第169話 反撃の巨人(後)
第169話『反撃の巨人(後)』
1947年10月12日
アメリカ合衆国/ニューメキシコ州
ニューメキシコ州北部の台地に位置するロスアラモスは、米国の原爆開発計画――『マンハッタン計画』によって繁栄を築いた町として有名である。町はメサと呼ばれる高台の上にあり、標高2200mに位置するため高山性植物などが群生している。そして、そのロスアラモスには『マンハッタン計画』の中核を担う『ロスアラモス国立研究所』が存在する。このロスアラモス国立研究所が建設されたのは1943年、史実から1年遅れてのことだった。“水源の確保”や“機密保持”等に適しているとされたロスアラモスには、その年から陸軍工兵隊が入り、原爆開発に必要な研究施設の建設に取り掛かる。その時の現場指揮を担っていたのは、『マンハッタン計画』責任者であるレズリー・R・グローヴス陸軍准将である。彼はロスアラモス国立研究所を建設するにあたり、入植していたヒスパニック系住人を強制退去させ、メサとキャニオンからなる約110㎢の広大な敷地に、研究施設や実験場、放射能性廃棄物処理所などを築いた。そしてロスアラモスの町には多数の研究者、労働者、軍人とその家族達が移り住んだ。
ロスアラモス国立研究所が担う計画――『マンハッタン計画』は、ロスアラモス国立研究所所長ロバート・オッペンハイマー博士を中心に進められた。史実とは違い、主要メンバーの一部が既に大日本帝国の原爆開発のために引き抜かれていたこともあって計画は大いに難航した。しかしながら米国の国力、技術力というのは底知れないものであり、史実よりも約1年程度遅れながらも原爆を完成させたのだ。
1947年10月、ロスアラモス国立研究所から特殊車両が出発する。その車両に積載されているのは、爆縮型プルトニウム原子爆弾『ガジェット』である。原爆実験用に製造された『ガジェット』は、ロスアラモス国立研究所から同州アラモゴードへと移送され、多くの科学者・技術者の手によって専用の実験塔に設置されることとなる。この原爆実験――通称『トリニティ実験』は、約8ヶ月前から『マンハッタン計画』に参加する優秀な研究者達によって進められてきたものであり、その背景には多くの技術的・政治的問題を抱えた研究者達の苦悩があった。
ニューメキシコ州トリニティ実験場。時刻は午前6時を回った所である。実験塔に備え付けられた『ガジェット』と、そこから16km程離れた位置にある観測所では、同実験の主任ケネス・T・バイングリッジ博士や『マンハッタン計画』責任者のレズリー・R・グローヴス少将。そしてロスアラモス国立研究所所長のロバート・オッペンハイマー博士といった面々が肩を並べていた。彼らは観測所内で実験開始の時を固唾を呑んで待っていた。約4年の苦労、そして研究者としての成果が今、ここで証明されるのだ。
「5……4……3……2……1……、ファイア!」
カウントダウンの終了とともに、電気信号が導線を通じて『ガジェット』へと送信される。それを受け取った『ガジェット』は刹那、内部からその膨大なエネルギーを“爆発”という形で解き放った。その瞬間、16km離れた観測所に眩い閃光が走った。またそれに遅れて衝撃波が走る。グローヴス達はその光景を瞬きせず捉え続けた。
「実験成功。成功です」
「……素晴らしい」
主任バイングリッジが実験の成功を宣言する中、オッペンハイマーは思わずそう漏らしてしまった。計画は成功した。約4年の歳月と20億ドル(米国の国家予算20%に相当)を注ぎ込んだ『マンハッタン計画』は遂にその実を結んだ。実験用プルトニウム原子爆弾『ガジェット』は爆発し、TNT換算で19ktのエネルギーを放出した。これは都市1つを破壊するには十分な威力であった。
1947年10月15日
アメリカ合衆国/ワシントンD.C.
