第159話 キューバ危機(前)
第159話『キューバ危機(前)』
1947年3月22日
ドイツ第3帝国/ベルリン
ハッカと紅茶の香りが鼻を打った。
世界都市『ゲルマニア』構想計画が着々と進むドイツ第3帝国首都ベルリン。その中枢たる新総統官邸において、ドイツ第3帝国総統アドルフ・ヒトラーは紅茶に舌鼓を打っていた。そしてその前には国家首脳部の面々が長方形のテーブルにその腰を下ろし、粛々と軍事会議を続けていた。ドイツ国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル陸軍元帥を筆頭に、ドイツ国防陸軍長官エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥、ドイツ空軍長官ヘルマン・ゲーリング国家元帥、ドイツ海軍長官ギュンター・リュッチェンス元帥ら計3名の陸海空軍三長官。またSS長官のハインリヒ・ヒムラー、国家保安本部(RSHA)ラインハルト・ハイドリヒSS上級大将に至るまで、ドイツ第3帝国総統ヒトラーを支える側近達が顔を揃えていたのである。
「先ず極東の戦況ですが、大日本帝国軍は台湾・カムチャッカ半島にて米軍と激闘を続けているとの事です。この2つの戦線に関しては、米軍の圧倒的物量作戦により日本軍側の劣勢となっていますが、しかし既に反攻のための戦力も整っており、4年前の『日ソ戦』のような形での一点攻勢を仕掛けるものと思われます」
カイテルは淡々と述べた。
「総統閣下。今後は我が軍も極東に支援物資、強いては軍を派兵すべきかと思われます。米国の圧倒的国力を鑑みますと、二正面作戦による総戦力の分散化は必至。しかし大日本帝国軍も戦線の拡大によって部分的敗北を続けています」
「……だが、極東での米軍は戦線を拡大し過ぎている」ここで口を挟んだのは『金髪の野獣』こと、ラインハルト・ハイドリヒSS上級大将である。「台湾、カムチャッカ半島、それにシベリアのサハ共和国。少なくとも3つの主戦線を開いていますが、辺境地のチュクチに100万以上の米軍を維持出来るリソースは存在しない。そこで本土からの補給となる訳ですが、奴等はその補給路についてはアラスカを経由しなければならない。当然、帝国海軍もその点には気付いて、レーダー提督のような『群狼戦法』を用いてベーリング海峡の封鎖を行っている筈です」
「恐らくはそうでしょうな」リュッチェンス海軍元帥は頷いた。
「元帥のお墨付きもありましたように、極東の米軍は既に首を絞められつつあります。ですから気に病む心配は無いでしょう。それよりも先ずは東海岸戦線の攻略に全力を注ぐべきかと……。4月にはシベリア国防軍による侵攻作戦も開始されますし、問題無いですよ」
微笑を湛えるハイドリヒだが、その胸の内は計り知れない所があった。ヴィルヘルム・カイテルはヴァイマル共和国軍時代からの古株ではあったが、ドイツ国防軍軍人――いわゆる近代戦争においては致命的に実戦経験の足りない人物でもあり、ハイドリヒはそこに不信感を抱いていたのである。
「当然、無理な侵攻作戦を続ける米軍の補給線は途中で限界を迎えるだろう。しかし、その前に大日本帝国が降伏でもしてしまえば、アメリカ本土戦線も困難になってしまう」カイテルは首を振り、言った。「今後の戦況は慎重に見極める必要がある。イギリスの中立化でスエズ運河は使えないが、シベリア鉄道なら使えないことも無い。運輸能力では格段に劣ったとしても、モンゴルを経由させれば前線の満州に支援物資を送ることが出来る」
「私から一言言わせて頂ければ、今後心配しなければならないのは米本土戦線の泥沼化です」ハイドリヒは言った。「ドイツ国防軍は確かに世界最強の陸軍を有している。しかし、世界最強の海軍を有している訳ではありません。その点はリュッチェンス元帥も承知のことでありましょう」と、ハイドリヒに振られたリュッチェンスは渋面を浮かべ、沈黙を貫いていた。「米本土攻略の橋頭堡たるキューバと、この本土とは8000キロ以上も離れています。これは東京とハワイ間の距離よりも長く、そして現状のドイツ海軍の輸送力を鑑みればより困難といえます」
「ハイドリヒ上級大将の意見は正しい」そう語るのは『ドイツ陸軍の頭脳』、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン陸軍元帥だった。「我がドイツは先のアルゼンチンにおける対米戦でも大日本帝国の協力を受けた。その借りを返すのは騎士道としてももっともな所だが、世は近代。その時代に相応しいのは――『総力戦』だ。米国と対等に戦うには、ドイツはその国力を全てを出し切らねばならないし、直接関与する戦線に全力を注がねばならない。だからこそ、ドイツ国内の存在する全ての輸送システム、資源、人員は東海岸戦線に使用しなければ勝利は掴めない」
そう語るマンシュタイン。続いて口を開いたのはリュッチェンスだった。
「……確かに今、ドイツ国防海軍はその海軍力では米海軍の大西洋艦隊単独にも負けている。この状況で陸軍が必要とする兵力をドイツ本土から前線に輸送出来るかは厳しい……。しかし、国防海軍は1960年までには大英帝国海軍並の大艦隊を保有することにはなる。『Z計画』を貫徹出来ればだが」
