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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第4章 戦前の大和~1940年
31/182

第31話 針鼠の針

 第31話『針鼠の針』

 

 

 1940年2月11日

 福岡県/小倉市

 

 『大和会』の主は、居なくなっていた。

 伊藤整一が霞ヶ浦航空隊のパイロット養成学校にて、2年間の履修を受ける為、『大和会』指揮する後任の人物が必要であった。その後任は、戦艦『大和』元艦長、森下信衛少将――現在は木下攻呉海軍大佐――が務め、元陸軍士官の原茂也が補佐を成す。森下は後々、復活した新生『大和』初代艦長となっているが、対空火器増強の為、『大和』は改装中である。そこに『大和会』への忠誠を誓った辻政信も姿を見せ、原同様に木下の補佐を担うことを伊藤に懇願、見事にその願いは受理された。

 そして今、『大和会』の護り手達は小倉陸軍造兵廠に来ていた。西日本最大規模のこの造兵廠は、東西に735m、南北に1325m、総面積は176,000坪を誇る。最盛期には4万人の従事者がおり、太平洋戦争期には帝国陸軍には欠かせなかった補給拠点であった。この為、当初は原子爆弾『ファットマン』の第1投下目標に定められたが、自然は小倉市と陸軍に味方し、結果として長崎市がその戦慄の攻撃を受ける所となった。どちらにせよ、地球を揺さぶるほどのとてつもない力を秘める大量殺戮兵器により、日本が2度の攻撃され、2都市が壊滅したのは事実である。

 小倉陸軍造兵廠では、ボフォース40mm機関砲とM1カービン銃の国産化計画が進行していた。両方とも、坊ノ岬沖に現れた『夢幻の艦隊』から鹵獲した兵器で、ボフォース40mm機関砲は米海軍の旧式戦艦から。M1カービンは輸送艦の1隻から回収された。小倉陸軍造兵廠はこれら鹵獲品を基に設計・開発を続けた。

 零式小型貨物車――帝国陸軍版『ジープ』――は停まり、第3製作所の前で森下達を降ろした。頑強な石材と構造によって築かれた建物で、主に小銃・機関銃・機関砲の製造に使用されている。因みに第1製作所が軍用車両・軽戦車。第2製作所が化学兵器の製造を担っている。これらによって構成される小倉造兵廠は、約300棟の兵器製造屋舎とそれらを護る憲兵を有している。

 現在、小倉を始め、国内の軍用車両製造を担う陸軍造兵廠では、零式小型貨物車と、零式半装甲兵車――帝国陸軍版M3ハーフトラック――の大規模な製造ラインが確立されようとしていた。これは帝国陸軍の機械化を推進する方針で、東條英機中将による所が大きい。彼は陸軍航空総監の職に就いており、P-51『ムスタング』や帝国海軍噴進戦闘機『橘花』を基にした次期戦闘機開発計画を推進。またボフォース40mm機関砲の国産化による、国内防空体制の確立の為、現在開発が進む試製四十粍高射機関砲の開発にも尽力している。そして逆に、化学・生物兵器の開発・製造が大幅に削減され、その予算がこれら帝国陸軍の機械化に充てられるようになっていた。

 これには昭和天皇による力添えが強かった。史実、風船爆弾に生物兵器を搭載し、米本土に差し向ける計画があったが、昭和天皇はこれを認めなかった。化学・生物兵器は元々維持費や人的被害を考えば利益の少ない兵器で、第一次大戦の苦い経験から各国は使用を渋っていた。実際かどうかは分からない所だが、少なくとも第二次世界大戦では大規模使用は控えられ、逆に持ち主やその庇護を受ける人間が被害を被る方が多かったのである。



 第3製作所の一角。試製四十粍高射機関砲はその鋭い砲身を空に向け、今にも敵航空機を撃ち落としそうな雰囲気を醸し出していた。

 「閣下、お待ちしておりました」

 と、1人の陸軍将校が告げた。「『ボ式四十粍高射機関砲国産計画』総責任者、村岡航技中佐であります」そう言い、敬礼する。軍服の襟部に刻まれた、鳥の翼を象った記章がその所属を知らしていた。陸軍兵科の一科に当たる技術部は、兵技と航技に分かれている。

 『大和会』の3名も、折り目正しく進み出て敬礼し、名乗ってから、『帝機関』において受け取った計画視察許可書を村岡に渡した。

 村岡は許可書を受け取ったが、口から出たのは歓迎とは裏腹の言葉であった。「要求諸元通りに試作第1号は完成させましたが、若干の問題は存在します」村岡は申し訳無さそうに言った。「国内技術のみでの生産は不可能だという事です」

