第17話 東條の懐刀(後)
第17話『東條の懐刀(後)』
1938年12月20日
東京府/麻布区
――辻訪問2時間前。
木下攻呉海軍大佐――森下信衛は、何故伊藤が辻との面会を承諾したのか、疑問に思っていた。例え東條英機陸軍中将の権限があったとしても、それは陸の事。海軍に属し、昭和天皇や米内等政府重鎮達によって擁護され、独自の権限を持つに等しい伊藤であれば、辻どころか東條でさえ一蹴出来た筈だ。では伊藤閣下は故意に面会を承諾したのか?今回の辻との面会は何らかの考え、何かとてつもない思惑を持った上で、承諾した事なのだろうか?
森下は問うた。「閣下、何故辻めにお会いになられるので?何か思案でも?」
「あぁ……」伊藤は頷いた。「辻は野心深い男だ。その地位と名誉を上げる為なら、部下の命1つさえ犠牲に厭わんだろう」伊藤は言った。「故に価値はある。奴は野望を感付く第六感でも持ち合わせている様だ。だからこそ、常に軍の裏で暗躍してきた。陸軍内の改革には、奴の策謀と行動力が必要不可欠だと私は考えたのだ。そこで――」
「まさか閣下!」
「気付いたか」伊藤は言った。「辻に全て話す事を」
「私の勘違いならばご指摘頂きたいが」森下は言った。「奴は東條一派の急先鋒。東條英機の“懐刀”にありませんでしたか?」
辻の実態は、伊藤も聞き及んでいた。陸軍士官学校に始まり、盧溝橋、満州国、ノモンハン、マレー、シンガポール、フィリピン、ポートモレスビー、ガダルカナル……。闇の噂だけで辞書一冊分は作れる程に暗躍し続け、時には幾人もの死者を生み出してきた。バンコクで大日本帝国の命運が尽き、戦後日本に至った後も、帝国復活という壮大なる野望を胸に抱き続けた。その野心家ぶりはGHQから『第三次世界大戦さえ起こしかねない男』として、危険視される程であった。
「両手を血で真っ赤に濡らした様な男と、友好の握手をするつもりですか?」
森下の言う事を、伊藤は否定しなかった。辻が重要な役割を担えると判断した中には、これら確認出来る事柄も含まれていた。無論、この噂の他、辻の危険性を示す事例がどれだけあるのか、伊藤は見当もつかなかった。しかし、伊藤には一つの思惑があった。
「例え全てを話したにして、奴が信じたとしても、他の人間がそれを信じると思うかね?」伊藤は言った。「辻もそれ程馬鹿な男じゃない。確固たる証拠も無く、東條や陸軍上層部に話す事はないだろう。仮に証拠を掴んだとしても、東條程度に何が出来る?」
「しかし……」
「奴もいずれは『大和会』の正体を突き止めた筈だ。帝国の末路を聞けば、気も変わる」伊藤は言った。「それに、いずれ東條も総理――少なくとも政府か陸軍の要職に就く。そうなれば、嫌でも奴に話さなければならない時が来るんだ。全てを天皇陛下が承知し、推奨し、応援している事を伝えれば、東條も協力する他無いだろうからな」
「結果的に言えば、辻が言うも良し。私が言うも良し。辻が言い、1日でも早く陸軍内でも変革運動を東條一派が起こしてくれれば、尚の事良し――という訳だ」
「ですが――」
「勝手に暴れて取り返しのつかない行動をされるよりは、我々の手元に置いておいた方が良いというものだよ。森下君」
「飼い犬にする――という事ですか」森下は言った。「しかし飼えるでしょうかね。あんな無愛想で躾の成っていない野良犬を……」
「まぁ、噛まれた時は噛まれた時さ」
伊藤は言った。「躾け直すか――きっちり処分してやればいい」
――2時間後。
「貴方は――何者か?」
その前の激したやりとりとは一変、冷徹な顔を浮かべた辻は言った。深紅に染まった筈の頬は冷め、雪の様に白くなっていた。眼鏡を擦り、位置を整える。迎撃態勢にでも入った辻には、反論出来る余地は何処にも見られなかった。
「藤伊一」
それに対する伊藤の答えは短く、明確そのものだった。偽造戸籍が身分を証明しているし、伊藤は帝国海軍で精勤して忠誠を示している。「大日本帝国海軍所属。階級は中将――だ」如何に辻へ主導権を与えないか。それは難しい所だった。自分自ら正体を明かしてしまうのだから、どう足掻いたって会話の主導権を伊藤が持つ事は出来ない。
