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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第2章 戦前の大和~1938年
18/182

第18話 Last-Christmas

 第18話『Last-Christmas』

 

 

 1938年12月25日

 アメリカ合衆国

 

 ――黄昏が迫る。

 ニューヨーク州ハイドパークには、一軒の広壮な屋敷が聳え立っている。一部が凍結した、12月のハドソン川を望むその屋敷の主の名はルーズベルト。オランダ語で『赤いバラ』――を意味する名を持つその老人は、アメリカ合衆国大統領を歴任した男、フランクリン・D・ルーズベルトその人だった。屋敷の一室、燃え滾る暖炉の前に車椅子で座し、ただ本を読み耽っていた。

 1882年1月30日、フランクリンはこのルーズベルト邸で生まれた。父、ジェームズ・D・ルーズベルトはデラウェア・アンド・ハドソン鉄道の副社長であり、裕福な地主であった。何不自由なく過ごし、1905年にはアナ・エレノア・ルーズベルトと結婚。ニューヨーク州上院議員、米海軍次官、弁護士、ニューヨーク州知事と順調にキャリアを積んでいった末、1933年には第32代アメリカ合衆国大統領に就任する事となる。

 しかし、ルーズベルトは代償も払った。39歳の折にポリオを患い、それ以降下半身不随となってしまう。それから12年後の1933年2月、大統領選挙当選1年後の時には、フロリダ州マイアミにて暗殺されそうになった。

 だがルーズベルトはアメリカ合衆国第32代大統領に就任した。身体に重度の障害を患い、健康状態が悪いながらも彼はそんな事は無いかの様に見せ、徹底した情報統制によって国民には知られなかった。しかも4回の大統領選挙で再選を果たし、1933年3月4日から1945年4月12日まで大統領の職務を全うした。それから彼は大統領の職に就けなくなってしまう。1945年4月12日、脳卒中に倒れ、フランクリン・D・ルーズベルトは世を去った。

 そのルーズベルトが今顔を上げ、目を見開いて「ファラ」と小声で囁いた。

 数cmほど開いた書斎の扉を鼻で押し開け、愛犬ファラは部屋に飛び込んできた。ルーズベルトは愛犬の方にチラッと目をやった。「入って」ファラは背を伸ばし、大きなあくびを一つ吐くと、車椅子に座るルーズベルトの足元に擦り寄ってきた。

 スコティッシュ・テリアのファラは、犬好きとして知られるルーズベルトの中でも、1番のお気に入りだった。1943年にはファラ自らがファラ役で出演したドキュメンタリー短編映画『Fala』が製作、公開された。また、ルーズベルトが国中を回る際には車のみならず、列車、船舶にまで乗せ、共に旅をしたという。

 その逸話から出たのだろうか、1944年。ルーズベルト4回目の大統領選の際、共和党はルーズベルト政権の税金の無駄遣いを主張する1つの例として、ルーズベルトの愛犬ファラの話を挙げた。アラスカ遊説の際、ルーズベルトはアリューシャン列島に置き忘れたファラをホワイトハウスに戻す為、アメリカ海軍の駆逐艦を派遣した――という内容のでっち上げ話を主張した。

 それに対し、ルーズベルトは言った。

 「共和党のリーダー達は、私の人格を攻撃しただけでは満足しない。いまや私の可愛い愛犬ファラをも容赦なく攻撃する様になった。ファラはとても敏感な犬である。ファラは誇り高きスコットランド出身だ。私がアリューシャン列島にあの子を1度捨てた後、多額の税金を使って駆逐艦を派遣して、取り戻したというでっち上げ話を聞いた途端、ファラのスコットランド魂に火が着きました。まるで別犬の様になってしまったのです。私への悪意に満ちた嘘なら聞き慣れています。しかし、犬への中傷に対しては遺憾を表明し、異議を申し立てる権利があると思います」

 無論、この時ルーズベルトの腹腸は煮えくりかえっていただろう。しかし、冷静な判断から生まれたこの『ファラスピーチ』は、同時に4回目の勝機に少なからず貢献した。共和党のトーマス・E・デューイも善戦したが、結局は大差を付けてルーズベルトが勝利した。

 

 

 やがてファラは膝元に擦り登ると、膝の上で寝込んでしまった。図々しくも愛苦しい顔で就寝するファラを起こすまいとして、ルーズベルトは気遣った。カール・H・マルクス著『資本論』を読み終え、床上に置かれた新渡戸稲造著『武士道』英訳版に手を伸ばした最中、ファラは耳をピンと立て、ルーズベルトの膝の上に置き上がった。

