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時空戦艦『大和』  作者: キプロス
第10章 戦前の大和~1946年
136/182

第130話 ヒトラーの玩具箱

 第130話『ヒトラーの玩具箱』


 

 1946年6月12日

 ドイツ/ザクセン州

 

 ザクセン州コルビッツ・レッツリンゲンには、ドイツ国防軍の演習場が存在した。その歴史は第3帝国時代黎明期である1934年から始まり、1936年には部隊演習場設置を目的に同地にあった複数の村が立ち退きを与儀無くされていた。その後は砲兵演習場として利用され、戦車砲や鹵獲兵器の試射実験が行われている。しかし、この演習場の華々しい歴史を飾る最大の出来事といえば、ドイツ軍が世界に誇る80cm列車砲『ドーラ』の試射試験であった。同地に配備された80cm列車砲『ドーラ』は大砲の製造で名高いドイツのクルップ社が開発した世界最大の列車砲で、その最大射程は48kmといわれる。その運用には、まず砲自体の操作に約1400名、防衛・整備の支援要員に4000名以上の人員数を要したが、それでもなお、『ドーラ』の運用には膨大な時間を必要としたのである。ドイツ軍が生み出した荒唐無稽な超兵器の1つであり、“ヒトラーの玩具”の1つでもあった。

 だがしかし、それはヒトラーの玩具箱に眠るお気に入りの玩具の1つに過ぎなかった。クルップ社は更なるヒトラーの要望に応え、80cm列車砲『ドーラ』を凌駕する列車砲を製造、完成させたのだ。

 その列車砲――100cm列車砲『ヒトラー』を渇望した張本人であるドイツ第3帝国総統アドルフ・ヒトラーは、砲兵演習場の原野に国防軍最高司令部(OKW)の幕僚達を侍らせて佇み、新型の100cm列車砲『ヒトラー』の巨躯を仰ぎ見た。ヒトラーの顔には連日の執務からくる疲労により、幾筋もの皺が走っていたが、その瞳はまるで新しい玩具を与えられた子供のように、爛々と輝いていた。いやむしろ、その通りなのだろう。ヒトラーにとってこの100cm列車砲『ヒトラー』は、彼の目を惹く新品の玩具の1つに過ぎなかったのである。

 そんなヒトラーの隣に立つドイツ軍需相アルベルト・シュペーアは、そんなヒトラーの取り巻き達の中では唯一、冷静且つ合理的な判断を下せる人物であった。優れた建築家である彼はヒトラーの芸術を理解出来る数少ない人間の一人であり、戦争経済を理解する人間の一人でもあった。費用対効果の関係上、80cm列車砲『ドーラ』や『V2ロケット』の必要性を疑問視していたことは、その証明の一つといえる。また部品共通化による生産効率の向上や、焦土作戦の実行等は戦史家達に高く評価される所である。一方で『強制収容所』に関与していたという事実もあり、非難する声も多い。

 だがしかし、ドイツ軍が生み出し続けた超兵器に関しては、シュペーアは非常に厳しい考えを持っていた。彼にしてみれば、『ドーラ』や『V2ロケット』などといったヒトラーが欲していた高コスト・高威力の兵器に注ぐ予算・資源の全ては、小型の使い勝手の良い兵器に回すべきだった。一方のヒトラーは常人からは考えられないほどの並外れた記憶力を持っており、敵自国軍の各種兵器の口径、銃身の長さ、射程等を明瞭に記憶し、自国軍需品の生産量もよく理解していた。が、彼はあくまで記憶力が優れているだけであって、そこからの応用は不得意であった。頭では非効率的な兵器だと理解しても、自らの嗜好がそれを阻害した。巨大に力強く、他の度胆を抜く兵器――それがヒトラーの欲するものだった。

