第155話 水面下の戦争
第155話『水面下の戦争』
1947年3月8日
スイス/ベルン州
永世中立を国是とする内陸国家スイス。EU(ヨーロッパ同盟)やアメリカ合衆国といった世界陣営にも参加せず、国外における軍事的・経済的・政治的衝突にも一切の介入を見せない――それが“中立”ということではあったが、それは言い換えてみれば同時に世界を敵に回しているにも等しい行為だった。それ故、スイスは中立を保持すべく国民皆兵・徴兵制を国是としており、スイス国民は男から女子供、年寄りに至るまでが武器を持ち、有事の際には兵士として国土防衛を果たすことを約束している。またスイスは堅牢なアルプス山脈に囲まれた要塞国家であり、その侵略が困難を極めるのは確かであった。いわばスイスは“恒久的な平和”を“戦争の備え”によって勝ち得ている国家なのだ。
しかしそんなスイスも国益に沿う形であれば、EUや米国との関係に妥協の余地を見出すことは容易であった。その事実としてスイス首都ベルンにはOSS、MI6、アプヴェーア、そして『帝機関』といったEU・米国の諜報機関が並び、活動していたのだ。スイスの諜報機関・警察機関がこれらの国外スパイ組織の活動を容認していたその背景には、世界情勢におけるEU・アメリカ圏経済での利益の保持、EUとの関係妥協があった。ドイツ、イタリア、フランスに対しては地理的特徴や、スイス財政界で親独派が多数を占めていたこともあり、EU圏でも特に諜報活動の妥協が許されており、スイス各地にスパイ拠点を築くことを容認して貰ったどころか、スイス政府からの“情報提供”を始めとする支援を受けていた。
そんな中、1947年3月8日。スイス首都ベルンの日本大使館の一室において、『帝機関』スイス支局長の品川健海軍少将と、『帝機関』次期参謀総長の辻政信陸軍中将は互いに向き合い、共にテーブル越しに渋い表情を浮かべながら沈黙を続けていた。彼らは共に『大和会』に属する人間だ。品川は『大和会』前当主の藤伊一と同様、“過去”――今となっては幻というべきかもしれない――より逆行してきた男であり、かつての時代では旧帝国海軍の士官だった。終戦末期に戦艦『大和』に乗艦し、伊藤長官や森下参謀長との面識もあった。故に『大和会』主派の“伊藤派”――現在では山本派――での信頼が厚く、『大和会』における風当たりも良好といった具合である。また『大和会』の数々の陰謀計画を立案してきた原茂也陸軍中将の一番弟子でもあり、レフ・トロツキー支援や“シベリア社会主義共和国”建国に一枚噛んでいた人物でもあった。
対する辻政信は言わずもがな。『大和会』における謀略参謀の一角にして、戦争の鬼たる男――『帝国陸軍の異端児』を師に仰ぎ、自らも狂気的な思考を巡らせている。そしてその戦功は史実以上のものであり、『冬戦争』や『三国同盟戦争』ではドイツ軍の名将――エルヴィン・ロンメル元帥やナチス高官達と面識を持つ。まさに度胆を抜く男であった。そしてそんな辻と品川がこうして対峙するのは実に数年振り。品川がまだ駐独武官だった頃のことである。
「――遂に海軍に被害が」
ロンネフェルト社のハーブティーを口に付けた辻は静かに告げた。「話では聯合艦隊が辛勝を収めたらしいが、果たしていつまで制海権・制空権を確保出来るか……」更に辻は続けた。「アメリカの国力は帝国の5~6倍。史実よりは幾分もマシにはなりはしたものの、それでもアメリカとは雲泥の差。独伊による東海岸上陸作戦が行われるとはいえ、その事実は変わらんからな……」
品川は頷いた。
「今回の緒戦で帝国海軍は計8隻の空母、4隻の戦艦、6隻の巡洋艦を喪失。対する米海軍も同様、いやそれ以上と聞きますが、あの国は根本が違う。私はかつての1945年末期を覚えていますから……。たとえ今回、米国は本土での戦争を強いられたとしても、あの国の底力は決して馬鹿には出来ません」
「だろうな……。話では、米海軍は既に20隻以上の正規空母建造を計画していると」
「それは私も聞きました」
『帝機関』対外諜報部長を兼任する品川は、その手の情報も得ていた。「計画では、米海軍は喪失した『エセックス』級の補充と、新型空母の『ハワイ』級建造を予定しているとか……。更に護衛空母も相当数の建造が予定されているそうですから」
品川は白磁のティーカップを置き、辻に視線を向けた。
「問題なのは、その建造ラッシュが海軍計画の『HI作戦』と被らないか、です。HI作戦完遂には、ハワイと西海岸の制海・制空権確保が重要。もし米海軍が驚異的なスピードで建造し、僅か1年足らずで艦艇を投入してきた際、果たして我々が戦えるかどうか……」
