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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第2章 戦前の大和~1938年
14/182

第14話 河豚計画

 第14話『河豚計画』

 

 

 1938年12月7日

 東京府

 

 その日、麻布区に位置する藤伊一海軍中将の私邸の前に一台の外国車が停まった。そして、一人の初老の外国人が車から降りてきた。初老の外国人の名は――レオ・シラード。ハンガリー生まれのユダヤ系物理・分子生物学者である。シラードは正面玄関の前で出迎えた使用人に案内され、藤伊中将の書斎に案内された。

 藤伊は同じ様に軍服姿の男を二名、引き連れていた。ひょろりと痩せた中柄の体格で、どこか隠退生活者の趣があり、畏敬の念を感じさせる『何か』を秘めていた。それもそのはずで、1945年をもって予備役編入され、『大和会』なる組織を一から築き上げた苦労を持つ。無論、シラードは1946年からの“時の旅行者”――とは思いもよらないだろう。シラードは藤伊の気難しげな、そして逞しさを覚えされられる彼の瞳の奥底に、得体の知れない憤りの炎を彼は見つけていた。何故だ?とシラードは思った。無礼な事でもしたのかと思っていたが、それは違った。

 藤伊は一変、瞳の奥底の炎を鎮火し、書斎に招き入れると、扉を開けて入ってきた使用人に紅茶の用意をさせ、持ってこさせた。

 10月にチェコスロバキア、ズデーデン地方がドイツ第三帝国の手中に落ちて間もなく、定職に有り付けずにその日暮らしの生活をしていたニューヨークの生活を考えれば、シラードは紳士的に迎えてくれた東洋人海軍武人藤伊の態度がとても有り難かった。

 シラードは、眼前に置かれた真っ白な陶器のティーカップを手に取った。紅茶の色が映える東洋テイストのカップは、肉厚で冷めにくい物だった。彼は久方振りの至福を噛み締めつつ、温かな紅茶を口に含んだ。全ての発端の記憶が脳裏に浮かんだ。

 イギリスには戻れず、職の当ても中々つかなかった10月の事、『日本の特使』なる男がシラードの元を訪れた。滞在先のニューヨークから、職のあったイギリス、オックスフォード大学に戻ろうと考えていたシラードだが、10月10日までを期限としたズデーデン全域の割譲がドイツに決まった後、彼は英国を含んだ動乱がヨーロッパで勃発するであろうと予測し、帰るに帰れなくなった。そんな彼に最初にアプローチを掛けたのが、日本の特使だった。当時、『日独伊防共協定』について知っていた彼は不信感を覚えつつも、特使からの話を聞いた。それは、日本における『原子物理学分野の研究』――即ち、ウランの核連鎖反応の実現だった。

 シラードは落ち込んでいた。ニューヨークでの実験は実を結ばず、10月のズデーデン地方割譲、何らかの変化を得たかった。とにかく彼は、ドイツ以外の国が先に原子爆弾を保有する事を望んだ。特使は『国家規模の計画』と言い、『満州国』と呼ばれる国での勤務だと告げられた。シラードは満州国を知っていたし、そこに日本が『ユダヤ人自治区』を創ろうとする計画を少なからず耳に入れていた。亡命したユダヤ人科学者達も居る、と言った特使の言葉に、シラードの心は決まった。ドイツより先に核連鎖反応を実現出来るのでは?と考えたシラードは満州国での核計画の参加に合意したのだ。

 

 

 永遠の居住先だった筈のイギリスにああいう仕打ちを受けた後だけに、シラードは伊藤と日本政府の丁重で親切な態度がとてもありがたかった。純粋な研究意欲からか、それともユダヤの同胞達を助けてくれた恩義からか、はたまた同好の士だと見て取ったからなのか。伊藤は純粋な知識欲と、同胞の救済、そして第三帝国への対抗馬と、その3つ全ての観点を合わせて我々に協力したのではないかと考えていた。複雑なものだが、原爆計画には彼の存在が大いに役立つ。

 「如何ですかな、日本は?」

 藤伊中将が英語を話せると知って、シラードは喜んでいた。これまで会った軍人の中では、有数の教養を持っていると察したからだ。少々ヤンキー訛りながらも丹念な英語は、渡米経験を示す証拠だった。シラードが洞察する通り、伊藤には駐米経験があった。1927年、伊藤は米国日本大使館付海軍駐在武官として米国に派遣されていた。その当時はアナポリスから出て間もない卒業生、レイモンド・A・スプルーアンス海軍中佐と親交があった。史実では後に、彼等は戦場で再会する訳だが、今物語では違う。敗戦後、スプルーアンスは個人的な私用として伊藤と再会し、一夜を飲み明かした。

