第140話 トルーマンのサプライズ(前)
第140話『トルーマンのサプライズ(前)』
1947年2月11日
大日本帝国/東京都
その日、1943年の『帝都空襲』による戦災を免れた宮中の一角たる『東一の間』において、国策を決定する重要会議――『御前会議』が行われようとしていた。その室内には第41代内閣総理大臣の東久邇宮稔彦王を筆頭に、国務大臣の計16名、宮内大臣、枢密院議長の鈴木貫太郎、枢密顧問官、参謀総長の石原莞爾陸軍大将、参謀次長の小畑敏郎陸軍中将、軍令部総長の山本五十六海軍大将、軍令部次長の柳本柳作海軍中将らがテーブルを取り囲むようにして座り、昭和天皇のご臨席を粛々と待つ。
と、集合から数十分ほど経った頃、東一の間の襖が開け放たれ、昭和天皇は遂にその姿を現した。対して御前会議の面々は、粛然と頭を垂れた。一方、昭和天皇は厳然たる足取りで歩を進め、金屏風の前に設けられた席に着く。そして一同を俯瞰すると、静かに口を開き、労いの辞を述べた。
安堵する暇も無く、立ち上がったのは第41代総理大臣の東久邇宮だった。
「陛下。昨日の一件は、思わぬ方向へと向かいつつあります」
「ふむ……。して、その方向とは?」
両指を組ませ、涼やかな瞳で見据える昭和天皇。その表情には覇者たる者の余裕があった。だがしかし、次の東久邇宮の発言により、その余裕はいとも容易く崩れ去るのだ。
「……本日未明、アメリカが我が国への石油・鉄の輸出を停止しました」
「なっ……!」
駭然として、その眼を見開く昭和天皇。そこにそれまでの落ち着きは無かった。
「一体、どういうことなのだ」
怒気の混じった言葉に一同は騒然とした。
「……陛下も昨日の『北方事変』を御高承のことと思われます」東久邇宮は言った。「その一件は米海兵隊1個師団の奇襲攻撃により、カムチャッカ領ベーリング島が戦争行為を受け、米軍の手に堕ちました。我々、大日本帝国政府は米政府にそのことを抗議し続けてきたのですが、思ったような成果を挙げられず……。ワシントンの領事館も、外務省も抗議の通告を出しましたが、米政府は耳を貸そうともしませんでした。ですから、我々は聯合艦隊を同島海域に展開し、海上封鎖を実行に移したのです……」
「まさか、これがその結果というのか?」
「仰る通りです」
軍令部総長山本五十六大将は毅然と語った。
「聯合艦隊と海上護衛総隊による海上封鎖作戦の結果、米海軍の艦隊は一時、同海域からその姿を消しました。しかし、米海軍は更にアラスカから戦力を引き連れ、同海域に戻ってきたのです。相手は空母と戦艦を主力とするアラスカ艦隊で、海上封鎖はその艦隊の出現によって意味を成さなくなりました。米海軍は輸送船団を、空母4隻と戦艦8隻によって守らせ、強襲輸送を行っているのです」
「そして――交渉決裂か」
昭和天皇は言った。「これは制裁措置なのだな?」
その言葉に対し、東久邇宮は頷いた。「米政府は制裁措置の解除として、ベーリング島の領有権と、アルゼンチンに配備された帝国陸軍義勇部隊の撤退、そしてアルゼンチンへの支援の全面中止を要求してきました。更にカムチャッカ地方に併合したコリャーク民族管区と、カムチャッカ国境の要塞放棄、中立地帯の設定を要求。また先の『米ジャーナリスト拘束事件』やベーリング島の不法占領行為の賠償として、多額の賠償金を要求している状況です。これを横暴と言わず、何と言うでしょうか」
「まあ、落ち着くのだ」
憤然と語る東久邇宮を昭和天皇は宥めた。
「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに……」
「そもそもはアメリカの横暴が悪いのだ。全て汝の責任という訳ではない」と、昭和天皇は励ますも、聯合艦隊による海上封鎖という“口実”を与えた東久邇宮の失策を許しはしなかった。「だが今回の一件がこのような大事に至ったのは、露骨な措置による所が大きい。その所、よく考えておくように」
