第29話 戦艦戦線異状なし
第29話『戦艦戦線異状なし』
1940年1月27日
アメリカ合衆国/ワシントンD.C.
それは米内内閣成立から1週間後の事である。大日本帝国海軍は世界に向けて、新型超弩級戦艦『Y』の存在を高らかに表明した。これは米内新総理大臣や山本一派、そして伊藤ら『大和会』によるものである。その公表された内容の中には、かつての最高国家機密であった筈の戦艦『大和』のおおまかな性能諸元も含まれていた。
最大排水量7万t超や46cmの主砲が生み出す結果は、目に見えていた。まるで真珠湾に奇襲でも受けたかの様に米海軍上層部は慌て、キングジョージ5世級戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』が撃沈された時の如く、英海軍やウィンストン・チャーチルは失意のどん底に叩き落とされた。
無論、これは大きな痛手であったが、それとは裏腹に、各国海軍内は沈黙に包まれるばかりだった。いわゆる『暗黙の了解』――という奴なのだろう。上層部が落ち込んでいれば、下は何も言う事は出来ない。それに日本が本当にこの様な戦艦を創り出したかも疑問で、一種の欺瞞工作ではないか――といういつも通りの過小評価風潮が蔓延するのも無理はなかった。と、いうより信じたくなかったのだろう。海軍の領域に蔓延する重苦しい悲愴観とひきかえ、上層部の結論付ける『過小評価』という明るい楽観は、積極的に下層部にも伝わっていた。技術者や対日軽視の提督達が部下の不安の芽を、『過小評価』という鉈で刈り取った後には、下層部の面々は彼等とともに快哉を感じられずにはいられなかった。戦艦『Y』は野蛮な黄色猿達の造り出した『妄想の戦艦』だと……。
それに同調しない人間も居た。米国政府首脳陣である。国家の安全保障上の問題に対し、憶測だけですぐに片付ける事など出来る筈もない。彼等にとって見れば、最高指導者は大統領ではなく、『世論』なのだ。確たる証拠と裏付けの下、全てを整理して結論付けなければ世論は怪しむ。笑う暇も無く、海軍首脳部の面々はワシントンDCに召集された。
ワシントンDCペンシルべニア通り1600番地。史実では1945年以降、世界で最も有名且つ権力の中枢として知られる事となるこの地には、1軒の『白い家』――『ホワイトハウス』が建っている。アメリカ合衆国の中枢、ワシントンDCの中枢に当たるこの一軒家には、世界で最も大きな権力を有する人間、アメリカ合衆国大統領が代々居住、執務にあたっている。
ホワイトハウス西棟、権力の中枢であるウエストウイングには、大統領執務室『オーバルオフィス』が存在する。ここに集まったのは太平洋艦隊司令長官兼合衆国艦隊司令長官のジェームズ・O・リチャードソン大将、合衆国海軍長官代行のチャールズ・エジソン、米海軍作戦部長のハロルド・R・スターク大将、そして前任の米海軍作戦部長であり、現在は退役軍人であるウィリアム・D・リーヒ大将だった。そしてそんな彼等を呼び出したのは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領である。
「戦艦『Y』の情報が事実だとすれば、大日本帝国海軍は18インチ砲を備えた超弩級戦艦を既に建造していることになる」ルーズベルトは言った。「我が方に対抗しうる戦力はあるかね?」
「該当する戦力で有力なのは、ノースカロライナ級とサウスダコタ級、アイオワ級です」
そう言ったのは、エジソン合衆国海軍長官代行だ。1934年にワシントン軍縮条約を脱退し、軍備拡張を進める帝国海軍に対抗すべく、アイオワ級戦艦は計画された。1936年の第二次ロンドン軍縮会議の日本の脱退から建造計画は具体性を示す様になり、1938年には高速戦艦として形が決まる。
