第175話 血戦の新年(前)
小説あらすじでも既に記載していますが、今回最新話である第175話を削除し、この話を代わりとして投稿することになりました。修正話というよりは、大幅に変更した話となっており、今後の物語の展開も以前に投稿した第175話と大きく変わります。
ご迷惑をかけまして本当に申し訳ありません。
第175話『血戦の新年(前)』
1948年1月1日
大日本帝国/富山県
富山県に位置する、とある山村。外界と隔てられ、戦争最中の今となっては男達が徴兵に駆り出され、老人と女子供しか居なくなってしまった。そんな山村の外れに建つ一軒の屋敷には、かつて大日本帝国海軍海上護衛総隊司令長官と第八艦隊司令長官、そして何より大日本帝国を影で導く『大和会』当主を務めていた男――藤伊一予備役海軍大将の姿があった。1947年3月12日、同月に遂行したハワイ真珠湾に対する奇襲攻撃作戦――『幻号作戦』を最後に帝国海軍の第一線を退き、帝国海軍予備役へと編入。また同時に『大和会』の主導権も山本五十六海軍大将に移譲し、表裏の世界から引退を果たしていた。そんな藤伊一予備役大将――史実の伊藤整一は、現在では海軍から離れ、こうして富山の山村で農作業に勤しみつつも隠居生活を過ごしていた。
その伊藤は齢66歳、帝国海軍海上護衛総隊司令長官という地位を約6年に渡って歴任し続けてきた訳だが、本来ならばこの世界に存在し得ない人間である。そのため彼の情報――戸籍や過去の軍務歴(偽造)は『帝機関』によって“機密情報”として扱われ、今やその存在を抹消されたといっても良かった。しかし『帝機関』――『大和会』としては彼を“退役”として完全に帝国海軍との関係を抹消するべきとした考えを持っていたのだが、“有事の際には帝国海軍軍人として責任を取る”という本人たっての希望もあり、予備役となっていた訳である。
そして、そんな彼の屋敷に足を運ぶ2人の男の姿があった。一人は伊藤から『大和会』の指導者的地位を委譲され、現在は帝国海軍軍令部総長として海軍省のトップに立っている山本五十六海軍大将。そしてもう一人は、この世界に存在する“もう一人の彼”――伊藤整一海軍大将であった。藤伊一から海軍護衛総隊司令長官の座を受け継いだ伊藤は、この大戦中に帝国陸海軍の海上補給路の防衛に尽力し、東南アジアや中国大陸からの補給線を守り抜いた功績で知られている。2代目『Mr.海防』であった。
「閣下、新年明けましておめでとう御座います」
山本と伊藤は頭を垂れ、玄関前で新年の挨拶を告げる。そんな彼の前には、暗灰色の着物に身を包んだ藤伊の姿があった。
「こちらこそ、新年明けましておめでとう御座います」
と、藤伊は落ち着きをもって2人に新年の挨拶を返した。
「男一人身なもので、ろくなもてなしも出来ませんがよければ……」
そう言い、藤伊は2人を奥へと招いた。居間へと至る廊下をギシギシと軋んだ足音を立てて進む中、山本はふと、藤伊の手の平に目をやった。その手の平には、いくつかのタコが作られていた。どうやら農作業で出来たものらしい、と山本は推測する。
そんな山本の推測は正しかったらしい。居間の食卓には、新鮮な野菜で作られた御節料理の数々が並べられていた。“まめに働けるように”と長寿と健康を願う意味を持つ黒豆の煮物、元旦――新年を迎えたというめでたき日を祝う紅白なます、繁栄や金運を願う栗金団、「養老昆布」の語呂合わせにかけて、不老長寿の願いを込めた昆布巻き等々、御節料理というのは本来このような意味や願いを持っていたりする。
「閣下もすっかり農家が板に着いたと見えますな」
と、山本は食卓に並ぶ美味しそうな御節に目をやりつつ、顔を綻ばせて言った。
「いえ、私のやっていることなど趣味に過ぎませんよ」藤伊は言った。「近所の方々から頂いたものもありますからね」