「リュッチェンス君。心配するな、その点は吾輩も期待しておる所だから、協力は惜しまんよ」ヒトラーは言った。「……ところで、“V3ロケット”のキューバ配備はどうなっている?」
紅茶を啜りつつ、ヒトラーは訊いた。
「部分的には完了しました」マンシュタインは言った。「V3ロケットを積載したドイツ海軍の輸送艦がキューバへと到着したのが3月18日。その後、積載されたV3ロケット全42基の内、計18基の陸揚げ・組み立てが現地のブラウン博士ら技術チームと陸軍工兵隊によって行われており、その内計12基のV3ロケットはグアンタナモ市内にて発射準備を完了させているとの報告が入っております」
「12基か……。その12基でワシントンのホワイトハウスは破壊出来るのかね?」
そのヒトラーの発言に一同はざわめいた。当初、彼らはキューバに配備されるV3ロケットの標的がワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアといった東海岸の主要都市を無差別に攻撃するのだとばかり思っていた。しかしここでヒトラーは攻撃目標を明確に告げたのだ。それまでホワイトハウスはおろか、ワシントンDCに対する空軍の戦略爆撃が総統命令によって堅く禁じられていたことを考えると、それはヒトラーによる対米戦本格移行への決意の表れ――米国民への明確な宣戦布告に等しいものであった。
「ブラウン博士の話では、V3ロケットは基本的にはV2ロケットを発展拡張させたもので、初の二段式ロケットだとか……。しかし博士によれば、初期段階の技術を盛り込んだいわゆる“初歩的な兵器”に過ぎない……とのことです。12基全てを発射したとしても、ホワイトハウスへの命中率は1割程度で、戦略的には不十分な結果となってしまうのがオチではないかと」
V3ロケットは1940年からその開発が始まった二段式中距離弾道ロケットである。その設計は、前世代のV1・V2ロケットを始めとする初期的戦略ロケットを開発したことから『ロケットの父』の渾名で知られるヴェルナー・フォン・ブラウン博士だった。V3ロケットは全長約20m、胴体直径4.1m、重量約7tの一段目と全長約14m、胴体直径1.6m、重量1.6tの二段目、計2段で構成される二段式ロケットであり、開発時にはその2つのロケットのコードネームを組み合わせ、『A9/A10』と名称されていた。その最大射程距離は約4000km。いわゆるV2ロケットの拡張発展型であるが、史実の中距離弾道に相当する射程を誇り、1940年代ということを考えると最先端の戦略兵器といえた。しかしながらそのペイロードは約1tで、設計上でも核弾頭の搭載等は全く視野に入れられていないため、真の戦略兵器とは言い難い代物ではあった。そのためブラウン博士もこのV3の開発成功を“関門の一つを突破したに過ぎず、それはゴールまで辿り着いていない”と発言している。
ブラウン博士は現在、核弾頭搭載を可能とする最大射程約3000kmの中距離弾道ロケット『V4』――開発名称『A15』の開発を進めている。V3ロケット開発のノウハウから長距離ロケットについてはある程度、融通が利いた。しかしながらその一方で核弾頭は大幅に立ち遅れており、ブラウン博士の予想では最短でも1950年の完成になると計画されていた。
「不服かね、マンシュタイン君?」
「……不服です」
マンシュタインは沈痛な表情で答えた。「総統閣下。私は先程、『総力戦』について申し上げました。しかし今回のV3ロケットによるワシントン攻撃は、その『総力戦』において我が国……我が陣営を敗北に導く要因になるかも知れません。そう、例えるならばこの総統官邸がB-29による爆撃を受けた場合、ドイツ国民がどのような感情を持つか……。それを考えれば分かる事です」
「成程。つまりは国民感情の爆発と戦争への一致団結を招く、と?」
ヒトラーの答えに対し、マンシュタインは静かに頷いた。
「総統閣下。V3の発射、今一度お考え直し下さいませんでしょうか……? 国防軍は米本土上陸作戦への必要な準備をまだ整えておりません。そんな中、ワシントンを攻撃するのは対日方向で一致団結している米国世論を対独によって沸騰させることになり、アメリカ国民にドイツ打倒を扇動する行為に他なりません。時に国民の団結は、何事をも撥ね返す盾となり、国土に何人をも踏み入れないための鎖となります。この攻撃は時期尚早です」
ヒトラーは渋い表情で聞き、そして首を振った。
「ワシントン攻撃は予定通り行う……。マンシュタイン長官、V3の運用を抜かるな」
「……了解しました」
かくして1947年3月22日。ドイツ第3帝国首都ベルリンの首脳部は、中距離弾道ロケット『V3』によるワシントンDCへの戦略攻撃を決定。『総統命令第58号』として緊急電報がキューバ共和国のグアンタナモ国防軍司令部へと届けられ、V3ロケット発射場に伝えられることとなった。
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