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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第10章 戦前の大和~1946年
140/182

第134話 戦争の荒鷲を解き放て(前)

時空戦艦『大和』Wikiを開設しました。


http://w.livedoor.jp/goring/



現在鋭意製作中。ご意見・ご要望(例、兵器諸元や作品設定等)頂けましたら、積極的に更新記事として採用していきたいなと思っております。

 第134話『戦争の荒鷲を解き放て(前)』



 1946年11月3日

 アルゼンチン共和国/ブエノスアイレス


 ブエノスアイレス中央部に位置するアルゼンチン大統領官邸『カサ・ロサダ』――スペイン語で『薔薇色の館』の意――。その日、11月2日、そのカサ・ロサダは――爆破テロを受けた。狙いは第29代亜大統領フアン・D・ペロンの暗殺だった。

 その実行犯たる男は、隣国にして親米国、そしてアルゼンチンにとっての現在の敵対国たるパラグアイ出身の男だった。彼は首都ブエノスアイレスでも有名な時計技師を務め、度々、このカサ・ロサダにも時計の修理のため、出張を繰り返していた。それが今回の事件の仇となったのだろう。憲兵もスタッフも、彼について疑おうとする者は一人もおらず、彼が大統領寝室でただ一人となる環境を作らせないこともしなかった。そしてその結果、男は易々と寝室内の時計の1つに特製爆弾を仕込み、尚且つそれを起爆させることが出来たのである。

 幸いにして、ペロンは死を免れた。彼はEU(ヨーロッパ同盟)への再三に及ぶ加盟要求を突き付けるため、フランスへと出張に赴いていたのだ。いや、その点はパラグアイ人の男も良く理解していた。綿密に立てられた計画上では、ペロンは11月2日の早朝に帰国し、そのままカサ・ロサダで一日中、就寝に着くだろうと予測していたからである。ところが、ペロンはヨーロッパ出張から戻った時差ボケを解消するため、大統領官邸ではなく首都内のホテルへと向かったのだ。そして時限式の爆弾は起爆、カサ・ロサダは爆発によって甚大な被害を受け、数十名の死傷者が出たが――ペロンは死を免れたのだ。

 だがしかし、ペロンの憤怒は収まり切らなかった。当然だろう。もう少しで爆発に巻き込まれ、暗殺される寸前だったのだ。彼が怒らない道理というものは無かった。ペロンは実行犯であるパラグアイ人を裁判に掛け、今回の一件を『パラグアイ政府の陰謀』だと主張した。そこに明確な裏付けはない。そもそも裁判自体、形のみに過ぎず、真実はどうのこうのということはどうでも良かったのだ。“目には目を”、“命には命を”――である。



 アルゼンチン国家憲兵隊の憲兵達が監視の目を光らせる中、在亜ドイツ軍事顧問団団長兼ドイツ南米義勇軍総司令官のエルヴィン・ロンメル元帥は、アルゼンチン大統領官邸『カサ・ロサダ』の大統領執務室へと歩み寄った。ロンメルは大勢の憲兵が警戒の目を光らせる中でドアノブを握り、小さく扉を開け、そして執務室内に居た男――フアン・D・ペロン大統領に軽く会釈を交わした。

 「ペロン大統領閣下」

 ロンメルは静かに告げ、彼の機嫌を伺った。何しろ、ペロンはつい先日、パラグアイ人の手にかかって死――を迎える筈だったのだ。そんな状況に嫌悪を思わせる、万人を近寄らせ難い狂気と怒りの入り混じったその表情は、誰かを粛清してやらねば収まらないだろう。

 「……うむ。ロンメル元帥、よく来てくれた」

 ロンメルは小さく頷くと、口を開いた。

 「閣下、今回の一件は誠に災難でしたね」

 「災難……か。まあ、そうなのかもしれんな」ペロンは言った。「それでロンメル元帥、ドイツ本国のヒトラー総統とも直接ホットラインで意見を交わしたのだが、やはり“開戦”は避けられぬよ。君としては不本意かもしれないが……」

 と、心配そうに告げるペロンに対し、ロンメルは首を振った。

 「私は軍人です。責務を果たすのが与えられた仕事であって、政治的問題に首を突っ込むのが仕事ではありません」ロンメルは言った。「ですから、戦争となるのならば、全力を以て閣下とアルゼンチン陸軍を支援し、パラグアイとの戦いを勝利に導きたいと思っています」