「はっ……。申し訳ありません」
何度も頭を下げる東久邇宮に、昭和天皇は首を振った。
「この国難を前にして、汝は朕に謝り続けて時間を疎かにする気なのか? そう頭を下げるのはよせ、今は他にやるべきことがあるだろう?」
米国による石油・鉄供給禁止は現在の大日本帝国に対しては大打撃に他ならなかった。無資源国家として、海洋貿易で成してきたこと大日本帝国は、その資源を他国からの輸入に依存している。特に石油・鉄は国家・軍の近代化、維持にとっては無くてはならない貴重資源であり、大日本帝国は戦前からその大部分をアメリカに頼ってきていた。近年ではEUのドイツやイタリアから、コーカサスといったソ連占領地で産出する石油・鉄鉱石をシベリア鉄道等によって輸入しているが、その量は十分とはいえなかった。そのため、もしここでアメリカが石油・鉄の輸出全面禁止を敢行するとなれば、大日本帝国の発展は一気に失速し、国防にも関わってくるのは間違いなかったのである。
「中島軍需相、石油・鉄の国内備蓄は如何ほど存在するのだ?」
昭和天皇によって指名された軍需省大臣の中島知久平は起立する。
「はい陛下。現在、我が帝国が保有する国内石油備蓄量は約1250万t。鉄鉱石に関して言えば、前年度は約2300万tの生産量を記録しております。この量はドイツやアメリカに対すれば微々たる量であると、言わざるを得ませんが、それでも過去最大高の生産・備蓄量を誇っております」
1940年以前、大日本帝国は年間400万tの石油を消費していた。それから7年、『日ソ戦争』を経て急速な発展を遂げた大日本帝国の石油消費量は、現在では年間700万tにも及んでいる。そのうち、米国から輸入する石油は約350万t。対して国内生産量は180万tと、北樺太の『オハ油田』や国内油田の開発によって1941年度の大日本帝国の石油生産量から約9倍近くに膨れ上がってはいる。が、これだけの量でも年間消費量の半分も満たせるものではなかった。またEUからの輸入にしても、EU各国による石油消費が増加したこともあり、アメリカからの依存は避けきれないことだった。
「うむ。それでアメリカからの禁輸となると、どうなのだ?」
「問題であることは確かです。しかし、シベリアとドイツ、オランダ、イタリアからの石油・鉄鋼輸入量を増やせば、解決出来ないことではありません」
「中国からの輸入は出来ないのか?」
昭和天皇は訊いた。
「……無理でしょう。現在、中華民国はモンゴルと中国共産党、そしてシベリア社会主義共和国からなる“共産主義陣営”との戦争に明け暮れております。我が国はその両国に対し、旧式兵器や食糧等の輸出を行っている訳ですが、両国とも資源不足に喘いでいる状況と聞き及んでおります」
1946年から始まった『国共内戦』――はEU加盟国である中華民国と、ソ連崩壊後に敵対関係を再開した中国共産党、同じくEU加盟国であるシベリア社会主義共和国、モンゴル社会主義共和国との紛争であった。1943年の毛沢東の死去を機に、その指導者をNo.2だった王明に移行した中国共産党は『日ソ戦争』終結とともにモンゴル国内に潜伏。モンゴルやシベリア政府から支援を受けてその力を蓄え、1946年を以て中国本土に進出、反攻を開始したのである。
そんな日共内戦の背景にあるシベリア、モンゴルの社会主義陣営による中国共産党支援だが、実はその裏には――大日本帝国とドイツの影があった。日独両国はシベリアに中国共産党の活動資金・兵器・物資等を提供し、シベリアがモンゴルを介して中国共産党にそれを供給していたのである。これは対中政策として行われたもので、中華民国への中国共産党に対する抵抗運動を維持させ、中国の国力を弱体化させる狙いがあった。
