前では帝国が米英連合国軍に勝利するという内容の小説を書き、『大和』艦内の士気を高めた彼だが、裏では戦争批判の小説も幾つか書いていた。それを上官に見つかり、艦長有賀幸作大佐に告げ口されたことが、伊藤整一と『大和会』との出会いであった。有賀と偶然、談話をしていた伊藤はこの小説の話を聞き、それと同時に上官に引きずられる形で出頭した品川は、伊藤との直接面談に至る所となる。

 「何故これを書いたのかね?」と、伊藤は言った。品川が書いたものは、それまで知られていた『大日本帝国大勝利』――といった内容のものではなく、戦艦『大和』が米機動艦隊に沈められ、やがて日本本土に米英軍が侵攻される。そして、日本は米国領の1つとなる結末を迎えて幕を閉じる。

 「それは……全ては潮時だと思ったからです」

 「潮時とは?」

 「多くの者が噂しておりますが、この『大和』は沖縄に困難な戦闘をしに行くと」品川は言った。「あそこには、米機動艦隊が常駐しております。戦艦の時代が終わった今、数百の戦闘機に『大和』が万全の対応を出来るとも思えません。『武蔵』もシブヤン海に沈んだ――と聞きますし」

 「成程。先を続けろ」

 「貴官は海軍兵学校に入学して1週間が経ち、他の同級生が沸く4年前の12月8日のあのから、帝国はこの戦争に必ず負けるだろうと確信しておりました。そしてその考えは憶測の域を出て、現実となってしまった」品川は言った。「貴官はレイテ沖の惨劇以前から書いていたこの『現実』の小説を仕上げ、閣下や有賀閣下に拝見して頂こうと思っておりました。最早、猶予あらずのこの戦争を終える為に……」

 「これをどういうか……反戦運動といおうか……」伊藤は言った。「いや、何もなかった方がよかろう。君の考えは分かるが、御上から最下層まで、認めたくない人間は多い。それらを認めさせるには、架空の『現実』より、眼前に広がる『現実』の方がよかろう」

 「しかし閣下!それでは多くの命が……」

 「それが承知だからこそ、『大和』はかの地に赴くのだ」伊藤は言った。「御上も、大枚を叩いたこれを失えば、その愚かさに気付くだろう。だが、そんな都合で付き合せては、君らには酷かもせん」伊藤は顎を擦った。「どうかね?私の伝手で、君を『大和』から別の艦艇に異動させてやってもいいが――」

 「大変有り難い申し出ですが――お断りさせて頂きます」品川は言った。「全てを無とし、軍務に一層励んでいく次第であります」

 

 結局、戦艦『大和』が沈まず、品川以下乗員は、淡々とした生活を送る。そして戦後、彼は『大和会』に加入した。彼は『大和』の経緯の記録を付けるとともに、戦後日本が進み行く1日1日の記録者でもあった。かの1946年7月1日に時を渡って行き着いた1937年当時、呉鎮守府司令長官を就任していた加藤隆義中将を説得したあの『スクラップノート』も、彼の記録の一部であった。あれによって多くの過去の人間を説得し、事を円滑に進められてきたのである。

 1937年、藤伊一――という新たな名を伊藤が手に入れると、品川は藤伊の従兵となった。そして森下信衛や原とも関係を深め、経験を積む。

 1938年には、川島賢治――という伊藤同様に新たな名を得ていた品川は、海軍中尉として駐米経験を積んだ。1年間の駐在期間中、必要として英語を学ぶこととなったが、それまでに英語が達者な伊藤整一や、海外経験上から英語も話せる原の薫陶を受け、困ることはなかった。そして1939年には駐独武官となるが、彼は『帝機関』とドイツ諜報機関――主に『SD』や『アプヴェーア』――を繋ぐ、架け橋的役割を担っていた。この時の経験や、原の薫陶によってドイツ語も上達した品川は、豊富な経験を得る所となった。