「私は貴方が盧溝橋の一件に噛んでいる事を知っている」と、辻は言った。「貴方は戸籍上、登録された御方だが、家族も家柄も同期の友人も居ない。架空の人間――造られた存在だ。海にいる貴方が関東軍参謀部や司令部に口応えする権限はない」辻は身を乗り出した。「私にもやるべき仕事はあるし、これ以上言及するつもりはないが、満州国や陸軍内で好き勝手やる事は許可出来兼ねません。今後も我々に関与するのなら、その正体に――」
ようやく話す時機を見出した事を褒めるべきなのか、もっと迅速に行動しなかった事を激しく叱責するべきなのか、よく分からなかった。
先程まで遠回しに、そして今は唐突に追及する辻を前にして、そこで伊藤は打ち明けた。
「貴様の分析眼は本当に賞賛に値するな。そんなに知りたいのなら、話してやろう」
伊藤が一通り話し終えた後、辻の顔色は完全に悪くなっていた。憤りを覚えているのだろうか、鼻息の荒さは、野武士の如く大和を駆らせた森下に匹敵する程だった。辻によれば、“創り話なら赤子と愚か者と臆病者の前でやってくれ!”との事。捜査を続行する事を決然と告げると、辻は脅しの言葉を並び立てた。その後、彼は立ち上がって背を向け、そこを出ようとした。
頭に血が昇っている辻に負けず劣らず頑固者だった伊藤は、一冊のスクラップノートを机上に叩き付け、「これを見ろ!中将命令だ!」と、大声で怒鳴った。
その行動とは裏腹に、そっぽを向いていた辻は直にそのスクラップノートを手に取った。その時、奴の目は憤りからではない、何らかの衝動から目が血走っていた。そんな辻の表情は――蔓延の笑みだった。
「やられた」と、伊藤は呟いた。これも奴の計算なのか?
ノートに一通り目を通した辻は、最後には頷き認めた。帝国の末路は危うい――という事に。伊藤は『大和会』に帝国陸軍内の監視役兼先導役として加入する事を提案した。
数分後、辻は同調した。
ようやく適切な行動を取った辻を褒めるか否か、伊藤にはよく分からなかった。結局、称揚する――という結論に至った。猜疑心の塊であり、何らかの謀略を動機に加入したのは見えた話だったが、味方になったのだ。今はそれで十分だった。
辻は盛んに、大和会の歴史改変計画の概要を訊いた。伊藤と森下はそれを伝えた。辻はいちいち賞賛やら何やらを芝居掛かってやらかした為、二人とも苛立った。ついには、自分の考えた案を出し始め、計画の難点――主に帝国陸軍への負担となる事柄――を指摘し始めた。
しかし、それは伊藤が望んでいた事の一つだった。帝国存亡の中、陸軍の面で事を疎かにすれば、結局は史実と変わらない結果に終わってしまう。辻を招いたのは、計画の中での現役陸軍人の意見を聞き、細かい疑問点を確かめるのが目的だ。
「先ずは『これだけ読めば戦は勝てる』――という君が後、作成に関わる本についてだ」
『これだけ読めば戦は勝てる』とは、1941年に台湾第八二部隊第二課が作成した書物だ。第二課で辻は課長をしていた。この第八二部隊は『台湾軍研究部』――大本営の『南方作戦研究部』で、南方作戦を極秘に企画立案していた。陸軍有数の参謀、有識者達によって編成された頭脳組織であった。その第二課課長を務める辻は、同計画の指揮者に位置する。
南方作戦の展開地域――つまり東南アジアはどの様な所か。何故戦わなければいけないのか。又、如何にして戦うか。軍の信条から南方地域の環境。華僑。健康管理。様々な戦闘の対応策。毒蚊、毒蛇、猛獣への対策。特殊地形での行動等、南方戦域という未踏の戦場を生き抜く上で重要とされる事柄が書かれた同書は、経験も無い緒戦では大きく活躍した。しかしやがて、敵の物量戦、ゲリラ部隊からの攻撃、補給線の崩壊によって生じる飢え、更には南方の病気が重なり、最終的には役に立たなくなってしまう。それに、陸軍で字を読める人間はそう多くないのだ。田舎育ちの兵達は、同書を有効に使うには至らなかった。