 「つまり……外国の工作機械類が必要だと?」森下は訊いた。

 「そうです。アメリカ製の工作機械等を用い、製作しました」村岡は言った。「現在、我が国の工業力は順調に進んでおりますが、要求通りの性能を全砲に持たせるとならば……」

 「何を言うかと思えば戯けた事を」これまで黙っていた辻は言った。「それは貴公の弛みきった精神故の言い訳に過ぎん。我が帝国の工業力の推移は見るまでも無くアメリカを凌駕しつつある。それでなくても、帝国軍人としての魂を見せればこんな問題、容易く解決できるだろうが!」

 いつも通りの辻節が製作所内を充満する。そんな事態に森下は顔を顰め、辻を睨み付けた。原も同様である。

 「……失言でした」

 と、辻は呆気なく言った。理屈はこれまでにも『大和会』や伊藤から散々聞かされてはいたが、やはり『精神論』は条件反射並みに出てしまうのだろう。



 帝国海軍でもそうだが、先行投資と言える新兵器開発はこの1940年を境に、徐々に実を結び始めていた。噴進戦闘機『橘花』、長距離戦略爆撃機『富嶽』、一式中戦車、レーダー、ソナー、そして四十粍高射機関砲……。その他、様々な兵器が実用化第1歩を踏み出してはいたが、やはり『量産』という最大の難敵には敵わなかった。

 「四十粍は陸海ともに必要だ。何とかならんか?」

 と、森下は村岡に訊ねた。当時、帝国海軍においてもっとも費用が掛かり、尚且つ荷物となりつつあったのは、6年後の技術の確立ではなく――『夢幻の艦隊』だった。元々が核実験に使用される老齢艦や損傷艦ばかりの鹵獲艦群は、各地海軍根拠地の収容スペースを占拠し、多額の維持費を貪る存在であった。特に不必要とされたのが――旧式戦艦群である。

 1910年代に就役した4隻の旧式戦艦『ニューヨーク』『ネバダ』『ペンシルベニア』『アーカンソー』は僅か21ノット程度しか出せず、空母の護衛が出来ない。機動戦力を基幹としていく連合艦隊としては、手に余る存在だった。

 「ならば船団攻撃や護衛に使用するのは、どうだろうか?」

 そう言ったのは、伊藤であった。この案は4隻の戦艦を大幅に対空火器、対潜火器等の設備を増強し、航空戦力や潜水艦といった脅威に対抗しつつ、敵輸送船団を叩くというものである。艦形や星条旗などから友軍の戦艦だと誤解する船団や軍艦に奇襲を仕掛け、敵補給線を断つ。それが当計画の目標である。これに際し、以前から開設が進められてきた海上護衛隊――『第八艦隊』艦艇を特別戦隊に含んだ艦隊で、伊藤が司令長官を兼任――に編入された。

 その為にも、航空戦力に対抗する有力兵器、四十粍高射機関砲の量産化は欠かせない。史実において、第二次大戦中、『傑作対空火器』として君臨したボフォース40mm機関砲は、当時は日本も国産化を進めていた。しかし1945年、陸軍ではこの小倉造兵廠で数基。海軍では約35基程度しか製造されず、戦局を変えるには至らなかった。

 「やはり時期を待ちませんと」村岡は言った。「軍でも高性能の工作機械の国産化が進んでおります。工業力が増強され、我が国のレベルが上がれば、他国同様に国産化となるでしょう」

 

 

 帝国陸海軍とも、新兵器開発とともに、基礎戦力の充実が求められている。旧式化する現行兵器の更新の為、数年・数十先を見越した計画よりも、実用性・信用性に富んだ新兵器の開発・製造が急務であった。その為には、開発・導入用の大規模な予算は欠かせない。

 

 今年、1940年は皇紀2600年である。国内では盛大な祝い事が度重なって行われる。今月は冬季五輪、3月からは紀元2600年記念日本万国博覧会、そして8月は夏季五輪へと続く。国際的な協調・平和を望む日本の意識を世界に伝えるとともに、大規模な経済効果を狙うこれら行事は、日中戦争が成立していれば行われなかった事業である。戦後日本、中国は五輪・万博という2大イベントを連続して開催させた為、異常な経済発展を遂げた前例が存在する。伊藤や帝国陸海軍は、ここから日本の工業・経済は軒並み発展していき、強固な軍の完成に繋がると確信していた。海路・空路を整備し、やがては輸送機・輸送艦に利用する兵器類の製造を急ピッチで進めていた。

 10月には、そんな両軍が天皇と国民に向けた晴れ舞台である『観艦式』『観兵式』が予定されている。史実以上に成長した両軍がその成果を発揮し、11月で皇紀2600年は最高潮を迎える。

 

  

 大日本帝国は確実に、栄光の道を邁進しようとしていた。





 

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