『トリニティ実験』の成果は同日、ワシントンDCにも届けられ、米政府首脳部を喜ばせた。その威力は従来の通常爆弾では想像を絶するものであり、まさに“戦略兵器”というに相応しい代物であった。1943年のルーズベルト政権以来、20億ドルにも及ぶ投資もこの成果によって回収されたのだ。そして米国は次に、この恐るべき兵器を一刻も早く、実戦投入することを望んでいた。
「大統領閣下、失礼致します」
そう言い、大統領執務室に入室したのは、米陸軍工兵隊のレズリー・R・グローヴス少将、そして米陸軍航空軍極東爆撃軍団総司令官のカーチス・E・ルメイ中将であった。この2人は先の『マンハッタン計画』成功に伴い、ホワイトハウスに召集されたのだ。その2人が扉を開け、執務室内に足を踏み入れる音を聞いて、米合衆国第33代ハリー・S・トルーマンはふとペンを卓上に置き、前に並んで立つ2人の顔を見据えた。
「グローヴス君。とりあえず『マンハッタン計画』成功、おめでとう」トルーマンはデスクから立ち上がり、グローヴスに握手を交わした。「実験に立ち会えなかったのが残念だが、報告を聞いてその威力を知って驚いたよ。まさか理論上の数値のまま、都市1つを壊滅出来るほどとはね。しかしよくやってくれた。私はいち早く、この原爆を実戦投入出来ることを望んでいたのだよ」
グローヴスは静かに頷いた。「実験ではTNT換算で19ktの威力を計測しました。この威力は凄まじいものです。爆心地から半径0.5ヤードは摂氏3000~4000度まで上昇し、全てを蒸発させました。また半径1マイル内に設置した実験用家屋は全壊し、半径3マイル以内であれば人体に致命的な火傷を負わせられます」と言い、更にグローヴスは続けた。「しかし大統領閣下、実験は成功しましたが『マンハッタン計画』が完遂された訳ではありません。この後、設計の見直しや実験データの解析もありますので、実戦投入は時期尚早ではないかと……?」
そう主張するグローヴスに対し、トルーマンは渋い顔を浮かべた。
「いや、構わん。むしろ今日、君らを呼んだのはこの原爆を1ヶ月以内に実戦投入するためなのだ」トルーマンは言った。「台湾でマッカーサー元帥の極東軍が敗北し、今やフィリピンに危機が迫っている。南方を抑えられれば、北方のカムチャッカ半島攻略も困難となり、対日戦略が瓦解してしまう。そうなる前に、この原爆を用いて戦局を優勢に導きたいのだよ」
そう語るトルーマンは、次にグローヴスの横で沈黙を続けていたルメイに視線を向けた。
「ルメイ中将。陸軍は1ヶ月で作戦を開始出来るかね?」
「やれと言われれば、我々はやります」ルメイは言った。
「では、ルメイ中将。君なら原爆を何処に投下するべきだと思う?」
そう訊かれたルメイは少し悩みつつも、口を開いた。
「現時点では、B-29の航続距離では東京を始めとする日本本土の主要都市爆撃は不可能です。しかしそれは、カムチャッカ半島を陥落させることで解決します。私が原爆を投下するとなれば、まず第1にカムチャッカ半島の要衝であり、首都であるペトロパブロフスク・カムチャツキーを目標にします」
ペトロパブロフスク・カムチャツキーは帝国陸軍カムチャッカ方面軍総司令部の位置する街であり、今となってはカムチャッカ半島防衛の最後の砦というべき要衝であった。その防御は堅く、ジョージ・S・パットン元帥指揮下の米陸軍北方方面軍も手を焼く攻略目標だった。ルメイはそこに原爆を投下すれば、カムチャッカ半島攻略に多大な成果を生むだろうと考えていたのだ。
「グローヴス少将。原爆のストックと製造予定について説明して貰いたい」
ルメイ中将は言った。
「現時点で我々が保有している原子爆弾は計2発。1発はウラン型、もう1発はプルトニウム型です」グローヴスは言った。「その後の原爆製造については、既に計2発の製造を予定しています。1発目はプルトニウム型で、1ヶ月後には完成します。また2発目はウラン型で約3ヶ月。その後、月産1発ペースでの原爆の製造を予定しています」
それを聞いたルメイは笑みを浮かべた。
「威力についての詳細な情報は知りませんが、3発もあればペトロパブロフクス・カムチャツキーを壊滅させるには十分でしょう。更にカムチャッカ半島を攻略すれば、東京・大阪・名古屋といった主要都市をギリギリではありますが、B-29の爆撃圏内に抑えることが可能となり、戦略爆撃作戦が可能となります」
トルーマンは頷いた。「私が望むのはそれだよ、ルメイ中将。日本本土決戦を前にこの新型爆弾を使用すれば、日本の工業力を削ぐことにもなるし、本土攻略も容易になるだろう。更に世界にこの兵器の威力と、それを我が国が保有している事実を伝えることになる。圧倒的な力だ。EUも片膝を着いて、我が国に許しを請うことになる筈だ」
更にトルーマンは続けた。「それに報告では、B-36の開発もあと僅かだと聞く。来年までには生産ラインが整備される。それなれば、ベルリンやローマに対してもこの原爆を運ぶことが可能となる訳だよ。そうなれば欧州をも攻撃圏内に収められる。そうなればこの戦争を逆転できるだろう」
1947年10月、遂にトルーマン大統領による原爆投下命令が下された。米陸軍航空軍は数ヶ月前から選定していた原爆投下目標をカムチャッカ地方首都“ペトロパブロフスク・カムチャツキー”に決定し、その原爆搭載機はB-29。爆撃部隊に関してはルメイ中将の極東爆撃軍団第305混成部隊が指名され、同月から模擬爆弾『パンプキン』による数十回もの投下練習が繰り返された。そして1947年11月15日――米陸軍航空軍総司令部は、遂にカムチャッカ半島原爆投下作戦の発動を命じた。
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