 そしてその行き着いた先が――80cm列車砲『ドーラ』である。この世界最大の列車砲も、元々は対フランス戦用に開発されたものだが、その過程の中にヒトラーの影がちらついていないといえば、それは嘘になる。そもそもクルップ社はヒトラーに75cm、80cm、100cmとそれぞれ3つの列車砲案を提示していた。これに対し、彼が出した答えが“80cm”だった訳である。かくして誕生した80cm列車砲『ドーラ』は、当初こそフランスの『マジノ線』攻略に用意されていたが、『電撃戦』やフランス軍のあまりの弱さを前に使用されることはなかった。実戦で使われ出したのはそれから2年後となる1942年のことで、しかもその出撃回数は数えるほどしかなかったという。

 そもそも列車砲というのはこの1940年代にしてみれば、時代遅れといわざるを得ない兵器だった。この時代は航空機が急速に発展した時期である。地上に固定され、しかも移動をレールの上に制約されてしまっている列車砲よりも、空を縦横無尽に駆け回り、補填の効く爆撃機の爆撃の方がよっぽど利に適っていたのだ。

 その列車砲でも特に『ドーラ』は手の掛かる代物だった。いざ戦地に運ぼうにも、60輌の専用列車と5000名以上の要員、そして約1ヶ月前後の組み立て期間を要したのだ。それでようやく発射態勢が整う訳だが、その後も砲弾運搬や護衛、整備等に多大な労力を消費するため、ドーラは兵器としてはあまりにも非効率的だったのである。無論、要塞攻撃等に大きな貢献を成し得たことは事実である。が、それも航空戦力が整ってさえいれば、そちらに任せた方がずっと効率的なのだ。

 そしてそんな『ドーラ』を更に大型化したのが――100cm列車砲『ヒトラー』であった。

 その性能諸元は以下の通りである――。



 ■『100cm列車砲ヒトラー』性能諸元


 重量:1,600t

 全長:56.30m

 全幅:8.3m

 全高:16.25m

 要員数

  砲操作:約1,800名

  支援要員:4000名以上

 口径:1000mm

 砲身長:40.60m

 仰角:0℃~48℃

 初速:700m/s

 発射速度:1発/40~60分

 最大射程:53km



 ドイツ国防陸軍の新型列車砲――100cm列車砲『ヒトラー』は、全長56.30m、砲身長40.60m、重量1600tを誇る超弩級列車砲である。口径1000mmというのは世界初の試みであり、名実ともに世界最大の砲となったのである。というのも、これまでの歴史上最大の口径を記録するのは米国の36インチ(914mm)迫撃砲『リトル・デーヴィット』だったからだ。しかし今回、100cm列車砲『ヒトラー』はその記録を大きく塗り替え、ドイツの恐るべき技術力を証明したのである。

 口径100cmの砲弾は、重量6.4tの通常榴弾と重量8.9tのベトン弾の2種類によって構成されていた。通常榴弾は規模10m以上の巨大なクレーターを生み出し、ベトン弾は厚さ7m以上のコンクリート壁を貫通、粉砕するという驚愕の破壊力を有していた。その最大射程は53kmにも及び、偵察機との連携が欠かせなくなってくるのは明白であった。

 同列車砲は計2輌――第1輌『ヒトラー』、第2輌『バルバロッサ』――の開発が予定されており、今日こうして披露されたのが第1輌『ヒトラー』である。その金額は1輌辺り850万ライヒスマルク(砲と砲架のみ)である。この850万ライヒスマルクという金額は、当時のドイツ軍にしてみればⅥ号重戦車『ティーガーⅠ』計28輌分に相当するものであった。これが計2輌ということなので、倍の56輌分もの金額がこの超弩級列車砲開発に消えているという訳だった。因みにⅤ号中戦車『パンター』の場合であれば、2輌分の金額で計136輌に相当する。この戦車の数はドイツ軍1個戦車連隊に匹敵するものだから、100cm列車砲が如何に高価な買い物だったかが良く理解出来るだろう。そしてそれこそが、シュペーアを始めとする合理主義者達が懸念する所であった。