まぁ立ち話も何ですから、と藤伊は2人を食卓へと招き、畳の上に腰を下ろした。そして朝食を摂り始める。最初のうちはあまり話も弾まなかった。山本に訊かれ、藤伊がこの隠居生活の間に経験したことを語る。畑の耕しに始まり、収穫に至るまでの話を簡潔かつ明瞭に説明するそれは、流石は『大和会』当主として長年に渡り帝国陸海軍、そして独伊や欧米各国と渡り合ってきただけのことはあった。
「そういえば趣味と仰いましたが……」と、山本は口を開く。「確かもう一つの趣味が閣下にはありましたなぁ……。“回顧録”の執筆でしたか?」
そんな山本の問いに対し、藤伊は静かに頷いた。
「えぇ。あまり捗ってはいませんが」藤伊は言った。「そもそもこれはこれまで私が行ってきたことを私自身が反省するために執筆しているものでしてね。既に辻などからも言われておるのですが、これが完成すれば『帝機関』が“機密情報”として管理し、場合によっては処理する、と」
「ふむ……それは残念ですな。せめて一つでも私に譲って頂ければ、と思ったのですがね……」
と、山本は惜しそうに告げた。
3人の会話に弾みが着き始めたのは、藤伊が用意した御節料理が大方片され、地酒がそれぞれの盃に汲まれた頃だった。本来、山本と伊藤がこの屋敷を訪ねた目的――それは『対米戦争』における今後の帝国陸海軍の展望について、藤伊に報告し、それを語り合うことにあった。『原子爆弾』の登場と、カムチャッカ半島陥落によって揺れる北方戦線。そして4月に発動が予定されているハワイ攻略作戦――通称『HI作戦』が迫る今年は、帝国陸海軍にとって正念場の一年となるのは間違いなかった。そこで多くの意見を取り入れ、そのうちで最良の選択を取ることが必要であると、山本は考えていたのだ。
「昨年11月にカムチャッカ半島に米国の原爆が投下されたことは、記憶に新しいことと思います。これにより北方戦線は大きく米軍側に傾き、半島の防衛は頓挫、結果として米軍が陥落してしまいました。しかしその後、我が軍は『富嶽』を以て米国のアラスカに原爆を投下。これは反撃としてEU――しいては国際社会から認められましたが、大日本帝国の地位は危うくなりました。しかし当然ながら米国はこの原爆投下によって多大な被害を被り、北方戦線の前線拠点であるアンカレッジが壊滅してしまったことにより、パットン将軍率いるカムチャッカ半島の米軍は日本本土侵攻を断念したとの見解が『帝機関』より届いています。それにつきましては、私も同意見です」
「……米国の国力・工業力は底無しと言ってもいいですぞ。そう答えを早まっては、行動を誤ってしまいかねない」藤伊は反論する
それに対し、山本は静かにかぶりを振った。
「確かにアンカレッジを喪ったとて、米国の補給線が完全に寸断されることはないでしょう。あのハワイ真珠湾でさえ、攻撃直後から喪失した燃料タンクの代替としてコンクリート製のタンカーで湾内に燃料
運び入れて貯蔵し、更に攻撃から半年で復興してしまった訳ですからな」山本は言った。「しかし原爆によって米国の北方戦線の補給線が細くなったのは明らかでしょう。原爆の攻撃を受けたアンカレッジの復興は、真珠湾よりも骨が折れる筈です。恐らく1年は要すると私は考えています。北海道への上陸作戦はおろか、樺太や千島列島への侵攻作戦も困難かもしれません」
大日本帝国が開発したプルトニウム型原子爆弾――『阿』号爆弾による攻撃を食らったアンカレッジは、甚大な被害を被った。軍民含めた約15万名もの人間を死に至らせ、また市街地の約28%の建造物を全壊・全半壊させた。特にアンカレッジ軍港に対する被害は凄まじく、高濃度の放射能汚染によってろくに復旧作業も進んでいない状況だった。業を煮やした米海軍は作業員の増強、そして復旧まではアラスカの海軍根拠地をアンカレッジの南約200キロに位置するスワードへと移転することにした。しかしがらスワードは元々漁港に過ぎず、その港湾設備は大艦隊を停泊させるだけのものではなかったため、大規模な輸送船団の受け入れや、潜水艦の多数配備が行えず、米西海岸からの海上補給の量は減少した。