 

 「事は、我が大日本帝国の諜報機関が、被疑者ラモン・メルカデルの動きを察知した所から始まります」品川は言った。「貴方の秘書であるシルヴィア・アゲロフと接触。今年の4月には、メルカデルが貴方の別荘に出入りしたことから、行動を起こしたのです」

 「何故、メルカデルが奴の手先だと分かった?」

 「ある筋の情報です。それではどうやら、8月頃に行動を起こすようでしたが……」品川は原の方に目を向けた。「アプヴェーアと我が方の監視員により、貴方の暗殺を謀ろうとしたメルカデルを始末する許可が要請され、こちらが要請を許可して奴が行動を起こす前に鎮圧しました。そして貴方を拘束、Uボートによって大西洋を横断し、現在に至る訳です」

 「奴に指示されたNKVDの仕業か……」トロツキーは呟き、腕を組んだ。「奴め。今頃、分厚い粛清者リストと睨みっこしながらペンを持ち、鬼の形相を浮かべていることだろうな。それの横で立つしかないNKVDの屑野郎が、行き場の無い怒りをぶちまけられるんだ。いい気味だよ」

 「ですが危険はまだ去っていません」品川は言った。「当面、アプヴェーアの監視下の中で、厳重な防衛線を敷かせて貴方を護ります」

 「その見返りは?」

 「……ばれていましたか」

 「当然だ」トロツキーは言った。「世の中、敵対する人一人を簡単に殺してくれるようなお人よしはいない。逆に見返りを求めない方が、かえって不安になる」

 「では言いましょう」品川は言った。「現在、ヨーロッパは平和を謳歌しておりますが、近く大規模な戦争が予定されています。そして、その敵対国には、貴方の祖国ソビエトも含まれることでしょう」品川は更に続けた。「そこで貴方には、ソ連国内を攪乱する役割を担って頂きたい。貴方は英雄で、虐げられた人間なら、誰もが貴方に付き従うことでしょう」

 「奴が奴なだけにな」トロツキーは言った。「私が奴の後継者を選ぶなら、目と鼻と口が付いて、足と少しの脳みそがあれば、誰でもいい。それだけ、奴はおぞましい存在なんだ」

 「では貴方は?」

 「それは皮肉か」トロツキーは言った。「それとも大真面目か?」

 「失礼しました。勿論、大真面目ですよ」品川は言った。「スターリンを失脚させるのが我々の狙いですが、その後のことも考えなければなりません。その点、良識があり、政治の才がある貴方は適任だ」

 そして品川は窓に目を向けた。黄昏色に染まっていたベルリンの街は薄黒く染まり、ブランデンブルク門は、少しずつその輪郭が薄れていっていた。夜の帳が降りたのだ。

 「本件は内密なことです。SDにも通しておりませんし、ヒトラー総統にも話しておりません」品川は言った。「つまり、全権はカナリス中将閣下に委ねられております。その点も考慮に入れ、早い内に返事をお願い致します。では……」

 「いや、その必要は無い」

 そう言ったのは、トロツキーだった。「この場で決める。私は本件に対し――賛同する」

 トロツキーのこの決断は、帝国軍人である品川・原の人柄や、最後に品川が言った言葉があってのことだった。帝国海軍は本件やその他、ドイツ転覆の為の策を独自に色々と練っていた。最終的に裏切ったりする可能性が、十分に否定できないからだ。その点で、反ナチ体制の強いアプヴェーア――その中でも随一の反ナチ派――により、本件や別件が独自に遂行された。成功すれば巨大国家ソビエトを味方とすることができ、失敗すればスターリン・ヒトラー両人による激しい粛清の嵐が吹き荒れることとなる。その嵐が向かう行き先は、ことごとく深紅に染まった“血の道”となることだろう。

 


 しかし、トロツキーは決断した。祖国への帰還を……。

 

 

 

 

 

 


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