ソ連亡き今、EUの傀儡と化したシベリアだが、事実上は世界の社会主義勢力を束ねる中心国の地位を保っていた。モンゴル、中国共産党を始め、東欧諸国(独立するも実情はEUの傀儡国であり、現在では民主化が進んでいる)、そして世界各国に展開する共産主義・社会主義政党を束ねる存在でもあり、思想のよりどころという側面も持っていた。
そもそもEUから不平等な賠償請求や領土割譲を受けたとはいえ、シベリア社会主義共和国の国力はある程度は残っていた。AA線(アストラハン=アルハンゲリスク)以東からサハ共和国に広がる領土には、石油・石炭・鉄鉱石・ダイヤモンド・金・銀・アルミニウム・ボーキサイトといった戦略資源が豊富に眠っており、特にサハ共和国は比較的未開発の土地だったこともあり、シベリアやEU、そして大日本帝国の経済発展に大きく寄与することとなった。ソ連誕生によって国有化された産業の多くが民間に開放され、EUを中心に海外企業からの大規模投資が始まったのだ。その結果、未開拓だった油田・ダイヤモンド脈・鉱脈等が次々と発見され、それに伴い地元地域の経済にも様々な恩恵が降り注いだ。
またソ連時代から続く多大な人的資源も国力回復に貢献した。旧ソ連領から疎開し、気候や土地の問題から農地を失った農民達は工場や鉱員として駆り出され、利権によって私腹を肥やしてきた旧ソ連時代の政治犯達は、昔と同じように強制収容所での労働が行われていた。彼らの労働は主にインフラ整備で、道路、鉄道、水路等の建設に携わったのである。
そんなシベリア社会主義共和国が抱える最大の輸出貿易国こそ、大日本帝国であった。シベリア――特にサハ共和国が保有する多大な資源は、近代化を推し進める大日本帝国にとっては必要不可欠であり、値段も他国に比べて融通が利いたこともあって、シベリアはお得意先として重宝されたのである。そして現在、大日本帝国の石油輸入量の約20%近くをこのシベリアが支えていたのだ。
「だが、EUからの輸入量と国内生産量で賄えないことはないのだろう?」
そう言ったのは、国務大臣の近衛文麿だった。彼は『大和会』のメンバーであり、同じくメンバーで閣僚の米内光政海軍大臣から直々にこの役職への就任を要請され、受諾した人物でもあった。
「それはそうだが、その後はどうする気なんだね?」知米派で、英国オックスフォード大学の留学やワシントンDCでの駐在経験を持つ陸軍大臣の田中静壱陸軍大将は、近衛に対して訊ねるように言った。「一時的にEUから石油供給を増加するのはよかろう。だが、それから1年2年もの間、米国から頼っていた莫大な石油をEUから輸入し続けられるのか? 只でさえ、EU内の権力闘争や植民地の紛争で荒れているのだ。それに、ドイツやイタリアは信用ならんと言っても、嘘にはなるまい」
「それに、米国から依存しているのは何も石油や鉄だけではない。航空部品に工作機械、ボーキサイトや食糧類に関しても、我が国は依存している」
それに米内が付け加えた。
2人の言葉に頭を垂れる近衛。そんな彼に助け舟を出したのは、軍需相の中島だった。
「しかし、近衛国相が仰られることは最善の策でもあります」中島は言った。「要求を呑めば、我々はアルゼンチンから手を引かざるを得ない。そうなるとドイツからの石油供給を始め、折角増加している拘束機械や兵器部品等の供給量が落ち込む――いえ、最悪の場合は全面停止も有り得ない話では御座いません。とはいえ、石油の問題だけでいえば、石油生産量は東欧と中東地域で進んでおり、既に中東では何百億バレルという推定埋蔵量を誇るであろう大油田が何箇所も発見されている現状です。しかも満州では、既に大油田が1つ発見されており、イタリアの石油採掘企業と協同での開発が始まっています。他の戦略物資もEUの各国から得られるでしょうし、これを機に米国から輸入依存を完全に払拭する、という方策もまた1つの成功に繋がるのではないかと」
EUによる『世界ブロック経済政策』は、結果としてアメリカからの依存に頼らない枢軸国を生み出すことへと繋がった。多種に及ぶ戦略物資を際限なく確保することが可能となり、それによって軍備拡張や経済発展も自由に推し進めることが出来た。