稀代の発明家トーマス・エジソンの息子であり、合衆国海軍長官代行であるチャールズ・エジソンは史実でも、このアイオワ級戦艦の建造を推進していた。1940年には長官職を辞し、ニュージャージ知事選に勝利。知事となった後には、アイオワ級建造を推進したその功績から、妻キャロリン・エジソンによってアイオワ級戦艦第2番艦が『ニュージャージー』と名付けられる。
「しかしノースカロライナ級やサウスダコタ級は条約に縛られた艦だ。アイオワ級に至っては建造もまだではないか」ルーズベルトは顔を顰めた。「それに相手は18インチの巨砲だ。こちらはせいぜいが16インチだぞ。いざ砲撃戦となれば、我が方に不利だ」
ルーズベルトは、戦艦『Y』の絶対性に疑いを抱かなかった。性能面でみれば明らかに『Y』型戦艦が勝っている。
「しかし、不思議でなりませんな」リーヒは言った。「何故、帝国海軍は戦艦『Y』を公表したのでしょうか?あれだけの戦艦をみすみす世間にばらすとは……」
「うむ、それは私も不思議に思った」ルーズベルトは頷いた。「新たに誕生した日本の内閣は、かのアドミラル・ヨナイが総理を務める」
「あの男は親米英派でしたね」リチャードソンは言った。「今回の公表は、確執のある帝国陸軍の仕業ではありませんかな?若しくは海軍の好戦派か」
「それでは反抗勢力にとって何の利益にもならないではないか」ルーズベルトは言った。「本件で米内内閣の支持率は急増、帝国海軍への志願者の数はうなぎ昇りという話だ。後者の説でいえば、海軍内の好戦派は喜ぶかもしれんが、同時に隠し玉を失ってしまう。陸軍にしてみれば、相手の肩を持ってしまう事になる。それに双方とも米内の株を上げる事は本望ではあるまい」
「ではアドミラル・ヨナイが?」スタークは訊いた。
ルーズベルトは頷いた。「そう考えるのが妥当だし、そう考えれば今回の一件が株を上げる為のプロパガンダと片付けられる」
この考えは海軍にしても政府にしても、もっとも望むべき答えだった。実際にこれが政治的なプロパガンダの下、築かれた情報公開で、戦艦『Y』が欺瞞の戦艦だとすれば後味も悪くない。しかし、逆に戦艦『Y』が実在して、これが事実だとすれば、『Y』への対策論議と公表の謎の解明、という2つの後味の悪い作業が残ってしまう。ルーズベルトや各国首脳が考えるのは、これを『黙殺』してしまう、という案である。
「しかしそうもいかないだろ?」ルーズベルトは言った。「私は世界最強の国、アメリカ合衆国の大統領だし、君らは誇り高き合衆国海軍の首脳陣だ。猿真似しか出来ん東洋の黄色猿が18インチ砲を備えた戦艦『Y』を造れて我が合衆国は造れない。その事実に誰が喜び、誰が憤りを感じると思う?」
一同は沈黙するしかなかった。答えは既に分かっていたが、その事実は苦い。
「答えは――前者が日本、後者が合衆国国民だ」ルーズベルトは言った。「この問題を解決する為にも、戦艦『Y』に負けない戦艦を我が国で造り出すしかない」
アメリカ海軍内にも、戦艦『Y』に対抗しうる力は存在した。史実では1942年に完成した47口径18インチ砲やアイオワ級戦艦、モンタナ級戦艦がそれに該当する。伊藤ら『大和会』が望むのは、米海軍に機動艦隊の編成を怠らせ、戦艦に大枚を叩かせる事であった。
「アイオワ級は4隻、モンタナ級は7隻ほど造れば対抗出来うる筈です」
と、高らかに告げるのはスターク大将であった。第8代海軍作戦部長であるスタークは、史実では1940年7月、『スタークス・プラン』という合衆国海軍第4次拡張計画を打ち出す。同計画ではアイオワ級戦艦2隻、モンタナ級戦艦5隻、エセックス級航空母艦7隻の建造を軸とし、駆逐艦115隻、潜水艦43隻など合計133万tの艦艇建造が決定、航空機に至っては15,000機の製造が決定した。この133万tは当時の帝国海軍連合艦隊の総戦力147万tに匹敵するものであり、帝国海軍に短期決戦を促した一因でもある。