 「初弾ベトン弾装填完了!」

 「諸元入力完了! 砲撃準備よしッ!」

 「砲撃準備よしッ! 繰り返す、砲撃準備よしッ!」

 この日、初めて行われる試射において、100cm列車砲『ヒトラー』の砲要員達が行った砲撃準備作業の工程の一部始終は、お世辞にも手際が良いとはいえなかった。が、それも当然である。何しろ彼らが扱っているのは、重量8.9tという途方も無い重さのベトン弾であったからだ。たとえ機械を使ったとしても、最後に頼らねばならないのは人間の手である。しかしこの場に居るドイツ兵の多くは、重さ8.9tという未知なる重量を経験したことの無い人間であった。そもそも彼らは80cm列車砲『ドーラ』の砲要員であったため、超弩級列車砲の作業は一通りの経験を培っている。しかしそれでもなお、100cm列車砲『ヒトラー』は未知の領域だったのである。結局、砲弾装填開始から砲撃準備完了までに凡そ1時間を消費してしまうこととなった。総統ヒトラーを始め、国防軍最高司令部の面々は皆、苛立ちを募らせてはいたが、100cm列車砲の威力の程をこの目で見たいと、我慢に我慢を重ねていたのである。そして今、それの時は遂に訪れようとしていた――。

 「発射用意……フォイア(発射)!!!!」

 100cm列車砲『ヒトラー』指揮官のエルンスト・フォン・ファルケンバイン少将の号令一下、列車砲は天を衝く咆哮を迸らせた。その轟音たるや、演習場の大気を振動させ、大地を大きく揺さぶった。砲撃の衝撃から100cm列車砲『ヒトラー』の車体と砲身は、その反動で大きく軌道上を後退する。しかし、空中に放たれた8.9tベトン弾の勢いは止まらなかった。緩やかに天を駆け上り、高高度へと到達すると、そこからは地球の重力に従って下降を開始する。そしてアーチ状の放物線を描きつつ、8.9tベトン弾は目標物である要塞構造物へと直撃打を浴びせたのだ。

 それはまさに――隕石の衝突だった。8.9tもの重量を誇る100cm列車砲『ヒトラー』のベトン弾は、その圧倒的破壊力を以て要塞構造物を文字通り“粉砕”――してしまったのだ。何しろ8.9tベトン弾には7m以上のコンクリート壁を粉砕出来るだけの威力があった。元々模擬構造物であるこの演習用要塞は、通常のそれと比べても若干強度は落ちていたのだ。それに対し、100cm列車砲が放った渾身の一撃はものの見事にその要塞構造物を粉砕、土煙へと変換してしまったのである。それには思わず、ヒトラーの口許も緩んでしまった。

 「……素晴らしい……素晴らしいぞ!」

 ヒトラーは感嘆の声を上げた。自身の名を冠する列車砲が想像だに出来ない実力を示したのだから、その反応は当然といえば当然だった。

 「総統閣下。誠に100cm列車砲『ヒトラー』は素晴らしき兵器です」

 と、賞讃するのはドイツ宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスだった。プロパガンダと総統ヒトラーを敬愛するこの男は、純粋にこの兵器の能力を賞賛していた。それが1個戦車連隊に匹敵する莫大な金を注ぎ込んで生まれた高コスト兵器だと知った上で――だ。しかし彼にとって、最大の武器というのは『ティーガーⅡ』戦車でもなければMe262ジェット戦闘機でもなく、“プロパガンダ”なのである。“ペンは剣より強し”――とはよく言ったものである。事実、ドイツが『欧ソ戦争』に勝利したのも、プロパガンダに流された愛国的なドイツ国民達による戦争遂行の賜物だった。そしてこの時ゲッベルスの脳裏には、100cm列車砲『ヒトラー』やドイツ軍の最新鋭兵器をこれでもかと盛り込んだプロパガンダ映画の製作構想が既に浮かんでいたのだ。