「更に内容を増やす必要がある」伊藤は言った。「主にはペニシリンの精製法。次に食する事が出来る植物・魚・虫の分類。人体図。止血法等、適切な応急措置の方法。尿の蒸留法(排泄した尿を飲み水に変える方法)等々だな。医薬品は常に不足するから、兵士達にペニシリンを精製法を教えておけば、多くの命が救える筈だ」
伊藤が言う程、ペニシリンの精製は容易ではなかった。特に、ジャングル等の精製に必要な器具が限られた環境下では尚の事である。素人ならば、先ず殆ど不可能に近いだろう。
「私が知る所では、イタリアでは既にペニシリンの精製に成功しているとか」辻は言った。「病院を造るかと思えば、戦車も造る。イタ公はおかしなものですな」
9年前に転移した伊藤だが、今世界におけるイタリアは過去の記憶とは似ても似つかない国だった。ムッソリーニは世界恐慌の損失を最小限に食い止め、医療水準の向上を試みた。そしてヨーロッパ、ひいては世界最高水準の医療を確立した。諸外国の中・上流階級の患者と難民を受け入れ、代わりに各国に『受入予算』なるものを要求した。『命の秤』とも言われたこのムッソリーニの発言はヨーロッパ最高水準の医療――つまりは“命”を保障する代わりに金を払えというもので、これによって各国医療難民の受け入れ数を決めるのだという。各国は世界恐慌の余波が残る中、競う様に支払った。そして同時に、ムッソリーニは定員越えの違法入国難民に対抗すべく、国土防衛の為にと軍備増強を開始。戦車・航空機・艦艇等の充実に力を注いだという。
史実では1929年、英国のアレクサンダー・フレミング医師によって発見され、それから10年後にアメリカが開発に成功し、1943年に大量生産が開始されたペニシリンだが、既に1930年頃からイタリアはその開発に着手。1937年には精製に成功。これを機に現在、イタリアはペニシリンの実用化を進めている。因みに、史実で日本は1944年から開発を開始。粗製ながらも精製には成功したが、終戦までに実用化出来なかった。
「日独伊三国科学・技術協定でその技術を頂けばいい」伊藤は言った。「来年には新たな凍結装置が完成する。フリーズドライ技術が確立されれば、ペニシリンの大量生産も成る筈だ」
ペニシリンは肺炎、淋疾等、多くの細菌性疾患に優れた効果を示す。人への害が少なく、病原微生物に障害を与えるこの抗生物質は当時『魔法の弾丸』と称された。1944年のノルマンディー上陸作戦時には、その効力をいかんなく発揮し、多くの命を救った。
後の1941年、史実とは異なったプロセスを介し、作成された『これだけ読めば戦は勝てる』は、サバイバルブックとしての色を増した。そして帝国陸軍兵達の愛読書となった。軍人の他、当時では考えられない事だったが、民間人――東大等名門大学教授、専門家、医者――も作成に参加した。内容は漫画家によってコミック風に纏められ、絵が中心の分かり易い仕様になった。南方に生育する植物、魚、虫の中から食べられる物、食べられない物も分類して書かれ、尿や現地水源の発見等による飲料水の確保の方法も記された。また、ペニシリンの精製法も記された。流石に素人では難しかったが、中にはペニシリンの精製に成功する兵も出た。こうして同書は、自給自足の軍隊を作り上げるのに一役買った。
また同書は、辻の他者から意識を変えるきっかけともなった。同書を出した当初には、陸軍内では酷評を受けた辻だが、後々には大きく評価されていった。
また、後世の歴史においては、『大和会』に属し、時には野心的行動を見せながらも、有益な結果を残し続けた事柄も少なからず評価され、辻は帝国陸軍の『智将』――また『恥将』――の一人として挙げられる事となる。
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