 「起こしてしまったか?」

 ルーズベルトを尻目に、ファラは書斎を飛び出した。こういう時、ルーズベルトは下半身を見据え、自分の運命と39歳の忌々しい象徴に腹を立てずにはいられなかった。

 ファラがさっと扉の向こう側へ引っ込むと、その数分後にはすぐ戻ってきて、ルーズベルトの膝元に寄り添った。と、同時に妻エレノア・ルーズベルトが顔を見せた。

 「お客様よ」

 「まさか」ルーズベルトは顔を顰めた。「今日はクリスマスだぞ?」

 エレノアは振り向いた。「そうは言っても、もうすぐ後ろに来てますよ」

 その言葉通り、エレノアの背後には一人の男の姿があった。男の名は――コーデル・ハル。ルーズベルト政権時代、発足時の1933年から国務長官を歴任し続けている男だ。対日、対アジア的戦略においてその先頭に立った彼は、結果的に1941年大日本帝国を宣戦布告に追い込んだ交渉文書――ハル・ノートを作り、手渡した。

 「素晴らしい。ぜひ、我が家でクリスマスを過ごしていってくれ」ルーズベルトは言った。「と、言っても、わざわざクリスマスを祝いに来たんじゃないよな?」

 ハルは頷いた。

 「はぁ~やはりそうか」ルーズベルトは溜め息を吐いた。「まぁいいさ。エレノア、この客人にカクテルを振る舞いたい。手を貸してくれ」

 

 

 1933年、ルーズベルトが大統領に就任した後、最初に執り行った人民の為の偉業――と言えば、1919年から始まった米国憲法修正18条、巷で言う――『禁酒法』の改正だった。そもそも1932年の大統領選挙自体も『禁酒法を廃止するか否か』が争点の一つと位置付けられた選挙だった。救済・回復・改革と続き、『ニューディール』――“新規巻き返し”を提唱するルーズベルトだが、その中には禁酒法の改正も含まれていた。

 1920年に修正第18条『禁酒法』が施行されたその時代、アメリカには狂乱の20年代――『ローリング・トゥエンティーズ』が訪れた。アルコール類の製造、販売及び輸出入が禁じられたが、アメリカ国民は禁酒法下でも酒は飲みたかった。そこでアル・カポネ等のマフィアが台頭、組織犯罪は急激に増加し、治安は悪化する一方となった。

 第21条に基き改正された後には、ビール及び軽いワイン類が製造、販売を許可された。

 

 「クリスマスと言うのは家族で過ごすものだがね」と、ルーズベルトは言いながら、1杯のマティーニをハルに手渡した。「神の何より素晴らしい所だが、人間を1つに纏める象徴として、永久にその存在を示し続けている。ある意味、全知全能や天地創造より凄い事だね。人間では、神並に人々の精神を統一する事は、至難の業だろう」

 「えぇ。しかし英雄や天使でも同じ事では?」ハルはマティーニの入ったグラスを持ち、琥珀色の液体を淵に沿ってゆっくりと回した。それから口を付けると、彼は苦々しい表情を浮かべた。「し……しかし、このマティーニは……」

 「君の問いに答えるならば、それはNo――だよ」ルーズベルトは笑みを浮かべた。「英雄は特定の勢力からすれば凶悪な殺人鬼にも取れる。そして、それを言えば天使と悪魔も同様だ。天使と悪魔は表裏一体――味方に付けば天使として崇められても、敵からすれば悪魔だ。それに堕天使もいるしな。一概に言っても、やはり各文化ごとに定められた神は人々を団結させ、統一させる」

 ハルは息を吸い込み、マティーニを飲み込んだ。

 「では、本題に入ろうか?」

 ルーズベルトは言った。


 

 ハルの一連の報告を聞き、ルーズベルトは右隣の書棚へ車椅子を進めた。「何たる事か。ヒトラーめ。今度は何をしでかす気か?」彼は書棚の真ん中の一列に目を配り、一冊の本を引っ張り出した。アドルフ・ヒトラー著『我が闘争』英訳版だ。「1月だなハル?1月なんだな?」

 「そうです」ハルは頷いた。「何度も言う様に、ヒトラーは来年の1月にも秘密裏の旅行に立つ――との事だそうです。諜報部が太鼓判を推す情報ですから、信用度は高いです」

 ルーズベルトは唸った。「あの男、チェンバレンに命を救われたというのに。大層な野心家か――はたまた大層な馬鹿か。前者ならば、来年はヨーロッパで一悶着も二悶着もありそうだ」ルーズベルトは表紙を手の平で撫でた。「して、何処にいくか。君は分かるかね?」

 「何処……ですか。イタリア。いや、ソ連か――」

 「私なら、日本に行くがね」ルーズベルトは言った。「だが、誰も行きたいとは思わないだろう。私もそうだ。しかし、東方での基盤固めやソ連に対抗し得る為には、日本は必要不可欠だ」

 ルーズベルトは書棚に本を戻した「最近、いや今年中か。妙に日本人が社交界や科学界に入り込んでいる気がする」ルーズベルトは顎を擦った。「奴らは何か企んでいる。とてつもない“何か”だ――が、現実になるやもしれんな。もしかしたら、今年が最後かもしれん」

 「何がですか?」

 「クリスマスだよ」ルーズベルトは言った。「心の底から笑えて祝えるクリスマスは今年限りかもしれない。来年、ヨーロッパで戦争が開始されれば、開戦・戦争・終結と続き、そして戦後処理で終わる。しかし、それは数年――いや、数十年は掛かるだろう。そうなれば、我々は世界が戦火によって被害を被る中を、笑顔を振りまいてクリスマスを祝える気になるだろうか?」