HI作戦は対米戦争の根幹を成す一大作戦であり、戦争の早期終結を狙いとする試みである。しかしこの作戦を成功させるには海軍によるハワイ近海の制海・制空権確保と西海岸の通商破壊が前提であり、これらには米海軍太平洋艦隊の殲滅が必要不可欠であった。帝国海軍は現状、旧式艦を含めた空母代艦として新鋭の『鳳鸞』級航空母艦計6隻と凍結した『葛西』型護衛空母計16隻の再建造を計画、実行に移している。北方植民地経営と資源開発で疲弊する国庫には大変な負担ではあったものの、シーレーン防衛と機動戦力の速やかな補充は最重要課題であり、帝国議会も容認せざるを得なかった。
「1年を耐えるのも楽ではなさそうだな」辻は言った。「北方の一件もある。カムチャッカ半島の要衝コルフを押さえられた以上、米軍の半島南下は避けられんだろうな。マガダン州国境からの侵攻もあるだろうし、北方は一度、米軍の手に堕ちるかもしれん……」
事実、米軍は開戦から2日後にはチュクチ方面に展開していた兵力の大部分をコルフに向けて差し向け、南下を続けている。その直後、シベリア社会主義共和国の対米宣戦布告によって一旦、兵力の引き戻しが図られたものの、カムチャッカ方面における米軍戦力は相当なものだった。これに対し、カムチャッカ方面軍総司令官の栗林忠道陸軍大将はインフラ破壊、ブービートラップ、そして航空打撃とゲリラ戦法による遅延戦術で米軍の動きを鈍化させ、要塞防衛線の再構築・増強を急ピッチで進めていた。完成すればかなりの期間、米軍の足を止めることが出来るだろう。
「しかし問題は内地だ。米軍が意表を突き、北海道に上陸する可能性は捨て切れん。こうなると本土居残りの戦力引き抜きが困難になるからなぁ」
と辻が愚痴ると、品川は首を振った。
「実はそのことなのですが……。先日、ベルン市内のOSSを監視していた所、どうやら米本国が東海岸防衛に全力を尽くしており、諜報活動のターゲットから英仏を省き、独伊に集中させることを軍上層部から指示されているようなのです」品川は言った。「OSSベルン支局長のアレン・W・ダラスとホワイトハウスのホットラインを傍受した結果です。確かな情報と見て先ず間違いないでしょう。分析課の報告からしましてもそうですが、結論としては今後1年程度、少なくとも3~4ヶ月は米軍による本土上陸作戦は無いとみて正しい筈です」
「……確実な情報という訳ではないな。そうなると大本営は動かんぞ?」辻は言った。「上は以前の『日ソ戦争』でソ連が引き起こした“失態”を再び被りたくないのだろう。もし万が一、また宮城が更に延焼するようなことがあった場合、『大和会』は皆切腹に違いあるまい」
品川は頷いた。
「対外諜報部長の名にかけて保障します」
「……分かった。石原閣下を通じて働きかけよう」
実は『帝機関』――しいては大日本帝国とスイスの関係は概ねの妥協が許されたものだった。スイス国内における諜報活動もスイス情報局による支援を受けつつ行われ、OSSを始めとする各国諜報機関の情報の電話傍受、郵便物の監視も容認された。その妥協の由来には1945年の『日ソ戦争』終結が絡んでいた。終戦後、建国された永世中立国ユダヤ自治共和国の国民の大半が欧州におけるホロコースト――史実程ではないが、EUの知らぬ所で行われた――で故郷を追われ、シベリア鉄道を介して亡命してきたユダヤ人達なのだ。そんな彼らの多くはスイスの銀行各社に金を預け、命からがら亡命してきた訳である。また銀行としてはお得意様のユダヤ人の資本家達に対しても大日本帝国は顔が効くため、日本に対する関心・ひょうかがたかまってきたのだ。
この永世中立国化だが、実は満州国でも提案されている。満州国はスイス同様、有数の経済中心地であり、小国ながらも圧倒的な力を秘めていた。多数の外国資本が加わり、経済的にも重要な地たる満州国である。だからこそ米軍の戦略爆撃も無く、平和を謳歌しているのだ。しかし戦争中の現状としては兵器工場等の撤去もままならず、手続きや対外イメージにもかかわってくる。よって満州国の中立国化は当分先になりそうだった。
1947年3月。かくしてスイス首都ベルンにて繰り広げられる各国の諜報戦争は苛烈さを増していく。米国OSSはドイツ、イタリアの動向監視を徹底。一方、ドイツとイタリアはOSSやMI6の監視強化を進めていった。また『帝機関』スイス-ベルン支局はスイスで得た情報を辻経由で本国まで回し、本土駐留予備兵力の前線投入に際し、適当な材料として使用していた。
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