 「……お待ち下さい、総統閣下」

 そう諭すのは、シュペーアである。

 「何だね、シュペーア君?」

 「総統閣下。確かに100cm列車砲は素晴らしき兵器です。言うまでも無く、世界最高の列車砲であり、世界最強の大砲といえるでしょう……」シュペーアは言った。「しかし今や戦争も形を変えました。要塞攻略には要塞砲――ではなく、航空機が用いられるようになったのは無論、ご承知のことだと思います。ですから、このような高コスト兵器の開発を今一度お考え直し頂けませんか?」

 「……シュペーア君」

 ヒトラーはまるで悪戯をした生徒を諭す教師のように、優しげに言った。

 「君は勘違いしておるよ。吾輩とて、時代が航空主兵となったのは理解しておる。だがしかし、この100cm列車砲の威力が破格のものであるという事実は塗り替えられん。この100cm列車砲は“力”の象徴であり、同時にドイツ第3帝国の栄光の象徴でもあるのだ。そう、“シンボル”だ。ソ連との戦争に勝ち、更なる高みを目指さんとするドイツ第3帝国の姿勢を示す――“シンボル”なのだ」

 いや、これはただの『玩具』に過ぎないとシュペーアは思った。

 「総統閣下……ご教授有難うございました」

 「うむ。分かれば良いのだ」

 しかし、シュペーアは黙るしかなかった。このドイツ第3帝国において、ヒトラーは絶対である。彼が夜といえば夜であり、昼といえば昼である。それがドイツ国民の常識だった。シュペーアは精々、その枠組みの中で自身の“王国”を築き、それを細々とではあるが存続させていこうと考えていた。それが巨大官僚機構国家ドイツにおける権力者達の常識だった。



 100cm列車砲『ヒトラー』の試射が終わった所で、ヒトラーとその取り巻き達は移動を開始した。100cm列車砲はその圧倒的威力の代償として、運用が非常に困難な兵器である。1発の砲撃に約1時間を要し、それは再装填時にも変わらない。1日に発射出来る砲撃数は12~13発程度がやっとであり、これ以上続けると砲身が持たないのだ。それほどに繊細な兵器なのだ。故に莫大な運用費は避けられない運命であり、それこそ諸々の経費を合わせれば同列車砲2輌で1個装甲師団を編制できるだけの金額となるだろう。無論、そちらの方が合理的で利に適ってはいるのだが、ヒトラー曰く『ドイツ第3帝国の“力”の象徴』たる100cm列車砲に、そんなケチなことを言ってはいけないのである。

 「総統閣下、本日は宜しくお願い致します」

 演習場北部にある戦車砲実験場に移動したヒトラー達に向けて、ナチス式敬礼ではなく軽い挨拶を交わしたのは、ヘンシェル社主任設計技師のエルヴィン・アーダースとヘンシェル社長、そしてフリードリヒス・マイバッハ・エンジン製作所社長であるカール・マイバッハ博士の3人だった。そしてその背後には全長10m以上はあろうかという程の大きさを誇る巨大戦車の姿があった。

 「ヘンシェル社長。これが例の『E-100』戦車かね?」

 ――『E-100』超重戦車。それは史実、ドイツ国防陸軍が戦車開発の標準化、規格化を推し進めようとした『E(Entwicklungstypen=“開発タイプ”)計画』の決定版とも言うべき超重戦車であった。E-100は同じく超重戦車としてその開発を進めていたポルシェ社の『マウス』の対抗馬――として計画・開発された戦車で、他戦車との部品共通化や機動力向上等に務め、性能としては比較的実用的な超重戦車であった。史実ではアドラー社が開発を委託されていたが、今物語では『ティーガー』Ⅰ・Ⅱ重戦車開発の経験を持つヘンシェル社がその開発を担っていた。