そもそも大日本帝国が開発し、今回使用したこの『阿』号原子爆弾は、史実米国が開発したとされるプルトニウム型原子爆弾『ファットマン』に相当するとされる威力を持つ。しかしアンカレッジは周りを山脈によって囲まれた街であったため、史実の長崎同様に周辺都市や集落への被害はあまりなかった。しかしその分、市街地への威力は絶大である。かくしてアンカレッジは壊滅、米軍は重要な北方戦線の根拠地を喪い、進撃はカムチャッカ半島にて停止することとなったのだ。
「更に12月、遂にフィリピンが陥落しました。これにより南方戦線は完全に終結したといっても良いでしょう」山本は言った。「無論、問題が無い訳ではありません。フィリピンでは現在10万名以上の米兵が捕虜となり、フィリピン国内の収容所だけでは規模が小さく、全ての捕虜を収容・管理するのは不可能です。そのため、捕虜達を内地に移送しなければならない訳ですが、それには多数の人員と艦船が必須。この作業に1~2ヶ月を要する予定ですし、またフィリピン国内の捕虜達や治安維持のためにも、『HI作戦』に投入予定の人員は割かねばなりません。そしてこれらの問題を3月までには片付けなければ、『HI作戦』に間に合わないでしょう」
1947年12月24日、フィリピンの米軍は降伏した。総司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は、フィリピンの首都マニラ陥落前に国外脱出を果たしており、現地に残された米軍は成す術も無かった。そのための降伏であった。これにより米軍約10万名の兵士が武装解除され、フィリピンの戦闘は終結を迎える。
しかし、戦争というものは復興(または搾取)までが順序として存在する。フィリピンの大日本帝国駐留軍は自軍や米軍の攻撃によって破壊された町やインフラ設備の修繕、負傷者への医療提供、そして食糧等物資の搬入を行い、復興を進めていくこととなった。また南方戦線でいえば、先の激戦で数十万の死傷者を出した台湾の復興も忘れてはならない。南方戦線の処理にはまだまだ時間を要するのだ。
「南方戦線の終結、そして北方戦線の膠着……」2人の会話に割って、伊藤は口を開いた。「まさに好機です。米軍は補給の問題でカムチャッカ半島から南下するのは非常に難しい訳ですし、南方戦線が片付いたことにより聯合艦隊も動き易くなった……。これ以上『HI作戦』の発動にうってつけな条件が揃うことはないでしょう。短期攻勢でハワイ攻略を成し遂げ、真珠湾を海軍の前線基地とすることが出来れば、次は西海岸侵攻も可能となる訳ですから、流石のトルーマンも慌てて講和の可能性を見直す筈です」
「……そう。その通りだ」
藤伊は静かに頷いた。「『HI作戦』には、この国の将来がかかっている。だからこそ……いや、海軍から退いた老いぼれが口に出来ることではないが、今回はより慎重に動いてもらいたい。柔軟な対応は許されても、妥協は許されない……。これで全てが決まるのですから……」
『HI作戦』の成功が意味するのは、ハワイ陥落――米国本土の一部が陥落したという事実。それが結果的に日米間の“講和”に傾くか、または徹底的な“抗戦”に移行するかは定かではないが、大日本帝国にとって有利なのに違いは無かった。逆に失敗すれば、米国はその勢いを取り戻し、後の戦局に大きく響くのは間違いない。この1948年という年は大日本帝国――そして山本ら『大和会』にとってまさに正念場となる年であった。
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