 「美しい国だ。ヨーロッパの景勝地とはまた違った美しさだ」シラードは言った。「貴方がたの下で研究が出来るのを、1日も早く望みます」

 学者らしい熱心さだが、同時に伊藤は1つの記憶を呼び覚ました。1945年8月、広島・長崎に落とされた原子爆弾の生みの親はJ・ロバート・オッペンハイマーだが、その親を生み出す親となったのが――レオ・シラードだった。

 1939年、ドイツへの危機感と知識欲を覚えた彼は、アルベルト・アインシュタインとともに、時のアメリカ合衆国大統領、フランクリン・D・ルーズベルト宛ての、原子力と軍事利用の将来性を説いた手紙を出した。当初はアインシュタインもシラードも、米国に原子爆弾を造らせる事には合意しかねていた。しかし、ドイツが原子爆弾を完成させるのは時間の問題だろうと考え、焦りから彼等は手紙を大統領に渡す事を決断した。それから6年後、数十万人の人間が死、病、被曝等で人生を狂わさせられる事となる。全ての種を撒いたシラードも、最終的には原爆投下に反旗を翻したが、結局聞き届けられる事なく、広島・長崎は核の炎に焼き尽くされた。

 そんな未来を微塵も知る由のないシラードに、伊藤はやりきれない憤りを覚えていた。

 「落ち着きなさい」

 肩に手を置き、山本は言った。伊藤の気持ちを察したのか、シラードの前に躍り出て、話は全て自分をお通し頂きたいと言った。

 山本が英語に達者なのは、伊藤もよく知っていた。日常的な英会話の機会が失われたとはいえ、十分に会話出来る程のレベルに達していた。

 

 

 前日、五相会議の折に決まった事を伊藤が話すと、シラードは大いに喜んだ。その決まった事とは――『猶太人対策要綱』と題する日本の対ユダヤ指針が定められた事だった。

 「それは真ですか?」シラードは訊ねた。

 猶太人対策要綱とは、ユダヤ人排斥が非人道的な、人種平等の精神に合致しないというものだった。ただ、方針のメインは純然たる人道的政策の事ではなく、日本や満州国の権益を中心とした政治色の強いものであった。2年後に東京オリンピックが控え、聖火ルートに入るとはいえ、満州国経済も先細りを見せていた。それに11月の『水晶の夜』から、ドイツと関係を持つ日本は、米英からの圧力が少なからずあった。それに対応すべく、ユダヤ資本の導入を願ったのが、この政策の真髄だった。

 シラードが11月の水晶の夜を聞いたのは、太平洋上の事だった。ラジオから漏れる声は、ナチスドイツ――第三帝国で繰り広げられた反ユダヤ暴動は、酷いものであった。ルーズベルトのみならず、シラードもこれに激怒し、憤りを露にしていた。

 しかし、これに何か意見を述べはしなかった。

 「本当です。我々は来年までに、少しでもユダヤ人を満州に入れたい」山本は言った。来年、即ち1939年には第二次世界大戦の発端を生む、独ソ両軍のポーランド侵攻が待っていた。9月1日に始まるその戦争までには、伊藤はユダヤ人を一人でも多く満州国に入れるか、ヒトラーを日本に招き入れてドイツ海軍の重巡洋艦『プリンツ・オイゲン』と戦艦『大和』を見せたかった。そして未来を話し、総統にポーランドへの侵攻を心変わりさせたかったのだ。そうすれば、諸外国にユダヤ人を強制移住させているドイツに対し、比較的優秀且つ即戦力となるユダヤ人を回してもらえ、尚且つ戦争に突入しないので、ソ連経由でユダヤ人を満州国に入れる事が出来た。

 

 

 計画の根幹には、元の歴史でも進んでいた『河豚計画』があった。河豚計画は、『在支有力ユダヤ人の利用により米大統領及びその側近の極東政策を帝国に有利に転換させる具体的方策について』という長い表題の付いた計画書である。これは米国や世界のユダヤ資本を満州国に牽引し、アメリカ経済での大きな影響力を持つ事により、米国の対話を有利に進める為の策だった。