 「ええ。『E-100』戦車……採用されれば『Ⅶ号戦車』となりますが」

 と、ヘンシェルは頷き答えた。E計画は戦車クラスごとの標準化、規格化を目指した戦車の開発計画であると同時に、既存の主力戦車の代替型戦車の開発計画でもあった。例を挙げれば『E-15』が軽駆逐戦車『ヘッツァー』の後継、『E-50』がⅤ号中戦車『パンター』の後継、『E-75』がⅥ号重戦車『ティーガー』の後継にあたる。そしてこの『E-100』は、既に25輌の生産が終了している超重試作戦車『マウス』の後継戦車であったのだ。そしてもし採用されれば、『Ⅶ』の番号を備えた新型戦車として、晴れてドイツ国防軍の主力戦車の仲間入りを果たす――という訳であった。

 その性能諸元は――。



 ■『E-100超重試作戦車』性能諸元


 全長:10.27m

 車体長:8.70m

 全幅:4.50m

 全高:3.35m

 重量:100t

 懸架方式:トーションバー方式

 速度

  :41km(整地)

  :20km(未整地)

 航続距離

  :170km(整地)

  :120km(未整地)

 兵装

  主砲:55口径12.8cmKwK44戦車砲×1門

  (弾薬搭載量:55発)

  副兵装:7.92mmMG34重機関銃×2挺

  (弾薬搭載量:4200発)

 装甲

  (砲塔)

   防盾:220mm 前面:220mm

   側面:190mm 後面:190mm

   上面:40mm 下面:80mm   

  (車体)

   前面:190mm 側面:120mm

   後面:140mm

 エンジン

  マイバッハHL234

  4ストロークV型12気筒水冷ガソリンエンジン

  (出力:800hp)

 乗員:5名



 ヘンシェル社が開発した『E-100』超重戦車は、従来の『ティーガーⅡ』重戦車を発展させた『E-75』試作重戦車を更に拡張・発展させたような仕様となっている。装甲削減や部品小型化、75mm副砲の撤去により、凡そ40tもの軽量化に成功していた。また速力は40km台と通常のティーガー重戦車と同程度の速度を維持し、その機動性を確保していた。

 「ふむ。これだけの重装甲なのに、軽快な走りを見せるな……」

 「これは序の口です。総統閣下」そう語ったのはカール・マイバッハ博士だ。「現在、開発中の新型エンジンは1200馬力をマークしております。それを搭載すれば、更に速力は向上するでしょう」

 エンジンには新型のマイバッハHL234V型12気筒ガソリンエンジンを採用しているが、これは試作戦車仕様のものであり、量産型に関しては更に強力なマイバッハ製V型12気筒1200馬力エンジンを採用する予定であった。これを搭載することにより、従来の『E-100』に比べ、速力が大幅に向上することが見込まれており、大きな期待が寄せられていた。

 「機動力を得られたことは評価すべきであろう……」ヒトラーはE-100の疾駆する雄姿を一瞥し、呟いた。「だが、装甲はどうなっておる? 仮想敵国たる英米の重戦車には耐え得るのかね?」

 機動力の確保は出来た。だが戦車にとって肝心なのが――装甲である。1920年代から戦車開発の一切を連合国側に禁じられ、技術の衰退が著しかった旧共和国時代から、ドイツ軍は苦心してきた。ソ連の技術支援を受けつつ、“トラクター”と称した非装甲の戦車を開発するのが精一杯だった。そしてそれは、ヒトラーが政権を奪取し、ドイツ第3帝国時代が訪れた黎明期においても例外では無かった。当初はそれこそ、列強各国の主力戦車からは到底劣る『Ⅱ号戦車』に始まり、ようやく戦車の体を成したのがそれから3年後に製造が始まった『Ⅲ号戦車』であった。そしてこのⅢ号戦車にしても、純粋な戦車戦においては歯が立たないのは明白だった。そんなドイツ軍が史実、ヨーロッパを掌握し、ソ連とも当初は対等に戦い抜いていたのは――『電撃戦』を始めとする優れた戦術と指揮の賜物である。