 とは言うが、ロンメルの真意にはナチス・ドイツ政権下における政治的配慮が組み込まれていた。でなければ、ヒトラーの統べるドイツ第3帝国では生き残れないからだ。国防軍の軍人として、ナチスにも属さず、あくまで騎士道精神に則った戦いこそが真のドイツ軍人である――という独自の価値観を持つロンメルは、まず政治に無頓着であった。が、ゲシュタポやSSの跋扈するドイツ国防軍内において、多くの友人や部下、上官達が粛清されていく光景は見慣れていた。だからこそ、彼は知っていた。このナチス・ドイツという名の“官僚王国”では、政治面にも通じなければ生きていけないことを……。そしてそれを怠り、不利益な人間であると判断されたことが即ち“死”に繋がることを……。だからロンメルは、ドイツ軍人としての尊厳を守りつつ、ナチスに対してもある程度は配慮することを覚えたのだ。

 「その言葉、感謝する」

 ペロンはそう言い、深々と頭を下げた。



 とはいえロンメル自身、この現状が政治的思惑によってなされた“左遷”――であることを十分理解していた。何しろ2年前の『欧ソ戦争』までは、EU軍中央方面軍総司令官として隷下のドイツ軍を始め、英仏伊軍等の加盟国軍をもその指揮下に組み込み、ソ連に大進撃を続けていたのだ。その後、『欧ソ戦争』が終結すると“ソ連中央方面占領軍総司令官”という新たな役職に就き、モスクワを始めとするソ連の中央方面占領地帯に駐留する各国軍の統率に携わっていたのである。

 ところが現在は打って変わって、『在亜ドイツ軍軍事顧問団』団長と『ドイツ南米義勇軍』総司令官というよく分からない組織の責任者となった訳だから、彼に不満があったのはいうまでも無い。どんな英雄であれ、賛美と褒美は十分以上に受け取りたいものである。だが、それが中々実現しないのが英雄の現実だった。戦争で多大な成果を挙げ、祖国に貢献したという証たる勲章を得たとしても、数年後には失業者の仲間入りを果たす兵士はそう少なくない。そう――英雄は報われないのだ。

 だからロンメルは、今回の左遷に関して特に抗議することは無かった。最初聞いた時は面喰らったものの、冷静に考えれば“次”が無い、ということがよくよく理解出来たからである。左遷の次に待つのは――“死”であったからだ。話では家族諸共、親戚や友人諸共、粛清されるという。最愛の妻や子を持つロンメルにとって、それは絶対に迎えさせてはならないエンディングだった。




 ――1946年11月7日、アルゼンチンはパラグアイに宣戦布告した。 


 アルゼンチン陸軍のⅢ号戦車が対岸のミシオネス州州都ポサーダスから鉄橋を経て、パラナ川を渡河し、イタプア県県都エンカルナシオンに大挙して押し寄せたのは、11月8日のちょうど午前3時のことだった。漆黒の闇に紛れ、忍びやかに侵攻を果たしたアルゼンチン軍は、独軍製兵器を手にし、僅か数時間でこの両国国境に程近い都市を制圧したのだ。それはまさに――『第二次三国同盟戦争』を呼び覚ます、開戦の狼煙的意味合いを持つ重大な局地戦の一つであった。

 この日の午前0時、パラグアイ国境線上に集結したアルゼンチン陸軍第12ジャングル旅団の将兵は、ドイツより輸入されたMP38短機関銃を携え、装甲戦闘車輛や軍用バイク、戦車等に乗り込み、電撃的侵攻を果たした。そしてそれは――可及的速やかに行われた。空をJu87『シュトゥーカ』急降下爆撃機やMe109戦闘機が轟音を響かせて驀進し、大量の払い下げ野砲の砲撃がパラグアイ軍陣地に降り注いだ。その後、装甲偵察車輛や斥候兵、偵察機がパラグアイ領内に侵攻し、威力偵察を開始したのである。

 そして1946年11月8月午前1時、命令を受けたアルゼンチン軍は、パラグアイ領内に雪崩れ込んだのである。その兵員数は計12個師団約20万名。戦車308輌、航空機258機、重砲及び迫撃砲420門を保有している。これはパラグアイ陸軍総戦力に匹敵する規模であったが、アルゼンチン軍及び『三国同盟』に属するブラジル、ウルグアイの軍を合わせれば、軽く凌駕出来るものだった。



 しかし、パラグアイの裏には――アメリカの影がちらついていた。




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