しかし今回の一件を受け、新たに刷新された『スタークス・プラン』は軸が変わった。史実では2隻の建造が予定されていたアイオワ級は4隻、モンタナ級に至っては7隻の建造が定められる事となった。
一方、史実では7隻のエセックス級航空母艦は4隻に減った。第2次、第3次海軍拡張計画『ヴィンソン・プラン』で既に建造が決まっていたエセックス級と加えても、総数は8隻。史実に比べれば大きな損失といえる。それに戦艦『Y』が公表されたとはいえ、第二次世界大戦が不成立した今の現状では、スタークス・プランを成立させる『両洋艦隊法』が制定するのは史実よりも遅くなってしまうのは目に見えていた。更に、戦艦『Y』に早く対抗させたいとアイオワ級・モンタナ級の早期建造を願う海軍側の妥協により、駆逐艦・潜水艦等の艦艇の建造数も大幅に削られてしまっている。更に時間が長引いたその分、艦艇建造は遅れてしまった。
「予算を捻り出すのは厳しいぞ」ルーズベルトは言った。「ただでさえ不戦風潮が蔓延しているのだ。国民は戦争の道具より、経済面での保障を望んでいる」
「ではジャップが造った戦艦『Y』が、我々の裏庭である太平洋上を縦横無尽に駆るのを指を咥えてみていろというのですか?」スタークは反論した。「それでは合衆国海軍の尊厳と、合衆国国民の安全保障は完全に瓦解してしまいます。太平洋は荒れ、ジャップの天下となる」
「そうではない。そうではないが……」
「大統領閣下」リーヒは言った。「スターク作戦部長の話ももっともですが、戦争だけが交渉方法ではありません。恐らく日本は外交カードの1枚として、戦艦『Y』を出したのです。ならば彼等は極東での恒久的平和と、米国との確固たる関係を求めているのでしょう」
「相手はジャップだ。我々が開国し、国として認めなければ今頃植民地だった国だ」スタークは言った。「戦艦『Y』は外交カードではない、脅迫の手段だ。奴らは戦争を望んでいる」
「ならば何故、我々も戦力を持とうとする?」リーヒは訊問した。
「先手を打たれたからです。これは安全保障上の最善策だ」スタークは言った。「逆に問いたいが、何故戦争を望まない相手が戦争の道具たる戦艦――それも超弩級戦艦を保有しているのでしょうか?」
「……『Si.vis.pacem,para.bellum』」リーヒは言った。「“汝平和を欲さば、戦への備えをせよ”――という古代ローマの格言だ。どう解釈して貰っても構わないが、今のこの場でいうならば、“平和を望むにはまず戦力を”という所だろうか?日本はアジアでは最強かもしれんが、世界からみればまだ弱小国だ。そんな国が、大国に対抗すべく戦力を保有する前例は、今立っているこの国だよ」
「確かにな」ルーズベルトは言った。「だが相手は黄色人種だ。我々白人とは根本が違う。剣の切っ先を向けられたならば、我々もまた剣を抜かなければならん」
アメリカの実情からも分かる様に、世界はこの事態を危惧した。特に先進国は、自称先進国の大日本帝国が超弩級戦艦『Y』を造ったという事実に対し、沈黙と否定を続けた。しかしそんな中において、イギリスはライオン級戦艦、ソ連はソビエツキー・ソユーズ級戦艦、フランスはガスコーニュ級戦艦の開発・建造を目指し急ぐ。
そんな中、大日本帝国は51cm砲搭載型戦艦『超大和型』の建造に手を付け始めていた。時に1940年1月、『1940年代戦艦建造競争時代』黎明期の事である。
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