そしてそこで生まれた問題が――“孤立するアメリカ”である。世界の経済圏から排除され、弱体化を続けるアメリカ合衆国。そんな窮地に追い詰められたかの国が編み出したのがAU――『アメリカ連合』構想だった。それはアメリカ合衆国を宗主国とし、カナダと南米、中南米諸国を一挙に併合、支配するという独自経済・居住圏の開発構想である。そして現在、その構想を実現させるべく行われていることこそ、アメリカの傀儡国たるパラグアイと、アルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの反米3ヶ国同盟との戦争であった。1946年から始まった同戦争は当初、パラグアイとアルゼンチンによる全面対立のみに留まっていたが、アメリカからの支援もあって巻き返しを図ったパラグアイがブラジルへと侵攻――領土拡大とブラジル領からの侵攻によるアルゼンチンへの勝利を目指した――かくしてブラジルが参戦し、同時に同盟関係のウルグアイも加わったのだ。戦争は苛烈さを増していた。
そこに来ての今回の一件は、そんな膠着した南米戦線を打開するための策か。若しくは衰退の一途を辿る米国経済を打開するための策であったのだろう。突如、米国は大日本帝国領たるコマンドルスキー諸島ベーリング島に侵略行為を行い、米海兵隊を以て占領してしまったのだ。それは米ジャーナリストや、こんな小島を本気で得ようと考えて行ったこととは到底思えない。それはこの御前会議に出席する一同を始め、日本国民や国際世論、そして米国の有識者達も当然理解していた。
「むしろ問題なのは禁輸ではなく、この裏にあるアメリカの思惑でしょう」
参謀総長の石原莞爾大将は言った。「現在、米国はEUによる世界規模の経済制裁に遭っているような状況で、これを打開すべく企てているのが、我が大日本帝国との戦争です。恐らく米国は今回の一件を口実に我々に戦争を行わせるよう仕向けるか、若しくは米国内の世論を先の『米ソ戦争』のように誘導し、開戦を図るつもりなのでしょう」石原は言った。「その場合、まず想定すべきなのは紛争の拡大です。牟田口大将率いる第十六方面軍は2個師団を以て同島奪還を目指しておりますが、この行為は逆に米国への戦争拡大を口実として与えるに過ぎません。何しろ、我が国はベーリング島だけではなく、北方の大陸上でも米国と国境を交わらせております。ここに侵攻を開始されるのは、時間の問題」
更に石原は続けた。「そして防衛に関して言っても、陥落するのは必然でしょう。となると重要なのは、国境線戦力の増強と米国に対する戦争行為への口実を与えないという2つです」
「うむ。して、そうなるとやはり聯合艦隊を撤退させるべきか?」
石原はその昭和天皇の言葉に首を振った。
「そのような行為をすれば、米国を付け上がらせ、国際社会の地位を失うばかりです」
「では、どうせよと?」
「まずは北方の戦力増強、これに尽きます」石原は言った。「そして次にベーリング島を放置することです。しかし禁輸は甘んじて受けようとも、聯合艦隊による海上封鎖は続行して頂きたい」
「何だとッ!?」
その石原の発言に、不満を漏らしたのは米内だった。「貴様、ふざけおるのか。何故、禁輸措置解除の条件を甘んじて受け、聯合艦隊の海上封鎖を続行させながらも、島の奪還を図らん!? それでも損に損を上塗りしたようなものではないかッ!」
米内を見据え、石原は冷静に語る。