 彼は首を振った。「国民の意識は変える必要があると私は思う。孤立主義は世界からアメリカを忘れさせ、風化させる要因と成り得る。いずれは介入しなければならない」ルーズベルトは言った。「備蓄し、力を持つ我々が家に籠ってばかりでどうする――という話だよ」

 

 

 1938年12月25日

 東京府/麻布区

 

 世はクリスマス真っ只中――であった。かの『盧溝橋事件』が無く、大日本帝国の1938年12月25日は史実よりも比較的平穏な日として、過ぎていこうとしていた。この頃には、既にクリスマスは日本中に定着しているが、やはり12月24日の『クリスマス・イブ』以上かと言えば、そうでもないのが実情だった。

 それに、1938年12月24日には、もう1つのビッグ・イベント――第74回帝国議会の召集があった。史実では軍事色濃厚だった第74回帝国議会だが、新史においては軍事色は左程、見受けられなかった。とはいえ、伊藤らには帝国増強の為の軍資金――戦時下の予算増額が必要ではあった。

 「しかし、我々は何かを成し得たのでしょうか?」

 山本五十六中将は言った。「未だ、各分野での研究・開発は芽を出さず。陸軍にM4戦車を見せ、海軍に零戦とF6Fを見せ、陛下と辻に未来を見せたのは良いが、結果的には変わりませんな」

 「機はいずれ訪れる」伊藤は言った。「待つ。時が全てを解決してくれるとは、必ずしも限りませんが、少なくともこれら事業に関しては別――と考えた方が良いでしょう」

 山本は頷いた。「話は変わりますが、何故貴方はこの時代に来る事になったのですかな?」

 伊藤は呆気に取られた表情を浮かべた。「本当に話が変わりましたな」伊藤は言った。「我々、『大和会』が結成された経緯は話しましたな?」

 「あぁ」山本は頷いた。「戦艦『大和』が日本各地を曳航され、見世物とされた――」

 「そして我々はそれを阻止しようとした」

 伊藤は言った。「しかし、GHQはそれを許さなかった。『大和』は予定通りビキニ環礁に送られる手筈になった。当時は『大和会』――のデモ運動も知られていたから、体裁を保つ為にも、日本人の乗員は採用されず、アメリカ海軍の兵員が『大和』を動かした……」

 「では如何にして『大和』に?」

 「それは――『酒匂』ですよ」伊藤は言った。「当時、軽巡洋艦『酒匂』は横須賀に引き留められ、ビキニ環礁に送られる為、アメリカ人に帝国海軍の乗員達が操縦指導を行った。しかし――」伊藤は首を振った。「意思疎通が出来なかったか、酒匂のタービンが1基潰れました。よって、米海軍は帝国海軍の乗員がビキニ環礁まで移動させる為、添乗する事を望んだのです」

 「それで?」

 「当初、帝国海軍側の責任者は否定的でした。何しろ、広島と長崎を滅ぼした兵器の実験の為、愛着のある艦を自ら動かす等、誰が言うでしょう?しかし、私は昔の伝手やら何やらで彼の説得に成功し、我々『大和会』一同が秘密裏に乗員の中に紛れ込めたんです」

 「しかし、確か貴方がたはノートや設計図、それに他多数の形見等も持ち合わせていましたよね?それらはどうやって持ち込んだのですか?」

 「主に貨物に紛れ込ませたんですよ」伊藤は言った。「命を捨てる身故、無意味な工作でしたがね。ある程度、大和を動かせないものか?動かせた後、何とか独自の防衛戦力を持てないものかと酒匂でのビキニ環礁までの旅路の中で考える為にも、様々な資料を持ち寄ったのですが……。結局の所、我々が出来たのは――大和との心中でした」

 その後、伊藤達は酒匂から大和へと忍び込み、核実験の最後辺りまで様々な策を講じた。しかし、結局伊藤は艦橋での死を決意。一筋の閃光の後意識が飛び――今に至った。

 「無意味な死だった。私は家族を捨てさせ、大和との心中を彼等に強要した」伊藤は言った。「しかし死に切れなかった。気が付けば、目の前には9年前の私だ。カレンダーを見て、戦艦『榛名』と昔の私を見て――全てを悟りましたよ。これは“天罰”なのだと」

 「天罰……」山本は唸った。「私にはとてもそうとは思えませんが。これは神がお与え下さった2度目の人生だ。それを天罰などと言えば、神の怒りを買いかねませんぞ」山本は笑って言った。

 

 

 【『天罰』と取るか『使命』と取るか。はたまた『運命』と取るか。当時の私では、その様な事を理解するには至らなかった。目の前に山積る問題に手一杯だったからだ。それをあえて『天罰』と取るか、または神に与えられた仕事――『使命』と取るか。また全ては『運命』として認識するか。いずれにせよ、問題は残ったままだった。私が出来たのは、目の前の問題を排除する事それのみだった――】

 

 (伊藤整一口述回顧録第6部第3章『天罰』より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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