第23話 第七・第八艦隊計画
第23話『第七・第八艦隊計画』
1939年8月10日
東京府
『ノモンハン事件』終結から1週間、日ソ両国は戦争など起きなかったかのように振る舞っていた。しかし日本国民は新聞記事に踊る『圧勝』の2文字に湧いていたし、ソ連最高指導者のヨシフ・スターリンはその抑え切れない憤りを、極東方面の指揮官達に『粛清』という2文字でぶつけていた。当の歴史改変者たる伊藤ら『大和会』と大日本帝国海軍の関係者達は、その勝利にもっと長く酔い痴れていても良かったのだが、年が1940年に突入するまでに片付けなければならない仕事が山積していた。帝国陸軍側の意識改革に新兵器開発、そして対独問題。更に本腰を入れなければならない1つの問題が今日、話し合わされようとしていた。
場所は海軍大臣官邸。伊藤と山本は8月10日という今日の日を早朝に起き、朝食を食べ、この建物を目指して出発した。1時間後、二人は海軍大臣官邸の会議室に入室。米内光政海軍大臣、連合艦隊司令長官にして第一艦隊司令長官を兼務する吉田善吾中将、軍務局長の井上少将らが顔を連ね、二人は厳かに席へと着いた。
「して伊藤君、君と会って2年と経つが」米内は言った。「歴史は変わったかね?」
「えぇ。変わりはしました」伊藤は言った。「しかしまだ完全とは言い難い」
2年間という長くもあっという間に過ぎた期間は、確かに変革を起こした。ドイツ台頭の阻止、兵站面での新ドクトリン成立、対中戦争の頓挫、辻政信の仲間入り、新型兵器の開発……。だが、伊藤は肝心な1つの点について、変化を求めていた。
「山本閣下には次官を留任し、後に海軍大臣の職に就いて頂きたい」
変化に富む物語の最後を締めくくるその言葉に、米内は冷徹な表情を浮かべた。事実は小説より奇なりと言うが、これは1つの事実であった。1939年8月30日、山本五十六中将は連合艦隊司令長官の職に就くが、当初彼はそれを望んでいなかった。同期の吉田中将の将来を危惧し、海軍次官留任を申し出ていたのだ。これに米内は反対し、山本は結局長官の職に就いてしまった。
「当の山本閣下は軍政畑を歩いて来られた御方、その才は海の上では役に立ちません」
後の伊藤はこれを“迷った挙句打ち立てた窮余の秘策”――実際は計算し、将来を憂うが為に起こした1つの大きな賭けだった――と語っている。前述した通り、山本は決して実戦に富んだ武将ではなく、軍政に長けた智将だった。渡米経験を誇り、三国同盟に反対し、日米開戦の阻止を図った等、軍政面における活躍は露知れず。逆に、真珠湾攻撃での燃料・工廠群や空母2隻の撃ち漏らし、MO作戦の頓挫、ミッドウェー海戦の大敗等、実戦での敗北も数多くあった。
「将来的な現実性は理解出来る……。だからといって良いとは言えない」米内は言った。「して、そうなれば吉田中将に一手を担わせる事になるが、彼は史実以上の活躍を見込めるのかな?」吉田の方を見ながら、米内は告げた。「しかるに説得の一文もあるのだろうね?」
「吉田閣下は海の上での経験は山本閣下より富んでおられる」伊藤は言った。「過去の私――今に言う所の……伊藤整一少将を連合艦隊参謀長の職に就かせ、補佐役とさせて頂ければ宜しいかと。彼は吉田閣下に数多の勝機を見出させる事でしょう……」
1937年7月1日。最初に未来の片鱗を体験した若かりし日の伊藤整一は少将となり、その後の人事では軍令部次長に至る事になっている。彼は渡米経験の上、未来を知る数少ない人間の1人であり、同時に歴史改変を決意に固めた1人でもあった。現在は海軍省人事局長を勤めており、対米戦に向けた人事の基盤を固めている最中であった。
「年功序列制の廃止を唱える伊藤整一少将か」米内は言った。「しかし事は命に関わる問題だ。そう易々と決める訳にはいかんぞ」
山本が連合艦隊司令長官に任命される所以には、米内の山本に対する憂慮があった。この頃、日独伊三国同盟に反旗を翻す山本の下には、複数の脅迫文が届いていた。山本が三国同盟賛成派や右翼派の手にかかる事を危惧した米内は、命の保証の為、海上職となる司令長官の職にやった訳である。
「私は伊藤閣下の人事に異存はありません」山本は言った。
「しかし――」
「連合艦隊司令長官の職は、帝国海軍における最高の誉れでしょう」山本はかぶりを振った。「しかし、帝国海軍が無くなれば、その様な肩書きは意味の無い事。私は海軍と日本国の永久の繁栄の為、我が身を犠牲とする覚悟は重々出来ておる次第です」
そう山本は言い、1枚の便箋を出した。
「それは何だ?」
「遺書です」