 そして1946年、ソ連との戦争に勝利を収めたドイツ軍は世界最強の戦車を造り出そうとしていたのだ。攻撃力、機動性、そして防御性能においてもこの『E-100』は十分に水準を満たした超重戦車であり、ヒトラーのそれは要らぬ心配というものであったのだ。

 「私の見解では、十分に対抗可能かと」アーダース主任設計技師は言った。「アメリカのM26『パーシング』の90mm戦車砲の貫徹力は、1000mの距離でも131mm(APCBC弾)です。イギリスが開発中とされる新型重戦車については情報が無く分かりませんが、190mmの前面装甲であれば十分に対処出来る筈です。この『E-100』と対等に戦える戦車など、この時代には存在しないのです」

 実際、アーダースの言葉は正しかった。『E-100』は最大装甲厚220mmを誇り、弱点とされる側面装甲でさえ、120mmもの装甲厚を有している。この120mmという側面装甲厚は、米軍のM26『パーシング』の前面装甲を凌駕する厚みであった。それほどの重装甲で包み込まれた『E-100』に対抗し得る戦車など、数えるほどしか存在しなかったのである。

 「アメリカは新型重戦車としてM30を開発中だ。油断は出来んよ、アーダース設計主任」ヒトラーは静かに言った。「報告によると、M30は155mm戦車砲を搭載しており、非常に厄介な相手だと……。試作戦車の域を出ておらん以上、我がドイツ軍のE-100とは比較にならん。だが、油断はするなよ」

 そう強く念を押すと、ヒトラーは再びE-100超重戦車の威容を仰ぎ見た。

 「やはり素晴らしい。これこそ、我が精強なるドイツ第3帝国に相応しい……」

 「ご期待に添えましたでしょうか?」

 そう訊ねるヘンシェルに対し、ヒトラーは頷いた。

 「最早、我がドイツ軍に勝る軍は存在し得ない。残るは海軍のみだ」ヒトラーは言った。「大国ソ連が膝を着き、EU諸国が怠惰を重ねる今、ドイツは準備をせねばならん。だからこそ吾輩は軍事費を更に増やし、旧ソ連領の占領政策と偽って軍備増強に努めておるのだ。5年後、ドイツ第3帝国陸軍と対等に立つ陸軍など、この世界には存在していないだろう。10年後には、第一次世界大戦で崩壊したドイツ海軍が完全に復活する。そして空軍――空軍は世界の空の制空権を握っているだろう。大陸と海洋の垣根を越え、世界各国の都市に無数の爆弾の雨を降らせることすら、可能となっていることだろう……。そう、全ては――ドイツ第3帝国のために、な」

 ヒトラーは語った。熱狂的に、独善的に。言っていることは全て、横暴に違いなかった。しかし、ヒトラーの声は“魔法”を含んでいる。聴衆の注目を一点に集め、沸き立たせ、興奮させる。それがドイツ第3帝国総統の力であった。

 「ヘンシェル社長。E-100の開発を進めたまえ。全面的に協力しよう」

 「あ……はッ! お任せ下さい総統閣下」

 そう言うヘンシェルの瞳は輝きに満ちていた。技術者として、世界最強の超重戦車の開発の中核を担うのだ。これに興奮しない筈が無かった。



 「……機は熟すまで待てば良い。気長にな」


 ヒトラーは静かに呟き、E-100とその背後に聳え立つ100cm列車砲『ヒトラー』の巨影をみはった。1946年、アメリカの足元たる南米で動乱が生じ、アフリカや中東・東南アジアで独立を訴える民族紛争が激化し、極東でも日米両軍が日夜国境線を隔てて睨み合いを続ける中、ヨーロッパ随一の大国へと躍進したドイツは、世界を影から操らんとしていた。全ては千年王国――ドイツ第3帝国の発展と栄光のために……。その道筋を阻む障害は全て排する覚悟であった。



 それがドイツ第3帝国総統ヒトラーの描いた――“未来”だった。




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