「……今回の一件のアメリカ側の大義名分は、拘束された米ジャーナリスト達の解放と、ベーリング島の領有権。大義名分の一つであるジャーナリストの解放が実現された今、残る大義名分はベーリング島の実行支配と領有権だ。だがそれをやれば、我が帝国の権威は失墜し、対日姿勢も過小評価されて米国はますます付け上がることになるだろう。事実、カムチャッカ地方のコリャーク民族管区の領土問題はまだ残されておる。そこで要求を呑み、要塞放棄やら中立地帯を認めるなどということを決めてしまうなど、まるで泥棒のために玄関の扉を取っ払ってやるようなものだ。米側が次なる一手としてそこを突き、戦争へと誘ってくるのは見えた話だ。だからこそ、島にアメリカの民間人などが上陸しておらず、米海兵隊のみが上陸した形となる今、海上封鎖をして米国の船を一切近付けさせなければ、国際世論や米国世論からとやかく言われる筋合いはなくなる」石原は言った。「民間人を意図的に餓死させれば“虐殺”だが、兵隊を意図的に餓死させればそれは敵を減衰させる“戦略”だ。アメリカが戦争行為を仕掛けてきたという事実がある以上、それをやっても文句を言われることはあまりなかろう」
と、米内に語った後、石原は昭和天皇の方に顔を向けた。
「……陛下、あの島に戦略価値は存在しません。あの島に程近いアリューシャン列島には米軍戦力は少なく、本命はアラスカに配備されているからです。ですから、ベーリング島などむしろアメリカにくれてやれば宜しいのです。禁輸を甘んじて受けつつも、それを血の代償という形で払わせる。例え軍艦であろうが飛行機であろうが、あの島に人と物資を送り込ませるようなことはせず、粛々と続け、島内の米兵を飢餓の苦しみの中で死なせるのです。それが、今は靖国に眠るベーリング島守備隊の兵士に対する最高の手向けになるではないかと、私は考えております」
石原の話を聞いた昭和天皇は、厳然とした表情を浮かべて訊ねた。
「……石原よ。汝はあの島に価値は無いと申すが、守備隊兵士らの家族らはどうか? 家族らは島に眠る今は亡き夫の、息子の、兄の、弟の遺骨を取り戻したいとは考えぬ、と申すであろうか? そして今もなお、島内で抵抗を続ける守備隊兵士らの家族がその帰還を望まぬ、と申すであろうか?」
「申し訳ありませんでした……」
石原は静かに謝罪し、頭を下げた。
「しかし統計上、我が大日本帝国がアメリカとの戦争に至った場合の資料は看過出来ないものがありまして……」石原はそう言い、1枚の書類を取り出した。「『帝機関』及び『総力戦研究所』がシミュレートした統計によると、アメリカは最大で約1500万名もの兵員を動員することが可能です。あのソ連でさえ1300万名ですから、この数字が如何に巨大かは当然お分かりでありましょう。対して我が大日本帝国は、最大でも900万名程度が限度でございます。中国が内戦中であること、そしてEUが中国を次のマーケットとして睨んでいることもあり、米国が中国大陸に直接侵略を仕掛けてくることが無いと考えられ、もしそうなってしまうと4年前のような合作を組むことは出来ない筈です」
そして石原は言った。
「そして恐ろしいことに、それらの事実と複数の『帝機関』諜報員が掴んだ情報を整合してみると、米国の攻撃目標は――此処、本土なのです」
「それは誠か……!」
昭和天皇は瞠目し、石原に訊いた。
「誠であります。これは事実です」石原は言った。
「……米内よ。そうなのか?」
「陛下、それは事実で御座います」米内もまた、それを事実だと認めた。「先日、海上護衛総隊の哨戒船が千葉の九十九里浜や、東京湾の沖合いにて、米海軍の潜水艦の存在を確認しております。また北海道でも、米潜水艦が多数目撃されており、更に海軍機や陸軍機による領空侵犯も度重ねて続けられている状況です。恐らくは、上陸地点の下見にでも来ているのでしょう」
かくして驚愕の内容を知らされた昭和天皇だったが、更なる驚愕の現実が既に迫っていたことなど、その時点では微塵も脳裏には思い浮かばなかったことだろう。それは1947年2月13日昼過ぎに勃発した日米海軍による初の激突――通称『ベーリング島沖海戦』と呼ばれる海戦の発端であった。
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