山本は決然と告げた。史実でも、1939年5月31日に山本は遺書――『述志』を作成している。『誰が至誠一貫俗論に排し斃れて後已むの難きを知らむ』――訳せば“誰が至誠一貫(真心を持って始めから終わりまで貫き通す)、俗論(三国同盟や対米英戦)に反対して倒れるまで続けることは容易なことではない”。『此身滅すへし此志奪ふ可からす』――“自分は死んでもいいが、この志は誰も奪えない”と記されている。動乱の世に至る道の半ばで、三国同盟賛成派や右翼勢力にいつかは殺されると考えていた山本はこの一文の中で、自身の一貫して守る志を記していた。
そしてこの一文は、山本が今示す遺書にも書かれていた。
「次官官舎にて書きました」山本は言った。「私は4年後、ブーゲンビル島上空で散る身です。戦場で死に至れない事には悔いは残りますが、私が残してきた成果は――その様な事を言うに値しない。何の結果も残さぬまま、米国に永久の禍根を残してしまった事は、恥に他ならない」
短期決戦構想上において、早期講和を目論んでいた山本の敗因はそこだった。戦後、1945年8月に旧友レイモンド・A・スプルーアンス米海軍大将と再会した伊藤は、その時に米国が抱いていた日本への憎悪を耳にし、思わず顔を顰めていた。
「何を考えてアドミラル・ヤマモトはハワイを襲ったんだ?」とレイモンドは言った。伊藤が山本の短期決戦構想を話すと、1941年12月の蛮行は個人主義国家アメリカを団結させる一因となり、早期講和のチャンスを完全に失う結果に他ならないとレイモンドは告げた。
その事を伊藤から聞く所となった山本は、現実を知った。
「ですから、是非海軍次官の職を続けさせて下さい」
そんな山本の言葉を受けた後、米内は静かに頷いた。
その日、帝国海軍の命運を決する事案はもう1つ存在した。『夢幻の艦隊』――多数の米海軍鹵獲艦艇の有効な運用法の確立であった。伊藤整一から藤伊一として、海軍中将の身となったこの男は、1つの突拍子も無い、前代未聞の艦隊の創設を提案した。
それが――『第七・第八艦隊計画』である。
「して、第七・第八艦隊計画とは具体的にどの様なものなのだね?」米内が訊いた。
「第七・第八艦隊は、余剰の鹵獲艦艇から編成される1個艦隊です」伊藤は言った。
「待て」米内は手を挙げた。「“1個艦隊”と言ったな。ならば何故『第七艦隊』と『第八艦隊』が存在する。言い間違いかね?」
伊藤はかぶりを振った。「いえ、その名の通り“2つの艦隊”です。しかし『第八艦隊』は存在しない――言わば『影の艦隊』と言うべきものでしょうか」
「やはりよく分からんな」米内は唸った。
「では分かり易く言えば、『第七艦隊』は主力海戦にも参戦する“正式な”艦隊。『第八艦隊』は連合艦隊には登録されもしない、“非公式な”艦隊です」伊藤は言った。「言わば『欺瞞艦隊』ですね。第七・第八艦隊は1個艦隊ですが、2名の司令長官によって運用します。時にこの艦隊は1名の司令長官によって『第七艦隊』という名の下、戦線に投入されますが――『第七艦隊』は冠する名を変え、『第八艦隊』としてまた別の司令長官の指揮の下、奇襲戦法をもって米海軍を攪乱する作戦を展開します」
いわば第七・第八艦隊は『表裏の艦隊』である。第七艦隊は旭日旗。第八艦隊は星条旗を掲げる。人員、所属艦艇は変わらず、独自の兵站をもって活動する。
「後に米海軍は『第3艦隊』と『第5艦隊』を有しますが、それは2名の指揮官――スプルーアンスとハルゼーのどちらかが指揮するかによって名を変える艦隊です。実際には1個艦隊です」伊藤は言った。「第七艦隊と第八艦隊はまた違います。表立った海戦で日本側に堂々と参入する第七艦隊。そして米国本土近海や敵艦隊に深く潜入し、攪乱・奇襲戦を仕掛けるのが第八艦隊なのです」
これは旧友レイモンドより、『第3・第5艦隊』のカラクリを聞かされた経験を基に築かれた案だった。第3・第5艦隊は、ウィリアム・F・ハルゼー大将が指揮する際は第3。スプルーアンス大将が指揮する際は第5とただ名を変えただけの艦隊だった。具体的には司令部が変わるだけで、本質は変わらない。
第八艦隊に必要なものは多く揃っていた。偽装用の星条旗、古めかしい米海軍乗組員服は余剰品として一部の鹵獲輸送艦に詰められていたし、そもそも鹵獲艦は米海軍のものだ。帝国海軍の艦載機は将来的にF6F『ヘルキャット』等、米海軍の機を基とした、よく似たものが多く登場するので、空の面でも欺瞞が効く。既に諜報面でも新組織が開設され、多く起用された民間人の活躍の下、暗号解読も進んでいた。一見、大胆且つ無謀とも思える『第七・第八艦隊計画』は、基盤が整っていたのである。
「必要なものは少ないです。エセックス級に似せて造った空母を2隻。軽巡3~4隻。駆逐艦数隻」伊藤は言った。「後は艦隊運用に必要な物資があれば大丈夫でしょう」