 ロスチャイルド家等、アメリカ経済はユダヤ系財閥によって支配されている――と計画者達は考えていた。同時に、ヨーロッパではナチスドイツの急激な台頭によって故郷を追われたユダヤ人が多く、助けを必要としていた。計画は、そのユダヤ人の経済力の恩恵を日本が享受するとともに、アメリカからの信用を獲得し、資本を引き入れ、『満州国』という国家の存在の既成事実を創る事にあった。当時としてはこれといった資源も見つけるに至らず、国際的な孤立から満州国の経済の成長具合は目に見えていた。故に、海外資本が必要だったが、アメリカやイギリスはそれを良しとしなかった。自分達の手で満州国、そして中国大陸を支配したかったのだ。

 そこでヨーロッパから方々に散らばるユダヤ人を招き、世界のユダヤ資本を投下させようとした。そして、日米打開の糸口を見つけようとしていたのである。

 しかし、最終的にはユダヤ人自治区まで作ろうとしたこの計画は――突如、消滅する。1940年9月27日、『日独伊三国軍事同盟』が締結されたからだ。

 そもそも、それまでの経緯の中で、既に計画は破綻していた。当計画の対米戦略上で重要視された人物、スティーヴン・サミュエル・ワイズ世界ユダヤ人会議議長――米政財界有数のユダヤロビーにして、ルーズベルト大統領の側近にして、反日家――は日本を全く信用せず、満州国移住計画――『河豚計画』には賛同しなかった。そして三国同盟は成立し、河豚計画は破棄された。

 伊藤がこの『河豚計画』を実現させる糸口だと考えたのは、ラビ――スティーヴン・ワイズを何とかする事だった。計画成功は日米関係の強化、米資本の参入、国内産業の活性化に繋がる。ワイズはユヤダロビー――即ち、数百万といるユダヤ系アメリカ人から成る組織だった。人口にしてみれば取るに足りない数だが、ユダヤ系アメリカ人の地位は高かった。実業家、政治家、大学教授等々、上流階級層に多く、社会的影響力は高かった。それ故、大統領選においては数%の人口ながらも、組織化され、社会的発言力の強いユダヤロビーは、その数十倍の票を獲得出来るも同然の存在だった。その中の最右翼が何を隠そうワイズであり、ルーズベルトの側近だった。因みに、ユダヤロビーは民主党を支持し、ルーズベルトも民主党に所属していた。

 原子爆弾という巨大な計画を実現する場合、途方も無い資金・人材・機材が必要だった。そして、それを最も手っ取り早く入手する方法は、満州国を利用した米資本や世界のユダヤ資本の投下だった。1年後に迫るポーランド侵攻が始まれば、日本は過酷な状況に強いられるのは間違い無かった。ルーズベルトはヨーロッパ戦線介入の糸口を見つける為に日本に重荷を背負わせ、日米開戦を狙ってくるからだ。そんな中では、ルーズベルトの手先とも言えるワイズが『ユダヤ人満州国移住計画』を同意するのは絶望的だろう。

 「ではどうする?」シラードを宿泊先に帰した後、山本は言った。

 「方法は2つですね」伊藤は言った。「1つは暗殺。そうなれば、少なくとも変化は得られる筈ですからね。強盗に遭ったとでも見せかければ楽に殺せるでしょう」

 ただ、この案には伊藤はあまり気乗り出来なかった。大日本帝国の諜報機関は未だ未熟である。中途半端な事をすれば、必ずしっぺ返しを食らう事になるのは目に見えていた。それに、ワイズを殺した所でルーズベルトの同意が得られなければ、どうしようもないのだ。

 「もう1つは?」

 「対話――ですかね」伊藤は唸りながら言った。「とはいえ、時間を稼がれるか、最終的には断られるかの2つの可能性が高いのは確かですが……」

 ただ、計画自体は双方――大日本帝国とユダヤ人――が得をするものだった。日本はユダヤ人達に、ヨーロッパを渦巻く嵐から逃れる事の出来る安住の地――『満州国』を与えた。ユダヤ人迫害はナチスドイツ台頭以前から続く、キリスト教の悪弊だった。ナチスが1935年にニュルンベルク法を制定する以前から、世間一般的にユダヤ人の生活は制限されていた。

 しかし、神道を国家信教とする日本では、ユダヤ人を虐げる理由はなかった。



 伊藤と『大和会』による関与の下、『河豚計画』はゆっくりと、しかし確実に実現しつつあった。そして、また歴史とは異なる1940年代の中で、計画は違った結末を迎える事となるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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