「人員はどうする?」米内は言った。「鹵獲艦を軽快に動かすのは流石に無理ではないか?」
「2年前から鹵獲艦を公試させてきた人員が居ます」伊藤は言った。「彼らをそのまま艦隊人員に流用するか、指導員として育成を担わせればいいかと」
「では具体的に言った『エセックス級に似た空母』というのは如何にするおつもりで?」井上は心配そうに言った。
「予算偽装をすればいける筈です」伊藤は言った。「我々は少数ながらもエセックス級の情報も掴んでいますので、それを基に改大鳳級を改装すればいいでしょう」
かつて『大和会』はエセックス級航空母艦の情報を多く探していた。戦艦『大和』を奪還し、反乱勢力となった後、このエセックス級が『大和』最大の敵になると想定していたからだ。白黒の航空写真といったエセックス級の情報が、『大和』乗艦までに『大和会』の一員の手によって運ばれていた。
「して2名の司令長官は如何に決める?」
米内は肝心な点を言及した。「戦艦に空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦を操り、尚且つ独自の兵站も確保しなければならない。更に諜報面や米国にも精通していなければならない」米内は言った。「そして口の堅さも一級品でなければな。それ相応の人物が2名も要求されようぞ」
一同は唸った。あまりにも荒唐無稽な第七・第八艦隊には有能な指揮官が必要だった。豊富な経験、口の堅さ。そして度胸もなければいけなかった。柔軟な対応力も必要だ。
「誰が良い?」米内は訊いた。「とりあえず、南雲は却下だな」
歴史改変後、南雲中将は史実ほどの栄光を浴びる舞台には立てなくなっていた。日中戦争が消え、塚原二四三少将(後11月中将に昇格)が健康体で対米戦に挑めたからだ。史実では1939年10月3日、中国軍の奇襲爆撃を受けた塚原は左腕切断の重傷を負い、第一線から退く事となった。航空を知り尽くした塚原は、何とか基地航空隊によって組織された第一一航空艦隊司令長官の職に就いた。この経緯を受け、新設された第一航空艦隊には航空畑を歩んできた塚原ではなく、水雷畑を歩んできた南雲が司令長官に着き、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を指揮したのである。
「ならば誰にするか。伊藤君、君は誰か適任者を知っているかね?」
「えぇ……。しかし言っていいものでしょうか?」
「時間を無駄に浪費するぐらいならな」米内は言った。「時は待ってくれん。1秒でも早く言ってくれれば、それだけ早く第七・第八艦隊は編成されようぞ」
伊藤はやはり躊躇していた。
「君には腹案があるのだろう?」
「腹案とは言えませんが」伊藤は言った。「決め兼ねるのであれば――私が着きましょう」
一同がざわめき、顔を見合わせる。予想通りの反応だった。
「うむ……それは……」
「信用に至らないと」伊藤は言った。「その様ですね」
伊藤がこの時、自身を推薦した理由には諸説ある。1つは栄光を求め、同時に死に場所を求めていた事。戦艦『大和』による『菊水作戦』が史実とは違い頓挫し、死に至らなかった事に1つの不満を抱いていた。そこで敵味方から誤射の対象になりかねず、危険が付き纏う第七・第八艦隊司令長官の職に志願したという訳だ。また他にも、偽装艦隊でもあるので身分を偽る自分には適任だと思ったから。誰も良い案を出さなかったから仕方無くといった説もある。
「米内閣下」そう切り出したのは山本だった。「私も彼以上に適任の人物を知りません。彼は我々以上に経験がある」
「しかし実戦経験は無いと聞いたが?」
「ですが、彼は戦争後期の辛い時期、第二艦隊司令長官に着いた身です」山本は言った。「米国にも精通し、艦隊指揮にも長けている。何より我々に鹵獲艦を与えたのは彼の功績です」
米内は渋っていた。
「閣下!」
「分かった」米内は言った。「尽力する。艦隊設立もな。だが約束は出来んぞ」
「御尽力感謝します」山本は言い、伊藤とともに礼をした。
それから1年後の1940年、艦隊設立に関する予算が確保され、第七・第八艦隊は産声を上げた。
第八艦隊司令長官の任に着く藤伊一中将――伊藤には、1つの夢が出来た。苦しみや後悔に縛られない、未来ある大日本帝国――という壮大な夢。若者に重荷ではなく栄光ある将来を託せるような未来を築く夢。そんな夢のある未来を掴む為なら、伊藤は如何なる事でもやり抜く所存だった。
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